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ドッターはマゾなほど優秀ってホント? 現役ドッターたちが語るドット絵の過去と現在

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 ドット絵。わずか数ドットの狭い空間にあらゆるものを描いていく、グラフィック技術。そして、そのドット絵を担当するグラフィックデザイナーが、ドッターだ(ちなみに、ドット絵は1ドットのマスに点を置いて作られていくため、「描く」ではなく「打つ」という表現が使われることが多い)。

 1990年代中期までのゲーム業界ではグラフィックと言えば、それはドット絵を指すと言っても過言ではなかった。だが、プレイステーションの登場により、ゲーム業界にはポリゴンを使った3DCG化の波が押し寄せた。……ドッター冬の時代の到来だ。

 しかし、ファッションの流行の周期のように、近年のケータイアプリの台頭や海外で起きたレトロなドット絵ブームによって、再びドット絵に注目が集まりつつある。

 さらなる需要の高まりを見せるドット絵界隈を、現役のドッターたちはどう思っているのか? 長年ドッターとして活躍するエイリム・小林光氏と日本一ソフトウェア・池田真一氏のお二人にドット絵の過去と現在を聞いてみた。

取材・文/高見沢有志
写真/林 久平


ーー今回、この取材の前にお二人には簡単なアンケートに答えてもらったんですが、そのなかで気になる発言を見つけました「制限があるほど萌えませんか?」。

小林:
 僕の発言ですね。逆に、制限なかったりすると困りますね。「こんな広い解像度やめて!」みたいな(笑)。

ーーこれって、ちょっとマゾっ気のある発言ですね(笑)。ドッターさんには、こう言った気質の人……いわゆるMな人が多いんでしょうか?

池田:
 間違いなく多いんじゃないかと思います。私は、昔から常々「ドッターは全員マゾなんだよ」と周囲に語ってましたから。もし、マゾ気質じゃないドッターの方がいらっしゃったら、ごめんなさい。

ーー当時はいろんな制限がある中で、どれだけ1つのドット絵にこだわりを詰め込むかの戦いだったわけですよね。

小林:
 そうですね。まさに、「俺のこだわりのドット絵を見ろ!」って感じですよね。

ーーマゾ気質的には、さらにそのドット絵を罵倒されたりした方が?

小林:
 そこは褒めてください!

本企画で初めて顔を合わせたお二人だが、いきなり「マゾっ気ドッターあるある」で盛り上がる。
本企画で初めて顔を合わせたお二人だが、いきなり「マゾっ気ドッターあるある」で盛り上がる。
  • ドット絵とは、1ドットのせめぎ合いである!?

ーー小林さんは今日の取材のためにTシャツも作っちゃったそうなんですが、これは『ブレイブ フロンティア』のヴァルガスが8ビット風になってるものですよね?

ヴァルガスは、『ブレイブ フロンティア』【※】に出てくる主役級のユニットの一人だ。 (C)Alim Co.,Ltd. All Rights Reserved.
ヴァルガスは、『ブレイブ フロンティア』【※】に出てくる主役級のユニットの一人だ。
※『ブレイブ フロンティア』:2013年からサービスを開始した、スマホRPG。コンシューマーの王道RPGの良さを残しつつ、スマホ向けの直感的な操作やバトルの爽快感などを追及したゲームシステムが人気を博す。また、公式ニコ生「ブレ生」などのファンに向けた多数のイベントを開催することでも有名。熱気あふれるファンコミュニティが形成されている。 (画像はブレイブフロンティア公式WEBサイトより)
※『ブレイブ フロンティア』:2013年からサービスを開始した、スマホRPG。コンシューマーの王道RPGの良さを残しつつ、スマホ向けの直感的な操作やバトルの爽快感などを追及したゲームシステムが人気を博す。また、公式ニコ生「ブレ生」などのファンに向けた多数のイベントを開催することでも有名。熱気あふれるファンコミュニティが形成されている。
(画像はブレイブフロンティア公式WEBサイトより)

小林:
 そうですね。あと、これ「ヒカルの碁」の宇宙に浮いている碁盤を意識しているんですよ。

ーー若干斜めになっているのはそういうことだったんだ。

小林:
 左上のRGB値は、ちゃんと使っている肌色と同じ値を取っているんです。

ーーこれ、後ろはどうなっているんですか?

ドッターはマゾなほど優秀ってホント? 現役ドッターたちが語るドット絵の過去と現在_001

ーー1ドットのせめぎ合い!

小林:
 これ、低解像度で習字っぽく描いて、ドットっぽく再現しようとしたのに、制作の段階で上手く意図が伝わらなかったみたいで、なめらかに修正されてしまったんですよ。

ーー意図が伝わってなかったんですね(笑)。この言葉は、小林さんのポリシーですか?

小林:
 とあるテレビ番組でのドット絵制作企画の時に、僕がしゃべったこのセリフがテロップでドーンッと出たんですよ。それ以来「小林さん1ドットでせめぎ合ってください」と言われるようになっちゃって……。

ブレ生放送中にドット絵を完成させる企画が実施されることも。放送中は、小林さんが割と雑に扱われるのもポイント(笑)。
ブレ生放送中にドット絵を完成させる企画が実施されることも。放送中は、小林さんが割と雑に扱われるのもポイント(笑)。
  • 「いつまでドット絵やってるの?」の衝撃

ーー小林さんは元々コンシューマーゲームの開発をされていたんですよね?

小林:
 僕は元々コンシューマーゲームの開発会社にいて、12年くらい前にケータイ業界に移って今に至ります。プレステ2の頃は3DCGのデザイナーにならざるをえなくて、一度「ドット絵」の制作を離れたんですよね。
 なので、池田さんのようにドット絵にずっと関わっていることができた方をすごく羨ましく思います。

――2000年代初頭にドット絵一本でやっていくのは、ゲーム業界では難しいことだったのですか?

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池田:
 その頃は、ドッターへの風当たりがとても厳しかった時代です。私は日本一にはドッターとして入社したんですけど、入っていきなり「いつまでドット絵やってるの?」みたいなことを言われたんですよ。

ーードッターとして採用されたのに?

池田:
 「ドット絵をやってるだけじゃいけないぞ」みたいな話ではあるんですが。逆にそこから意地になって、ひたすらドットを打ち続けてましたね。

ーー日本一ソフトウェアさんというと、すごく細かいドット絵が印象的な作品が多いというイメージがあるのですが、池田さんが入社したときにはドット絵はもう古いという風潮だったんですか?

池田:
 そうですね。私が入社したときには、実は先輩のドッターさんが1人しかいませんでした。『マール王国の人形姫』を作った人なんですけど。ゲーム業界のドット絵への風当たりはこんなにも強いのか、と思いました。

小林:
 すでに1990年代後期には、ドット絵は古いっていうイメージがありましたよね。その頃はゲーム業界の勢力図が2D表現に強いセガサターンと3D表現に強いプレイステーションという構図。プレステがシェアで勝っていたので否応なく3D方面に行けって言われたんですよ。

ーー1周回ってという言い方は失礼かもしれませんが、今再びドット絵がちょっと盛り上がってるという印象は、お二人にはあるのでしょうか?

池田:
 あの時代(ドット暗黒期)※後述】に比べて虐げられなくなった感じはありますね。あー、良かったって思ってます(笑)。

小林:
 ドット絵がデザインの表現手法として確立されたかなという感じはしますよね。

※ドッターを取り巻く環境の変遷

 お二人が声をそろえてドッターの暗黒期だったというこの10年のドッター業界。なぜ暗黒期と言えるほどドット絵を取り巻く状況が悪くなっていったのか、この30年のドット絵を取り巻く環境を見てみよう。

ドット黎明期
(〜1980年)
パソコンが市販されるようになり、一部のマニアが自作したりプログラムを購入したりしてゲームを遊び始める。解像度が低いため1ドットが大きく、使える色数も少ない中、単純な記号や文字をキャラクターに見立てていた。一般的なグラフィックツールもないため、プログラムでドットの形や色を指定していくことが多かった。
ドット発展期
(1980~1990年)
アーケードゲームに参入する会社が増え、ゲームの第一印象ともいえるドット絵はゲームの花形となる。パソコンやファミコンなどの家庭用でも遊べるゲームが登場し、ドット絵が一般にも広く知られるようになる。
ファミコンブームによって、ゲームクリエイターになりたいという子どもが増え、ドット絵に興味を持つ人も多かった。
ドット黄金期
(1990〜1994年)
スーパーファミコンが登場し、家庭用ゲーム機でも使える色数が増え、表現の幅が大きく広がる。アーケードゲームも性能が大幅に進化し、一度にアニメーションで使える絵の枚数が増えたり、拡大縮小や色の透過などのエフェクトがかけられるようになりグラフィックの表現がリッチになっていった。
一方で、パソコンはPC-9801シリーズがトップシェアになり、ハード性能の同時発色数16色という限られた色数だけを使って美しい絵を描くことに挑戦するドッターも多かった。
ドット衰退期
(1994〜2000年)
1994年の年末商戦にプレイステーションやセガサターンが登場。家庭用ゲームでもグラフィックのクオリティがアーケードに追いつき始める。さらに97年、『ファイナルファンタジーⅦ』がハードをプレイステーションに移行。表現方法をドット絵から、キャラクターや背景をすべてポリゴンで描く3DCGに移行し、高い評価を得た。
パソコンはDOS-V機が主流になり、使える色数と解像度が大きく上がったため、ドット絵の技術を使わなくても美麗な絵を描けるようになり、ドット絵を描くドッターは減少の一途をたどる。
ドット暗黒期1
(2000年代前半)
プレイステーション2が発売され、ポリゴンを使った3DCGの表現が完全に主流となる。ドット絵のツールをすべて廃棄し、3DCGのみに開発を絞るメーカーもあった。
アーケードゲーム業界は規模縮小によって中小メーカーのタイトルが少なくなる一方で、『バーチャファイター』や『鉄拳』など、大手メーカーはポリゴンを使ったタイトルにシフトし、こちらでもドット絵を使ったゲームは減っていく。
この頃、ドット絵を使ったゲームはゲームボーイアドバンスなどの携帯ゲームに主戦場を移す。
ドット暗黒期2
(2000年代後期)
プレイステーション3やWiiなど、家庭用ゲーム機のタイトルのほとんどが3DCGを使ったものになり、ドット絵のゲームはさらに数が少なくなる。
ニンテンドーDSやPSPなど、3DCGを扱える携帯ハードが登場し、携帯ゲーム機でもドット絵を使ったゲームが減った。
この頃、2Dのドット絵が主流だったフィーチャーフォン(ガラケー)のアプリ開発に移るドッターも多かった。
ドット復興期
(2010年以降)
荒いドット絵やチップチューン(1980年代に製造された家庭用ゲーム機やパソコンの内蔵音源を使って音楽を制作するテクノポップの一種)など、あえて昔の技術でゲームを作るという手法がマニアの間で流行り、再びドット絵に注目が集まり始める。
さらに、Pixiv(ピクシブ)などの絵を描く人のコミュニティでもドット絵のカテゴリーが作られ、若年層にもドット絵に興味を持つ人が増えつつある。
スマホアプリでも2Dの絵が主流となったため、キャラクターのアニメーションを描くドッターの需要も高まった。しかし、約10年ほどの暗黒期の間に、多くのドッターがゲーム業界を去るか3Dモデラーに転向してしまい、若手へのドット絵の制作技術の継承も行われていなかったため、ドット絵を打てる人が慢性的に不足するという事態に陥っている。

「ドットを打たざるを得ない」と思った小学生

ーー経歴によると池田さんは素人時代含めるとドッター歴18年ということですが、業界に入る前からドット絵は描かれていたのですか?

池田:
 ファミコン、PCエンジン、メガドライブ、スーパーファミコンとドット黄金期に育ったので、自分の中でゲームを作ることってドット絵を打つことだって思っていたんですね。

ーー当時はどんなグラフィックツールで絵を描かれていたんですか?

池田:
 「マルチペイント」【※】とかですね。当時のスタンダードなツールですので。

※マルチペイント
当時国内で大きなシェアを持っていたパソコン・PC98互換機向けのグラフィックツール。グラフィックデータの拡張子「MAG」から初期は鮪ペイント、のちにマルペ、MPS(Multi Paint Systemの略)などと呼ばれていた。画面解像度は640×480(縦スクロールで640x800にも対応)、使える色は全4096色中から同時に16色まで。

小林:
 ドット絵を打ってた人はみんな持ってましたね。

ーーちなみにいくつからドット絵を打ち始めたんですか?

池田:
 私は中学生からドット絵を打ち始めてるので、14~15歳くらいですね。

ーー小林さんも初めて打ったドット絵が30年前となってますけど?

小林:
 僕は、プログラマー志望だったんですよ。僕が小1ぐらいの頃にファミコンが出て、みんなが買ってもらっている中、うちの父親は「あんなの頭が悪くなるから、やるんだったらパソコンにしろ」という人だったので、MSXを買いあたえられました。

ーーファミコンはダメだけど、パソコンなら良いというのは変わっていますね。

小林:
 父親からすごく分厚いマニュアルを渡されて「ファミコンがやりたいんだったら自分で作れ」って言われて(笑)。

 それでMSXのプログラムを勉強し始めたんですが、ゲームを作ろうと思うと絵も必要になるんですね。なので、僕は絵からというよりプログラムから入って、ドットを打たざるを得ないというところからスタートしています。

ーードットを打たざるを得ない小学生……なかなかの試練ですね。

池田:
 今の話を聞いて思い出したんですけれど、私はパソコンを手に入れるまでは方眼紙でドットを描いていました。

小林:
 僕も方眼紙でドット絵を作っていました! 3㎜マスの方眼紙が一番描きやすいんですよ。太めのペンでも塗りやすくて、美しく仕上がるんですね。ゲームボーイの『魔界塔士Sa・Ga』のドット絵が大好きで、モンスターをゲームボーイの画面を見ながら4色で模写したりしてましたね。

池田:
 私もドット絵の模写をやっていました。当時、ゲームボーイの雑誌がいくつか出ていたんですけど、その中で写りがいいドット絵を鉛筆でグラデーションをかけたりしながら模写していましたね。

ーー小学生の頃から、ゲームの画面をドットとして認識して、実際にドット絵を打ってみようという発想に至るのが、なんだかすごいですよね。

小林:
 僕の場合はプログラムから入ったから、そう見ざるを得ないんですよね。小学生のくせに、「あ、これ16ドット単位で構成されてるんだ、それでここにグリッドがあるから、このパーツの中に4色で描いてて、ここが丁度パレットの境目だ」っていうように見ていました。

 PCエンジンの頃になると反転とか多重スクロールとかいろんな技術が入ってくるので、これとこれでレイヤー分けてるなとか、反転使って容量減らしているなとか。正直ゲームの中身の解析をしながら遊んでいた感じですね。

ーーそれは、周りのゲーム友達もそんな感じだった?

小林:
 いや、自分だけですね(笑)。

池田:
 あとは、親のワープロを使ってドット絵を作ってました。

小林:
 懐かしい! 僕もやりました。ワープロの外字登録を使って、マップチップを描いてました。【※】古いワープロなので2色しか使えないうえに、登録できる数が少ないので、いかに少ない文字を組み合わせてマップをキレイに描くかに挑戦していましたね。

※マップチップ
ファミコンは使える容量が数十キロバイト、スーパーファミコン時代でも1~2メガバイト程度だったため、1枚の大きなグラフィックで背景を作ると容量が足りなくなってしまう。グラフィック容量を節約するために、ドットのマスで作られた木や地面、ブロックなどの数パターンのグラフィックチップをパズルのように配置していき、1つの大きなマップに見えるようにしていた。こうしたマップを作るためのドット絵のことをマップチップと呼ぶ。

池田:
 そうなんですよ。昔のワープロってすぐに外字登録の上限を超えちゃうんです。

小林:
 そういった文字の制限との戦いの中で「このマップチップは別のところに使いまわせるな」といった技術を学びました。

池田:
 ワープロだと、できたドット絵をプリンターで打ち出せますしね。

小林:
 そうなんですよ。ちなみに去年祖母が亡くなって田舎に遺品整理に行ったら、祖父が使っていたワープロが出てきたんです。電源入れてみたら、僕が最後に外字で入れたマップが出てきました(笑)。

池田:
 昔打ったドット絵と再会するなんて感動モノですね。

小林:
 本当に。ワープロに電源が入ることにも感動しましたけど。

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