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『DEATH STRANDING』はオープンワールドを一歩先に押し進め、「文明体験装置」から「文明生成装置」へと再構築した

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 『DEATH STRANDING』を遊んでいて、最初に感銘を受けたのは、過去に誰かが歩いた足跡が「道」となって目の前に現われたときだった。

 2019年の11月に発売され、年末に開催された「The Game Awards」においてはベストゲームディレクションを受賞するなど、世界的に高い評価を獲得した本作だが、少なくないプレイヤーが、多くの荷物を抱えると前に移動することすら困難になるそのプレイフィールに戸惑いを覚えたのではないだろうか。

 私自身、キャラクターの「重心」を意識しつつ、フィールドに点在するちょっとした起伏や障害物に気を配り、ときには梯子やロープといったアイテムを駆使しながら、目的地まで荷物を出来るだけ傷つけないように届けるというこのゲームの根幹部分がつまらなくはないものの、そのあまりに素朴な味わいに面食らい、最後までやり通せるのか不安になったことは事実だ。

 しかし、その不安はいくつかの拠点に荷物を配送し、他プレイヤーとのネットワークを介した繋がりがゲーム中に発生しだした時点で解消されることになる。冒頭でも述べたように「道」が現れ出したからだ。

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(画像はDEATH STRANDING Game | PS4 – PlayStationより)

 重い荷物を抱えると、単純な歩行動作すらままならない本作において、障害物のない平坦な「道」はただそれだけで非常に有難い。自分以外の誰かがそこを歩いたという事実によって私の目の前に知らない「道」が現れたとき、やたらと広大で細かい起伏や傾斜には富んでいるものの、あまり密度が無いようにも思えた『DEATH STRANDING』の荒涼としたフィールドに「文明」の萌芽する瞬間を目撃したかのように私には思えたのだ。

 このときの感動をなんと表現しよう。筆者は90年代半ばから後半あたりに個人HPを開設していた時期があるのだけれど、そのHPにアクセスカウンターを設置して、カウンターが回り出し、広大すぎるネットワーク空間に繋がりを感じた瞬間などが近いかもしれない。
 自分のしたことや作ったものが思わぬところで他人に評価され、特になんの接点もない他人のなんてことないWEB日記を読み耽ってしまったような、インターネットを始めたての原初の感動を2019年末のコンシューマーゲームで味わうことになるとは!

 この瞬間、『DEATH STRANDING』というゲームは当初私がなんとなく考えていた、なんらかの事情で荒廃した文明社会を現代よりも高度に発達した科学技術によって造られた近未来ガジェットを駆使して冒険するオープンワールドゲームというぼんやりとしたイメージは瓦解した。

 荒廃した文明社会の、荒廃したフィールドに、世界中に数多存在するゲームプレイヤー達の緩い繋がりによって、「文明」そのものを再構築し、体験する。『DEATH STRANDING』とはそのようなゲームだったのである。

文/hamatsu


「文明体験装置」としてのオープンワールド

 ここまで「文明」という言葉で『DEATH STRANDING』を説明しようとしていることについて、大げさに感じる人もいるかもしれない。

 だが、実はゲームと「文明」は非常に相性がいい。なぜなら、ゲームというメディアは「文明」や「社会」というものを構成する上で非常に重要な基盤、「インフラ」を一種の体験として表現することができる稀有なメディアだからだ。

 例えば『SimCity』をやった人なら、まず最初に頭を悩ませるのは、電力と交通のインフラ設計なのではないだろうか。そこでは周囲に公害が発生する火力発電所と公害は発生しないがメルトダウンのリスクがある原子力発電所のどっちを建設するかという、一種究極の選択が発生したりもする(『SimCity』の原発は現実に比べてリスク低すぎだとは思うけど)。

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『SimCity』 (画像はSteam:SimCity™ 4 Deluxe Editionより)

 「インフラ」、「文明」という要素は『SimCity』や『Civilization』のようなシミュレーションゲームに限らず、オープンワールドというジャンルにおいても非常に重要な要素である。

 『ASSASSIN’ CREED』シリーズなどは古代のエジプトやギリシャ、中世のヴェネチアなどその時代ごとの「文明」がそのままタイトルごとのコンセプトになっているシリーズだし、『Fallout』シリーズの最大の特徴は核戦争後の「文明」が崩壊したその世界観にある。

 そして『シェンムー』『CRAZY TAXI』などドリームキャスト時代のセガタイトル群に影響を受けつつ、オープンワールドというジャンルを確立したタイトル、『Grand Theft Auto III』(以下『GTA3』)が画期的なゲーム足り得た理由は、広大なフィールドに現実さながらの交通網という「インフラ」を設計し、そこに膨大な数と様々な種類の車を実際に走らせ、プレイヤーには「車泥棒」という機能を与える事で、「車社会」、「車文明」を丸ごと表現し、体験できるようにした点にある。

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(画像はSteam:Grand Theft Auto IIIより)

 個人的には、「文明」を表現し、体験できる優れたタイトルとして『GTA』シリーズを手がけたロックスター社による、西部開拓時代のアメリカを舞台としたオープンワールドゲーム、『Red Dead Redemption 2』(以下、『RDR2』)を挙げたい。

 『RDR2』の何が優れているのかといえば、西部開拓時代という、一つの時代の終わりをゲームというメディアでしか出来ない形で──すなわち、「文明体験」として描ききっているということに尽きる。

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『Red Dead Redemption 2』
(画像はScreens – Red Dead Redemption 2より)

 西部開拓時代の終わりであり、カウボーイの時代の終わりは前作『Red Dead Redemption』においても執拗に描かれた主題であるが、続編である『RDR2』は前作の前日譚という形式を採用することによってさらにだめ押しをするかのように、終わりの色彩が濃くなっている。
 前日譚である以上、劇中で登場する人物達の振る舞いが如何に魅力的で幸福に描かれようと、その後の行く末をプレイヤーはすでに知っているのだから。

 『RDR2』がまさしく「文明体験装置」のゲームとして印象的なのはゲーム中盤付近で訪れる、道が舗装され都市化されつつある街を移動する際に、明らかに“馬での移動が窮屈に感じられる”ところだ。
 おそらく「馬」という当時の主流だった移動手段が、時代に合わなくなりつつあることを体験として表現する為に意図的にデザインされたものだろう。

 「馬」から「車」という時代の変化があり、だからこそ『GTA』という「車」のゲームが誕生する以上、「馬」の時代を描く『RDR』シリーズはその終わりへと向かう時代の運命からは逃れられないのである。

 大分脱線してしまった、話を戻そう。ゲームというメディア、中でもオープンワールドというジャンルは「文明」を体験的な形で表現することが出来るということをここまで説明してきた。

 冒頭で述べているように『DEATH STRANDING』の画期性は「文明体験装置」としてのオープンワールドを一歩押し進め、「文明生成装置」として再構築した点にあると私は考えている。

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(画像はDEATH STRANDING Game | PS4 – PlayStationより)

 なぜそのようなことが達成出来たのかと言えば、一つはすでに指摘したように、このゲームがネットワークを介した緩い繋がりをゲームシステムとして取り込んだからだろう。

 ネットワークを介してプレイヤーの行動が互いのフィールドに影響を及ぼすようになることで、冒頭でも述べたようにこのゲームでは過去に誰かが歩いた足跡が「道」としてプレイヤーの前に現れる。
 何も無かった筈の「荒野」に「道」が誕生することによって、その世界には確かに人の手(正確には足だが)によって築かれた「インフラ」、すなわち「文明」が発生する。

 ゲームの世界においては「神」に近い位置に存在する「作り手」でも無ければ、プレイヤーが任意にデザインするわけでもない、あくまでも不特定多数の「他者」と直接的に繋がるのではなく、他のプレイヤーがとった「行動の痕跡」と繋がる事で、フィールドを一種の「公共の場」とすることに成功しているのだ。

 そしてもう一つはこのゲームの特異な「移動」の仕組みにあると私は考えている。というわけで次の項でこのゲームにおける「移動」について考えてみよう。

「移動」のゲームクリエイター、小島秀夫

 『DEATH STRANDING』を手がけたゲームクリエイター、小島秀夫の代表作と言えばやはり『メタルギア』シリーズだろう。このシリーズによって確立したとされる「ステルスゲーム」とはそもそもどのようなゲームか。

 私の考えでは、ステルスゲームとは「プレイヤーの行動、特に“移動”によってゲーム内容が可変するゲーム」である。

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(画像はMETAL GEAR SOLID | ソフトウェアカタログ | プレイステーション® オフィシャルサイトより)

 これはどういうことかと言えば、いわゆる「隠れている」状態(ステルス状態)とは、プレイヤー側が相手を一方的に「見る」ことが出来ている状態であると言える。そしてそのステルス状態を維持したまま「移動」し、相手に気づかれないまま見事相手を仕留めることを「ステルスキル」と呼ぶのである。
 そして、ステルス状態の維持に失敗したとき、つまりは相手に「見られた」瞬間に、相手は増援を呼び、こちら側に一斉に攻撃を仕掛けて来るようになるわけである。そしてそんな状況で隠れることをやめ、力技で乗り切ることを“ランボープレイ”などと呼ぶわけだ。

 ステルスゲームの画期性とは、「移動」という行動ひとつとっても、「相手に気づかれる移動」と「相手に気づかれない移動」といった具合に、行動の持つ意味や行動に伴う結果の幅を大きく拡げた点にある。

 『メタルギア』シリーズを長年作り続けてきた小島秀夫にとって、ゲームにおける「移動」とは単なる目的達成のためのプロセスに過ぎないのではなく、対象との関係性を多彩に変化させることが出来る、豊かな可能性を孕んだアクションなのである。

 では、そんな彼の作った最新作『DEATH STRANDING』における「移動」はどうだろう。

 『DEATH STRANDING』における「移動」、それは大きく3段階に分けることが出来る。1段階目が主人公が自らの身体を駆使し、一歩一歩フィールドを進んでいく「歩行」による移動、2段階目が「歩行」より圧倒的に高速な移動を可能にし、多少の段差や障害物を難なく乗り越えられるようになる「乗り物」による移動、3つ目が2点間を繋ぐことで障害物や敵キャラクターに一切干渉されることなく、高速移動が可能になる「ジップライン」による路線移動。この3つがこのゲームの主要な移動手段である。

 『DEATH STRANDING』というゲームが非常にユニークなのは、これらの移動手段とセットで、「インフラの整備・拡張」が出来ることだろう。

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(画像はDEATH STRANDING Game | PS4 – PlayStationより)

 というのも、この「インフラの整備・拡張」という手段は、己自身を成長させるのではなく、自身の外側にある世界の持つ機能を上書き、更新してしまうという、非常にラディカルなものだからだ。

 例えば『ゼルダの伝説』においては「爆弾」や「弓矢」、「フックショット」のようなアイテムを獲得すること、すなわち己の身体能力を拡張することで、新しい道が開けるようにゲームがデザインされている。
 一方で『DEATH STRANDING』では、己の身体能力を拡張するタイプのアイテムも存在するが、「インフラの整備・拡張」がそれと同等に、もしくはそれ以上に重要な要素として機能している。

 「乗り物」での「移動」をより効率的に行うためには、「国道」の敷設が必要になるし、「ジップライン」による拠点間を繋ぐ移動網を構築するためには、最適な設置場所を求めて、自らの足で切り立った崖や岩山への登攀など、危険を厭わない作業をする必要がある。

 そして、ここが何より重要な点なのだけど、本作では任意に建設できる建築物の数に上限があるため、自分の好きなように、好きなだけ建築物を建てたり、自分だけで完全なインフラを整備することはできない。

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(画像はDEATH STRANDING Game | PS4 – PlayStationより)

 あえてクラフト系のゲームとしての自由度を追求するのではなく、それを制限することで、他のプレイヤーが建てた建築物も最大限活用する必要に迫られるようにゲームがデザインされているのだ。
 他人が建てた建築物は、必ずしも自分の希望通りの場所に立つわけではなく、ときには邪魔になることもある。
 これは「ジップライン」での移動網を構築する際にもっとも頭を悩ませる要素にもなっている。だが、この全てが己の思い通りには行かないというこの要素によって、本作のフィールドには常に「他者」が存在する空間となっているのである。

 「移動」のための「インフラ」をネットワークを介した緩い繋がりの中で、必ずしも思い通りにはなってくれない「他者」と強調しつつ構築するという、一種の社会体験をゲームという形式に落とし込む事で『DEATH STRANDING』は、「文明体験装置」としてのオープンワールドを一歩先に進めた。
 あらかじめシミュレートされた特定の文明を体験するのではなく、文明が新しく生まれ、社会性の中で発展する過程を体験する、「文明生成装置」としてのオープンワールドになったのである。 

マリオとサムという「大人」の主人公

 『スーパーマリオブラザーズ』というゲームがある。

 主人公であるマリオが、助けを待つピーチ姫の元へ向かうために画面の右へ右へと移動し続けるゲームだ。

 このゲームの特徴は、主人公であるマリオがゲーム開始の時点で「ゲームをクリアするために必要な能力を全て持ち合わせている」ことだ。マリオという主人公はそのユニークな見た目に反して、非常に成熟した大人のキャラクターであるということである。

 『DEATH STRANDING』の主人公、サムもまたマリオほどではないにせよ、ゲーム開始時点で既にクリアに必要なほとんどの能力を持っている。
 ゲームの過程で獲得する各種のアイテムは、よりゲームプレイを容易にしてくれるが、大抵のものは無ければ無いでどうにかなったりもする。BTを倒すために必須の血液グレネードですら、サム自身の血液によって生成されている。

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(画像はDEATH STRANDING Game | PS4 – PlayStationより)

 つまり、サムという主人公は、本質的には「他者」の助けを必要としないキャラクターなのである。またこのゲームは、今時珍しいくらいに「孤独」を感じるゲームでもある。
 このゲームをプレイしている時間の大半はひとりでフィールドを移動していることに費される。

 そんなゲームだからこそ、本作ではフィールドで遭遇する「他者」に向けて気軽に「いいね」が出来るのである。

 例えば、強引に突破しようと思えば出来なくもない川に橋がかかってスムーズに移動出来たとき。時雨に降られて荷物がだいぶ痛みはするけど、まあ納品できなくもないというときに時雨シェルターに出会って、よりスマートな形で納品が出来たとき。

 ひとりでも出来たことが、「他者」の存在によって、より良い形で出来るようになる。そんな瞬間がこのゲームには無数に存在する。

 これがもし、「他者」からの助けなしにはストーリーの進行すらままならない「他者」に依存する内容になっていたとしたら、恐ろしくギスギスしたゲームになっていたのではないかと思う。

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(画像はDEATH STRANDING Game | PS4 – PlayStationより)

 何万という「いいね」が集まっている建築物がある一方で、1桁台の「いいね」しか稼げていない建築物が存在する。
 しかし、あくまでも「孤独」な「個」として向き合うこのゲームでは、たとえ不人気な建築物であっても、己の道程の助けとなれば、心からの「いいね」が送れる。いわゆる“バズ”に左右されない自分の体験性を通した評価行為がこのゲームの風通しを良くしている。

 その意味において、『DEATH STRANDING』というゲームは「大人」のゲームである。

 成熟した「大人」だからこそ、成熟したコミュニケーションが可能になり、人の助けを借りずともクリアが可能なこのゲームには、それでも「他者」が存在し、そこには「文明」が生まれる。

 『DEATH STRANDING』とは、オープンワールドを一歩前に進めただけではなく、マリオというゲーム史上最も有名な「大人」のキャラクターをもう一歩前に進めた主人公、サム・ポーター・ブリッジスによる、「成熟」の更にその先の物語、その先のゲームでもあるのだ。

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 もしもある物語が語られるのならば、その物語に登場する人物あるいは世界が、なんらかのかたちで「回復」されようとしなければならない。

 回復のための手段や過程、その成否、ありようは、作品によって異なる。むしろ、その差異の際立たせ方こそが、作家の腕の見せ所である。

 では、『DEATH STRANDING』においては、なにがどのように回復されるのか。

著者
『DEATH STRANDING』はオープンワールドを一歩先に押し進め、「文明体験装置」から「文明生成装置」へと再構築した_012
某ゲーム会社勤務のゲーム開発者。ブログ、「枯れた知識の水平思考」「色々水平思考」の執筆者。 ゲームというメディアにしかなしえない「面白さ」について日々考えてます。
Twitter:@hamatsu
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