「シートベルトがはまらない」調べて見つかったものは…「故障かな?」と思ったらトヨタの整備士がまずやること

2025年1月7日(火)6時15分 プレジデント社

多治見サービスセンター - 画像提供=トヨタ自動車

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トヨタ自動車の企業内学校「トヨタ工業学園」では、3年間の高等部、1年間の専門部に分かれて自動車開発に必要な技能を習得する。卒業生はどんな現場で働いているのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんによる連載「トヨタの人づくり」。第7回は「日本最大規模の修理センター」――。

■東京ドーム4つ分の広大な敷地


高等部を出た松本康寛と専門部出身の杉田陽介が働いている現場は多治見サービスセンター(岐阜県)だ。名称からすると、各地の販売店にあるような整備や修理をするところではないかと想像していた。しかし、実際に訪ねてみると、広さに驚いた。


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多治見サービスセンター - 画像提供=トヨタ自動車

同センターがあるのはJR多治見駅から車で15分走った山間部である。敷地面積は18万7000平方メートル。東京ドームのそれが約4万7000平方メートルなので、約4倍だ。敷地のなかには技術開発棟、診断・解析棟、研修棟、宿泊施設などが建っている。建物の周囲には走行確認路という名称の外周1300メートルのテストコースまで整備してある。


施設のオープンから11年たっているが、庭も含めた外観はきれいなままだ。新設された施設かと思った。


では、そんな広大な施設のなかで、ふたりはどういった仕事をしているのか。


松本は工業学園に入った経緯から答えた。


「僕は高等部の54期生です。今は41歳ですから、卒業してから23年。僕がいた頃は高等部の寮は5人部屋でした。プライバシーのかけらもない生活でした。でも、あの頃はそれが当たり前だったから、特に不満はありませんでした。……今の若い子たちは絶対に無理でしょうね。5人部屋なんて無理」


■1学年に1000人いた時代も


松本が工業学園に入ったのは父親が卒業生だったからだ。親子2代で工業学園を出ている。工業学園にはそういう親子もいる。


松本は説明する。


「僕らの頃は4クラスで1学年が120人。ところが父親の時代は1学年が1000人もいたそうです。卒業しないで辞める人もいたし、トヨタにちょっとだけ勤めて故郷に帰って整備工場に入る人も大勢いたとのこと。1000人ですよ、1学年が。これまた想像できません。今は出身地の高知に戻っています。15歳でひとりで高知から出てきて、競争を生き残って父親は最後までトヨタに勤めました。立派だと思います」


杉田は専門部の出身で、37歳。


「僕の父親はアイシンでした。僕もまた父親から勧められて、地元の豊田工業高校を出た後、専門部に1年通ったんです。松本さんも僕も多治見サービスセンターに来る前は本社の品質保証部にいました。松本さんは僕の職場先輩です」


松本と杉田が在籍していた品質保証部のミッションは「トヨタの製品とサービスの品質を保証するため、全社の責任・役割分担を明確化し、かつ、それぞれの業務が正しく行われているかを監査し、改良を促進する」ことだ。


■顧客の声を受けて「もっといいクルマを作る」


わかりやすい表現に直すと、開発している最中の車両からすでに走っている既存の車両までの品質を保証する。そして、車やサービス(整備、修理)について不具合、故障連絡(一般のクレーム対応のこと)が伝えられてきたら、原因を追究して直すことだ。


加えて、「正確かつ親切なアフターサービス体制の支援」、「高品質な補修部品をタイムリーに提供」することも品質保証部の仕事になる。


顧客からの声を頼りに「もっといいクルマを作る」ための部署であり、ユーザーにもっとも近い現場のひとつだ。


通常、トヨタ工業学園高等部を出た人間の大半は工場に配属される。また、専門部の場合は工場の保全部署が多い。それに対して、品質保証部へ行くのは高等部、専門部のどちらも各学年にたったひとりしかいない。自分から手を挙げるか、指名されるという。松本は自分から手を挙げた。


「はい、父親が品質保証部はいい部署だぞと言いました」


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トヨタ工業学園高等部OBの松本康寛さん - 画像提供=トヨタ自動車

父親が働いていた時代は、夜勤、休日出勤が多かった。父親としては息子に家族とのゆっくりした時間を持ってほしかったのだろう。そこで、工場現場ではなく、バックアップ部門へ行ったらいいと伝えたのだった。


杉田の場合は指名だ。理由はわからない。わたしが見たところ、徹底的に真面目だから。真面目そのものに見えるからだと思われる。


それぞれの理由で、ふたりは品質保証部へ配属された。


■日本を走る車の5割近くがトヨタ系


品質保証部にいた時、ふたりはさまざまな不具合、故障に出合った。現在、日本の国土を走る車の数は約8250万台(2023年実績、「国土交通省 数字で見る自動車2024」より)。トヨタ(ダイハツ併せて)の国内シェアは約47%。


4割と見ても、3300万台のトヨタ車が走っている。それだけの人が車を操作しているのだから、不具合や故障は表れる。品質保証部はそうしたもののうち、販売店のサービス工場が対応できない難しい案件を解決してきた。


松本が忘れられないのはステアリングに直結する鉄の軸の不具合だった。


「部品の不具合で多いのは、新しい技術が入った箇所、あるいは開発時に評価が足りなかった箇所でしょうか。そういうところが壊れてしまい、お客さまにご迷惑をかけたことはあります。すみませんでした。


20年ほど前ですが、ステアリングを切る装置が油圧から電動に変わりました。今はもう重量の大きな車以外は電動です。電気で回すようにした初期のことでした。強い力でステアリングを回すと、軸の部分に強力な力がかかって軸の下部にある鉄の部分がねじ切れてしまった」


■「シートベルトがはまらない」調べてみたら…


「すると、ステアリングを回しても、タイヤの方向が変わらない。大変なことです。当時、100万台のリコールになりました。原因はすぐに特定できたので、鉄の材質を強化して、さらに、軸のかみ合わせを深くして、力の伝達がうまくいくように直しました。人間の体で言えば関節部分を強くしたようなものです。この時も、開発していた時は何の問題もなかったのですが、実際に市場に出してみると、故障が出てくることがあるんです」


松本はステアリングの故障が忘れられない。では、杉田が覚えているのは何だろうか。


「私はシートベルトをはめるバックルの故障が忘れられません。お客さまからどうしてもシートベルトがはめられないと販売店に故障連絡が来ました。販売店でいくら調べてもわからない。そこで車が持ち込まれたので、X線装置でバックルの内部を観察したのです。そうしたら、なかに百円玉が入り込んでいました。シートベルトを差し込むことができないはずです。


百円玉を発見することはできるでしょう。しかし、もし、違うところが壊れていた場合、分解してしまったら、真の原因がわからなくなってしまう。


ですから、まずは『非分解』で状況を確認します。その時は百円玉を発見した後、バックルを分解して取り出しました。私たちはただ、直すだけでなく、必ず原因を追究します。同じ車種に不具合が生まれるかもしれないので、徹底的に追究します」


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専門部を卒業した杉田陽介さん(右)は、故障を直すことだけが整備士の仕事ではないと語る - 画像提供=トヨタ自動車

■世界中のサービスマンが集まる場所


現在、松本と杉田が在籍しているサービス部は不具合を直したり改良したりする方法を全国のトヨタ系サービス工場に広める。加えて、「正確かつ親切なアフターサービス体制の構築」を推進する部署だ。多治見サービスセンターでは、日本だけでなく世界各地の販売店からサービスマンたちが研修にやってくる。


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多治見サービスセンター - 画像提供=トヨタ自動車

多治見サービスセンターにいると、さまざまな色彩のツナギ服を着た人たちと出会う。それぞれの販売店のサービス工場のユニフォームを着た人たちだ。いずれの人たちも各販売店ごとに特徴のあるユニフォームを着ている。これほど多彩な色のツナギを着た人たちに出会う場所は他にない。なんといっても世界中からサービスマンが来ている。研修を受け、優秀な成績を収めたサービスマンの名前はエントランスの横に貼り出してある。


サービスマンたちが学び、技量を上げていく聖地が多治見サービスセンターだ。


松本は多治見に常駐している。杉田は同じセクションだけれど、勤務地は東京の芝浦にある事務所である。松本は中部サービス分室で、杉田は南関東サービス分室。全国12カ所にサービス部の分室がある。販売店のサービス工場は多治見だけでなく、自分たちの店舗からもっとも近い分室に相談を持ち込むのである。


■彼らはまるで自動車のお医者さん


顧客が販売店に「走っていて変な音がするので見てください」と愛車を持ち込んだとする。販売店は顧客から問診した情報をもとに現象を再現させる。それに対して適切な対応が要求される。


しかし、風切り音のような、特定の条件でのみ発生する音もある。そういった場合、車を多治見サービスセンターに持ってくると、走行確認路があるから、そこで実際に走らせることができる。走行確認路は顧客から得た状況を再現するためのテストロードだ。


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走行確認路 - 画像提供=トヨタ自動車

全国にある販売店、サービス工場は車における町のお医者さんだ。そして、全国各地の分室、多治見サービスセンターは地域の大病院だ。町のお医者さんが持っていない大型の診断装置を備えているから、たいていの不具合、故障は直すことができる。


松本は言った。


「車に雨漏りがするといったことも稀(まれ)にあります。販売店だったら、ホースで水をかけて水漏れがするかどうかを確認するでしょう。しかし、ホースの水と実際の雨ではやはり違うから雨漏りを発見できないことがある。多治見には大がかりなシャワーテスターがありますから、さまざまな雨の状況が再現できます。豪雨や横殴りの雨も再現できます」


■故障箇所だけ調べても見つからないことが多い


「また、2020年からはコネクティッドカーが増えました。つながる車ですね。走行データが取得・蓄積されているわけです。コネクティッドカーからのデータやGTS(故障診断装置)を使うことで、どういった乗り方をしていたかも含めてわかるから診断しやすい。


最新式の診断装置が揃(そろ)っているのが多治見サービスセンターですが、診断に大切なのは装置や機械だけではありません。


何よりも大切なのはお客さまに聞くこと、そして、聞いたことを分析して事前の準備をすることです。多治見に車が来るまでは、実際に触ることができないので、お客さまや販売店の担当者から細かく様子を聞きます。そして、わからないところは関係部署に問い合わせをします。


僕自身は電気関係が苦手です。たとえば、ライトがつきっぱなしになった車があるとします。バッテリーからライトまでの導通路をすべてチェックしても原因がつかめなかったりします。良く調べてみると、まるで関係ないと思われるような箇所に小さな鉄の切り子が入っていて、電線をショートさせていたりすることもあるんです。


故障が起きた箇所とその周辺だけを調べていても、原因がつかめないこともよくあります。電気関係については、お客さまから話を聞いて、調べる前に設計部門に勉強しに行きます。そうしないと、どこが悪いのかはわかりません」


松本の話を聞いていると、彼は自動車の専門医なのだなと思ってしまう。


■故障を見つけ、直してから最後にやること


杉田は「異音は難しいです」と言った。


「異音っていうのはお客さま次第です。たとえば、多治見の走行確認路にはマンホールがある道路を作ってあります。マンホールに乗り上げた時、車内で異音がしたというお客さまがいました。


マンホールに乗り上げると路面が変わるわけですから、タイヤから、かすかな異音はします。そのお客さまは『前に乗っていた車の時はここまで大きな音ではなかった』とおっしゃる。そうすると、これはもう直さないといけない。タイヤが悪いのか、それとも車体がいけないのか。そういったところまでを追究するのが僕たちの仕事です」


品質保証部、サービス部では顧客からの故障連絡、顧客からの声に基づいて、故障した箇所を見つけ、それを直す。販売店では見つけられなかった故障を顕在化して販売店に説明する。そして、直した後、真摯に頭を下げて、「すみませんでした」と謝る。仕事をして、故障を直して、そして、頭を下げる。毎日、必ず謝る。人に謝る仕事をしている。


だが、モチベーションは落ちない。松本は「はい、そうです」とうなずいた。


「僕らの仕事は謝らなきゃいけない仕事です。ある時、上司から言われました。


『松本、俺たちの仕事はトヨタを代表して、お客さまに謝る仕事だ。誇りを持たなきゃいけない』。以来、ずっと僕はトヨタを代表して頭を下げています」


■「お客さま」とは、大切な後工程である


その話を聞いていた杉田は「私もそうです」と言った後、「TPSを痛感しています」と続けた。


「専門部でトヨタ生産方式を習いました。ジャスト・イン・タイム、自働化、カイゼン、ムダ、ムリ、ムラ……。TPSは自分の仕事をカイゼンすることだとなんとなく理解していました。


しかし、品質保証部、サービス部に来ると、後工程のために仕事をする意味がよくわかります。TPSでは後工程のことを考えて生産します。後工程を大切にします。後工程のために仕事をしています。


そして、僕にとってお客さまとは大切な後工程なんです。いちばん意識するのはお客さまです。


お客さまから来た故障連絡を早く解決しなければいけない。故障は少しでも早く直さなければならない。そして、今、目の前で直している車と同じ車種の車が何台、何十台とあることを考えると、少しでも早く原因を追究しなければならない。もし、今出ている不具合が他の車に発生したら、大変なことになるからです。


僕らの仕事でもっとも大切なのはここです。それは僕だけではなく、他のサービスマン、販売店のサービスマンもわかっていることだと思います」


松本、杉田が働く部署はトヨタのなかでもっとも顧客に近い最前線だ。工業学園を卒業して以来、彼らは最前線で頭を下げ続けている。最先端現場とはEV、自動運転だけではない。顧客にいちばん近い現場が最先端現場だ。そして、謙虚に頭を下げることが必要とされる現場でもある。


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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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