『べらぼう』蔦屋重三郎活躍前の「江戸の出版業界」。本の影響力を懸念した幕府が発した<出版統制令>だったがまさかの抜け穴が…

2025年1月8日(水)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

1月5日から、2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の放送がスタートしました。横浜流星さん演じる本作の主人公は、編集者や出版人として江戸の出版業界を支えた“蔦重”こと蔦屋重三郎です。重三郎とは、いったいどんな人物なのでしょうか?今回は、書籍『べらぼうに面白い 蔦屋重三郎』をもとに、重三郎マニアの作家・ツタヤピロコさんに解説をしていただきました。

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江戸時代の出版業界


蔦屋重三郎が活躍する前、江戸の出版業界はあまり大きな市場ではありませんでした。これは、経済や文化が京都や大阪を中心とした上方に集中していたためです。

出版業も上方のほうが断然栄えていて、江戸にある本屋は、上方資本のものか、上方の本屋の支店ばかりとさみしいものでした。

そもそも、日本における「本」は、江戸初期に京都でつくられ始めたものなので、もっともな話ではあります。

それ以前ももちろん本はありました。でも、それは自分たちでつくって出版していたものではなく、仏教について書かれた海外産のものです。

娯楽色はほぼなく、お堅い内容一辺倒のものでした。普通の人は手にとることもなく、持っているのは寺社や公家の貴族だけです。

どうしても読みたい場合は、持っている人たちに頼んで見せてもらい、内容を自分で書き写す必要がありました。こんな具合ですから、江戸の一般大衆には、縁がありませんでした。

江戸の大衆が好んだ「地本」


ところが、1700年代半ばになると事情が変わってきました。幕府があり、将軍が住んでいる江戸は日本の中心となっていきます。そうなると自然と人が集まってきます。

人がいるところで、ビジネスは発展しますよね。住人や働く人が増えたことで、出版業界も拡大する流れとなって行ったのです。

江戸の大衆が好んだ本は、草双紙、浄瑠璃本、浮世絵などでした。これらは、江戸生まれの出版物で「地本」と呼ばれるようになりました。

そこが産地なものを「地物」と呼ぶことがありますが、それと同じです。江戸でつくられた本は、江戸で売るとき「地本」と呼ばれたのです。

地本を売る本屋は、特別扱いで「地本問屋」と呼ばれていました。地本は上方でつくられるものより、より大衆好みの傾向がありました。

江戸の出版業界が成長し、出版物が増えると、幕府は本が社会に及ぼす影響力を懸念し始めます。ペンは剣よりも強し。情報はどんなものよりも力があります。それこそ人間の思想や言論を変えてしまうことなど容易いのです。

出版統制令


1722年(享保7年)11月に、江戸幕府は出版統制令を発します。

このときの統制令は、江戸の出版業者たちにそれぞれ仲間をつくらせ、お互いに本の中身を規制させ合うといった内容のものでした。


(写真提供:Photo AC)

幕府に関して何か書いていないか。マイナスになるようなことはないかをチェックさせ合う。

こうすることによって、幕府に対してダメなことを書いてある本をいち早く見つけ、市場に流通させないということを目論んだのです。

法の抜け穴


幕府は自分たちにいいように情報統制をしようとしますが、ここで片手落ちします。なんと、地本問屋に限って、仲間をつくらせることを命じなかったのです。これは、しくじりました。

もともと娯楽色の強い地本です。規制してくるたんこぶがないとなれば、完全に書きたい放題。次から次に幕府に対する風刺や批判が書かれた本が出版されるようになってしまいます。当たり前です。法の抜け穴ってこういうことをいうんですよ。

大衆は大喜びです。地本は面白いとなり、人気はますます高まって行ったのです。

蔦屋重三郎が耕書堂を開いたのは、ちょうどこの頃になります。時代の流れを読み、そこに「素早く」乗ったことも重三郎の才覚の一つだったのではないでしょうか。

※本稿は、『べらぼうに面白い 蔦屋重三郎』(興陽館)の一部を再編集したものです。

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