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【ネタバレ有】「シン・ゴジラ」感想と考察

 

どうも

ゴジラほどではないですが

長い眠りから醒めることに定評のある拙ブログです

 

実は7月29日に「シン・ゴジラ」が公開されてから、3年前に私が書きました、

「エヴァンゲリオンとウルトラマン」というブログ記事にアクセスが増えておりまして

 

今読み返してみると、上記の記事の中には

偶然「シン・ゴジラ」の根底にある重要な要素が網羅されていることに気づきました

 

おそらく、目ざとい庵野秀明ファン、エヴァファン、特撮ファンの方が、検索で辿り着いてくださっているのだと思います

 

上記の記事には、ネタバレなく「シン・ゴジラ」という作品をより深く楽しめる、庵野秀明監督にまつわるトリビアがやたらと放り込まれておりますので、よろしければご覧ください

 

さて、ここからは、公開初日にちゃっかりPARCO2のIMAXで観てまいりました、庵野秀明総監督「シン・ゴジラ」の感想と考察をネタバレ全開でお送りします

まだご覧になっていない方は、くれぐれもご注意ください

 

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ということで

観てまいりました「シン・ゴジラ」

 

例のごとくあらすじ等に関しては様々なサイトでまとめられていますので、私は本当に感想と考察だけ書いていきます

 

 

観終わった後のはじめの感想は、

庵野監督、ありがとう

です

 

私はそんなにたくさん映画を観ているわけではないのですが、

自分がここ20年劇場で観た日本映画の中で、最高の作品だと本気で思いました

 

詳細はこれから書きますが、

「完成度が高い」というのとはまた違っていて、

とにかく、総監督の庵野さんと、監督の樋口さんに感謝したい作品でした

 

 

この映画は「会議」と「戦闘」が構成の中心になっており、

その両シーンが非常に面白いです

 

個人的には、冒頭から例の「作戦BGM」が流れるまでの会議シーンは、

この映画におけるコメディーパートなのだと思いました

 

不可解な現象の中、会議室では「出演:日本国政府一同」のコントが行われ続けます

 

「上陸はないって言っちゃった後だぞ!」や「それ、どこの役所に言ったんですか?」等、

政治家の「パフォーマンス主義」と「官僚のセクショナリズム」を

見事に表現したセリフが、軽快なカット割りで次々と展開していきます

 

冒頭のほとんどが会議室のシーンでありながら、これだけ飽きずに見られるのは、

庵野監督のカット割りの巧みさと、セリフの面白さが主因だと感じました

 

個人的には、

総理レク(チャー)

という字幕が大変ツボでした

 

「こんなに会議シーンいらないだろ」というご意見もあると思うのですが、

『パシフィック ・リム』のギレルモ監督は、同作のオーディオコメンタリーの中で、

「冒頭で出撃シーンを丁寧に描くことで、以降それが繰り返されていることが分かる」

と発言しており、冒頭の会議シーンは、そういった役割を果たしていると感じました

 

日本における「政治的決定」がどのように行われているのかを一度描くことで、

以降、この物語においてどのように物事が決定しているかが理解できるというわけです

 

感謝ポイントは数限りなくあるのですが、今回の「シン・ゴジラ」は、

「実写版エヴァンゲリオン」的な側面もあり、そこも自分にとっては面白かったです

 

上記の記事にも書きましたが、 エヴァンゲリオンにおける「NERV」は、庵野さんの

「ウルトラマンの科学特捜隊が本当にあったら、その内部はどうなっているんだろう」

という疑問から出来た組織で、今回の怪獣に対応する政府の様子が大変リアルなのは、

庵野さんがエヴァンゲリオンでNERVを描いた経験が強く関係していると感じました

 

さらに言えば、

「シン・ゴジラ」は、現在の日本を舞台にしたリアル『ヤシマ作戦』だと思います

「巨災対」のはじめての会合の瞬間にあの作戦BGMが流れた時は燃えました

国家の存亡をかけた作戦を「巨災対」が中心になって実行していくその様を観ながら、

「俺はこれが見たかったんだ!」と心の底から思いました

 

はじめに「完璧な映画ではない」という趣旨のことを書いたのですが、

この映画において私が「これは……どうなんだろう」と思ったのは、

「クローバー・フィールド」的演出のシーンで登場する一般人が総じて棒読みなのと

石原さとみさん演じるカヨコ・アン・パタースンという存在そのものです

 

「シン・ゴジラ」という映画自体は、

「ゴジラ」と「日本沈没」と「エヴァンゲリオン」を足して割らないで二時間に収めたような作品だと思っていて、総合的には満点以上の映画なのですが、

カヨコ・アン・パタースンは、

惣流・アスカ・ラングレーと葛城ミサトを足した後に誤ってル―大柴が混入した人物であり、彼女が話しだすと作品自体が「虚構」の方に揺らぐ感覚がありました

 

石原さとみさん自身は、雑誌インタビューの中で

「『エヴァンゲリオン』の中に登場するような、庵野さんの描く女性像が視聴者の目に映ったらいいなと思って演じました」

と答えており、「あーこのへんはアスカイメージしたんだろうな」とか「このあたりはミサトさん意識してんな」という部分はあったんですが、いっそのこと彼女の台詞は、全て英語か日本語に統一したほうがよかったんではないかと感じました

 

いろいろと感想を書いてきましたが、ここからはそれをふまえて個人的な考察です

 

まず強く感じたのは、

「シン・ゴジラ」は、初代「ゴジラ」製作者の精神を継承しているということです

 

初代「ゴジラ」の生みの親、本多猪四郎監督は、映画を撮る際に、

制作の田中友幸氏と、特撮監督の円谷英二氏に対して、

「原爆の驚怖(原文ママ)に対する憎しみと驚きの目で造っていこう」

と発言しており、「ゴジラ」は原水爆、ひいては戦争の恐怖を具現化した存在でした

初代ゴジラは、本多猪四郎監督のジャーナリズム的精神と、

円谷英二特撮監督の天才的な芸術センスにより出来上がった、傑作映画でした

 

今回の「シン・ゴジラ」において庵野総監督自身は明言していませんが、

ゴジラは、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を具現化した存在だと感じました

 

具体的には、「ゴジラ第二形態」が東日本大震災による津波を象徴しており、

第三形態以降が、東京電力福島第一原発事故を象徴していると感じました

 

ゴジラ第二形態は、しばらく全容を現さず「川」を低い姿勢で登っていき、

以降の形態からは「放射能汚染」と「何が起こるか分からない」ことが問題になります

 

映画の構成自体が3月11日の地震発生から3月12日以降の原発災害をなぞっており、

「シン・ゴジラ」は、「日本を襲った歴史的災厄を怪獣化する」という、

「ゴジラ」本来が持っていた意味を、しっかりと表現してきたと感じました

 

ですので、東北や、熊本の人々にとっては辛いと感じられる映像もあると思います

 

ただ、「ゴジラ」という災厄を戦う人々の団結と、そこで繰り出される台詞の数々は

観る人々に勇気に与える力強いもので、私は「今こそ観るべき映画」だと感じました

 

内容の考察として多くの方が一番気になっているのは、

「ラストシーンの意味」ではないかと思います

 

ラストシーンでは、凍結されたゴジラの尻尾先端で、

「人間のような生物」が生まれようとしていたことが映し出されます

 

このシーンには様々な解釈があると思うのですが、

まずは、「ヤシオリ作戦」という 作戦名の由来を理解することが重要だと感じました

 

「巨災対」が立案した、ゴジラを凍結し停止するプランが「ヤシオリ作戦」です

凍結のために必要な化学物質を、転倒したゴジラの口から摂取させるという展開は、

「薬は注射より飲むのに限るぜ、ゴジラさん!」

という「ゴジラ対ビオランテ」における権藤一佐の名言のオマージュもありつつ、

由来は、日本神話に登場する「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」にあるだろうと思います

 

「ヤシオリ作戦」のヤシオリは、八岐大蛇を眠らせるために飲ませた、

「八塩折之酒(ヤシオリノサケ)」が由来で間違いないかと思います

化学物質を飲ませるための特殊車両は劇中で「アメノハバキリ」と呼ばれており、

これはヤマタノオロチを倒した剣「天羽々斬(アメノハバキリ)」と合致しています

 

とすれば、ゴジラは神獣「ヤマタノオロチ」を指しており、

「ゴジラの尻尾」は「ヤマタノオロチの尻尾」と関連性がある可能性が高いです

 

ヤマタノオロチを倒した後、その尾から現れたのが

「草那芸之大刀(クサナギノタチ)」で、これは日本国の三種の神器となっています

草那芸之大刀は、三種の神器の中で「天皇の武力」を象徴しています

 

仮説としては、ゴジラ(ヤマタノオロチ)を倒した後の尻尾からは、

「この国を作り変えるような強大な武力」が生まれると私は考えています

 

尻尾から生まれたのは、人型で武器によって破壊することができない「完全生物」、

具体的には、「風の谷のナウシカ」で登場する「巨神兵」を僕はイメージしました

 

樋口監督と庵野総監督は「シン・ゴジラ」でタッグを組む前に、

「エヴァQ」と同時公開された短編映画「巨神兵東京に現わる」で協力しています

 

そう考えた上で映画を見直すと、「シン・ゴジラ」におけるゴジラの放射熱線は、

「風の谷のナウシカ」における「巨神兵」の発する光線と非常に似通っています

 

冒頭で紹介したブログ記事でも記載しましたが、「風の谷のナウシカ」において、

巨神兵の絵コンテを担当したのは、若かりし頃の庵野さんです

 

こうした背景を考えると、ラストシーンでゴジラの尻尾から生まれかけていたのは、

「人型の完全生物で、人類を脅かす強大な武力を有しており、形状は巨神兵に近い」

とまとめられるかと思います

 

これらのことをふまえ、最後の考察です

そもそもどうして、ゴジラの尻尾から、「人型」の生物が生まれるのでしょうか

 

冒頭に登場するグローリー丸(初代ゴジラの「栄光丸」のオマージュ)には、

牧元教授の「私は好きにした 君らも好きにしろ」という手紙、折り鶴、眼鏡、靴

そして、宮沢賢治の詩集「春と修羅」が置き去りにされています

 

はじめにこの映画を観た際は、「牧元教授は自殺したのだ」と多くの方が感じると思いますし、私自身もそう思っていました

 

ただ、牧元教授が妻を奪った放射能を憎んでいたこと、研究内容の一部が意図的に空白にされていたことを知った後に、グローリー丸に置き去りにされていたものをもう一度見ると、自分の中で、全く違った結論が出てきました

 

これはあくまで個人的な感覚ですが、この世に絶望して自殺しようという人間が、あんなにきれいに眼鏡を揃え、靴を揃え、詩集を置いていくでしょうか

 

牧元教授の遺体が見つかったという情報は、劇中に一切登場しません

 

極めつけは、宮沢賢治の詩「春と修羅」の内容です

「シン・ゴジラ」を観終わった方は、ぜひこの詩を最後まで読んでください

 

私は、「牧元教授は海底に飛び込み、ゴジラの一部になった」のだと思いました

 

劇中では、ゴジラが生まれた原因を、

「偶然海底に生存していた古代生物が、不法廃棄された放射性廃棄物を捕食した」

と説明していますが、それでは二足歩行であること、東京を繰り返し襲うことが説明できません

 

牧元教授は、海底に自ら飛び込むことで、ゴジラを完成させるために必要だった最後のピース「ヒト遺伝子」を提供したのではないでしょうか

 

牧元教授がゴジラの一部になっていたと考えれば、二足歩行であることも、自分と妻を見捨てた「日本」という国の中枢、東京を襲うという行動をとることも、合理的です

 

 

そして、元々「ヒト遺伝子」を取り込んでいるからこそ、

ラストシーンでゴジラの尻尾には、「人型」の生物が生まれるのではないでしょうか

 

「おれはひとりの修羅なのだ」

 

 これが、牧元教授の気持ちだったということです

 

 

 

さて

 

軽い気持ちで書き始めたこの記事も、気づけば5000字が近づいてきてしまいました

 

最後に伝えたいのは、

「『シン・ゴジラ』は最高の映画だが、これは元から2回以上観るべき作品で、2回目以降から理解できる本当に面白い要素がいくつもある」

ということです

 

みなさん、「シン・ゴジラ」を観ましょう

私のこの記事はほんのひとつの考えでしかないので、

これからたくさんの方の「シン・ゴジラ」考察が読めると本当にうれしいです

 

最後に、

庵野監督、本当にありがとうございます

お体に気を付けて、また面白い作品を作って下さい

新作品が公開されたら、

這ってでも行きます

 

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