現場発:アフリカからイタリア…地中海密航、続々 安住の地、遠く

http://mainichi.jp/select/world/news/20071231ddm007030100000c.html
長いですが。

 ◇「来る時でなく、どこへ行くかが問題なんだ」

 地中海を望む丘に、壊れた木造の船が300隻以上、折り重なるように廃棄されている。難民と不法移民を乗せ、北アフリカからイタリア最南端の小島ランペドゥーサにたどり着いた密航船の残骸(ざんがい)だ。「船の墓場」と地元の人は呼ぶ。

 出港拠点のリビアから同島まで約300キロ。昨年は1万8000人、1日平均で49人の難民と不法移民が島に上陸した。だが、粗末なエンジンに、定員を無視した乗船は「生死を懸けた旅」とも言われる。今年9月までで500人近くが、船の難破によりシチリア近海で命を落とした。

 廃棄された船には茶のみ道具や布団、靴、下着などが残り、生活の跡が漂う。ここまでして欧州に新天地を求めて来る人々の気持ちを知りたいと思った。【ランペドゥーサ島とローマで海保真人】

 ●漂着の喜び

 ◇滞在許可の先に苦難

 11月の晴れた日、ソマリア国籍の38人を乗せ、エンジンの壊れかかった船が島に漂着した。政情不安な母国を逃れ、スーダンとリビアの国境の砂漠を車で横断し、船に飛び乗った人たちだった。

 イタリア内務省が管轄する「第1次救助・歓待センター」に収容された彼らと会った。

 配給された運動着を着た無職男性(20)は「内戦を逃れ、親、姉妹と別れ、1人で出国した。イタリアに政治亡命を申請する。やっと平和な国に来られた」と話した。

 男性技師(51)は「今の気分は最高だ。亡命が認められれば、いずれ家族も呼び寄せたい。どんな仕事にでも就きたい」と語った。

 逃避行の緊張から解放され、若者はサッカーを楽しみ、女性たちは歌を歌っていた。一見、将来はバラ色かと思える、のどかな雰囲気だった。

 しかし、地元の人たちの声がふと頭をよぎる。「ここには来てほしくない。なぜ彼らの面倒を見なければいけないの」。移民反対派のマラベンターノ副町長はそう言っていた。「観光業に悪いイメージをもたらしている」との声が強く、町は国に同センターの廃止などを求めている。

 収容者は警察の人定作業の後、難民とみなされればイタリア各地の「身元確認センター」へ、不法移民と疑われれば別の「一時収容センター」へと振り分けられる。約2カ月後、亡命志願者の約6割が「政治的保護」か「人道的理由」で正式に滞在を許可される。

 だが、許可証を得たところで、行く末は楽でない。かつてのエリトリア難民で、島で「国境なき医師団」通訳として働くタレーケさん(24)が教えてくれた。

 「僕も2年前、シチリア本島に上陸した。当時は簡単に滞在許可証をもらえた。でも金はなく、言葉も分からず、行き場がなかった。大都会のローマは特に冷たかった。数日間、食べられないこともあった。一生懸命働いて今の仕事を得た」

 そして続けた。「問題は来る時でなく、彼らがその後どこへ行くかなんだ」

 ●迫害と拷問

 ◇収監、婚約者も行方不明

 12月、ローマで元「ボート難民」を探し求めた。知り得たのは、船に乗るまでの苦労と、イタリアに着いてからの苦労だった。

 エリトリア人女性、レタブラウンさん(20)はカトリック教会系の無料宿泊施設に身を寄せている。3年前、母国で高校を卒業後、徴兵を拒否。軍から脱走した婚約者とスーダンに駆け落ちした。だが、イタリアを目指しリビアに入ったところで不法入国で逮捕され、3カ月間、収監された。「あれ以来、彼の行方が分からない」と、か細い声で言う。

 密航前、リビアで生まれた長女は1歳7カ月になるが、父親の顔を知らない。

 同宿のエチオピア人女性、トラハスさん(28)は幼いころ家族でスーダンに逃れた。だが、額に彫られたコプト教徒の証しの「十字」印のため、乱暴なイスラム教徒に殺されそうになった。昨年、夫と子供2人を残し、単身でリビアに逃げた。

 リビア治安当局に逮捕され、7カ月間、収監された。「彼らが求めたのは金、金、金。家族に仕送りを頼み、6000ドルを払い釈放された。他の難民が拷問されるのも見た」

 2人ともイタリアで「きっと生活がよくなる」と期待した。

 ●言葉が壁に

 「身元確認センター」で念願の滞在許可証を得て、2人はローマに上京した。だが、新天地は甘くなかった。

 「イタリア語が話せない。だから仕事なんて見つからなかった」と2人は言う。レタブラウンさんは、赤ちゃんも重荷になった。

 2人はローマ市外れの地下鉄終点駅近くで、それぞれ3カ月と10カ月、路上生活を続けた。たまたまカトリック教会系の支援団体を知り、1日3食とベッドにありつけた。

 この団体は市内で無料の夕食配給施設を開くが、常にホームレスの難民や移民で行列ができる。宿泊施設は3カ所あるが、とても希望者には足りない。

 2人の宿泊施設での生活も半年間に限られる。その間にイタリア語を習得し、仕事を見つけねばならない。仕事は高齢者の世話やベビーシッター、家政婦ぐらいしかない。

 レタブラウンさんはまだイタリア語を話せない。「ここを出た後、自分がどこへ行くのか分からない」と、ぼうぜんと宙を見つめた。

 ●新たな支援

 ◇「安全になったら帰りたい」

 イタリア内務省の外郭団体は地方自治体と協力し、難民認定者にイタリア語を教え、仕事や住まいを紹介する新たなプロジェクトを進めている。

 ローマから離れたビテルボ市でこれに運よく参加できた元「ボート難民」のエリトリア人女性(21)に会った。家政婦の仕事を得てエチオピア人の夫とアパートを借りる彼女は「今の生活に満足している」と話した。ただ、故郷の両親と弟、妹を思うと、時々、孤独感に襲われる。「将来、母国の政府が変わり、安全になったら帰りたい」。「私の国だから」と付け加えた。

 都会をさまよい、社会にとけ込み始めても、母国に後ろ髪を引かれる。難民が異国で「市民」になる道は、たやすくない。

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 ■ことば

 ◇ボート難民

 アフリカから欧州へ船で向かう難民と不法移民は近年増え続け、06年は計5万5000人以上に上った。主な渡航ルートは
▽リビア北部からランペドゥーサ島かシチリア島(いずれもイタリア領)、またはマルタ
▽西アフリカからカナリア諸島(スペイン領)
▽モロッコからスペイン
−−の三つだ。06年に欧州へ向かった難民・不法移民のうち、イタリアを目指したのは約2万2000人。その8割はランペドゥーサ島経由だった。最近はアフリカ東端に位置し、イタリアの旧植民地・保護領であるエリトリア、エチオピア、ソマリアの3カ国からが多い。

毎日新聞 2007年12月31日 東京朝刊

まぁ難民が逃げ込んでくるのがいやなら、彼らが自分の国で生活できるように援助するしかないと思うんですけどね。以前はスペインに入るルートが多いと報道されていたような気もします。しかしエリトリア、エチオピア、ソマリアからではイタリアに入るのがまだ楽なんでしょうね。

追記:
前もってこういう記事があったんですね。
■<イタリア>リビアと合同で海上巡視…死者続出、密航防止へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071230-00000079-mai-int

 【ローマ海保真人】リビアからイタリアへ向かう難民と不法移民の密航船が後を絶たないため、両国は29日、地中海海域で本格的な合同の海上巡視を行うことで合意した。イタリア内務省によると、伊側が用意する6隻の国境巡視艇に、両国の警備当局者が乗り込み、出発起点であるリビア側の港や海岸を監視する。

 「リビア・ルート」と呼ばれ、主にアフリカ難民を乗せた密航船は遭難や転覆が相次いでおり、死者や行方不明者も続出。一方で密航には、1人につき1000〜1500ドルの「密航料」を取るリビア側の悪質な闇業者が絡んでいるとされ、問題となっている。

 アマート伊内相は声明で「より多くの人命を救助し、犯罪組織を打ち負かすことが可能となる」と述べた。