NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

インフルエンザ診断ゲームで学ぶ検査閾値と治療閾値

簡易検査はするべきではない?

北秋田市の病院でインフルエンザの集団感染があった。簡易検査では陰性だったが死亡した患者もいたと報道された*1。インフルエンザ迅速診断キットの感度は高くない、つまり、インフルエンザに感染していても検査結果で陰性と出やすいことはよく知られている。あらゆる検査と同様に、インフルエンザの簡易検査は感度・特異度を理解の上に使うべきである*2。当たり前の話。しかし、まれに、インフルエンザの患者に対して、簡易検査をするべきではない、簡易検査をする意味は何もないと誤解している人もいる。


■Open ブログ: ◆ 簡易検査による死者増加*3


 要するに、簡易検査をする意味は、何もない。
  ・ 検査で陽性ならば → 抗インフルエンザ薬の投与
  ・ 検査で陰性ならば → 抗インフルエンザ薬の投与
                 (様子見、は間違い。)
 つまり、どっちみち、「抗インフルエンザ薬の投与」である。投与するか否かは、患者の症状によってのみ決まり、簡易検査の結果には左右されない。
 したがって、簡易検査をしてもしなくても、結果は同じなのだ。簡易検査をすることには、まったく意味がないのだ。

検査前確率はグラデーションである

どのようなときにインフルエンザの簡易検査を行うべきかを考察することは、医療者ではない皆さんに医療の不確実性を理解してもらうのに良い題材だろう。ほとんどの場合、臨床の現場における診断は確率でしか言えない。例えばの話、インフルエンザの人と接触した後に、高熱、頭痛、関節痛などのインフルエンザに矛盾しない症状を呈し、簡易キットでインフルエンザ陽性だった患者さんがいたとしよう。まず間違いなくインフルエンザと診断されるだろうが、その診断が正しい確率は100%ではない。インフルエンザ以外に発熱や関節痛を来たす疾患もあるし、簡易キットは偽陽性もある。100%にきわめて近いが、100%だとは断言できない。逆に、臨床症状や簡易キットからインフルエンザではないと思われても、インフルエンザの確率は0%にはならない。

実際に外来にやってくる患者さんの病歴や臨床症状はさまざまである。高熱はあるものの関節痛などの全身症状に乏しい人。発熱は軽度で全身症状は関節痛ぐらいだがインフルエンザ患者と接触歴のある人。高熱と咽頭痛と関節痛を呈しているがワクチン接種歴がありしばしば扁桃腺炎を起こした病歴がある人(発熱はインフルエンザによるもの?それとも扁桃腺炎?)。それぞれの患者さんの「インフルエンザっぽさ」は確率でしか言えない。ある患者さんがインフルエンザである確率は経験的に20%ぐらいと推定できるが、別の患者さんは70%ぐらいであると推定できる、といった具合である。


インフルエンザ診断ゲーム

さて、ここでゲームをしよう。あなた(プレイヤー)は、インフルエンザが疑われる患者さんを診る医師である。あなたは、病歴、臨床症状、診察から、その患者さんがインフルエンザである確率を推定することができる。あなたは、患者さんに、タミフル*4を処方するか否かを決定しなければならない。インフルエンザではない患者さんにタミフルを処方すると、薬剤にかかるコストや不必要な投薬による副作用のリスクを負わせたことによって、ペナルティ(-10点の利得)を払う。インフルエンザではないと正しく診断すれば得点(+10点の利得)を得る。また、インフルエンザの患者さんにタミフルを処方すれば、有症状日の短縮や入院・死亡のリスクの減少により、得点(+10点の利得)を得る。インフルエンザを見落としてタミフルを処方しなければ、ペナルティ(-10点の利得)だ。





インフルエンザ診断ゲーム(チュートリアル)

上記の利得表は、説明を簡単にするために恣意的に点数を設定してある*5。だが、問題の本質を理解するには十分だ。後に、利得が異なる場合にどうなるか、検討することになるだろう。さて、インフルエンザである確率がどれぐらいなら、タミフルを処方すべきであるか?おそらく、比較的容易に答えは出せるだろう(そのように利得を設定した)。インフルエンザである確率が50%以上なら、タミフルを処方すべきである。グラフにするとわかりやすい。病歴、臨床症状、診察から判断された確率を検査前確率としよう。検査前確率が低ければ、処方しないほうが利得が高いが、確率が高くなるにつれ処方した場合の利得が高くなり、検査前確率が50%を超えると、処方した場合と処方しなかった場合の利得が逆転する*6。




検査前確率が50%以上なら、タミフルを処方したほうが得。

検査を行うかどうかの選択肢をゲームのルールに追加

さて、ここで、ゲームに新しいルールを追加する。プレイヤーは、タミフルを処方する、処方しないという選択肢の他に、コスト2点を支払って、検査をするか否かをも選択することができる。まずは、この検査は間違わないという仮定を置こう。感度100%、特異度100%の検査だ。直感的には、だいたいは検査をした方が得だが、検査前確率があまりにも高かったり、あるいは低過ぎだったりする場合は、検査しない方が得であるとご理解いただけるものと思う。





インフルエンザ診断ゲーム(チュートリアルその2)

グラフにしよう。処方利得と、非処方利得は前回と変わらない。キット陽性処方利得とは、検査で陽性であればタミフルを処方し、陰性であればタミフルを処方しなかった場合の利得の期待値である*7。





検査前確率が100%なら、コストを支払って検査するまでもなく、タミフルを処方したほうが得。

検査が不完全だった場合には?

さて、実際の迅速診断キットは間違う。どのくらい間違うのかについては報告に幅があるが、だいたいは感度は低いが、特異度は高いとされている。仮に感度が60%、特異度が90%であるとしよう。つまり、インフルエンザの人に対して検査した場合、陽性結果が出る確率は60%。インフルエンザではない人に対して陰性結果が出る確率は90%である。プレイヤーは、検査をするべきか?あるいは、「検査をすることには意味がない?」





インフルエンザ診断ゲーム(不完全検査条件)

これも、センスがある人ならば、直感的にわかる。上記した仮定においては、検査前確率が約30%〜約60%の間であれば、検査は有用である*8。





検査前確率が約30%〜約60%の間であれば検査をしたほうが得。

上記仮定した条件下では、検査前確率が約30%以下ならば、検査せずにタミフルを処方しないほうがよい。この境界を検査閾値という。また、検査前確率が約60%以上であれば、検査せずにタミフルを処方したほうがいい。この境界を治療閾値という*9。当たり前の話であるが、利得や検査のコスト次第では、感度の低い検査でも有用である。臨床の現場ではさまざまな検査前確率を持った患者さんがいるということを知っていれば、「検査で陰性でも結局タミフルを投与することになるのだから、簡易検査をすることには、まったく意味がない」という誤謬に陥らなくて済む。

米国での公的見解は「簡易検査は不必要だ」なのでは?

「ほとんどのケースでインフルエンザ検査は不要である」*10とアラバマ保健局が述べたという報道がある。しかし、これは簡易キットの低い感度に由来するものではなく、健康な人に対する新型インフルエンザへの対応の違いによる。日本では、基礎疾患のない人に対しても、早期のタミフル投与が推奨されていた。この対応については賛否両論であるが、日本における新型インフルエンザによる死亡率が非常に低かったことから、今のところは一定の合理性はあったものと思われる。

一方、米国では基礎疾患のない人が新型インフルエンザに罹患してもタミフルの投与は推奨されていなかった。「寝てれば治るだろう。重症化のリスクは無視しうる」というわけだ。いわば、インフルエンザに対するタミフル投与の利得は、非投与の利得と変わらないような利得設定になっている。この場合、治療閾値も検査閾値もなくなる。検査せずにタミフルを投与しない選択が、プレイヤーの利得を常に最大化する。たとえ感度100%、特異度100%の完全な検査が使用可能であっても検査しないほうがいいことになる。





検査するだけ無駄。

簡易検査キットは人を殺す効果しかない?

「簡易キットの結果が陰性で、抗ウイルス薬を使用せず、結果的にインフルエンザが重症化して患者が死んだ」というケースがあるからといって「簡易検査キットは人を殺す効果しかない*11」というのは誤りである。検査前確率が治療閾値を超えていることが当時の医療水準に照らして明らかであったにも関わらず、つまり、検査せずに抗ウイルス治療をしたほうがよかったことが明らかであったにも関わらず、結果陰性を理由に抗ウイルス治療を行わなず、患者さんが死亡した場合は、医療ミスと言える。しかしこの場合、簡易検査キットが人を殺したのではなく、感度・特異度を理解の上に使っていなかったのが問題だったのである。

こちらの方がありそうな話だと私には思えるが、「検査前確率が治療閾値以下であると判断され、抗ウイルス薬を使用せず、運悪く結果的に患者が死んだ」という可能性もある。これはミスではなく、不可抗力である。医療ミスだったのか、不可抗力だったのかを判断するためには、詳細な情報と専門的な知識が必要である。医療の不確実性を理解してないと、インフルエンザだったという結果を知っているがゆえに、「医療ミスだ。医者による殺人だ*12」という誤謬に陥りやすい。後知恵バイアスと呼ばれるものだ。

インフルエンザ診断ゲームのプレイヤーは、検査を併用してもなお、「誤診」*13が生じうることが理解できただろう。検査が不完全であれば、たとえば検査前確率20%の患者に対しては、検査せずにタミフルを処方しない選択が利得を最大化させる。これは患者さんの20%が「誤診」されることになる。「誤診」された20%の患者さんは、たいていの場合は自然治癒するが、運悪く重症化したとしよう。「誤診したな。ヤブ医者め。なぜ検査しなかった」と訴えられたとしたらどうだろう。後出しジャンケンで批判するなという医療者の言い分を少しは理解してもらえただろうか。ちなみにこうした訴訟が増えることは、(医師にとっての)インフルエンザ症例へのタミフル非処方ペナルティが増えることであり、結果として検査閾値や治療閾値が下がる。いわゆる防衛医療である*14。

利得表が恣意的ではないか?一般論ではどうなるの?

利得表はもちろん恣意的に設定した。実際には、インフルエンザに対してタミフルを処方した場合の利得と、非インフルエンザに対してタミフルを処方しなかった場合の利得が必ずしも同じではない。米国の健常者に対する例で示したように、利得によっては検査に意味がない場合がある。ただ、感度が低いからといって、必ずしも検査に意味がないとは言えないことを示す目的は達成できた。

「一般論で言えば特異度の低い検査薬は、それなりに使い道があるが、感度が著しく低い検査薬は、使い道がない*15」という主張も誤りである。上記仮定した条件下では、たとえば感度が90%、特異度が60%である検査があったとして、検査閾値は約40%、治療閾値は約70%となる。検査が有用な検査前確率の範囲は、感度が60%特異度90%の検査と変わりがない。もちろん、利得や検査コスト次第である。場合によっては、感度が高く特異度の低い検査が有用なこともあるが、場合によっては、感度が低くても特異度が高い検査が有用なこともある。一般論で言えば「感度・特異度を理解の上に使う」が常に正しい。





感度が高いからより有用というわけではない。複数の検査がある場合は、それぞれの検査の感度、特異度、コストを考慮して使い分ける。

利得は患者によって異なる

米国であってすら、「簡易検査をすることには、まったく意味がない」ということはありえない。なぜなら、インフルエンザを抗ウイルス薬を投与せず経過をみるリスクは患者さんによって異なるからだ。米国でも、糖尿病や腎不全などの基礎疾患のある人がインフルエンザに罹患すれば、タミフル投与が勧められる。インフルエンザなのに非投与であったときのペナルティが高いことに相当する。検査前確率が高ければ検査せずに投与するのが正解であるが、検査前確率がそれほど高くなかったら?利得が変われば、検査閾値も治療閾値も変わる。たとえば、インフルエンザに対して処方しなかった場合のペナルティを-50点としたら、検査閾値や治療閾値は下がる。





インフルエンザ重症化リスクの高い人だったら?検査閾値、治療閾値ともに下がっているのに注目。

流行の把握に有用

検査前確率やら治療閾値やらを言わなくても、感度が低い検査でも有効な例を示そう。病棟で複数の患者が熱発した。インフルエンザか否か?1人の患者のみ簡易検査して陰性だとしても、インフルエンザでないとは言えない。しかし、5人続けて陰性だったとしたら?感度が60%の検査なら、インフルエンザ患者を5人続けて偽陰性と判定する確率は、0.4の5乗で1%ぐらいだ。検査で1人でも陽性ならインフルエンザのアウトブレイクとして対応し、5人が陰性ならそれ以外の原因によるものとして対応すればいい(それでも心配なら6人目、7人目を調べてもいい)。

*1:■インフル集団感染、入院高齢者6人死亡…秋田 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

*2:たとえば、国立感染症研究所感染症情報センター■診断ガイダンスには「いわゆる迅速診断キットの性能は病原診断として完璧なものではないという認識を持って使用すべきものである」とある。

*3:URL:http://openblog.meblog.biz/article/1875637.html

*4:タミフルを好まない人は適宜別の抗ウイルス薬に代えてください

*5:いろいろ言いたいことはわかる。しかし、わかりやすく説明するにはこうするしかないだろう?

*6:たとえば、検査前確率が40%だった場合、タミフルを処方した場合の利得の期待値=40%×[インフルエンザ症例へのタミフル処方利得] + 60%×[ 非インフルエンザ症例へのタミフル処方ペナルティ ] =0.4×10 + 0.6×(-10)= -2点

*7:たとえば、検査前確率が40%だった場合、キット陽性例は全体の40%でその全てがインフルエンザ患者であり、キット陰性例は全体の60%でその全てがインフルエンザ患者ではない。キット陽性例にのみ処方すると、利得の期待値=40%×[インフルエンザ症例へのタミフル処方利得] + 60%×[ 非インフルエンザ症例へのタミフル非処方利得 ] - [検査コスト] =0.4×10 + 0.6×10 - 2= 8点

*8:たとえば、検査前確率が40%だったとしよう。インフルエンザ患者が全体のうち40%であるが、そのうち、キット陽性は40%×[ 感度 ]=40%×60%=24%、キット陰性は40%×[1 - 感度]=40%×40%=16%。インフルエンザでない人は全体の60%であるが、そのうち、キット陽性は60%×[1 - 特異度]=60%×10%=6%、キット陰性は60%×[ 特異度 ]=60%×90%=54%となる。キット陽性例にのみ処方すると、利得の期待値=24%×[インフルエンザ症例へのタミフル処方利得] + 16%×[ インフルエンザ症例へのタミフル非処方ペナルティ ] + 6%×[非インフルエンザ症例へのタミフル処方ペナルティ] + 54%×[ 非インフルエンザ症例へのタミフル非処方利得 ] - [検査コスト] =0.24×10 + 0.16×(-10) + 0.06×(-10) + 0.54×10 -2 = 3.6点。また検査後確率はそれぞれキット陽性の場合は0.24/(0.24+0.06)=80%、キット陰性の場合は0.16/(0.16+0.54)=22.8%である。計算間違いがあるかもしれないが、大まかな主張は正しいはずである

*9:安田隆、検査結果の信用性、治療84:10 P50(2002)によれば、検査より治療を選択する疾患の確率の最低値を「治療閾値」と呼ぶ、検査を行う確率の最低値は「検査閾値」と呼ばれる、とある。八森淳、検査の選び方、治療 84:10 P42 (2002)も同様の定義に則っている。一方で、治療すべきか否かの検査後確率(事後確率)の境界(このゲームの場合は50%)を治療閾値とする定義もある。どちらがより一般的かはよくわからない

*10:â– Health Department: Testing For H1N1 Influenza Unnecessary

*11:URL:http://openblog.meblog.biz/article/1783308.html

*12:URL:http://openblog.meblog.biz/article/1909437.html

*13:何か落ち度があったかのように誤解されるため、誤診と呼ばないほうがいいかもしれない。医療の不確実性のために生じる不可避なリスクと、医療水準に則っていれば正しく診断できたはずなのにそうしなかった行為は、まったく別物である。

*14:この話もはじめると長くなる。医師の利得と患者の利得が一致しないことがある。また、たとえば、患者が検査を希望したとしたら?訴訟可能性や患者の希望などによって、利得や検査コストは変わりうる

*15:URL:http://openblog.meblog.biz/article/1875637.html