【雑記】PAS TASTA「GRAND POP ODYSSEY」

12月8日Spotify O-Eastで開催されたPAS TASTAワンマンライブ「GRAND POP ODYSSEY(以下GPO)」での物語パート(映像:釣部東京)の脚本を担当しました。

GPOでは、映像→ライブ→映像→ライブ→映像……と、よくある他のワンマンで長めのMCタイムとして配置されがちな数分を、シネマティックな感じのアニメーションを挿入する、という構成をとっており、その映像の物語を作ったという次第です。

ライブと物語が別物として展開するのに、GPO全体の体験を損ねてしまうんじゃないか、という不安はそこはかとなくありましたが、フロアから90分見た感じ全然杞憂で、パスタはじめ各チームが連携したさまが伺え、自分が想定したよりずっとシームレスな視聴体験だったと思う。いろいろと素晴らしかったんですが、ここでは脚本のあれこれについて(しかし、とはいえ簡潔にライブの感想を:まず、このメンバーがふつうにバンド組んでることのオモシロを上回るかっこよさで、すげ〜ほんとによかったです。ピーナッツくんがMCで言っていたように、ついこの間まで、パソコンポチポチ集団だったのに……。やはり、J-POPに関わらず、ポップな領域でやっていくということは、その音源を再現するアクターのようなものが必要とされがちで、多くの場合はフィジカルな主体がそこに動員されがちである。それでも、オタクの孤高なポチポチの努力の果ての凶悪な音を出力している時もやっぱよくて、フロアも盛り上がっていたので、どっちがいいというでもなく、現のパスタスタのメンバーが曲ごとにステージを回遊して楽器を持ったり離したりするのはその塩梅を見据えた上だと思うし、見ていて面白かった)。

最初に脚本の話をしたのは5月末くらい、underscoresの来日ライブの数日後だった。ライブの日はパスタも出演していたので終演後にやばかったすね〜的な話をしつつ、みんなバチ食らってるみたいな状況で、その記憶も鮮やかに残ってるあたりで電話があり、「ワンマンライブを進行するのに、なにか物語があるといいんじゃないかと……ほら、ホゲさん小説書いてるし……」という流れだったので、自分としては勝手に、やはりunderscoresの時のような、ストーリーを導入したライブ形式に影響を受けてのことなんだろうと思っている(これは公式見解ではない。が、Spoiled little bratのカバーは泣いた)。

何気に覚えているのは、上のこのブログ記事、知り合いのアーティストからの反響がけっこうあり、わざわざDMで「よかったっす」と伝えてくれた方もいて、やはりunderscoresのインスピレーショナルな触媒としての存在感はデカいな〜とか思う。

ということで、脚本の相談を受けたその場で、100やるっす、100っす、100 gecsといった旨を回答した。これまでパスタスタには取材させてもらったり豚汁を振る舞ったりなど良好な関係を築いていたものの、一緒になにか作るというのは初めてだったので(peanut phenomenonの撮影とか手伝ってるが)、期待に応えるべく頑張ろうと思った。

その時ちょうど読んでいたのがカレン・テイ・ヤマシタ『熱帯雨林の彼方へ』という小説で、それは巡礼の話なのだが(アマゾン熱帯雨林のマタカンという地方を舞台とする。ある日突然地崩れし、地下から隆起した地層を調べると、それは磁気を持つプラスチックでできていた。その地に向かって宗教・観光・金儲けなどなど様々な理由で巡礼する者たちがいて、なんだか大変なことになるという奇想小説である。ヤマシタについては未訳の小説が多く、代表作とされる『オレンジ回帰線』すら未訳なので、それが読みたいので地道に布教を続けている次第)、ストーリーの必須要件として示されていたパスタ・カーの存在を活かすのに、長大な距離を「巡礼」するのがよいだろう、さらに近代以降の人工物が地層化したという作品世界は、パソコンポチポチ集団からの脱却という意味でもよさそうである、というので符合して、企画書的なものを書いた。ついでにもう1案出したが、そちらはなんだかファンシーなアイディアで、パスタメンバーはわりとすんなりこちらのハードな感じのネタを選んだ覚えがある。「BULLDOZER」がその時点で完成していたので、あの泥臭い雰囲気もその選択に影響しているかもしれない。

allreviews.jp

それから覚えている限り、ユッシ・パリッカ『メディア地質学』、アンドリュー・ブルーム『インターネットを探して』、 小宮山功一朗&小泉悠『サイバースペースの地政学』、結城正美『文学は地球を想像する エコクリティシズムの挑戦』、木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』などを読み、現代のインターネット状況と未来の地球環境を結び合わせるような物語を、ということで脚本のデモを書いた。それをもとにパスタとFigmaのボード上であれこれ話し合ったところ、荒唐無稽な案がやたらに出てきて(USBが降ってくる、USBが打ち上がる、Abletonのバージョンが3兆になる、GAFAがSになる……)、それはブレストという名の大喜利大会であったようにも思われるが、それを笑いながら(内心、どうやって整合させるんだよと思いながら)組み込みつつ、今の物語の大枠ができた。

そんな中でひとつフックとなったのが〈HTMLエネルギー〉という概念で、つまり、インターネットが消え去った未来に、かつてグローバルに接続し合っていた世界像への憧れから〈HTML〉が復権するという設定を用意し、その純な願いが現実の動力として機能する、というロマンも託しつつ、物語に導入した。

地下室に集まる怪しい集団が〈HTML〉を暗誦するというカルトチックな描写がまず浮かび、それを〈HTML教団〉として登場させていたのだが、映像的にも人物をあまり多く出すのは大変かもということもあり、結局ナシになった。脚本のデモ版のクライマックスには、以下のようなアホくさいくだりもあったのだが……

実際にライブ中、bo enやEOTI、six impalaといった海外勢が乱入してくる構想は(これは自分の仕事として関わった範囲では全くないのだが)、〈HTMLエネルギー〉的な願いの成就といえなくもなく、物語とライブが交差した瞬間であったように思う。

そんなこんなで、フロッピーとエスディという二人のキャラクターの冒険物語となり、パスタスタであれこれ話し合った上、釣部東京に映像を依頼することになった。ちなみにライブまでわりと余裕のない状況ではあったので、いやー厳しいずら……みたいな気持ちでいたが、「いっすね!」みたいな感じで受けてもらい、「え、逆に?!」みたいな感じになった。本当にありがとうございます。

文字がビジュアルに変わっていく様子を見るのは楽しかった。USBがめちゃくちゃかっこよくなったし、恐竜もクロームの404までは共有していたけどなんだかイカつくなっていてヤバかった。物語内PAS TASTAの造形も、線とか幾何学っぽい感じで〜というオーダーからああなった。柴田聡子さんがレイア姫になったりなどの小ネタも釣部さん。ほかにもいろいろあるかもしれない。

そしてパンフレットも自分が作った。いい内容になっていると思う。28pフルカラー。8000字ほどの小説、アルバム企画時のFigmaボードのアーカイブ、各メンバーへのインタビュー、ディスクガイドなどなど掲載して1000円で販売。お得です。転売するなよ。

かくしてGPOも無事終了ということで、自分は制作過程も含めて楽しませてもらい非常にラッキーだなと思う。帰ってからも、年甲斐もなく夜を徹してパブサしてしまうくらいには思い入れのあるというか、見守ってきたプロジェクトだったので、大変なトラブルも起きずに終えられて本当によかった。みんな本当にお疲れさまでした。

↑みん支

それでは、わたしも実はS社に誘われて宇宙に行かねばならんので、このへんで……

【雑記】オアア新潮新人賞落ちた!!!

足和田健という名義で「ダンサー・イン・ザ・スーサイドフォレスト」という小説を書き、送ったところ、第56回新潮新人賞の最終候補5作に選ばれました。が、落ちました。自分でいうのもなんですが、かなり惜しかったらしいですよ(悔し紛れのウソじゃないよ!!)。そんな諸々についてメモ。

 

↑選評が載ってます

!!!!!!???

応募作について

「ダンサー・イン・ザ・スーサイドフォレスト」は青木ヶ原樹海で音を採取してDTMをする少年の話。いわゆる樹海の死のイメージみたいなものに揉まれながら、偶然出会った隣人と樹海で工作したりする、ハートフルなビルドゥングスロマンです。

195枚なので短〜中編サイズになるのかしらんけど、30枚以上の小説は初めて書いた。猛烈に執筆したのは去年の8月頃で、その前後で触ったり触らなかったり、チョボチョボ改稿をしていて、だいたい1年くらい取り組んでいたと思います。それで今年3月末の応募〆切ギリギリに提出。

それから数ヶ月経った某日、電話で連絡がきた(その時期に最終候補選出の連絡が来ることはインターネッツで知っていたので、興奮気味に電話をとったと思う)。最後の著者校正をして提出→選考会の結果待ちという流れの中で夏がほぼ過ぎ、涼しくなったら落選していた。そんな感じだったので、この夏覚えていることといえば、小説以外では、スーパーの茹でずに食べれる冷やし中華がマジでまずかったことくらい(いや、誇張している。ユリイカの寄稿などがありました)。

編集部のSさんには大変お世話になりました。著者校正のアドバイスをいただいた際にも、まじで読み込んでくれていて、それだけで超嬉しかった。普段ライター仕事でもらうフィードバックとは全然違うというか、そりゃボリュームとかタイムスパンとかの問題で当たり前なんだけど、必ずしも誌面に載るわけでもないのにガチでガチだったのが非常に印象的。落ちた際にも選考会の様子を長文のメールで送ってくれて、実際ガチ落ち込んでたので救いになった。次頑張ります、ほんとに。

選評について(新潮2024年11月号)

雑誌を開いて驚いたのは、小山田浩子さんの選評タイトルが「『ダンサー・イン・ザ・スーサイドフォレスト』を推す」だったこと。マジかよ。小山田さんと上田岳弘さんは拙作を最も高く評価していたらしいし、金原ひとみさんも「回が違えば余裕で当選したはず」と激励してくださっているので、そのあたりの言葉は次作への肥やしとして、粛々と、まんまと真に受けておきたい所存。一方、大澤信亮さんの選評はガチ辛辣でワロタ。「ドヤ顔で書いてんの、見えてるかんな!」というメッセージにはブッ刺さるところがある(又吉さんも似たような感想だったのだと思う)。執筆中のおれの顔、勝手に覗かんでくれや……マジで精進したいです。

共通して評価された点としては、ゴリラ。拙作には一瞬ゴリラが登場するが、「各々の選考委員がゴリラについて言及するゴリラタイムが発生した」(金原)らしい。一方、共通して減点された箇所としては、作中作。拙作では14000字くらいの知らないおじさんのブログ記事が割り込んでくるので、それです。総合すると、ゴリラを増やしてブログを削れば受賞したのかもしれない(ダウト)。

大まかな流れとしては、拙作を含む3作が受賞ラインに並び、しかし3作とも通すわけにはいかないから多数決で決めたということらしい(上田さんの「相対評価という傲慢」という選評タイトルはそんな事情を指している)。「3作受賞でもええやん!」となるような作品を作れなかったことが問題である、とひとまずは考えるしかないので、それはもう、やっていくしかないです。

ともあれこうした批評の機会をいただけたことに感謝しつつ、受賞されたおふたりには巨大なリスペクトを示したい。受賞作にはさっと目を通しただけだけど、竹中さんは超いい感じのアンビエンスがあるし、仁科さんは絶対真似できない感じの言葉の個性があった。おふたりのこれからの活躍を楽しみにしています。 

 

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自分は3月末の公募〆切に向け、また書き始めているところです。ので、SNSからできるだけ離れるよう努力したい。努力である。連絡がある方はメールかDiscordよりいただけると助かる。

あと、もしかすると今作をインターネッツに放流するかもしれないです。しないかもしれないが、わからない。

【雑記】『ユリイカ2024年10月号 特集=いよわ』

自分も寄稿したユリイカ10月号についてメモ。

なんかたぶん、今はクローズドな場所で感想を言い合うのが安心だという世の中なので、逆にブログとかで書いた方がいいかなと思って、短いですが書きました。なぜなら自分は自分が書いたものの感想、インターネットで読みたいから(ここで全論考に言及するわけではありませんが…)。

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「DTM/創作」について

「ボカロシーンはDTMの文化が成長する過程で生まれた場所だった」と述べたのはヒッキーP(『合成音声音楽の世界2021』)(以下、人名は敬称略)であるが、まさに今のボカロシーンを代表する作家の特集において、フォーカスされるべき対象としてDTMがあるだろう。

FlatによるインタビューはDTMについてめちゃくちゃ深堀りしている。演奏→編集というプロセスで自身の発想の外側にアクセスできるといったことや、ピアノロールを視覚的に捉えることで「サビに向けて階段みたく上げていこう」というような発想が生まれること(そういえば、鮎川ぱてがNHKの番組で「DTMの革命は視覚にある」的なことを言ってた)など、DTMならではの小話が詰め込まれていて大変おもしろかった。ミクとflowerなど複数のボカロを同じ音高で同時に歌わせる手法について、「ミックスの都合でオケに負けるから」といった言質を取れているのはだいぶアツい。ヘンな制作をしてるんだろうな、というのは音楽の端々から伝わってくるが、その手法と理由にまでしっかり踏み込んだ貴重なインタビューだと思う。

いよわのおもしろさは、初期の作品からあきらかにDTM(イラストも然り)が上達していく様子を追えるところにもあると思っている。横川理彦の論考(「DTM観点から「いよわ」を分析する」)は、これまでの作家のリリースに全レスし、「ここで初めてサンプルを使用している」とか「ミックスの技術が向上している」と技術的な観点で指摘するものとなっている。横川は自著で「近年の音楽において、メロディ・リズム・ハーモニーの三要素以外に音色が重要です」といったことを書いていたが、DAW上で処理され、記譜され得ない音色について記述していくぞという態度がみられる。

自分の論考(「いよわと、いよわたちの世界を裂くもの――DTM、グリッチ、インターネット」)では、作家を取り巻くDTMコミュニティに着目して、そこにどんな美学が存在していて、いよわがそれをどのように実現しているか、といったことを書いた。編集部からは「hyperpop/digicore的な同時代的な音楽といよわを接続しつつ、ニコニコ動画/YouTube/TikTokといったプラットフォームでの受容について書いてほしい」といった依頼があり、おおむねそのオーダーには答えられたと思う。テーマは、「つまづきかた」である。

クリエイター・コミュニティへの言及というところで共振するのはFlat「多様なボカロ曲――いよわを通して見るシーンのバラエティ」、しま「合成音声音楽のオルタナテイブを見つめて」など。自分が論考でサラッと書いてしまったボカロシーンの「個性の文化」なるものを精緻に書き上げているようで、非常に助かる(DIYなメディアで積み上げてきた信頼が両者にはある)。「個性の文化」なるものが、DTMという制作技法のなかにある程度見いだせるという点は、ボーカロイド文化あるいはいよわという作家を考えるのに重要になっていると思う。原口沙輔やフロクロといったコミュニティ内部のクリエイターの文章もそういった観点から読める。

それから、いよわは頻繁に創作の現場について自己言及する作家である。だからこそ今号ではDTMという手法についての語りが重要なのだと思うが、もうすこしテクスト批評的なアプローチで、「創作」と「創作されたもの」の合間に分け入っていくような原稿として河野咲子「潜む声、屍としての少女――『わたしのヘリテージ』の(メタ)フィクションを読む」がある。「作品=永遠の生」に対する「作者=やがて死ぬ」みたいなクリエイター(コミュニティ)への自己言及の様式を、いよわはよく使う。河野は、そんなメタフィクションはいわゆる「作者の死」とは整合しないと断じたうえで、そこに生じるエゴ(作品が永遠に残ったらいいな〜というロマンチシズム)と、そのエゴに向けられる軽蔑を『わたしのヘリテージ』から掬い取って、後味の悪い歓びを見出すといったことをしている。今号はぶっちゃけファンブックみたいな向きで売れているフシもあるが、クリエイターバンザイ!な風潮のなかでこのような論考があるのは、いきなり薄暗い奥底に引き込まれたような感じになり、大変おもしろかった。

「考察」について

まあそんな状況下、Twitter上で「ネタバレ食らわないようSNS離脱します!」みたいな宣言をするひとがいたのはちょっとびっくりした。そういう性質の本ではないと思うんだが、置いといて、しかし、世にはびこるネタバレ忌避って、私的体験を最大化したいみたいな欲からきているんだと思うと、その最たるものが「考察」だ、といってみてもいいかもしれない。

木澤佐登志や難波優輝など、多くの執筆者がいよわの考察者について触れていて、考察という労働と一体化した消費の在り方について批判的な向きもみられるが、一方でスッパマイクロパンチョップは「(考察が)いよわワールドへ一層深い奥行きを加えてくれていて、もはやそれも含めてのいよわワールドという感じがする」と、いちディガーとしての意見を述べる(「和合と解放のアニミズム」)。

木澤が論じたYouTubeのアーキテクチャ上で生じる疎外の話(「ボカロ、暗号、いよわ――考察・歌ってみた・寄り添い」)で、うっすら自分が連想したのは、2010年代末のYouTubeの景色である。二次元イラストでポスト・ボカロ的な雰囲気のあるSSWの動画に溢れる、「見つけちゃった感」というコメント。たとえば和ぬかやらすいそうぐらしのことなんだが、普通に大手レーベルが(大っぴらにしないが)仕掛けていて、かつ最小限の予算で種を蒔いているようなセコいプロジェクトに対して、私たちは「見つけちゃった」と喜んでしまう。やっぱりそれは、スッパ氏がPuhyunecoやyeahyoutooを「見つけちゃった」のとパラレルなんだけど、決定的に異なる出来事と思いたいところである。が、アルゴリズムにひたすらかき回されるなかで出会ったものに対して「考察」という労働にコミットしていってしまう悲哀もそこにはあるなー、とか、いまはそうした体験もTikTokに全面的に移行したんだろうけど、なおさら刹那的な悲哀を帯びている気もするなー、とかを考えたりする。ともあれ、そのブルースの伴奏には、尻切れトンボのリリースカットピアノがよく似合うわけである。

あと、考察を誘発する要因として、岩倉文也がいう「音楽と映像がびみょうにズレている」という指摘(「物語の断片と、跳梁する言葉の影で――いよわ作品における物語の位相」)は結構重要だなと思った。というのも、今号を読んでいるなかで「エッ、この曲そういう設定だったの?」という驚きがいくつかあったのは、おそらく自分が音楽のみを聞いているか、映像のみを見ているか、歌詞のみを読んでいるか、といったことから生じているだろうから。原稿を書くのにできるだけ外側から、考察の重力場(青島もうじき「いよわの惑星――合成音声の化石化はいかにして(不)可能となるか」)に飲み込まれぬよう、一意に、端的に読み込もうとしていたのが仇となった感もある。

 

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最後に、全体の構成が非常によかったと思う。自分は書いてる間「被ったらヤダなー」とか思ってたけど、全然そんな心配はせずによかった。あと2007年のユリイカ初音ミク特集から一新されつつもそこからの線を引こうとする方もいたように思われ、暇なときに並べて読んでみようかしらん、とも思った。

ハイパーボウル2024夏

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いよわ『ねむるピンクノイズ』

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8月はほぼいよわばかり聞いていた。9月27日に発売される『ユリイカ』への寄稿を受け、Endless Iyowa Summerを過ごしていたから。

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実は依頼メールが来た時、「じぶん、いよわについてなんか書けるんかな・・・」とわりと悩んでしまい、ライターのFlatさんに助けを求めて1時間ほどあれこれ喋ったのちに「書けますわ自分!」と青土社に返信したという経緯があった。その後もFlatさんのディスコ鯖でアルバム視聴会をしたりと、執筆にあたり非常に助けられた思いがある。結果的に自分としては満足のいく原稿ができ(依頼時より文量を非常に超過しつつ)、いよわというアーティストの面白さもずいぶん堪能できたので、受けてよかったと思う。あと、どうせ買って読むのだし書いた方がええなという気持ちもあった(ご恵投おねがいします、本当に。いつか蓮實重彦のエッセイで「未開封の冊子入り封筒が山程あるンゴ」みたいな文章を読んで、畜生がという思いになったことがある)。

ところで、自分の(インターネットの)周囲ではボカロリスナーもいればそうでもない人もいて、TLでは「いよわのアルバム聞いたけど、なんだか掴めないなー」という声もあったので、自分なりのいよわ理解を軽くここで記す。

ヘンな音楽が好きなリスナーにとって、最新作よりも1st『ねむるピンクノイズ』が取っ掛かりになるのではないかと思う。なかでも3曲目「わたしは禁忌」は好例だ。1音1音にピッチベンドのかかったピアノ、高音域で無気力にふぁ〜〜と漂うシンセ、逆再生でずっと鳴ってるよくわかんない音など、まずトラックに関してヘンなところが非常に多い。間奏ではグラニュラー合成みたく乱打されるピアノが面白く、しかもこの時期のいよわの制作環境を考えれば、たぶんカットアップだけでそれを作っているところもちょっと異様だ。それからボーカルワーク。サビの唐突にせり上がる音高やら、「変われ変われ変われ変われ!」といきなり怖い人みたくなる演出もヘンだ。

ざっくりと、自分の原稿では「デジタル編集(DTM)によるヘンな処理が、いよわがテーマとする"死"の表現に繋がっている」みたいなことを書いている。つまり、1stアルバムにおいてはほとんどの曲で"死"を取り扱う作家が、一本のシーケンスの中でさまざまな切断を披露しているのだと、ざっくり言っておこう。そういった意味で、いよわは「タナトス作家」だ!などと騒いでFlatさんの鯖で乾いた笑いを買ったりもしたのだが……。いや、タナトス作家ってなんやねん。

あと、いよわ入門者は第6作「水死体にもどらないで」あたりから現在に向かってMVを順に見ていくといいと思う。第6作くらいから音楽も映像も安定してくる感じがするし、それでもやっぱ時間経過とともにクオリティが向上していくさまも見られるし、映像も込みでひとつの世界を表現する作家なので、MVを見るのがいい。

www.nicovideo.jp

ユリイカの自分の原稿は結果的に、作家のキャリアを初期から概観していく感じになっている。取り上げた曲など聞きながら読んでもらえたらうれしいな(なんせ、この文章の8000倍ほどの時間をかけて書いているのでね!!!!)。

あ、原稿のこぼれ話をここでしてしまうと、グリッチに関する書籍を読んでいる中で面白かったのが、Legacy Russell『Glitch Feminism: A Manifesto』(2020)。タイトルに「マニフェスト」とある通りグリッチ・フェミニズム宣言をしているわけだが、デジタルネイティブの著者が「グリッチは二元化を強いる社会に対する違和感への表明であり、アジテーションなのだ(ざっくり)」といったことを言っており、かなりアツい。ビジュアルアート文脈でのグリッチにまつわる議論は2000年前後から始まっているが、アイデンティティと結びつけて論ずるものはあまりない気がする。

www.kinokuniya.co.jp

あと国内ではucnvさんが2019年に『グリッチアート試論』というZINEを出していて、年譜などまとまっていそうだったけど、売り切れてるし多摩美にしか所蔵されてないようなので入手を断念。再販希望。

ucnv.stores.jp

是「Strawberry Candy」

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いよわ原稿執筆のために「グリッチ」にまつわるあれこれを読んだ結果、是さんのこの曲などがまた違った印象をもって聞くことができた。いわゆるケロケロボイス的な全パラメータがフルテンのピッチ処理がされてるようにも聞こえるが、それだけじゃなく、あえて機械っぽいビブラートを差し込んでみたり、ブレスとかのヒトっぽい質感が残留思念のごとくこびりついたまま切断してみたり、かつ、その切断面がグロテスクといってもいいくらいにブツブツとあらわれるのである。

そもそも(これもFlatさんに教えてもらったことだが)初音ミクの開発者の佐々木渉は、エレクトロニカ/グリッチ作家である竹村延和などに影響を受けているらしい。だから、ボイスバンクという分節化された声のデータベースから任意に記号を採取/連結することで歌を再現するボーカロイドというプロジェクトには、グリッチ的な思想が最初から企図されているのだといえよう。

performingarts.jpf.go.jp

www.ele-king.net

今やボーカロイドは自在に歌ってくれるヒトなのだし、よりヒトらしくなるヴァージョンアップも施されているわけだが、ここにきて原理的な異形を再現しようとする作家がいるのは面白い。それを単なる反動だといえるような作品だって世にはあるが、是さんの場合はなんだかちょっと手間のかかったアプローチをしているように思われる。だいたい是さんは声に注意が向いた作家で、いろんな実験をしているのだと思うが、やっぱその違和感と無関係にやたらポップなトラックで推し進めてしまうのがすごい。なお特に自分が好きなのは「コールセンター」。

www.youtube.com

galen tipotn, Holly Waxwing「keepsakeFM」

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前回も取り上げたgalen tiptonであるが、death's dynamic shroud(dds)とのコラボアルバムに続きHolly Waxwingとの共作をドロップ。先行リリースされた一曲目「keepsakeFM」はその時点で最高だったんだが、この曲のトンマナを延長してアルバムにパッケージした感じ。その結果、前作のいやにトゲトゲした攻撃性に比べればだいぶ落ち着いた雰囲気というか、氏の本領でもあるASMR的な謎音が緻密に配置されたミニチュア・サウンドスケープとなっている。ジャケットに描かれた気の抜けた動物らがかわいらしく踊っているさまが浮かんでくるよう。

ボーカルを前面に出す歌モノプロジェクトとしてはrecovery girl名義の作品群があるが、ここでは折衷的なアプローチというべきか、チョップして意味を無に帰した「なんかいい感じ」の歌がところどころで披露される。一聴してin the blue shirtsさんの作風のようにも感じられ、ベッドルーム・ダンス・ミュージックのバイブスがある。

一方で9月6日、ここ1年半ほどフロア・アンセムとしてひたすらに存在感を放つSkrillex「Rumble」のブートレグもリリース。こちらはddsとのアルバムとも共通するような、グロめのベースが唸ってやたらに踊れる感じのつくりになっている。

o0o0o0o0.bandcamp.com

che『Sayso Says』

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アトランタ出身の新進ラッパー・cheによるRageを下地にしたトラップ・アルバム。と思いきや、4曲目「GET NAKED」は15年前のボカロ・マスターピースこと「炉心融解」をネタにダーティに歪んだベースを重ねる異様な曲。合わせ方もめちゃくちゃだしヒドいバランスになっている感じがするが、それがむしろいい気もする。

cheといえばもともとハイパー寄りな出自で、過去にはSEBiiとも仲良かったりする。ところが2023年のEP『Crueger』ではチーフ・キーフへのリスペクトをあらわにしており、アングラでハードな路線に突き進んでいる(Pitchforkのライター・Mano Sundaresanはその転向を批判している)。

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今作『Sayso Says』はハード・アングラ路線とオタク路線の間を取ったというべきか、後半「Interlude」以降ではかなりエレクトロっぽいトラックでラップしている。きらびやかでありつつ汚れた電子音の位相は、既存のハイパー的な文脈のそれでもないし、とにかく汚すことが美とされるアングララップ文脈のそれからも浮いている感じがして、新鮮な思いがある。

Total Blue『Total Blue』

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モアイ像みたいなジャケがかわいいなくらいのことしか知らないが、作業用にリピートしていたので選出。アンビエントなんだけどいろんな空間から音が鳴っている感じがする。夏はけっこう書き仕事で(名前出ない系も含む)ずっとスクリーンに向かい続けていたので、時間も場所も関係なくなるような音楽が好ましかったのかもしれない。

詳しいことはわからないので、「OBSCURO」というレコ屋から文を拝借するに、

Benedek 等が結成したロサンゼルスのジャズ・トリオ Total Blue デビューアルバム。第四世界的なアンビエントのテクスチャーとダウンビートの残響で捉えどころのないヴァイブと「彼方への到達」を追い求めたブリージンなニューエイジ・フュージョン・サウンド。

Total Blue – Total Blueobscuro.jp

多和田葉子『太陽諸島』

bookclub.kodansha.co.jp

『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』と続く多和田葉子の長編三部作の最終章。ざっくりあらすじをいえば、北欧で出会ったふたりがある言語を求めてヨーロッパ中を移動して仲間を見つけ、なんやかんやで東方を目指すのだが意味不明にバルト海を航海することになってヨーロッパを出られない、みたいな話。物語はできるだけ長く続けばいいなと思っているクチなので、大作の終わりは悲しい。

あるふたりの関係がフォーカスされる時、社会的には夫婦ですかとかカップルですかとかみたいに名指されることがあるが、それを「隣を歩く者」と言って迂回するのが前作までなんだが、今作ではバカみたいなダジャレで一挙に関係性が変化してしまう、みたいなところが非常に印象的だった。言葉ひとつで根こそぎを変えてしまう魔法じみたレトリックが世界に存在するのは恐ろしいことでもあるし、わりとそんなもんよなという気持ちもある。

中根千枝『未開の顔・文明の顔』

www.book61.co.jp

『日本人の世界地図』という鼎談本で知って読んだが、社会人類学者の中根千枝がインドをフィールドワークするエッセイ。タイトルは結構ギョッとするが、1959年の著作なのでそういった大時代的なニュアンスは結構ある。

おもしろかったのは、インドの高学歴でエライ身分のひとが地方の長官になって「虎狩り」をするシーン(日々恐れられている虎を見事に狩ることで地元民からのプロップスが上がるのだという。ほんまかいな)や、インパール作戦で日本軍の行軍の道筋にあった集落で赤ん坊の名前に「テンノウ」と付けられているくだり(日本軍が駐留していた頃、テンノウとバンザイという言葉を覚えたらしい)など。

カレン・テイ・ヤマシタ『熱帯雨林の彼方へ』

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日系アメリカ人でブラジルに長く滞在していた著者の小説。5月くらいに読んだ気がするが、強烈に印象に残りつつどこにもアウトプットしてないし、5月もたいてい夏なので選出。

佐渡ヶ島出身の少年の頭に磁力を持ったプラスチックの球体がまとわりつき、一方アマゾンの森の中では地崩れした箇所から大量のプラスチックの地盤が露出し、一方とある米企業がアマゾンのプラスチック帯に関心を示して一帯の商業化を目指し、一方ブラジル国民にとってそこは聖地化して巡礼の目的地になる、みたいな話(わけがわからないあらすじ)。スケールはデカいが徒歩(巡礼)、鳩(コミュニケーション)、電車(現代的な移動)などいくつかの移動手段のモチーフが重ねられていて、そこに商売やら信仰やらが絡んでくるので諸々の動機がはっきりしていて人々の行動が追いやすいというところはある。

そもそもこの作家は環境問題とか南北問題とかに関心があるらしく、『オレンジ回帰線』という作品では、メキシコから運ばれたオレンジの実に地図上の北回帰線がロープみたく引っかかったままLAに届き、グローバルサウスの時空間が北米の都市に割り込んでしまうパニックSFになっているそう。めちゃくちゃ読みたいが、未邦訳。

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ということで、眠たくなってきたので終わります。

次回もお楽しみに!

ハイパーボウル2024上半期

長らくお待たせいたしました。ハイパーボウル2024上半期の開催です!

ハイパーボウルは、わたくしnamahogeが聞いて興奮した国内外の新譜を紹介するスポーツ大会です(勝敗はありません)。

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BoofPaxkMooky, Dylvinci 『In a Tree』

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In a Tree

In a Tree

  • BoofPaxkMooky & Dylvinci
  • ヒップホップ/ラップ
  • Â¥1528

music.apple.com

plugg/pluggnbというトラップの派生形のラップミュージックがあり(アボかどさんの記事に詳しい)、個人的には去年DJのEnjiにいろいろ教わってからよく聞いている。ことpluggnbは、Autumn!やSummrsといったラッパーが2022年前後に一時代を築いてから消化されるタームに入ったものの、一方で、ひとつの音楽の円熟という風情がこのアルバム『In a Tree』にはある。

BoofPaxkMookyはノースカロライナに生まれフッドよりネットで知名度を上げたラッパー。その過程でシーンの重要なプロデューサー・Cashcacheよりアトランタスタイルの薫陶を受けたらしい(インタビュー)。

なんといっても完成度の高い今作のビートはすべてDylvinciによる。要所要所で使われるピコピコシンセが印象的で、サンクラをチェックすると、たった29人に厳選されたフォロー一覧のなかにゲーム音楽作家のああああ氏がいたりして結構ビビる。10年代のクラウドラップからコデインを引き継いでしまった2024年のpluggシーンであるが、『In a Tree』でも相変わらずふらふらとヨレつつ、しかし8bit的に明瞭な音像が意識を覚ましてくれる。

JuggrixhSentana, Rxl 『Sway Naughty』

open.spotify.com

Sway Naughty - EP

Sway Naughty - EP

  • JuggrixhSentana & Rxl
  • ヒップホップ/ラップ
  • Â¥1530

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がっつりpluggnbビートであり、JuggrixhSentanaの力の抜けたラップがいい。メロウ。セクシー。抗えなさがある。

横須賀を拠点に活動するyokosquad(ヨコスクワッ!)はSaggypants ShimbaやCFN MALIK、Jellyyabashiなど各所で活躍中のヤンガンが集まっているが、雑誌Ollieに載っていたインタビューでは口を揃えて「テキトーにやってるっす」的なバイブスだったのが印象的(手元にないのでうろ覚え。掲載号は[Ollie VOL.257 2023 may])。

ちなみに筆者は去年まで横須賀と横浜の市境のあたりに住んでいて、ドブ板通りもよく遊びに行っていたので町の雰囲気はよくわかる。コロナ前の記憶だけど、空母が入港した金曜の夜なんかは軍服着た米兵(MP)が立っていたり、飲み屋に行けば数十年前に黒人と白人の間で町ぐるみの喧嘩騒ぎがあったのだとか聞いたり、現在は観光地化が進んでいるとはいえ、あの町でヤンチャした若者はタフに育つだろうなと思う。そんな記憶込みで彼らの03-Performanceの映像やVlogを見たりしている。

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tmjclub『#tmjclub』

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#tmjclub vol.1

#tmjclub vol.1

  • tmjclub
  • ヒップホップ/ラップ
  • Â¥1528

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前掲のクルーと比べると一気にナード感があふれるが、超ざっくりpluggと括ってしまうとサグもギークも同居しちゃうのが面白い。USでもRXK NephewみたいなもっぱらサグとFulcrumみたいなもっぱらオタクがいて、その中間にとにかく超然とした感じで立ってるxaviersobasedがいる、みたいな雑な図式を立ち上げたくなってしまうが、まあそれは現場レベルに還元できる話ではないだろう。

さておき、elekingのレビューで松島さんは「ポスト・クラウド・ラップ」とぼかしめにいってるけど、たしかにtmjclub「◯◯のジャンルだ」と同定されることから逃げんとするクルーであるだろう。基本的にはシカゴドリル由来のカリカリいうスネアを乱打しながら(そういやxavもNephewもChief Keefリスペクトだ)各種ネタを散りばめて進行するのだが、ビートパターンもアルバム内で変幻自在に形を変え、なんならアンビエントの曲もある(「health」)。全体としてサンプルやビートの音響処理にローファイな志向がありつつ、aeoxveを筆頭に雲(クラウド!)が流れるようなフロウがある。歌詞も公開していないようだし、プロジェクト全般の見せ方として、あらゆる意味で他人のタイムラインに乗るまいという意思がある(SNSのユーザーネーム「@tmjclubarchive」の流儀には一言添えておきたい。アングラシーンの人気ラッパーには「archive」アカウントがつきもので、ラッパー本人が削除した楽曲を勝手にサブスクに流す不届き者らがごく常識的に存在する。有名なのはSummrsで、彼においては正式なアカウントより「archive」の方がフォロワーが増えたという笑えないけど笑っちゃう話もあったりするのだが、そうした状況をネタにしたユーザーネームなのだろうと思われる)。

こうした逃避的な態度はjerkビートの成立にもおおいに関わっていると思う。クラウド・ラップの立役者であるLil Bが執念深く動画投稿を繰り返し世間に存在を認めさせた過去もあるが、その時代がいかにインターネット空間の未開発だったことか、などということを思ったりもする(せっかくなので付け加えておくとNephewは明確なLil Bフォロワーなのでヤバいくらい曲を投稿している)。

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remilia bandxz「wsup den?」

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さらにオタクでかつ変化球だが、東方シリーズのレミリアの格好をしたヴァーチャルpluggラッパー。片手にリーンを持っているし、女の子の声でそれを歌っている。彼女らのクルー〈9ENSOKYO〉にはチルノや霊夢や魔理沙もいる(もちろんクルー名は幻想郷ということだ)。ひとりがボイチェンで複数人を演じているのか、実際に複数人でこれをやっているのか謎。でもやっぱメインカラーが紫のレミリアが重用されている模様。あずまんが大王のキャラ・春日歩のVラッパーもいて、下の動画で二人はコラボしている(春日歩のインスタはミームアカウントとなっているっぽい。なおミームアカウントの存在もシーンを理解するのに重要で、最大手はHyperpop Dailyであろう。Hyperpop Dailyがhyperpopについて情報発信をすることはないが、rage/plugg/jerkあたりについてのゴシップはこうしたアカウントを起点に流通しているらしい)。あと、ゲーム・アニメキャラをサグめなラップで踊らせるというのは、古くはAMV、最近だったらフォートナイトのスキンとあったわけだが、内側に入ってラップしてるパターンははじめて見た気がする。

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Nettspend 「nothing like uuu」

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Nothing Like Uuu

Nothing Like Uuu

  • Nettspend
  • ヒップホップ/ラップ
  • Â¥204
  • provided courtesy of iTunes

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2007年生まれ、ニコニコ動画より年下のNettspendは、バージニア州にて高1でドロップアウトしてからオンラインコレクティブ〈Novagang〉(かつてはkuruやmidwxst、d0llywood1なども所属しdigicoreシーンの主要拠点のひとつとなった)に所属し活動していたが、2023年にクソガキ感あふれるsnippetでバズり、今年1月にはxaviersobasedとevilgianeとのコラボ曲をリリース、3月にはRolling Loudに出演するなどすごい勢いを見せているラッパーだ。

jerkというシーンにおいては超新星といった具合で、そもそもjerkというのも新興ジャンルであるわけだが、不親切極まりないことにここで紹介したい「nothing like uuu」は別にjerkではない(jerkについて一概にいいづらいがビートの力点がこんな感じのものをいうのだと思う。同ジャンルのオリジネイターたるxavが今年出したアルバムを聞くとよい)。Nettのこの曲は明らかに売れ線というか、ポップに勝負にいってる感がある。彼はフロウがめっちゃよくて、たとえば最初の〈I been tryna get geeked all night (Geeked up)〉という箇所からしてなんだか不快な引っかき音みたいな「ギーギー」がやたらに耳に残る感じなど面白く、ポップ路線に移行しつつも残った味わいが絶妙だなと。

やっぱり本人があまりに若かったり白人だったりというのもあって、ニューヨークやインターネットでは「Nettは"ホンモノ"なのか?」という疑義も生じてるっぽいが(疑いの余地なくxavはホンモノだろう、しかしNettは?という雰囲気)、どうなんでしょう。

あと今日deftonesのリフをネタにした曲が出ていた。

※7/9追記: どっちの曲もYouTubeのMVがあり、この記事には動画を貼っていたんだけど起きたらどっちのMVも削除されていてウケた。原因は不明だが、ファンコミュニティなど見ると、MV出演者とのトラブル説が濃厚っぽい。

※7/12追記: どっちの曲もSpotifyから削除されてて草。やっぱクリアランスの問題なのか?

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That One Song

That One Song

  • Nettspend
  • ヒップホップ/ラップ
  • Â¥204
  • provided courtesy of iTunes

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原口沙輔 「イガク」

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今年1月に筆者が主催したイベントにも出演してもらった原口沙輔だったが、あの日のライブはヤバくて、お手製のグロ音アセットを矢継ぎ早に繰り出しつつダンサブルな異様な空間を作り出していたのを覚えている。それで本人に「よかったす!!」と興奮気味に言ったが「なによりです」みたいなクールな感じで、xavじゃないけど、なんだか超然としている雰囲気があるな(だし、ほぼ同年代)。

「ポップスをやりきる場としてボカロ曲を作っているところがあります」とインタビューに答えていた原口沙輔のボカロ曲のなかでも「イガク」は一際いいと思う。なにがいいというのはムズいが、氏が前名義の頃から熱を注いでいた80'sテクノポップのバイブスがうまくハマってるのかなとか、飛び道具的なサウンド以外はわりとテクスチャが統一されていてこの道の洗練を感じたりとか、あと、ハイパーリアル的に厭世的なリリックも非常によかったりする。

彼が主催するDiscordサーバー「CDs」も独特の動きをしていて面白い。設定により双方向的なチャットができなくてただ単に画像やURLやテキストを送りつけられるだけの理不尽なサーバーだが、最近は「沙悟浄のお皿がどうこう」みたいなテキストが投稿されていてよくわからなかった。要チェック。

篠澤広,長谷川白紙「光景」

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学マス繋がりということで、長谷川白紙プロデュースの「光景」。ゲーム内の設定を説明しておくと、天才少女である篠澤広は最も不得意な仕事としてアイドルを選択し、ダンス練習といいながらまずは単に直立することから始めてみる、といったような内容になっている。こうしたキャラ設定が歌詞にいきていて、彼女の選択という行為が長谷川白紙流の語彙で綴られている。

さまざまな可能世界を見たうえで元来の世界線に選択的に再帰してくる、というマルチバース版"行きて帰りし物語"は、それが映画であれば格好良く現状への復帰を決断するシーンがあるわけだが(当たり前だが、現状に帰ってこなければ観客はさめるわけである)、「光景」のいいなーと思ったのは、なんだかナイーブな感じもする選択主体が描かれているところ(もちろん篠澤広にとっての「現状」はアイドルというより天才科学者であるが、観客にとってはアイドルが「現状」であり、さらにいえば、コインランドリー経営者が唐突にカンフーの達人になるのと同じくらいのアクロバティックさで、篠澤広は現状のアイドル見習いから前職の天才科学者に遡行しうる)。

〈選びとった熱が ずっと残っていて 目のおくが 愛おしく呼ばれる〉、〈またいつか 涙のような熱になるわたしの景色は〉あたりの歌詞は、魂の重さは◯◯グラムじゃないけど選択という行為が物理的な実体を持っていて、ふとした瞬間に涙のようになって溢れ出てくるというセンチメンタリズムがある。こりゃリリシストすぎてやべえ!となってゲームをインストールしたが、ゲーム内でこの曲を聞いたことはなく、結局コモン篠澤広に「初」を歌ってもらって終えてしまった(ガチャ!!!!!!!!!)。

長谷川白紙といえば狂ボタニカな「Boy's Texture」もすごくよかった。アルバム『魔法学校』のリリースも、あれ、今月じゃん!(「魔法」つながりでA.G.Cook『Britpop』も紹介したくなったが、とりとめなくなってくるのでやめ。松島さんのレビュー読んで)

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yuruyuru runtime「Magical (ナースロボタイプT)」

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魔法学校みたいな世界観の曲。それこそ物理法則のちょっと違う隣の世界の中学生が悔恨まじりで綴った日記みたいな、親密っぽさと意味不明さがあるが、聴衆を突き放す感じでもない塩梅がいい。金属の空箱か何かがぶつかりまくってるみたいなドロップがかっこいい。

yuruyuru runtimeが一体何者なのかよくわからないが、いろいろ動画作っていて大体シュールなんだけど味わいがあってよい。

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あかちゃん・シティ・ポップ「セントレイremix」

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あかちゃん・シティ・ポップによるサカナクションのカバー。これはinternethood2でオープニングDJをしてくれたaosushiが初っ端で流していた曲で、実は去年公開だけど今年知ったのでハイパーボウルのルールに抵触しません。ボカロPのどなたかのサブ垢なんだろうか。それにしても選曲の納得感がすごい。〈午前0時の狭間で夜間飛行疲れの僕は宇宙〉。

asukagender『asukacore』

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ものすごく古典的なdariacore。偽アカウントしぐさも使用ネタも展開も非常にオーセンティックなんだがやたらクオリティが高く、おそらく一連のdariacoreムーブメントを知らないAOTY民に衝撃を走らせているというので知った。ここ最近はこういうの全く聞いてなかったけど、たまに聞くとめちゃくちゃいい。あと、これ系が普通にサブスクに上がっているのはもはや驚かない。

carbine『inf』

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Inf

Inf

  • carbine
  • ヒップホップ/ラップ
  • Â¥1528

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dariacore最盛期にリリースされたチャリティ・コンピアルバム『daria vs. core: it's giving charity!』にも参加していたプロデューサーで、leroyの引退宣言以降オリジナル作品に取り組むSSWとなったcarbine。やっぱりdariacoreムーブメントはどこまでいってもギリアウトで、ゆえにみんな覆面としてキャラを被っていたわけだが、carbineは「おかしなガムボール」のアニメ絵だけを剥いでそのままの名義で活動を続けている。そのあたりも面白くて筆者はかねてより注目していたが、シングル「carnosyn」なんかは2023年によく聞いた曲上位だったと思う。dariacoreのどんな再生環境でもぶっちぎるようなクリッピング気味のキメとか、クサめなメロでも勢いとうるささで乗り切っちゃう感じとか、そういうのがよかったのだ。そんなcarbineの初アルバム『inf』にはkuruやtwikipediaといったdigicoreシーンの古株も参加(twikipediaとの「answer」めちゃくちゃいい)。brakenceの影響が強そうな雰囲気(実際、brakenceの影響力はヤバい)がありつつも、ゲーム音楽チックな音のあざとい差し込み方などがdariacore的というかキッズ的でめっちゃいい。そういう点においても、「doomsday」や「end theory」といった曲名にあらわれる題材においても、国内でいえばlilbesh ramkoなどと非常にちかいと思う。でも日本であんまり聞かれてなさそう、ラムコファンはぜひ聞くとよい。

Syzy『The weight of the world』

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The weight of the world

The weight of the world

  • Syzy
  • ダンス
  • Â¥1681

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件のコンピに参加していたSyzyもまた、carbineと同じようにdariacoreムーブメントから巣立ったベースミュージック・プロデューサー。上に比べるとこちらのアルバムの方がleroy的な意匠を多く取り入れているが、ベッドルーム的ダンス音楽の手法を押し広げて巨大なスケールにまで持ってっちゃってるのには感動する。タイトルもSF的だが7分超のアンビエント曲なども入っていて、なかなか壮大でEvian Christ感もある。あと「DOPE1」で往年のスクリレックスをパロったようなゴリゴリのブロステをやっていたりするのにも落涙。「Take my energy!」の転調には"J"的なるものというかぶっちゃけ音ゲー的なるものを感じてテンションが上がってしまう。ベッドルームの裂け目から宇宙に連れてってくれる、キッズによるキッズのためのダンスアルバムだ(いきなりキャッチコピーじみたことをいう)。

death's dynamic shroud & galen tipton『You Like Music』

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You Like Music

You Like Music

  • death's dynamic shroud & Galen Tipton
  • エレクトロニック
  • Â¥1222

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ddsとgalen tiptonのコラボアルバムということで超期待して聞いたら、ddsの異形歌謡曲でもなくgalen tiptonのASMRワールドでもなく、思ってた100倍バンガーでえげつなかった。ddsもgalen tiptonも既存世界のあらゆる音楽・非音楽からサンプリングして独自の世界を生成するトリオ/アーティストなので、タイトルの『You Like Music』というのも皮肉なもので、一方でシングルカット曲「Generate Utopia」の題もド直球でいさぎよい。無限にチョップされた叫びが連なる「Generate Utopia」や「Drifting on Bethel」などを聞いてしまうと、このアルバムで鳴ってる音のすべてが人の声なんじゃないかとか思い始め、だんだんホラー体験と化してくる。そんな強迫観念はさておき、今年一回くらいはクラブでこれを聞きたい。でっけえ音響が映えそうなアルバムである。

 

──────────────=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

長くなったし一旦こんなところにしておきましょう。ハイパーボウル2024上半期、閉幕!

underscores来日公演ライブレポ │ GET HOME SAFE

underscoresの5月26日の東京公演を見てきた。

行った感想ですが、パンミック以降の生がダイジェストとなって脳裏をめぐるので、バイクに轢かれてプチ走馬灯を見ちまったのかと思いました(バシャウマ並感)。

hyper hybridについて

underscoresといえば100 gecsのツアーで前座をつとめたりTravis Barkerのサポートを受けたりロラパルーザに出演したりで普通にすごい売れているわけなんだが、今回のイベントオーガナイザーのryoyaさんは「hyper hybrid」というイベントを主催して国内hyperpop / digicoreシーンと関わってきた有志の若い方で、どういう経緯でブッキングするに至ったのか気になるところである(ともすれば、DMひとつで実現したのかもしれない)。経緯はさておき、国内の草の根的な文脈と直結してしまったのは結果的に最高で、オーディエンスの熱量の高さを指摘する方がツイッターにちらほらいたけどその一因はこういうところにもある気がする。

Tennyson

最近精力的に国内在住アーティストとコラボしまくってるTennysonことLukeは、妹のTessとのデュオ(アルバム『Rot』までは兄妹デュオだった)で登場。DTMerなどにとってはAbletonでの制作を詳らかに見せてくれるありがたいストリーマーという印象もあるはずのTennysonであるが、この日自分が少し遅れて入場をすると、サーカスの地下から生ドラムを叩く音が響いてきて奇妙なノスタルジー(NewJeansのAttentionの冒頭のライブハウスの音漏れみたいな)を覚えるのである。薄暗い照明の中で兄妹が演じるバンド的なものにアネモイア的なるものも感じながら、その不思議な感覚が際立つのは怪作「Doors」の時だった。そのMVのWeirdcore的意匠を思い出せば、この曲でリスナーは不可知のデジタルワールドにアクセスするわけだが、同時にそのスクリーンを通じてのみ過去のバンド・スターに触れてきたのが私達の世代であるからだ。そして、その深淵のハイパーリアリズムの舞台の上にすっくと立ち上がる声というのが、パンデミック以降の音楽だったのではないか、などということを考えながら、新世代のデジタルミュージシャン・lilbesh ramkoやsafmusicといった面々が舞台袖から出てくるのを眺めたわけである(最近safmusicらが立ち上げたコレクティブ「庭」でちょうどDoorsのライブ映像をアップしてたので拝借)。

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PAS TASTA

ウ山あまねの叫び気味のMCで紹介される「Locals (Girls like us)」の破天荒なリミックスに始まったPAS TASTA(昨年パスタは同曲の共演者gabby startと同じライブに出ている)。このチーム・サウンドギークを見たのはおそらく丸一年ぶりで、GW付近に連続したワンマンライブとPeterParker69の客演の時以来だった。B2B2B2B2B2Bの賑やかなステージであったが、hirihiriはバイレファンキリミックスを伝家の宝刀のように用いてOne Last Kiss→BIPP→Rambleでボルテージを上げ、一方でquoreeの水風呂のような時間もあり、質実剛健な感もあるphritz、グロテスクなサウンドで暗がりを深めるウ山、手数が多くキャッチーに踊らせるyuigotなど、それぞれにキャラが立った選曲(そこに1年の修練を感じる)をPAS TASTAの持ち曲で繋ぎあわせるというような構成だった。なんといってもよかったのは最後に流した未公開の新曲で、誰もが初めて耳にしたはずであるのにフロアが狂乱気味になっていたこと。決めつけるように言ってはどうかと思いつつ、共有されるアンセムを待って盛り上がるという構造が(特にライブでは顕著に)あると思うのだが、その未確認音楽がベッドルームの共通体験を突き破って皆を暴れさせるさまはなんとも痛快であった(もちろんクリシェ的なブレイクダウンの突破力というのもあるだろうが、これにもアネモイア的なものを感じなくもない。みんなして架空の記憶で頭を振るのである)。ただ、Kabanaguの流した音ゲーアンセム「Evans」での局所的な狂乱ぶりも、それはそれで感動するわけであるが。

lilbesh ramko

Tennyson、PAS TASTAといったDTMコミュニティとはまた少し違った出自なのがlilbesh ramkoだ。筆者は昨年のリリパのお手伝いをした以来の邂逅だったと思うが、やはりlilbesh ramkoがカッコいいのは、「関JAM」など地上波に紹介されて着実に大きくなりながらもなお、自らを育てた小さなコミュニティを常にレップする姿勢だ(そのリリパも、R-Loungeという小規模の箱で行われた)。すなわち、パンデミックを経たSoundCloudラップの新世代であり、Demoniaといったパーティを通じて登場した面々であり、この日もokudakun、kegøn、safmusicといったサンクラの仲間たちを丁寧に紹介しながら壇上に上げたlilbesh ramkoであったが(特にokudakunの紹介時は長めのMCで、「フォロワーが数人しかいなかった頃に…」と自身の過去を述懐した)、いまだSpotifyやApple Musicに上がっていない「NAWHGANGSHIT」でフロアを沸かすさまなどは非常に印象的であった。

筆者がnamahogeとしてライターをはじめたばかりの2021年末から2022年上旬では、この日のような座組はとても考えられなかったように思う。だが、lilbesh ramkoらは必ずしもヒップホップ然としておらず、むしろDTMer的に自ら作曲して自ら歌うという折衷的なアプローチがよくみられ、反対に自ら歌うトラックメイカーも現れてきた(たとえばWave Racerがマイクを取ったことなど)ここ数年の時勢を鑑みることで、この合流を理解することができるかもしれない。それに、たとえばunderscoresはDemoniaでも聞いたし、PAS TASTAメンバーと話していても頻繁に名があがるようなアーティストだったのだ。2021年にウ山に取材した際にvqのネームドロップがあったり、2022年初旬のR-Loungeで初めて会ったlazydollに「Puhyunecoさんのインタビュー読みました!」とアツく言われたことなども思い出され、このように二分して記述するのも間違ってるような気もするくらいには近かったはずで、出会うべくして出会ったのだという思いも、もちろんある(こう書きながら、それがたった2年前という若いシーンであることもあらためて思うのだ)。

underscores前置き

今回のライブセットはおそらく2023年9月の北米ツアー「Hometown Tour」、また同年11月から年末にかけて欧州を回った「Hometown Tour: The Away Games」の延長線上にあるはずだ。日本からオーストラリアに飛ぶ今回のツアーを併せて「town hall Asia-Pacific」と題しており、これらのタイトルも架空の町の名を冠したアルバム『Wallsocket』(2023年)にちなんでいるはずで、つまりアルバムツアーとしての側面があることがわかる。もちろん『fishmonger』(2021年)や『boneyard aka fearmonger』(2021年)からの選曲もあったが、ライブの主題を探るためには今回のアルバムそれ自体について触れるのが筋だろう。

アルバムタイトルに据えられ、ミシガン州に仮構された町・Wallsocketの作り込みには目を見張るものがある。まずunderscoresが用意したいかにも行政らしく古ぼけた公式ページにアクセスすれば、「町の歴史」として馬を中心に牧畜関連産業で栄えた町(馬蹄のモチーフ)が工業化により衰退し、近年になって新興テック会社の企業城下町へと変貌したことが記されるほか、「議事録」にはタウンホールで交わされた議論(ペットの管理法から重大犯罪まで)の記録が残っており、さらにワードプレス感の濃ゆい学生運営のニュースサイトでは子供のいたずら行為が暴かれ(記者の名前のFacebookやLinkdinのページまである!)、ママさんたちのコミュニティ掲示板で噂が飛び交い(架空の町の住人にunderscoresが叩かれている!)、ピザ屋のキャンペーンサイト(リンク切れを装ったフェイクサイトではデモ曲が聞けるほか、掲載された電話番号が有効だった期間には留守電の音声が流れた)、スーパーマーケットのサイト、企業のオフィシャルサイトなどと、インターネット空間に虚構を撒き散らすことでひとつの町を作らんと試みているのである。そして、まさかと思ってGoogle Mapで「Wallsocket」を検索すると、私達が何度もスマホの待機画面で見たはずの立体物が現れるのには驚いた(レビューに連なる「Good luck!」は当然、アルバム内で繰り返し用いられるボイスタグのことだ)。

maps.app.goo.gl

この虚実入り乱れた情報戦(代替現実ゲームともいう)は、アルバム『Wallsocket』のプロモーションの一環(たとえばピザ屋の留守電でアルバムのリリース日を告知し、上の馬蹄彫刻のある座標が公開されたInstagramのポストはライブチケットを無料で提供するためのものだった。一連の流れはGeniusに詳しい)だったのだが、同時にアルバムの設定資料ともなっている。

『Wallsocket』の断片的な物語は、この町――アメリカ中部の裕福で保守的で退屈な町――に暮らす3人の少女が中心の群像劇として展開される。登場人物のひとりは、性自認と信仰の間で葛藤し、父親の窃盗事件に苛まれるS*nny(アスタリスクの記号は彼女の精神的な欠落を示しているそう)。2人目は、DCから田舎町に移住して心を閉ざす"町一番の金持ち娘"・Old money bitch(ファンの間ではOMBなどと略される)。そして、恵まれた家庭であるがゆえにS*nnyのような不幸を羨み、自分より裕福なくせに内閉的なOMBを嫌うMaraである。ストーリーをここで詳らかに考察するつもりはないが、〈Someday life will knock us off our horse?(いつの日か、人生は私たちを馬から突き落とすの?)〉というLocals(地元民)の叫びは、彼女らを乗せる馬上の鞍からの逃れがたさと、馬を降りてしまうことの不安とを重ね合わせて響いている。もっと抽象化していえば、これは町や家、そして肉体をめぐる「帰属意識(belonging)のアルバム」なのである("It's an alubm of belonging"とはNME誌のインタビューで語られる)。

town hall Asia-Pacificツアーメインビジュアル

そんな彼女が日本語圏においてどう聞かれているか、「サウンドがヤバい」という一面に寄っているフシもあるが、たしかに、こうしたコンセプチュアルな作品像を立ち上げるのに言語に依るところが大きく、その壁が高いのは事実である。しかし、その言葉たちとぴたりと一致するような音楽を彼女が持っていることを、私達は知っている。

遡れば、2016年に〈Mad Decent〉のサブレーベル〈Good Enough〉で初のEPをリリースしたunderscoresは(その時16歳である)、SoundCloudのベースミュージック・コミュニティでキャリアを積んでいく(国境を超えた関わりでいえば、curryriceにてYunomi & nicamoq「インドア系ならトラックメイカー」やソロにてNujabes「feather」のリミックスなども手掛けている)。

当時を振り返ったインタビューの発言で面白いのは、「UK由来のEDMがアメリカに渡ってきたことで、誰が一番クレイジーなサウンドを作れるかというdick-swinging contestになるくらい、私たちはEDMを変質させてしまった」せいで、「EDMはクラブで聞くものではなくなった」。UKにあった頃のEDMは"murky(どんよりした)"だったというが、彼女が熱中したルーツとして、渡米して"clear(晴れやか)"になったEDMがある。そして、100 gecsの衝撃的な登場により、「そのシーンにいた全員が肯定された」。前作『fishmonger』から『Wallsocket』にかけてのあけすけで申し訳無さのかけらもなくそのわりに見事なジャンルの越境はここに端を発している(2020年のEP『character development』でもアイディアフルでポップなジャンル横断を行っているが、それが強烈な爆発力を備えて実現したのが『fishmonger』なのだといえる)。

かつてunderscoresがベッドルームでバカほどラウドなサンクラEDMを聞いて憂さ晴らしをした体験というのは、Wallsocketを出て新たな道をゆく3人の少女や、コロナ禍に「Spoiled little brat」を聞いた私達も知っている、常識や規範を打ち破るもの、さらにいえば、町や家、肉体への「帰属意識」を晴れやかに崩していくものだったはずだ。だから、underscoresがひとりエレキギターを引っ提げてステージに立ったのは、その経験を再演するためであったのだと、筆者は理解する。

underscoresライブ

ライブをかいつまんで振り返っていく。開幕にプレステ時代チックなローポリな寸劇(映像作家Carlosknowsnotによる作)が上映されると、疾走感のあるポップ・パンク曲「Cops and robbers」(S*nnyの父が窃盗犯罪をする歌である)とともにunderscoresが登場。ステージ上には大型の電灯が吊られていて、これも郊外の町のだだっ広い家に備えられていそうなアイテムか。電灯が活きるのは、デジタル・カントリーな弾き語り曲「You don't even know who I am」の時だ。これは恵まれた家のMaraが不幸な家のS*nnyを羨み、自宅に侵入して勝手に服を着ては「今日は人生最高の日だ!」と高らかに歌い、その歌声に強いデジタルクワイアのかかるヤバい曲なのだが、この時underscoresが吊り電灯を手で揺らし、その輪郭をまどろませる演出とも似た、自ら選択的に境界を撹乱する歌である。

面白かったトピックのひとつは、彼女の制作部屋に招かれたかのような唐突なキャリブレーションテストと、その後のクラップの応答である。「右側の参加者の皆さんは次のリズムで拍手してください」との日本語音声(この映像を作ったnoahのツイートによればPAS TASTAのphritzが和訳を担当したそう)でクラップを求められ、絶妙にズレたリズムに置いてきぼりのフロアに軽く笑いが起こるのだが、その後「ステージをご利用の方は次のリズムで手拍子をお願いします」と、よくわからないアナウンスをされると、困惑するフロアに対してunderscoresがビリビリくるギターストロークで応答。彼女のユーモラスな側面があらわになる一幕であったが、日本公演のための律儀な演出に思わず嬉しくなってしまう。

ひときわコール&レスポンスが盛り上がったのは「Old money bitch」や「Johnny johnny johnny」で、やはりミュージカルチックな曲構成が功を奏しているようだ。それから前半部で共に叫ぶのが楽しい「Geez louise」であるが、7分もの超大なスケールでメタル・ハードコアからオルタナ・カントリー、アンビエント、シューゲイザーと目まぐるしく展開するこの曲は、実のところ歴史を憎んでヤケクソ気味にシャウトする歌である。フィリピンにルーツを持つS*nnyは敬虔なカトリックの家に育つが(このプロフィールはunderscores本人と一致する)、彼女の性自認と相容れない信仰のもとを辿れば、フィリピンを属領としたスペインの植民者たちに由来するのである。収奪されたままのアイデンティティが電子の海に落ち込んでいくようなデジタル・シューゲイザーの轟音は、「Uncanny long arms (with Jane Remover)」(ニュージャージー生まれのJaneもまた郊外をテーマに制作に取り組む一人である)に引き継がれる。ここの映像(ein作)では、延々と続く平野の町の家々が宙に浮き、瓦解し、そしてデータモッシュの波に飲みこまれていく。この壮観に、私達は立ち尽くすしかない。

呆然とする観客に「今日はありがとう」とunderscoresが締めくくろうとすると、エピローグ的な夜の車窓の映像が流れる。『Wallsocket』は、なけなしの電車賃を握った少女たちが町を出ることで幕を閉じるのである……しかし、underscoresは私達を置いて去らない。彼女がここまでに演じた開放を、きわめてキッズ的(Locals)な形でフロアに還元する。つまり、(勝手に呼ぶが)パンデミック・アンセムこと「Spoiled little brat」のモッシュでなにもかもを馬鹿馬鹿しいエネルギーの渦の中に押しやってしまうのである。

そして、念押しのボーナスタイム的な「Locals(Girls like us) [with gabby start]」で最後の力を使い果たし、虚脱する私達に見せつけられるのが、スクリーンに映された「GET HOME SAFE」。

「気を付けて帰ってな!」と言われても、散々家とか町とかぶち壊しまくった後には、「どこに?」と思ってしまうわけであるが、現にモッシュで痛めた首を気にしながら自宅で原稿を書く自分がいる。

思うに、underscoresは「帰属意識」というものに、嫌なら出てしまえというようなラディカルな気概を示す一方で、膨大な設定資料を架空の町に与えて自らの分身を住まわせたり、いまだにSoundCloudコミュニティに愛着をもって接していたり(実はサブスクとサンクラでエディットが違っていたりする)、どうにも手放し難さを感じているのである。たとえば、どこにも帰りたくないけど、どこにも帰れないのだとしたら……?

あてもなくWallsocketを出た少女たちに向けて、underscoresは歌う(「Good luck final girl」)。

〈Good luck final girl, I hope you get what you deserve〉
(がんばれ最後の少女、報われることを願う)
〈No one's gonna do your job for you〉
(誰もあなたの代わりはできない)
〈After all, that's not how this thing works〉
(結局、そうはいかないんだよ)

だから「帰属意識」に苛まれる誰かに、とにかくなにか言えることがあるのだとしたら、それはたしかに「Good Luck!」しかないのかもしれないが、あの日私達が見たのは、もう少しパーソナルな願いが込められた、きっとどこかに帰れますようにという意味での「GET HOME SAFE」だったのかもしれない。(了)

食らいすぎて再生機器も無いのに買ってもうた

Apple Musicでの不当な配信停止についての報告

親しいアーティストに、以下のようなことが起きている。

  • ディストリビューション(配信代理)サービス・TuneCoreを用いて楽曲配信をするアーティストの複数名が、Apple Musicでの配信を停止される。
  • TuneCoreに問い合わせると、Apple Musicが「楽曲の再生回数を人為的に水増しする不正行為」を取り締まるポリシーを導入し、停止された楽曲はその制裁を受けたという旨を報告される。
  • 当該アーティストらは配信再開を依頼。Apple Musicでの配信が再開するが、配信後に再び「楽曲の再生回数を人為的に水増しする不正行為」が検出されたことにより、二度目の制裁を受ける。当該アーティスト自身が配信した全ての楽曲がApple Music上から消える。
  • 再配信を行おうとするが、TuneCoreに登録された顧客情報(本名、住所、電話番号等)が制限され、再配信どころか今後の配信が不可能となる(事実上のBAN)。

上述の状況について、アーティスト当人やその友人らは懸命に情報拡散・収集をしている。デジタル配信を前提とした若い世代のアーティストにとって、サブスク型ストリーミングサービスの収益は文字通りの生命線となる。特に還元率の高いApple Musicでの配信停止のインパクトは大きい。

状況が改善する予兆もない12月24日、当人ら(AssToro、lazydoll、okudakun)にヒアリングを行い、メールのスクショ等を共有してもらった。ここでは筆者の私見をまじえて現況を報告する。

配信停止の経過

Apple musicで今起こってる問題について

皆さんお世話になってます、奥田です
今、僕たちが直面している問題について簡単にまとめたいと思う。
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11/22を皮切りにApple music上で僕たちの曲が消され始める、焦った奥田は楽器配信サービス会社にメールで問い合わせてみる、
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何らかの不再再生があったみたいでApple musicで楽曲が強制的に消去されてしまっていたと連絡を受けた。
もうこれは直談判するしかないと思い、本日Apple music会社に直接電話した。
みんな困っているとつたえた。
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待ってる(今ここ)

追加で連絡あったらまた皆んなにシェアするね、!!(原文ママ)

11月半ばあたりからSNSにて「Apple Musicから曲が消された」との投稿が散見されたのを覚えている。今回ヒアリングを行ったAssToro、lazydoll、okudakunに加え、UztamaやAmuxax、さらに今年リリースされたコンピレーション・アルバム『もっと!バビフェス』や『insiderlost』に関わるアーティストらが被害を報告していた(最初の3人以外は既に配信再開されている)。

「曲が消された」ことを機に、11月24日、アーティスト・AssToroが利用するディストリビューション(配信代行)サービス・TuneCore*1に問い合わせた履歴が以下である。

TuneCoreからの返信↓

このやり取りにより、楽曲再配信の手続きをTuneCore側が行う。okudakun、lazydollも同様に再配信される。

それから一週間を待たず、復活したはずの楽曲が再び削除される。それだけでなく、以前「不正」が検出された楽曲(AssToroの場合はEP)のみならず全てのリリースが削除される*2。その際のやり取りが以下。

サポートチームの回答は「弊社からの復活要請ができかねる」。ディストリビューターが配信ストア(Apple Music)側の判断に準拠していることは、先のメールでも記載されていた。また、この「不正」について、アーティストらは「第三者による嫌がらせ」を想定しているが、この点については後に述べる。

同時にokudakunが「Apple Music for Artist」のサポートに電話で問い合わせるが、各個のリリースに関してはディストリビューターが責を負うとされ、進展なし。

ともかく復活させる方法を思案するアーティストらに、12月、TuneCoreからメールが届く。内容は「利用規約の改定」についてである。

偶然の一致といってしまえばそれまでだが、件の「不正」に関する条項の改定である。この改定に、同じく身に覚えのない配信停止を食らったアーティストがこう反応している(なおこの方は本件で取材をした方ではない。被害を受けているのは筆者の周囲だけでないようだ)。

12月16日、AssToroは追加の質問をTuneCoreに送る。

TuneCoreの返信↓

回答は「配信ストア側の判断基準等は当サービスからご回答できかねます」。

AssToroやokudakun、lazydollは過去の配信作に関して復活を諦める(再リリース手続きの際に、「不正再生された記録があるために不可」と表示されたのだそう)。そうなると続いて焦点となるのが「今後Apple Musicにリリースができるのか」である。

TuneCoreにて新曲のリリースを試み、本名や電話番号、住所を含むアーティスト情報を打ち込むと、「入力されている情報の登録は現在受け付けておりません」との赤字で弾かれる。事実上のBANである。

もちろんアーティストらは、DistroKidなどの他のディストリビューションサービスを用いることも視野に入れている。しかし、TuneCoreを離れれば解決する問題なのか、わからない*3。既に登録されたアーティスト情報が重複してしまう懸念もあり、その場合、BAN対象としての記録も引き継がれてしまう可能性がある。複雑な配信構造のために二の足を踏みつつ、漠然と事態の改善を祈っているというのが、率直な今の心情だろう。

なぜ配信停止されたのか?(私見)

ここまで時系列的に経過を述べてきたが、「なぜ配信停止されたのか?」という謎が残る。何度も言及される「不正」とはなにか。Apple Musicのアーティスト向けページでは「不正」についてこのように記述されている。

artists.apple.com

ストリーミングサービス業界ではここ数年、アーティストの楽曲の再生回数を人為的に水増しする手口が増加しています。Apple Musicは、正当なリスニングやその他のアクティビティを基準とした上でアーティストの成功や成長が確立される、公平な音楽提供の場であることを理念としていますが、データの改ざんはこれに反するものです。

またSpotifyも以下のような動画で、「不正」について説明している。

www.youtube.com

ストリーミングサービスが音楽視聴のスタンダードとなった現代では、ボットを用いた再生回数の売買というものが横行しているらしい。下の記事では、「YouTubeの再生回数100万回が12000ドル(およそ130万円)で販売されており、またSpotifyやApple Musicでも同様のプランが提示されている」と述べられている(これは2年前の記事であり、現在の相場はわからない)。

fnmnl.tv

登録者の月額料金でできた巨大なパイを、再生回数で切り分けるような仕組みがストリーミングサービスであり、ここで再生回数が唯一絶対の指標である限り、上のような業者が現れるのは必然ともいえる。

それに現代、パイが分配される先にいるのは人間ばかりでない。機械(を操作する人間)の台頭も忘れてはならない。事実としてストリーミングサービスにはAIによる自動生成楽曲がごろごろ転がっており、プラットフォームはその機械にも目を光らせている。

forbesjapan.com

今年11月にSpotifyが発表した収益化のハードル「年間1000回再生以上」は、公共的なプラットフォームを望む人々からバッシングを受けたが、実際のところ大量生産が可能な生成AI楽曲に対する牽制であろうと筆者は思う。つまり100万曲を生成して1回ずつ聞かれれば、TikTokのバイラルヒットと同等の収益が貰えるという原則に対するテコ入れである。

gigazine.net

何がいいたいかというと、パイを分配するプラットフォーマーと、パイを食いたい人々のイタチごっこによって「不正」のルールが常に変わる。ルールを明かしては食い荒らされるから、プラットフォーマーはそれを暗箱に隠す。TuneCoreは「配信ストア側の判断基準」を理由に問い合わせを退けるが、その盾がどうなっているのか、TuneCoreは知らない。問い合わせても不明瞭なのはそういう道理だ。

ともあれブラックボックスの「不正」に引っかかったアーティストらが自ら再生回数を買ったのではないか、という疑義だって完全に消し去ることはできない(筆者は、この事態で憔悴しているアーティストらを疑うようなことをしたくないが、聞いた。lazydollは、そもそも再生回数の売買というものが存在する事実を知らなかった、と答えた)。だが少なくとも、アーティストらが機械に水増しされたのでないファンベースを築いてきた経過を筆者は見ていた。

先に述べた通り、AssToroの送信したメールではこの「不正」が「第三者による嫌がらせ」だと推測されている。わざわざ再生回数を買うような嫌がらせというのが、どれほど存在しうるのか、これもまたわからない。しかし、インターネットで活動するアーティストに取材していると、信じられないような第三者の行動を聞くことがしばしばある。

たとえば、アーティスト本人が気に入らなくなって消した楽曲を勝手に転載する輩がいる(これはもうポピュラーな事象ですらある)。さらに妙なことに、あるボカロPがニコニコ動画だけに上げていた楽曲を勝手に、善意で、ストリーミングサービスに登録した海外ボカロキッズがいる(配信料も彼が負担したのか)。

嫌がらせなのかファン心なのかわからない、ありがた迷惑な人というのはいるものだ。本件のアーティストを応援したいがために「不正」を働く者がいたとしても、たしかに不思議ではない。なおTuneCoreのヘルプセンターには、「アーティスト本人・関係者・リスナーやファンの再生に関わらず、配信ストアにより人為的な再生・不正行為と判断された場合、システムによりリリースの配信は停止される」と明記されている。

https://support.tunecore.co.jp/hc/ja/articles/17083283514265

一方で、純粋な悪意のための嫌がらせという可能性も拭いきれない。若くして活躍するアーティストだからこそ、「サンクラのコメ欄にアンチが湧いてドギツイことを言われたりする」こともあるのだという。

そういうヒューマニティ溢れる嫌がらせもあれば、スパム的な嫌がらせもある。実はごく最近、筆者の身にも気味の悪い嫌がらせが降りかかってきて、本件との関連を疑ってしまうような出来事があった。

上画像は、音楽メディア・RAに掲載されてしまった架空のイベントである。この情報どおりに1月5日に表参道WALL&WALLに訪れても何も開催されていないのだが、ここに記載されるイベントタイトルは筆者が主催するイベント名と一致しており、箱側の担当者から連絡を受けてこれを知った。

この「mixty」というアカウントは、全くの架空のアーティストアカウントである。他者の名を剽窃してイベントを開き、剽窃した曲をリリースしている。そしてそのリリースを見ていくと、AssToroとのコラボ(というテイの)曲が公開されている。

「mixty」の精度の低い自動翻訳のような日本語での投稿を見ると、なんらかのスパム的な「嫌がらせ」を疑うが、特段詐欺サイトに誘導されるわけでもなく(追記:固定ツイートにPaypalアカウントのメールアドレスを収集する導線があったので注意されたし。)、淡々と他人の楽曲を剽窃して投稿しているのが不気味である。さらに、被害を受けているのがe5やmiraie、kuru、WaMiといったシーンで近接するアーティストばかりなのが、どうも文脈に対する理解度が高すぎる*4。

「mixty」がアーティストらを襲った「不正」と関連しているかどうか、確証は全くない。しかし、仮説である──こうした勢力がフィーチャリングに併記したアーティストの再生を人為的に回し、自身の配信曲に誘導する。「不正」が検出されれば他のアーティストに照準を合わせ、次々とターゲットを乗り換える……こういってはなんだけど、スモールビジネスにもほどがあるように思われるが、それが悪意ある「嫌がらせ」ならば、その悪意のみで成立することだってありうるだろう。

──────────────=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

ともあれ、現在のサブスクリプション型ストリーミングサービスの構造に欠陥があることは確かだ。消したいアーティストがいれば、ボットによる再生水増しを仕掛ければいい。巨大プラットフォームやディストリビューターの検査水準では、それがアーティストの功名心なのか第三者の悪意なのかファン心なのか、さっぱりわからないのである。

筆者は『ザ・プレイリスト』の反ストリーミング論者になるつもりは一切ない。筆者はもうツタヤに行きたくない。しかし、アーティストにとって本当に安全な活動領域が確保されないのであれば、リスナーだって楽ばかりしていられない。

現段階では、Apple Musicã‚„TuneCoreが真摯な調査を行い、早急に本件が解明されることを願うばかりである。もし調査に協力できる方がいれば、ぜひご一報を(→ [email protected] )。

なお、今回ヒアリングしたアーティストらの楽曲はSpotifyに配信されている。支援のためにここに掲載しておく。

open.spotify.com

open.spotify.com

open.spotify.com

*1:TuneCoreは国内インディアーティストの利用する配信代行サービスのデファクトスタンダードといっていい

*2:客演として参加した=他のアーティストが配信手続きを行った楽曲に関しては停止されていない

*3:アーティストらはTuneCoreを利用する理由として、「還元率の高さ」と「使い勝手のよさ」をあげた

*4:いや、AIでもそれくらいわかるのかもしれないが。それでも「mixty」が投稿するジャケット含めてその理解度の高さははっきりいって不気味である