20241213
・202412132112。帰宅する京王線で書いてもよい。古典的とさえ感じる受け入れがたい話が飛び交う現場のバックヤード。不条理と思える出来事の源にもおそらく誰かの感情がある。その源を見つめることも必要。理想的な対話は生まれず困難が積み残される。この場所を少しでも良い場所にしようとするならば、何が求められるのか。その手前で、良い場所とは何か。
・川上から流れてきたおそれを川下に流さないこと。同時に、まずは自分を大切にすること。
・今年最後と今シーズンはじめてが次々あれば師走。業務の前に今年最後のカイロプラクティックへ。良いお年をと挨拶。今シーズンはじめて笹塚駅ホームで冷たい風がぶちあたる。防風と防寒。
13/15
・202412102050。帰宅する京王線で書きはじめても良い。
・9月からの全15回の研修も13回目。終わりが近い。今日は主に前半、ターミナルケアについて講義を聴く。今の自分はそうしたことこそを考えたかった。研修も資格もそのための口実ではないかとまでは思わないけれども、人の生についてさまざまに考える機会が必要と思う。
・母親が自宅で父親を看取ったのが約10年前で、それがどのような選択の結果としてあるのか、当時何度か聞いたけれども実感として考える手掛かりがいまだにない。その地点に戻ることはできなくとも、現在から、その頃の諸々の出来事を考え直すことはできる。それは学び。
・自分のうちなる好奇心と、日々の生活を規定する社会制度にまたがる形で、福祉とは何かと考えはじめて、手当たり次第に言葉を手にしてみて、2024年が閉じようとしている。もう少し粘れば考えの地平がひらけてくるのではないか。そうしてこれまで考えてきた映像の問題とも接続するのではないか。急いで小話的に接続しないことも大切。串刺しすれば何でもそれらしくなる。狙ってすることだけでは動機が弱い。偶然。偶然の連鎖。それが来るまで思考を泳がせる。
・そして本当に面白いと感じることを少しずつ蓄えながら、日々のトレーニングを続けるように。