わたしのいるところ。

日々書き留めたいことを日記に。

日記を書き出したときのことを思い出す。

 

今日は、日記を書き始めた時のことを思い返してみたくなった。

さて、一体なんで書きたくなったのか?

そう思うと、まずは、悩んできたことに対して自分を見つめ直して、生きやすくしたくなったということ。

あとは、自分の日常の中に小さな発見や幸せを見つけること。だったような気がする。

 

モヤモヤを消化して、自分の中で健康なメンタルを維持できていたのに、書くことに慣れてしまい、書くことをやめてしまったとき、また重たいものが徐々に蓄積されていく感覚になり、その小さな積み重ねで救われていたことに気づいた。

それから、もう一度自分の人生をまた今からもっと知っていくために見つめ直して、改善して、よくしていこう。とまた再開した。

 

今まで書いてきたやり方は、意外にいい感じに理にかなっていて、自分の中でそこそこ変化が実感できるものだった。

どこが良かったのだろう。

そう考えて自分なりに分析してみると、一日を通して味わった気分や感情を細かく書いて、そのことについてどう捉え直していくのがいいのか、みたいなことを綴っていた気がする。

 

読書からいろんな知識を得たり、身近に起きたことを観察して、自分がどういう生き方を望んで、どのようにしていくことが幸せなのか。を日々修正して、発見できたり、再確認できたりする感覚になっていた。

慣れないことやイヤなことにぶつかったとき、“以前の自分のように”ではなく、とにかく違う行動をしてみること。悔いのないことはしてみよう、と思っていた。

けれども、最近そんな経験を得て思うことは、より良い選択の方へ自分をコントロールして進んでいく力なんだ、ということ。

 

自分の人生にとって理にかなうことは、どんどん改善してうまくいくものは続けて、うまく自分にとっては、新しい発見や方法を共有するようなことで、個々で違う環境や目的に沿って歩んでいる人生であっても、応援したり、力になる人ということなんだ、と思い始めている。

決して、自分は外交的ではなく、むしろ内向的より。自分の生活スタイルや価値観を持っていて、一人の時間も大事にしていて、困ったときにいつでも話せたり、協力したり、共有し合える関係が理想的だと思っている。話す内容や相手によれば、好すことは好きに変わる。

 

 

そんなことを書いていると、自分の大事にしたいことや生き方が掴めてくるような感覚になる。

今日は、自分の本棚から読みたいリストがいくつか思い浮かんできた。ということは、積極的にどう時間を過ごしていこうか、ということが冴えているのかもしれない。

今日はスマホを置いて、一時間置きに確認する程度でいい。退屈ではないということだ。

そんなこんなで、気分が良くなってきている。

 

 

 

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