同調圧力、その再生産
皆が面白いと思うものを面白いと思えないから、面白くない、と言うと「水を差すつまらないやつ」とか「斜に構えて気取ってる」みたいな扱いされるんだけど、こっちは本当に面白く無いと思っているわけで、その可能性を検討できない人は、同質的なコミュニティだけで生きてきた幸せなやつなんだな、と思う。
「嫌なら見るな」という言葉も嫌いで、まあ僕は見ないんだけど、結果としてそういうものに囲まれて生きることになるので、「政治的なアクション」として、否定的な見解を発していくのは必要なことだとも思っている。たとえそれが自分に通じる範囲にしか響かなくても、僕が快適にしたい領域はそこなので。
たとえばシンゴジラは僕も見てよかったと思ってるけど、国威発揚的な演出はクッセーと思ってて、嫌いな人いるだろうなって思うし、絶賛以外許さんという連中はまさに多数派の同調圧力の発露なので、個人的な嫌悪の対象にある。
僕が18まで無理矢理通わされた「教会」は、一般的な価値観を否定することによって同調圧力を強固にする仕組みになってて、あれに18年も拘束されたのは人生における一番の無駄だったし、結果として「同調圧力を生産する仕組み」に対する憎悪に囚われてしまった。
そういう諸々から、LGBTの生きづらさの感覚は多少共感するものはある。生理的には、受け付けないけど。