昼想夜夢~Misty’s blog~

ネットの時代にテレビ勤め、ジャーナリズムにはまだほど遠い。学術の落ちこぼれだが、たまに考えたことを言いたくなる。/一介电视人,尚未攀上记者之名。心向学术而力不足。偶有三言两语。

チャラン・ポ・ランタンの15周年ライブ「RANTAN-CIRCUS~とおまわりしつつ、とおあまりいつつ~」 歌って最高!

ライブこそ真価!今年突然ハマったチャラン・ポ・ランタン

 チャラン・ポ・ランタンはもちろん前から知っている。『逃げ恥』のオープニングテーマも軽快でいい歌と思っていた。今年に入って何がきっかけなのかもう思い出せないけど、急に集中的に聞くようになった。

 とくに春からある大きな変化を迎えるときは、チャラン・ポ・ランタンがAvexから独立する際に発表した『旅立讃歌』に励まされ、そしてとても心躍らせられたのだった。

youtu.be

 中国の幼稚園はおそらくソ連から習ったと思うけど、音楽の先生はピアノではなくアコーディオンを弾くことが多い。そのためかもしれないけど、アコーディオンには馴染みがあったし、その音が好きだった。民謡もシャンソンも好きだし、チャラン・ポ・ランタンの素直で爽快な歌を聞くと、とても気分がいい。

 そしてYouTubeで動画を漁っているうちに思った。チャラン・ポ・ランタンは、PVよりもライブ映像のほうがもっともっと良いのだと気づいた!ライブパフォーマンスは力強く、明るく、楽しい!そこで15周年ライブ「RANTAN-CIRCUS~とおまわりしつつ、とおあまりいつつ~」を申し込んだ。

 会場は品川プリンスホテルのクラブeX、毎年必ず取材で品川プリンスホテルに来るのだが、ライブホールがあるとは知らなかった。(しかも、ボーリング場もフードコートもあるのではないか!楽しそう!笑)

 クラブeXはキャパ300人ほどのこじんまりとした会場だけど、回る円形のステージに360度にできる座席で、チャラン・ポ・ランタンの装飾とともに、サーカスそのものに仕上げられていた!(サーカスに行ったことはないけど…)

 開演前から流れる、どうやら小春さんが直前までギリギリに製作したパトロンのCMたちもとても面白くて、すでに楽しい!

セットリスト

 ほとんどのアルバムは聞いてきたと思うけど、セットリストやパントマイムに込めた15周年の意味をちゃんと理解できたわけではなかったが、ドラマティックで聞き応えがあった。

 ハイテンションの曲の多いチャラン・ポ・ランタンだが、中盤の『空中ブランコ乗りのマリー』から雰囲気が一変し、3・11の直後に作られた『人生のパレード』、コロナ禍中に歌われた『空が晴れたら』と、人生と世の無常、微かだけれど確実な希望を歌い上げた。そして、なにより驚いたのは、小春さんのアコーディオンで悲しみや絶望など多種多様な感情を表現できることだった。いままでの自分のアコーディオンへの浅はかなイメージが覆ったのだった。

 少し気まずい時間もあった。笑 隣の席は母親に連れてこられた10歳ぐらいの女の子。15周年の新曲『明日には忘れて』で夏の一夜の過ち(?!)を歌い、そしてその次に初期の『Oppai Boogie』(こちら私は初めて聞いた笑)でももさんと会場が大盛り上がりで「もみもみ」していた時に、女の子が理解していない風な表情で、律儀に手拍子だけ叩いていた。でも…わが身を振り返ってみる。10歳でもかなり理解できていた、同時に理解できたことを表に出してはいけないとも理解できていたと思う!この子も絶対何もかも意味を分かっていたと、隣でヒヤヒヤし、そしてなんだか少し心を痛めた私だった。汗

 ザ・アンコールのないライブだけれど、最後にはフル尺の『進め、たまに逃げても』や、大好きな『旅立讃歌』『最高』などが盛り込まれ、とても高揚した気分でライブを終えたことができた。

衣装も演出も良き!

 チャラン・ポ・ランタンとカンカンバルカンの皆さんの衣装はいつも可愛いけど、今回もサーカスにぴったりなデザインでとても良かった!チャラン・ポ・ランタンのお二人のお帽子はとくに、映えてて印象に残っている。

 そして、ももさん恒例(はじめてライブに来たけど、ライブ映像はいろいろ観たので…)の「ごめん、お待たせー!急いでるからパジャマで来ちゃった」で現れた衣装は、キラキラしすぎた全身スパンコール!こんな衣装はどこで売っているの?手作り?洗濯どうする?笑 眩しすぎて何回か目をそらしてしまったほど。照明がほとんど消えても、いろんな色の光を放て、まさか電球を仕込んでいないよねと思わずにいられない、歩くミラーボールだった。

 パントマイムや空中ブランコや大道芸(?)の数々も、サーカスを作り上げていった。後でファンのコメントを見たら、パントマイムはどうやらチャラン・ポ・ランタンの歴史を描いたそうだが、あの登山中のクマって、何だったんだろう?!

歌、最高!音楽、最高!またライブに行きたい!

 今回少し残念だったのは、もっとキレッキレの面白いMCを聞きたかったところかな。稼いだお金をやりたいことに湯水のように使うのが周年イベントだと、しんみりする小春さんの話ももちろん良かったけど!本当に、まだまじめに聞き始めて数か月だけれど、やりたいこととことん詰め込まれたステージだっただろうと感じた。

 そして、なにより、本当に本当に、歌が楽しくて、音楽が最高だった!ももさんがとっても楽しそうに歌うし(時々、ライブを労働のようにこなす人がいるよね…)、小春さんが感情をこめてアコーディオンを弾いているし、カンカンバルカンもそれぞれ個性がありながらしっかりステージを支えていた。

 もっともっとたくさんの人にチャラン・ポ・ランタンのライブを聞いてほしいと思ったと同時に、この会場(円形もぴったり!)で距離が近いほうがきっと彼女たちの良さが一番伝わるだろうと、葛藤も感じた。

 これまで行ってきたライブは、Backstreet Boysも、May Dayも、Queen+Adam Lambertも、まあ一生に一度観たいと思って行ってきたんだけれど、チャラン・ポ・ランタンは、何度も行きたいと思った。今度はまず、大道芸のパフォーマンスを観たいなぁ。この『ソトデナイ』は何回観ても最高に楽しい。子どもを詰めているところも現場で見てみたい!

youtu.be

 

※この記事は、ちょうど自分が観た7月20日のマチネをリポートしている。

natalie.mu

『なぜ東大は男だらけなのか』

 矢口祐人先生の『なぜ東大は男だらけなのか』(集英社新書)を読んだ。東大や比較する日本・海外の有名大学のデータのみならず、歴史資料もたくさん登場する読み応えのある一冊だった。

 

www.shueisha.co.jp

 矢口先生が長年男だらけだった東大の環境に違和感を覚えていなかったと反省を記しているが、まさにその状態がいかに日本の最高学府のナチュラルだったのかを物語るものだと思った。私も、東大生の8割が男というデータに衝撃ではなく、やはりそうなのかという感想だ。

 少し前まで、学生自治や「伝統」名のもとで引き継がれていた、とくに指定をすることもある他大の女子学生を入れるが、「頭が良いが可愛くはない」東大女子をシャットアウトするサークルのルールも本書に出てくる。思い出すたびに胸糞が悪い感覚が蘇ってくる東京大学誕生日研究会レイプ事件が起こるべきして起こったと言わざるを得ない。姫野カオルコ氏の小説 『彼女は頭が悪いから』が東大の男子学生の女性観、彼らが育った教育環境や中流以上の家庭の特徴をよく捉えていると改めて思う。

 こうしたサークルのルールを長く許容してきたのは、東大の歴史にあったと矢口先生が指摘する。戦前の男子学生しか入学が許されなかった時代を描いた漱石の『三四郎』も引用されていたが、たしかに、いかに東大キャンパスにおける女性の存在が異質だったのかよく分かるものだった。

 戦後はアメリカからの圧力でようやく女子学生に門を開いたのだが、なんと最初のころに女子学生たちが女子トイレの設置や衛生条件の改善を求めないといけないほどだったという。

 60年代の終わりのころの学生運動に参加した女子学生の回顧の引用もあり、胸に刺さる。女子がおにぎりを作る担当と勝手に決まったくだりは、今年元日に発生した能登地震の避難所でも、女性が食事作りを押し付けられていることを思い出す。そして、食事作りばかり言われることを抗議すると、男子学生に「おにぎりを作るか、ゲバ棒を握るか」と問われたそう。(大原紀美子『時計台は高かった』三一書房,1969)性別による身体能力の差を否定できない女子学生は、自分自身を説得しながらおにぎりを作っていたが、運動に十分に参加できない負い目も感じるのであった。なんでも、当時だけではなく、いまの女性も常々感じる負い目だ。

 矢口先生は最後に、クォータ制を提案する。クォータ制について、公平かどうかの議論が付きまとうが、ジェンダー意識が著しく改善したここ数年でも男女比がほとんど変わらない東大の現状を見ると、クォータ制に踏み切ることが必要だと感じた。クォータ制に関して、能力ある女性が「クォータ制だから採用されたのか」と、ジェンダー意識の高い男性が「そうだった、ぼくは男だから下駄を履かせてもらっていた」と後ろめたさを感じやすいのに対し、ジェンダー意識の低い男性ほど不公平だと喚く傾向があり、社会全体の意識向上につながりにくい気もする。しかし、男女における能力の有意的な差異がないこと、歴史的・社会的なジェンダー不公平を確実かつ素早く是正する方法としては、有用だろう。米国のアイビーリーグのように、大学の経営的にも良いだろうから、導入するのは問題ないのではないかと思う。クォータ制を期待したい。

『さらば、わが愛』の個人性 『ブエノスアイレス』の社会性

 

 最近立て続けに古い映画を観た。

 レスリー・チャン没後20年の記念で上映されている『さらば、わが愛』と去年から4Kリマスター版が続々と出たウォン・カーウァイ映画の『ブエノスアイレス』だ。『ブエノスアイレス』もレスリー・チャンの主演作品。レスリー・チャンのことを、彼が生きているときに名前を聞いたことがある程度で、彼の訃報を新聞で読んだ時にようやく認識し始めた。2本の映画とも、レスリー・チャンの麗しさが目を引き、高貴な部分も飄々としている部分も気だるい部分もすべて魅力的。

 それはさておき。映画を観て驚いたことがある。

 『さらば、わが愛』は中学の時に李碧華氏の原作小説を読んで、大学のころにネットからダウンロードした海賊版で映画を観た。多くの評論通りに、大河ドラマであり、中国の数十年間の激動の時代を、翻弄される人生を通じて描いたものだと認識していた。しかし、2回目にして初めてのスクリーンでの鑑賞で、まったく別の印象を抱いた。もちろん背景に歴史はあるけれど、実はとても個人的な映画のように思えた。どちらかというと、主役はレスリー・チャンとコン・リーの2人で、この2人が1人の男に対する愛を描いたものだと感じた。これはきっと自分がより多くの経験をしてきたことに起因するものだと思うが、どんなに時代が移り変わり、戦争や革命でいくら社会が覆っても、人間は毎日激動しながら生きていくわけにはいかない。お金をどうやって稼ぐか、ごはんは何にするのか、楽しい遊びはあるのか、大事な人はきょうどんな気分なのか、そんなことのほうが大事なのではないかな。

 そして『ブエノスアイレス』、これは逆に、私的な感情を描くことで定評のウォン・カーウァイ映画から、まさかの社会性を見出したのだ。ウォン・カーウァイ映画は何本か観たことがあるが、『ブエノスアイレス』は初めてだった。俳優の演技は言うことなく(私はトニー・レオンが大好き)、映像や編集がとても美しく、そしてゲイのカップルの話だが恋における非常に普遍的な部分をよく表している作品だった。しかし、終盤につれ、鄧小平の死去するテレビニュースのカットや台湾でのパートから、香港返還直前の社会的な雰囲気をひしひしと感じることができた。一部の評論では、レスリー・チャンとトニー・レオンの大英帝国海外国民のパスポートなどを意味深に解釈するのものや、かなり政治的にこの映画を説明するものもある。私は撮影の時点でそこまでのはっきりした意図があるとは思えないが、やはり時代の雰囲気を反映していると感じた。香港返還を前に、そわそわした、不安と期待が混じりあう感情だった。

誕生日

    生日一年一年变得难以接受难以祝福自己。

    到了这样的年纪,没有孩子是不是应该真心着急?但是我真的想要孩子吗?到了这个年纪在工作上并没有自己满意的作品该不该奋起拼命?但是我现在其实职场地位比起同龄人都要高,不该满意吗?到了这个年纪学术基础还是一塌糊涂到底该怎么办?这个可能真的只有着急,然后低头猛追了。

    我也知道人都是在羡慕嫉妒自己没有的东西,尽管那么多都是自己选择来的,尽管别人也是在羡慕你有而他们没有的东西。

    今天碰巧可以早下班。回家洗澡,削一个甜柿子,听着村上春树的广播节目,斟上为了生日准备的香槟。

    先悠闲地享受这一刻吧~

私も縛られた「ダイエット幻想」

 最近ハマっているYouTubeがある。テレビ朝日の三谷紬アナウンサーのダイエット記録である。10キロの目標を掲げて様々なダイエット法に挑戦する三谷アナウンサーが、体重測定の前にこれでもかとスラスラ出てくる言い訳の数々が実に面白い。

www.youtube.com

 たしかに華奢なアナウンサーが多くいる中、三谷アナウンサーはぽっちゃりに見えてしまう。でもとても健康的だし、着物によく似合う美人だ。そこまで痩せる必要はないけど、画面に出る人なんだから、せめてそのお腹をどうにかできないかと、私も思ってしまっていた。

 その三谷アナウンサーの動画にハマっている最中に読んだのは、文化人類学者・磯野真穂氏の『ダイエット幻想』である。

www.chikumashobo.co.jp

 辛うじて社会学を齧っているので、本書の論点の大部分はわかっていたが、可読性と理論がわりかしいいバランスを取れている本であった。興味深いことを何点か挙げてみよう。

 厚労省の調査結果を基に論じられた「結婚相手に望む条件」(P56)では、日本の男性が女性の容姿を重要視することを取り上げている。小さいときに男女問わずに勉学に励むように言われていることが、男性の場合、それが結婚の条件と直結していて矛盾しないに対して、女性は結婚する際に、勉学とまったく関係のない容姿を要求される理不尽な状況に直面することになる。「…年月が経過すると、経済力をつけ、良い職業を持つことが奨励される一方、それよりもまず外見で判断されるという新たなダブルスタンダードが課されます」(P57)と。

 また、女性が集まる場所でよく起こる嫉妬やいざこざについて、先行文献にもあるように、常に「選ぶ」男性に対して、「選ばれる」側に位置することに起因していると指摘している(P97)。女性が社会進出する時代でも、女性誌では「意志ある愛され顔」と二つの相反する要素を売り出している。ボーヴォワールの『第二の性』についても多くの記述があるが、自主性と自立から逃れて、選ばれる、愛される側の「第二の性」に甘んじる女性を痛烈に批判しているらしい(その立場ならではのアーレントのユダヤ人への批判も同じようなものなのか)。

 そして、カロリーや糖質、体重などの数字に拘りすぎる結果、「脱文脈化」(P126)が起きると、これもまた核心の突く指摘である。「おいしさ」を失ってしまった食事には、その本来の生きることの意味、食事の目的から遠く離れたのではないかと。

 最後に、私が初見理解できなかった「食べられることは、無限定空間で生きられること」(P172)という部分。「ふつうに食べるとは、そんな刻々と変化する世界に、ふわっと入り込んで身体を馴染ませ、その中でたいした意識をすることもなく、食べ方を微妙に調整しながら心地よく食べられることであり、頭にため込んだ知識で、食べる量や内容を管理することではないのです」(P172)。ちなみに、「無限定空間」については「日々変わり続ける私たちの世界のことを指し、人工知能はこの中でうまく動くことができません」とわかりやすくなるように解釈している(P174)。世界としっかり関わりながら食べることを薦められている。

 私は20代前半まではあまり太らない体質で、かつおじいちゃんやおばあちゃんと同居していて、祖父祖母世帯はしっかりした体格のよく食べる子どもが好きで、ダイエットは絶対ダメとよく言われていたので、あまり体形に気にすることなく育ってきた。それでも、高校の時にお母さんの体重を笑ったりした、大学時代にダイエットに励む映画スターのようないとこを見て痩せたいと思ったりはした。そして、一部のネットユーザーのように、三谷アナウンサーの体形を「あまりテレビに出ている人としてはどうかな」と思ってしまったのだ。

 いままで結婚や女らしさなどなど、さまざまな呪縛に気づき闘ってきたつもりの私は、思わず恥ずかしくなってしまった。そんな気づきをくれた一冊の本ではある。

新興宗教の長男という生き方

 日本に来るまでは、新興宗教に関する認識はあまりありませんでした。池田大作氏の著書が中国のどこの大学図書館にも「哲学」の棚にずらりと並んでいて、すっかり日本の重鎮哲学者だと思っていた具合だ。

 しかしいざ来てみると、新興宗教の多さに驚いたと同時に、いささか面白く感じていました。幸福の科学も、まさかの生きている人間をも召喚できて、時事ニュースに敏感に反応した霊言本の出版を面白おかしく眺めていた。

 その教祖の長男として生まれ育った宏洋氏が幸福の科学を脱会して、本を出版しました。
books.bunshun.jp

 新興宗教の後継者だと目論まれた人物は、何を語ったかに興味を感じ、読んでみました。

 基本的に、非常に簡単で短い文章で書かれていて、そこまでライターが入っていないだろうと感じました。前後に若干矛盾しているや、きっと自分の行動を美化しているだろうと思うところもありますが、やはり教祖家内部の証言があまりなかった分、面白かったです。

 教団を会社だという風に考えて、「競合他社」のほかの新興宗教や病院などを目の敵にする教祖の姿や、それを理解したうえで安泰な生活の保障として選ぶ子供たちの心中を宏洋氏が描く。しょっちゅう変わる秘書に教育され、離婚する両親のどちらにもとくに情を感じなく、母親につくことを誰も選ばなかったその冷たさが、生まれ育った環境を考えれば仕方がなかっただろうが、やはり可哀そうに思ってしまいます。

 東大法学部を出ていた教祖が、子どもたちに課す高い目標と、信者に進める大卒資格ですらもらえない自身の学園への進学の矛盾や、政治活動への執着など、実に大いにあり得る人物像が浮かび上がります。教祖は、その考えが現実的かどうか、良心的かどうかを別にして、行動力がある人間であることもよくわかります。

 宏洋氏は教祖家を離れたり戻ったりと何回か繰り返していますが、この本は徹底的な離脱を自らを決心させるものでしょうか。生まれにかなり振り回されているが、地道に、素直に、堅実に生きていくことを祈ります。

我的非典经验(上篇)

    新冠气势不减,现在不仅是欧美难以摆脱困局,日本这个莫名其妙撑了两个月的东亚国家,也开始进入爆发增长的阶段了。

    而震源地中国,现在倒是一副从冬日中醒来,即将欣欣向荣的复苏景象。

    上一次冠状病毒在中国肆虐,还是2002年冬天开始的非典。

    非典刚开始的时候我还在日本留学,当我2003年春天回家之后,才渐渐开始感受到非典的存在。

    我的家乡虽然当时也是风声鹤唳,比如某学校出了疑似,整个学校会停课。比如某小区出了疑似,房价也会大跌。不过对于当时还是高中生的我们来说,生死还是很远,非日常的事情总会有些令人兴奋。

    早上出门家长总会让我戴上口罩,那时候自然还没有普及一次性的口罩,模糊记得应该是纱布的。然而口罩戴到公交车站就算不错了,上了车碰到同学,就会互相萌生出“戴口罩好矬”的心情,然后一起把口罩摘了聊天。现在想想真是不应该。

    而听说附近学校有学生高烧,被判定为疑似,于是全校放假,大家心中都挺羡慕,互相撺掇谁去发个烧嘛。后来真有同学住的楼里出了疑似还不知道是确诊,总之一栋高层建筑被封了,好久不能来上课。有一天大家却已意外的方式得知了他的近况。这位同学穿着全市人都认识的校服,登上了地方报纸的头版彩色照片。并不是什么好消息,是“隔离不严,可以夹着封锁线近距离说话”。然而这张照片还是引爆了大家的笑点,报纸在各个班传看,还被投影固定到了大屏幕上。

    非典还给了我一个绝好的机会,实现一个早就垂涎欲滴的梦想。这个,下篇再讲。