ダブルイメージ

 上田岳弘著の「旅のない」と言う短編集は今年の春頃かな、最初のひとつかふたつ目の途中まで読んだところで、積読の山に誤って迷い込んだ感じで、埋もれていってしまっていましたが、最近、積読の山が崩れたときに表に現れたので、最後の表題作を電車で移動するときに読んでみたら、とても面白い。二人の人物の関係が、ちょっと緊迫感があるようで、暴力の可能性すら感じつつ、実は同士のようでもあり。
 昨晩、爪を切らなければと伸びた爪を見て思いました。夜に爪を切るのはよくない、と言う言い伝え?なんか気にもせずに夜に爪を切りますが、昨晩はもう寝ようと布団に入って、部屋の蛍光灯を消そうとしたときに気が付いたので、明日の朝に切ればいいや、と思いました。
 脱線しますが、部屋の天井の蛍光灯はぶら下がっているタイプでもなく、共通の規格に沿った取り付け金具でもないようで、電気店に行き工事込みで買わないとLED照明器具に変えられない感じ。蛍光灯互換のLEDライトを調べると、照明器具ごと変えないとだめですよ、と言う記事をたくさん見掛けます。確かにもう部屋の蛍光灯照明器具は、三十年以上使ってるからなぁ……
 脱線から復帰して、爪切りの話。今朝になると、昨晩寝る前に爪を切ろうと思ったことなど思い出せずに、会社に行くべく家を出て、バスに乗り電車に乗り継ぎました。電車に乗ってポケットからスマホを出しました。あ、爪が伸びてるんだった、と爪を見て思いました。会社に小さな爪切りがあります。なにかの景品だったのか?蛍光灯と同じくずーっと前から会社の引き出しに存在していて、2年に一度くらい、やはり爪を切り忘れていて、とくにシャーペンを握ったりキーボードを打つときなど、爪が伸びてるのが気になったとき、使います。今日もそうしようかな、と窓の外、快晴の南関東、さすがにもう銀杏の葉も落ちました、そんな景色に目を向けながら思います。だけど、会社の爪切りは爪が割れるときに刃の材質なのか、爪と刃の摩擦の関係なのか、けっこうパチパチ音がする。さてそれでも切るべきか?朝の電車で考えてることといったら、こんなもんでした。
 最近は左腕の肘を中心に上腕も下腕、と言う単語はあるのかな?両方とも凝っている、と言う言い方?テニス肘的な。これは私のスマホが重くて持ってるだけでそうなる、そして同じ左手はカメラを構える時にもシャッターを押す右手と比較すると重いカメラを支えている。このふたつが理由です。数年前までは、その左手負荷の要因は同じだったのにここまで痛くはならなかったんじゃないだろうか?と思いながらではもうスマホを持つ回数は減らしてしまうと一度スマホをしまいますが、すぐに何か調べたいことが浮かぶもので、また手にしてしまう。やれやれ。
 昨晩、次の写真同人ニセアカシア発行所の活動のために、パソコンで写真を作り込んでいました。上の写真はダブルイメージ。たまたまパソコンの操作を誤って重なってしまった二枚の写真です。その偶然が目の前に現れて、おっ、なんかかっこいいじゃん!と思いました。そこでこのブログに載せておきます。