他人の意見に食われないように

初めまして、ミミロロ8484と申します。

由来はもちろん、「はよ見ろ!」です。

ADHD、ASD、双極、PTSD、強迫持ちのメンヘラ初心者ブロガーです。事故物件の宝石箱やで。

 

さて、早速ですが、「他人の意見に食われる」という現象を知っていますか?

これは私が勝手に呼称しているのですが、要は「相手の意見を真に受けすぎる」ということです。

誰かと意見が食い違った時、躍起になって相手の意見を論破しようとする人種がいます。私です。

 

これはなぜ起こるのか?

 

まず私がこうしてしまう原因は、「自分の意見と相反する他人の意見とは両立し得ない」と思っているからです。

これは恐らくASDの白黒思考(物事を白黒はっきりつけずにはいられない思考回路)のせいもありますが、私が過去にトラウマを受けたせいもあると思います。

 

まず、私の母親は毒親でした。殴ってくるし蹴ってくるし、「ブス」「デブ」はもちろん、「死んでくれ」や「こんな子産むんじゃなかった」とかも言われましたね。

 

私がこの話をしたのは単なる不幸自慢ではありません。「母親という、ある種世界の全てとも言える存在に自分を否定されると、それら全てを真に受けてしまう」と言いたいのです。

私は母に罵倒されるたび、「ブスじゃない」「デブじゃない」と思いたかったです。そもそも誰がブスかデブかなんてほんの主観に過ぎず、正解などないのです。例え100キロオーバーでも本人が痩せていると思えば本人にとっては痩せているし、30キロを切ってても本人がデブだと思えば本人の中ではデブです。

 

ですが、お気づきでしょうか。それはあくまで「本人にとって」であり、周囲の主観は分からないものなのです。つまり、人の数だけ主観がある。正解も不正解もどこにも無いので、何も真に受けず自分の信じたいものを信じればいい。

 

しかし、母親から強い口調で否定された人間は、相手の機嫌を損ねないため、そして本能的に、相手の主観が全てだと思ってしまう。

まあそれはASDだからというのもあるかもしれませんが、親はある意味全てを司り、全てを教えてくれる存在。そんな存在に自分を評価されては、それを正解だと思わざるを得ない。

 

この経験が、私に反論や異なる意見に対する恐怖を植え付けたのかもしれません。自分と相手の意見は両立し得ず、必ずどちらかが正解でどちらかが不正解。なぜなら、そうでもなければあんなに強い口調で人を否定できる人はいない。

 

ですが、それは間違いです。他人の意見は所詮主観、自分の意見も主観、極論を言ってしまえば法律も条例も校則も「こうしなければならない」という世の真理ではなく、「こうあった方が都合が良い」という個人の意見の集合体に基づくものです。

 

つまり何が言いたいか。「他人の意見に呑まれるな」ということです。例えデリカシーが無いとか性格が悪いとかクズとか言われても、それはあくまで主観であることを意識した方が良いと思います。さもなくば、私のように他人の意見に踊らされて自殺未遂(非定型縊首ですが)まで、もしかしたらその先まで行ってしまうかもしれない。

 

それができないから困っているのですが、これはもしかしたら社交不安障害のせいもあるのかもしれません。主治医曰く、大きな病気が2つほど見つかれば残りは当てはまっていても表記されないことがあるらしいので、今度改めて聞いてみようと思ってます。皆さんも、「俺、私、なんにも悪くないもーん」の精神を忘れないでくださいね。

 

以上、メンヘラでした。