大卒しました

なんかTL見てたら思い出したので大卒エントリを書くことにした。

3月に大卒しました。6年目で大学クリアです。やったね。大学生活、だいたいつらいあんど楽しいでした。だいたい人生的なものでなにも変わらない。

1年目(2008年)はめっちゃこう遊んでOSS開発とかして体育と基礎教養と英語とドイツ語を落としてたら、コース配属が第3希望数理になって悲しくなりました。数理だとたとえばOSとかの授業とっても単位にならないしルベーグ積分とか確率論やるしかないというところですね。

2年目(2009年)はなんとか数理の専門科目をとってたんじゃないかなーって思います。 それ以外はだらだらと人生を送っていたのでしょう。この時も体育とってない気がする。数理になってショックの多い日々だった。この年の10月にTwitterをはじめた模様。それからいろいろあったもんだ。

3年目(2010年)この年最初のGoogle Summer of Codeをして、GentooをDragonFlyに移植してイキイキしてました。それまでもemacs-w3mやnavi2chをやってたりしたけれど、OSS開発をしてGoogleから金がもらえておいしさがありましたね。いま思うとここから親受けがよくなっていろいろと楽になったのでしょう。いろんな勉強会に行ったりセプキャンLinux組に参加したりして関係性が大きく拡大しました。いまの自分の基礎となるような年ですね。 授業?なんのことです? ゼミはマンツーマンで数学の本を読んでつらかった。そのつらさで残り全てがきえさったのだな?

4年目(2011年) 進級できるだけの単位があるはずがなかった。ちょっと真剣に授業などしていましたが、それでもOSSをやってたんだと思う。Gentooコミッタに多分なった年。 去年にひきつづきLinuxカーネルHFS+ portingでGSoCに出たけど、中間でだめだったよ。いま思うといろいろあますぎたんだ。

5年目(2012年) 卒業しようと心にきめるぐらいに単位がたまってきてがんばった。4年の時の研究室の先生と相談して、がんばるぞーみたいな感じになったのも大きい。ひたすら授業を受けて単位を回収した年。ルベーグを回収した。確率論を回収した。ぼくでも卒業できるんだ! この年から雑誌の連載記事を書きはじめた。生活が安定して自活できる感じになっていった。自分の金で生きていくとよい。

6年目(2013年) 卒業にむけていろいろした年。このままいまの研究室に進むのはむりだーだったので、他の院試をうけた。結局一個所しか受けなかった。面接はやばかったらしい(ひやひやだ。 はためから見たら数学やってた人がきゅうにOSに来たので、なのでしかたがない。ゼミの輪講ではほそぼそと一人でPRMLを読んでいた。PRML読みたいといって読ませてくれたので感謝がある。なんだかんだいい大学だったのかもしれないとの思いをえて終わりよければ全てよしにできた。引続き連載が続けられてよかった。この年にOSS奨励者賞をもらった。活動していく気持ちが高まった賞状だった。

卒業式の日は新居にいて直前まで行こうかな?どうするかな?とか言っていたのだけれど、結局その日がいんたーねっつ開通の日だったので行かなかった。学位記は後で届いて、うちのデスクトップの上においてある。

結局学部でなにをえたのかというと6年もいて、楽しかったのやら苦しかったのやらわからないままに終わってしまった。もったいないことだ。学部生を見ていると楽しそうに論文読んでたりするし自分ももっと論文を読みたかったと思う。論文もっと知って読んでればもっといろいろ時間があっていろいろできただろうにもったいないことをした。

逆に高校の時に何を大学に見ていたかというと、師匠的な人を見つけられるといいなと思っていた。だけど、うまく大学でマッチングできずに終わってしまったという気がする。もし大学一年の時に圧倒的に興味をひかれるような人に会っていたらどうなっていたんだろう。それともひねてたからそんな人に会ってもつーんと終わっていただろうか。

OSSでの活動という面では6年間でかなりいろいろな活動・活躍ができたと言える。ただ、大学で獲得すべきものを獲得したのか?と聞かれるととても困る。最初の方は授業は出てなかった単位は全然とれてなかったしもうめちゃくちゃだよ。でも、なんだかんだうまくいったしやったなーよかったなあという気持ちがいまは強い。でも、なんというか、成しえるまでは長い道がある。そこで死にそうになるし、その先の保証も特にされてない。自分だってもしかしたら全然だめだったかもしれない。でも楽しかったしいいのかな。いいということにしようか。良い日々だった。

まあ結局人と会うと意外と楽しいのでもっと会おうというような6年間だったのかもしれない。