成功するまで失敗しつづけるループものはやさしいけれど、成功のハードルが上がりすぎるとループ内で生き延びるほうが合理的になり、おまけにループもできなくなると現実っぽくなって…。
- やはりジョジョ四部の良さは、あとから染みてくるよな…。
- …で、ジョジョ四部の vs 吉良吉影からの連想なんだけども。なんだか最近気になってるのが、「ループを繰り返すことで失敗を積み重ねつつ、最後に針穴いっこの成功をつかみとってループ脱出」というパターンって、ようするに「ループすることには成功の糧という意味がある」という方向性なんだろうけど、「そんなにループしてまで成功しないと生き抜けなかったその世界ってハードモードすぎじゃね?」という感覚がどうしても出てくるのと、いっぽうで「針穴いっこの成功を何度ループしてでもいいから掴みとってほしいんだけど、ループするわけもないからグダグダの敗戦処理が続く現実」みたいなものの対照って何なのか、というあたりで。なんか皆もうちょっとうまくいってほしいけどそんなわけにもいかないのでイライラしてるの?みたいな感覚が…。
- ところでゲームというループ構造をストーリーに持ち込んだゲーム事例として有名なのは「レイディアントシルバーガン」とかだが、あれとかは一応「成功しても失敗してもループする」がベースで、その先で「成功したらループする」というストーリーだったと思うんだけど、これが近年の COD4 とかになってくると、「成功したらループを抜け出せる」になってる。ま、だからなんだというのはよくわからん。単に一本道ゲーの「成功するまで延々リトライ」をどう自嘲するか、という解釈問題程度の話か。
- ゲーオタ視点でいえば、「普通はループできないんだから、成功報酬としてループ」ていうのはじゅうぶんアリなんだがなあ。まあそれはストーリーみたいなものとは相性悪いか。でも、アリだと思うね。
- 脱線した。なにが書きたかったかというと、オタクと社会に詳しい系の人文オタの「現在日本を覆っている状況は、何ループすればトゥルーエンドに辿りつけたのか」みたいなキャラクタアイコン対話型文体記事の載った冊子を先日の文フリで買いたかった。巻末にそれをアニメ化した場合のシリーズ構成資料とかが添付されてるようなキモいやつを。
- …いや違った、こうだ。ループ系作品にハマると現実に対して「こんなの初見殺しじゃん、うまくいくまでループしてくれりゃいいのに」という感覚が当然生じるわけだが、ループなどしないことは自明であるから、むしろ感情は押し殺されて「それが現実だから成立しないことによる詠嘆」みたいなものとして表出すると思っていて、そうした表現の現在形がどうなっているのかを、おれは知りたいのだ。
余談として。現実がループしないことについて、おれは「それが現実だから」という部分以外に結構ゆるいところがあると思ってるので、この気分が高まれば、案外そこいらへんから新世代の社交マナーみたいなものが生じうるのではないかという希望を持ってる。現実がループしないわりに、議論はループするし、それを止めることは案外むずかしかったりするという、それも現実の一部ではあるから。かんたんにいえば「人間関係における失言や失策などについての undo 機能」みたいなものが、合意のうえで成立しうる可能性はある、という欲望。まあなさそうな話だけども。あったらおもしろいので。