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司法制度の矜恃
2024/ 12/ 14「紀州のドン・ファン」元妻の裁判 午後に判決 「うすい灰色をいくら重ねても黒にはならない」と無罪主張
裁判員制度がすっかり定着したとは言えないのかもしれない。やはり他人の人生を左右するという重い行為故か、そもそも面倒くさいのか。以前、裁判員の招集を断る人が多いというニュースを見た。
しかし、それでも引き受けてくれる人が、日本人持ち前の生真面目さで、とても迷いながら決断を下していると感じる。
今回のドンファンの事件もそうだ。
今さら、事件の経緯も必要ないだろう。
「紀州のドンファン」と言われた野崎幸助氏が2018年に怪死した。死因は覚醒剤を大量に飲んだことである。
死亡した人物が野崎氏であること、妻やお手伝いさんのキャラクター、オーバードーズではなく、覚醒剤を口から大量摂取したこと、人々の耳目を引く話題は枚挙にいとまがなかった。
しかし、決定的な証拠はない。いや、客観的な証拠はまるでなかった。
裁判でもそれが露呈した。状況証拠を寄り集めたものを論拠として、検察側は有罪を主張した。なかには検索履歴まであった。ただし「覚醒剤」を検索したというだけで、覚醒剤を購入した証拠はなかった。
裁判員の代表の方が判決後、記者会見で語ったのだが、「とにかく先入観を捨てるということを意識した」ということ。
ここ五、六年は、客観的な証拠より、とかく先入観や感情が優先され、社会的な制裁としてネットリンチ、メディア・スクラムが行われ、人権もくそもない状況になっていた。
司法にもその流れが反映していて、「本当ですか」という判決も出ていた。
ただのリンチになるという懸念を持っていた裁判員制度だが、司法制度の矜恃を見せつける形になったと思うのは私だけだろうか。けっこう、胸のすく思いがした。
ただ、地裁のこの判決は、高裁によって否定されることも往々にしてあるのだが。
それにしても、暫定無罪を勝ち取った被告須藤早貴氏の「薄い灰色をいくら重ねても黒にはならない」というのは、明言であった。
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