雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

義憤と私憤との狭間で

医療系のブログや掲示板が医療事故被害者の槍玉に上がっている。おととしの堀病院摘発を契機に日本各地で産科崩壊が進み、我が家に近い関東中央病院も今春になって産科を閉めたし、産科の次は小児科との噂を聞くと他人事ではない。
確率的に起こる医療事故について、厚生労働省が場当たり的に医療現場を無視した通達を出し、警察が不十分な医療知識で摘発し、裁判所が患者寄りの判決を連発したら、誰が医師としてリスクある医療行為に携わり続けられるだろうか、ましてや志すだろうか。
医療従事者だって怨嗟の声ひとつも上げたくなるだろうし、もとより過労で追い詰められていれば書き込みの表現が厳しくなることもあろう。それが医療事故被害者の神経を逆撫ですることは無理もない。医師に被害感情に配慮した発言が求められる一方で、過度の訴訟が進歩著しい医療技術や様々な論点のある医療事故の要因についての自由な議論を萎縮させることは、誰のためにもなるまい。
名指しされた事故被害者には訴訟を行う権利があるし、医師は自分の言葉に責任を持つ必要がある。最後は出るところに出て決着をつけるしかないし、指弾された医師の勤務先が、かかる医師に対して裁判にきちんと対応できる余裕を与え、早まった社会的制裁を課さぬよう、祈るばかりだ。対応を誤り口開けば唇寒しという状況をつくっては非常にまずい。
もともとの産科崩壊について、共同通信の記者氏が大切な子どもを亡くされて医師による説明に納得できず、その病院が不正行為を働いていることを嗅ぎ付けて告発したことは、本人としては義憤に駆られてのことであろう。それが結果的に産科の廃止を促し産科医療を崩壊させたとしても、不甲斐ないのは事件以前から看護師による触診について解釈を二転三転させ、今なお医療崩壊に手を拱いている厚生労働省であって、記者氏を責めても詮無い。
人命がかかっていれば安全に倒す必要はあるが、微視的には基準を厳しくした方が安全でも、巨視的には医師や看護師の待遇や需給に悪影響を与えて医療制度を崩壊させかねない。そんな中で現実的な落とし処を探り、必要に応じて制度や予算で措置すべきは、報道機関や裁判所ではなく役所の仕事だ。そもそも堀病院の摘発だって、医療現場の実態を鑑みず2004年に看護士による内診を禁じる通達を出した厚生労働省が引き金を引いている。
報道機関が報道の社会的影響を斟酌して取りやめたら、裁判所が判決の社会的影響を斟酌して法の解釈を曲げたら、それはそれで問題がある。実際のところ日本の報道機関や役所、裁判所は、今なお空気を読み事情を斟酌して仕事してきたのが、最近になって徐々に箍が外れて教条的になってきた。これまで通りスポンサーには配慮して保身に走る一方で、バランスを考えて叩かなかったものまで叩くようになったことで、ますます世論を僭称した弱いもの叩きがひどくなったとも感じるが。
ところで神奈川県警の常軌を逸した捜査の引き金として、医療事故の被害者となった共同通信記者の働きかけもあったことは、僕は引用したブログを読むまで知らなかった。ネット規制の件も、義憤に駆られた高級官僚が女性議員に入れ知恵したのだという噂が根強くある。世間での様々な権威が失墜し、政策過程が混乱する一方で、個人の思い入れとスタンドプレーが実を結ぶ機会が増えたように感じる。
義憤に駆られて職権を振りかざすことが、時に周囲からは私憤とか職権乱用とみえてしまうことはある。けれども何が義憤で何が私憤か、明確な線引きなんて誰にもできない。私憤に端を発していても、立場と経緯を明らかにして、問題意識を社会の在り方まで昇華できれば、義憤たり得る。逆に身と動機を隠したまま、仕事を遂行するために信託されている社会的影響力を、憎い相手への報復のために行使すれば、それは私憤と受け止められることもあるだろう。
堀病院の事件は、結果的に今も続く産科崩壊に波及し、図らずも厳しい労働条件に置かれている産科医の実態を浮き彫りにした。彼らが声を上げる呼び水となったことは疑いない。仮に記者氏がかかる掲示板やブログへの書き込みに傷ついたとして、それらの中には主張として妥当なものが少なからずあるのではないか。そして仮に記者氏がネットでの議論をみて深く傷ついたとすると、記者として仕事している限り様々な摩擦から会社が守ってくれてスルーできたのに対し、彼が個人的にコミットした医療事故の問題について彼自身が個人的に思い入れを持ち、自分から関連する掲示板やブログへの書き込みを読んで、反響を直に受け止めてしまったからではないか。
90年代末から特にマスコミが火をつけて、官僚や医師、教師に対しては、これまでになく説明責任を問うようになった。けれども彼ら自身は、常に獲物を探しながら記者として匿名のまま特権的な立場にいて、意外と自身の影響力行使に対する批判に慣れていないのではないか。記者の個人的意見と社論とが異なる場合があるとか、内省させない方が数字を取れる記事を書けるとか、取材対象によっては身の危険があろうとか、諸々の事情はあるのだろう。新聞記者がブログを書いて処分を受けた例を聞いたことがあるし、そういった意味で記者に記名でブログを書かせる最近の産経新聞Iza!での取り組み等には注目している。
自分も関わっている事案で新聞記事を読むにつけ、記者の主観や思惑を強く感じるようになった。わたしは引き続き商業ジャーナリズムの役割は非常に大きいと考えているが、書き手としての特権性が失われる中で、これまで以上に透明性や実名性を高めていかなければ、まだ残っている権威まで失墜してしまうのではないかと心配している。自身の社会的影響力を義憤に駆られて行使しても構わないが、遅かれ早かれ応分の説明責任は問われることになるだろう。

医療事故で亡くなった患者や家族らを中傷する内容の書き込みがインターネット上で横行しているとして、事故被害者の遺族らが18日までに、実態把握や防止策の検討に乗り出した。悪質な事例については、刑事告訴も辞さない方針だ。
遺族らは「偏見に満ちた書き込みが、医師専用の掲示板や医師を名乗る人物によるブログに多い。悲しみの中で事故の再発防止を願う患者や遺族の思いを踏みにじる行為で、許し難い」と指摘。(以下略)2008/05/18 17:37 【共同通信】

2006年夏の堀病院無資格助産ガサ入れによって、そうでなくても看護師・助産師不足の現在、必要な助産師を手配できない全国の産科が「分娩数制限」や場合によっては廃院に向かったのは、記憶に新しい。堀病院産婦死亡事例の遺族が共同通信記者氏であり、警察に積極的に働きかけて、堀病院ガサ入れに持ちこんだ、とご本人が明言されている。亡くなられた産婦さんには、心からご冥福を祈るのであるが、全国の産科および妊産婦にどのような被害をもたらしたかを考えると、共同通信記者氏のやり方には、非常に疑問を覚える。

なんだかんだ言っても、つまり、匿名だ誹謗中傷だみたいななんだかんだだけど、天漢さんのブログをはじめこの問題を共有しているブロガーは、きちんといてものを言っているけど、むしろジャーナリズムのほうが匿名であったり、名前は一種の役職であったり、そういう点であまりきちんと人としての意見ではないように思える。