雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

責任転嫁の時代

今朝,停電の影響で通勤に使った小田急線が数分遅れたのだが,新宿駅ではわざわざ「東京電力によります停電の影響で」とアナウンスしていた.相変わらず復旧しているのかしていないのか分からない楽天は「弊社がサーバーの構築を委託している伊藤忠テクノサイエンス社のオペレーションにて」データが破損したとアナウンスしていた.
どちらも実際その通りなんだろうし,世の中が便利になると同時に複雑な相互依存性が生じ,個々のエンティティが責任を取れないようなトラブルが増えているのかも知れない.とはいえ客としては小田急が電気をどこから買っているのかとか,楽天がどこにサーバー構築を依頼しているかなんてどうでもいいのである.
両社とも自分たちも被害者ですといいたいのかも知れないが,因果というのは辿り始めると限りないものだし,商売の付き合いで一緒に再発防止策を考える場であれば原因の所在を明らかにすることも重要だけれども,楽天の利用者や小田急線の乗客にとって,原因や責任の所在がどうでもいいことは少し想像すれば分かることである.
必要以上に原因を説明することは,暗に免責を求めている,責任逃れをしようとしていると受け取られても致し方ない.けれども楽天や小田急線に責任がないかというと難しい.楽天はなぜサービスの可用性にかかわる重要な部分を外部ベンダに依存していたのか,普通のメンテナンス作業であれば待機系でオペレーションに失敗しても取り返しのつく手順を取っているべきではないかとか,小田急線だって送電網の二重化を行っていたのか,危機管理は充分であったか等,聞いてみたいことは色々ある.コストなどの面で現実的かどうかは棚上げして,責任を追及し始めたらキリがない.国家安全保障の観点でも,川に渡した高圧電線を切断するだけでこれだけの波及効果を見込めると内外に知らしめたことは,大きなマイナスかも知れない.
必要以上に責任を転嫁する風潮の根っこに,少々薄気味悪い労働感や帰属意識の変化を感じる.会社に対する帰属意識が希薄となったことでムラ社会的な理不尽なガバナンスが減った一方,仕事に対する責任感も希薄となり,起こる様々な出来事に対する無力感,徒労感,自分が当事者ではないという逃げが生じているのではないか.この底流にある職業倫理の変化はヨリ個人主義的な価値観として「世間」の近代化を促すと同時に,良きにつけ悪しきにつけ組織と個人との共依存的な連帯責任に支えられた社会基盤の様々なところで綻びを生むことになるだろう.