まる猫の今夜も眠れない

眠れない夜のお供に

【夏空に流れ星2】 秋風に口づけを (ディレクターズ・カット)

真夜中の電話

今でこそ花粉症で鼻が完全に詰まる僕であるが、高校3年生のときは鼻水がとめどなく出ることで悩んでいたものだった。

なぜ人はかくまで体質が変わるのか理解に苦しむが、大学入試の受験会場でティッシュペーパーが1袋では足りず、やむなくテストの問題用紙で代用したことを覚えている。

これはそんな僕が大学に入ってしばらくしてから体験した恋の物語だ。

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アメリカから日本に帰ってきて、大学受験をし、僕は一人暮らしを始めた。

生まれ育った場所から遠く離れた街で過ごす日々は気楽で楽しいものであった。

朝までダラダラと起きていて大学へ行き、昼過ぎに眠りについたりと、ややもすれば自堕落な毎日を送っていた。

そんな日常の中、電話があった。

夜の12時くらいだった。

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夜の電話は人を不安にさせる。

何事かと思い電話に出る。

電話の主はミミコだった。

「こんな遅くにごめんね。」

卒業式以来の声に懐かしさを覚える。

「どうしたの?」

僕は電話越しに訪ねた。

長い長い沈黙のあと、噛み殺した吐息が漏れる。

ミミコは小さな声で泣いていた。

「何かあったの?」

電話越しでミミコが震えているのが解る。

僕から口を開いた。

「大丈夫だよ。」

根拠なんかない。

けれども僕がミミコを大丈夫だと安心させてやるという思いがあった。

「...好きでもない人と付き合うことになったんだ...。」

「え、そうなのか。」

「でもね、やっぱり違うと思ってお断りをしたの。」

「うん。」

「そしたらいっぱいいっぱい酷い言葉を言われて...。」

「うんうん。」

「ワイってそんなに駄目なのかなぁ。」

ミミコは涙をこらえようとしていた。

「ごめんね、こんなことでこんな時間に。」

僕は正直嬉しかった。

ミミコが僕を忘れていなかった。

それだけじゃない。

ミミコが僕を今も必要としてくれていることが嬉しかった。

「ミミコは駄目じゃないよ。」

ミミコの涙は止まらない。

こういうときは臭すぎる言葉のほうがいいと思った。

「隣りにいたら頭をポンポンしてあげるんだけど。」

ミミコは小さく笑って「もう、なんなの、それ」と呆れ笑いをした。

「でもそばにいないから、朝までだっていい、ミミコの素敵なところを挙げていくよ。」

ミミコはこみ上げる悲しみを飲み込んで、小さく「ありがと」と言った。

「キミは今も優しいね。」

「ミミコは僕が適当なことを言っていると思っているかもしれないけれど、本当に朝までミミコの素敵なところを言うつもりだよ。」

「ううん、もういいの、こんな遅くに本当にごめんね。」

「いや、こちらこそブーメランの件は本当に申し訳なかった。」

どさくさに紛れて僕は過去の罪を精算しようとした。

ミミコは笑って、「ああ、あれは許さないんだから」と言う。

「いや〜、許せよ〜、してほしいことがあったら何でもするからさ。」

ミミコは笑顔になって「許さないよ〜」と言う。

しばらくじゃれ合ったあとでミミコは言った。

「またたまに電話していい?」

僕は答えた。

「毎日だって構わないよ。」

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肌寒くなり始めた季節に僕たちの歯車はまた回り始めた。

冬は嫌いだった。

僕は頭が大きいから慢性の肩こりに悩まされていた。

今でこそジョギングをしたり筋トレをするので肩こりはなくなったが、大学のときは酷い痛みに悩まされ、ブロック注射をして痛みを止めていたくらいだ。

けれどもその日からくしゃみをするたびに、僕はミミコが僕のことを考えてくれていると思った。

ミミコのことを考えるだけで、心の真ん中が暖かくなる気がした。

 

CALLING

それからの夜はミミコのものだった。

毎日電話をすると料金が高くなってしまうため、電話しない日は互いに手紙を書くことにした。

手紙と行っても会ったときに渡すメモ書きのようなものだ。

そして週に2日ほどミミコと僕は電話でとりとめのないことを話し合った。

僕が日本にいない間のこと、卒業式にあまり話せなかったこと、3月に新しい住所と電話番号だけ伝えてさよならも言わなかったこと、大学に入ってからのこと。

ミミコは学校の先生になるために地元の教育大学へ進学していた。

「会わなかった日々」が「会えなかった日々」に変わっていく。

2人の間にあった別々の時間を答え合わせをするかのように埋めていく。

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ある日ミミコは笑って言った。
「ブーメランのお返しをしてよ。」

「いいけれど、何がいい?」

「ワイ、映画が観たいな。」

「いいよ、じゃあ次に僕が地元に帰ったら一緒に行こう。」

「えへへ、嬉しい。

キミと映画に行けるんだ。」

ミミコは小さな、本当に小さな声で言った。

僕もなぜだか息苦しくて声が出なかった。

そして僕たちは秋深くなった日にまた会うことになった。

 

TWO STRAY CATS IN THE MOVIE THEATER

僕は新幹線に揺られて、地元で1番大きな駅に着いた。

街路樹の葉はすっかり赤みを失っていた。

街にはコートを着た人がちらほらと見受けられた。

待ち合わせ場所に独り、ミミコがいた。

大きなマフラーで顔を半分隠しているが、瞳を見れば笑顔なのが解る。

ミミコは今も変わらず綺麗だった。

多くを語ることもなく、僕たちはカフェへと歩いた。

カフェではアールグレイを頼み、チーズケーキとガトーショコラを分け合った。

「美味しいね」という感想だけ出るが、電話のときみたいにしゃべることができない。

ただミミコも僕も前の晩全く眠れなかったことがわかった。

でも本当は嘘だ。

本当は僕は何日も前から眠れていない。

ずっとミミコに会いたかった。

そしてスイーツを食べ終わっても、ミミコも僕も少し緊張していた。

けれども、わけもなく僕たちは笑った。

笑顔になるのに文脈はいらなかった。

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そして僕たちは映画館に向かった。
ミミコが見たがっていた映画だ。

ソーダをドリンクホルダーに入れ、パンフレットを2人で眺めた。

そして灯りが消えるとミミコは音を立てず拍手をした。

ミミコの好きな俳優が出ると、ミミコは子供のように喜んだ。

僕もそんなミミコを見て、素直に嬉しくなった。

ストーリーは緩やかに流れていく。

気づけばミミコの手が僕の手と触れ合っていた。

僕がミミコを見ると、ミミコは小さな寝息を立てて眠っていた。

僕も抗いようのない睡魔に襲われ、ミミコの手をつなぎ、瞳を閉じた。

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僕たちは手をつなぎ、肩を寄せ合いながら、眠りに落ちた。

ラストシーンが終わるまで、野良猫が互いを温めあうかのように、誰にも邪魔できないように寄り添っていた。

 

Something Blueの愛なら

大学1年の秋休みも終わろうとしていた。

地元に帰ったその日にミミコに会ったっきり、彼女と会うことはなかった。

電話も互いにタイミングを逸して、ゆっくり話すことはできなかった。

当時の地元の友達と朝まで馬鹿をやり、昼前に眠るという自堕落な生活を繰り返した。

今はもう会うことはない彼らと何も考えず笑いあった。

けれども僕の心の中にはミミコが住んでいた。

誰といても何をしていても、心の片隅でミミコのことを考えた。

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秋休みが終わろうとしていたある日に僕は下宿先に帰る予定だった。

家族に感謝をして、新幹線が通る駅へと歩みを進めた。

そしてその日、僕はミミコと会う約束をしていた。

 

秋、公園でキミと

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ミミコは駅ビルの空中庭園で景色を眺めていた。

僕はそっとミミコの隣に立って、同じ景色を眺めた。

「公園行こ。」

ミミコはそういうと、僕の前を歩いて行った。

映画館でつながれた僕たちの手はつながれないままだった。

コンビニでお茶を買って、しばらく歩くと、少し大きめの公園に着いた。

一言も言葉がかわされぬまま、僕たちはベンチに座った。

そして彩りを失った木々をぼんやりと眺めていた。

「なんでだよ。」

ミミコは言った。

「なんで電話してくれないんだよ。

なんで帰っちゃうのに平気なんだよ。

ワイ...ワイ...嫌なのに。」

ミミコは両腕の中に顔を隠して、吐息を吐くように言葉を紡いだ。

「平気なわけないだろ。」

僕はミミコを諭すように、なだめるように言った。

「連れていけるなら連れて行きたいよ。」

「...じゃあ連れて行ってよ。」

ベンチのそばを木枯らしが吹いた。

枯れ葉が小さな音を立てて地面近くを舞った。

「ごめん。」

ミミコはそう言って、僕にもたれかかった。

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「いつかミミコを連れ去るから。」

僕の肩でミミコは小さく頷いた。

ミミコのか弱い心音が感じられた。

ミミコがもう涙にならないように僕が彼女を守っていこうと決めた。

僕はぎこちなくミミコの肩を右手でできる限りそっと抱きしめた。

セピア色の景色の中でミミコだけに色が付いているようだった。

体の輪郭が邪魔だった。

体温でチョコレートのように解け合えたらどれだけ良かっただろう。

僕の自由な左手はミミコの右手とじゃれあい、幸福な不自由を堪能する。

ミミコの黒髪が秋風になびく。

「...ちゃんと連れ去ってよ。」

彼女はきっとはにかみながら言ったと思う。

そして僕は彼女に誓うのだった。

「約束するよ。」

ミミコのなびく黒髪が僕の顔をくすぐる。

 

 

 

ヘブシ!!!!!

 

 

 

出た。

僕の鼻から全ての液体が噴出された。

ミミコはこの状況にひいていた。

将来を約束した男が急に鼻からアメリカン・クラッカーのような大粒の粘着性のある水を出したのだ。

そして僕も完全にひいていた。

さきほどまでの雰囲気を台無しにする自らの芸術的なまでの失敗に唖然とした。

 

そして秋は夏には戻らないかのよう、彼女の心も戻ってくることはなかった。