たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「よつばと!」に描かれる、よつばがいる景色と、よつばが見た景色。

「よつばと!」の9巻は見所がホント多すぎますな。
今までも一応電撃大王でチェックはし続けていましたが、間があったこともあってかなり久しぶりに見たので、えらい新鮮でした。
特にあさぎな!
あさぎねーちゃんに魅力今まであまり感じていなかったんですが(Q.なぜ? A.風香を愛しているから)、今回のはボディに来ました。とりあえずその話は話すと長いので別の機会に。
 
この9巻、ずいぶん視点が変化している気がします。
大人の視線とよつばの視線ががっちり分けて描かれているんですよ。
もちろん今までもとーちゃん視点やジャンボ視点がいい具合にミックスされていましたし、よつばが見た景色もきちんと描かれていましたが、基本軸は「よつばのいる景色」だったと思います。
 

●よつばのいる景色●

後半の気球の部分はがらっと視点が変わるのでとりあえず保留。「よつば」と「よつばと!ワールド」が大きく成長しており、世界の幅が今までと全然違います。
今回注目したいのは57話の「よつばとジュラルミン」の回です。
 
「よつばと!」は、恐ろしいほど緻密に、リアルに描かれた世界の中に、限りなくデフォルメされたキャラクターのよつばが差し込まれる、という手法で描かれているマンガです。
初期の頃は特にそれが顕著で、よつばの絵柄は他のキャラや背景から明らかに浮いていました。
あんまりにも浮いているので最初の頃、ふと「よつばって実は存在しない空想だったりして」説をぽろっと言ったことがありました。
友人にものすごく怒られました。
そりゃそうだ。
まあ今になってみれば「それはない」というのは自明の理です。けれども「よつばの絵柄の違和感」は意図的に今も続いています。髪の毛も緑色ですしね。表紙の背景とよつばの対比なんかは非常にそれをよく表していると思います。


ショッピングモールとよつば。
背筋がぞっとするほど描き混まれた背景の中に、極めてシンプルなラインで描かれたよつばの存在が差し挟まれます。
他にも子供が左側にいますが、明らかに体型が違います。
これは二つの視点を表す手法なのかな?とぼんやり想像。

1、よつばの身体感覚
2、大人が見るよつばの特別感

1は「よつばがこの広い世界を見ている」という自分自身の感覚のことです。自分で感じている自分の姿って、子供の場合ものすごくシンプルで、それほど気にかからないです。そこまで自分を気にしていないと言うのもあるし、なによりまだ世界と自己が未分化な状態です。よつば自身は自分の体をこういうシンプルなラインで見ており、目に入る一つ一つの事象は逆にあまりにも新鮮で広大だから、大人が見ても驚くほど描き混まれている。日常なんですが彼女には「異世界」なんじゃないかなと。
2はとーちゃんや風香など、大人が自分に関係する身近な子供を見る視線。いわば他のすれ違った通行人は背景と同じ。よつばの存在は特別なんです。言ってみれば親バカみたいな感覚というか。読者はどんなに世界が複雑で細かく出来ていても、よつばを一発で見つけられます。ウォーリーとは大違いです。とーちゃんにとってのよつばは、きっとそういう存在なんだと思います。

「ベリーゲラ」の店の様子。
このカットなんかはまさに「よつばのいる光景」を描いた時間の切れ端。背景の中に一秒一分一時間と時間は流れ続けているわけじゃないですか。そこによつばが入ることで、初めてとーちゃんや他のキャラや、そして読者から見て、意味のある光景に変わります。実際には流れ続けていても認知されなかった場所が、よつばによって「時間が動いている」と認識されることになります。
面白いのは時間が動き始めると同時に、一気に静止することだと思います。動画やアニメーションじゃなく、マンガのコマが写真になっているからです。
流れていた時間によつばをいれ、写真として切り取ることでその時間はもう絶対失われない事実に変化します。とーちゃん視点でもよつば視点でもない、第三者の神の視点として描かれることも。
この記事がうまくそれを説明していると思います。
『よつばと』 あずまきよひこ著 マンガの表現力の到達点の一つ|旧館:物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

我々が感情移入している先が、よつばであって、よつばでない状態がある。
よつば自身が体験している視界の映像を、神の視点から眺めているような状態で固定されている感じだと思うんですよ。

実は全体的に、ストレートに「子供の視点」で描かれているマンガではないと思います。
 

●よつばの見た景色●

初期の頃はこの「よつばのいる景色」の意識が特に強く、あまり「よつばがこういうものを見ている」というシンクロは多くありませんでした。
最近の巻になって、今度は「よつばが見た景色」がじわじわと描かれるようになります。といってもガンガン入れられているわけではないです。一冊じっくり探して、幾つかあるかないかくらい。
とにっかく基本は「景色の中のよつば」。
その中にマレに「よつばの見ている目線」が入るから、すごくドキッとするんです。
今回強烈なまでに表現されていたのは、ジュラルミンとの出会いのシーンです。

右下のコマを見ると分かると思います。このコマだけ完全に異質です。
他のありとあらゆるコマは、よつばの「感覚」は描いていても、視点は第三者からのものでした。
しかしこのコマだけは特別なんですよ! このコマだけは、間違いなくよつばが、見ているんです。よつばの目に見えた世界そのものなんです。
 
このコマの流れ、何も言葉が書かれていないし、説明も何もありません。たった3コマです。
でもよつばの目を通して、今まで適当に呼んでいた「ジュラルミン」というテディベアに巡り会ったことが一発でわかります。これってすごいことだと思う。
 
今までも「よつばの見た景色」自体は何回か描かれてはいます。よつばの目を通した世界です。

これは前の巻、8巻のもの。
普段一緒にバカやっているみうらが、普段と違う祭りの晴れの舞台でかっこよく踊る様に感銘を受けているよつばの興奮が伝わってきます。
しかし彼女の視点はとても低い位置にあります。子供ですから。だから彼女が世界を見る時は見上げる形だったり、後ろ姿だったりします。ましてや「よつばと!」はよつば視点が極めて少ない作品です。この後ろ姿だけでも相当に珍しいことなんです。

比較的「よつば視点」よりは多く出てくる、よつばの目の高さ視点。でもよつばの後ろから見ている第三者視点。彼女の見る世界が大きくて、どこまでも広く輝いているのを示すには最高のアングルですが、あくまでもこれも「よつばのいる光景」の一環です。
 
それを踏まえた上で、もう一度先ほどのジュラルミンを見てください。
ジュラルミンは、間違いなくよつばを見つめているんですよ!
目線も彼女と同じ場所です。見上げたり後ろ姿だったりしません。面と向かって、自分を見ているんです。
これをして「出会えた!」と思わずなんと思う。
目は口ほどにものを言う、どころの騒ぎじゃありません。このコマだけで「わたしだよ」という声すら聞こえてくる。このコマを見るだけでもう泣けて仕方ない。
 
だって、ここまではっきりと「よつばと世界が目を合わせているコマ」って他に無いですよ。
 
とーちゃんはもちろんよつばと目を合わせていますが、それでも斜め上の高い位置からです。真っ正面からよつばを見ている目が描かれているコマは意外とないです(よつば以外のキャラ同士だとあるんですが)。あ、そういえばよつば目玉苦手でしたね…あんまり関係ないか。
 
ジュラルミンが真っ正面からよつばを見ているのは、今までの色々な出会いの中でも特別な光景だと自分は感じました。夏祭りとか、牧場とか、海とか、お祭りとか、気球とか、色々な所に行って色々なものを見ているよつばですが、ジュラルミンとの出会いは本当に彼女にとってそれだけ特別だったんです。
 
よつばの後ろ頭の入らない、よつばの感情がこもっている完全な「よつば視点」がちょこちょこと入り始めるのは7巻くらいから。5巻のダンボーあたりでも一応よつばからの視点はありますが、あれは感情はみうらの方を描いてますし。
ある意味、じわじわとよつばが育ちながら、世界を見つめるようになったということなのかもしれません。
 

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それにしてもあさぎ・とーちゃんフラグがすごすぎだろう! あれジャンボが見たらぶん殴るレベルだと思うんだ。
性格のバランス的にもあさぎととーちゃんってぴったりだしなあ。あさぎが本当にバカが出来ることが分かったし、いいカップルになりそう…だが、だが、そうすると風香・とーちゃんフラグが!
よしわかった、あさぎととーちゃんは結婚すればいい。おれが風香と結婚するよ!
 
まあそんなことはともかく、「やきにく」や「ききゅう」「そら」の回の、大人から見た世界が描かれていたのもこの巻はすごく新鮮でした。特に9巻ラストのコマ、これはどう受け取ればいいんだろう?
うーんよつばと!はどこまでも広がるなあ。