投げ銭レポート ファイルNo.3 〜正当な対価?バカな。

WEB投げ銭に否定的な方の言動の中に
「自分の文に値段がつけられたようで不快」
「一度ポイントを貰って嬉しくて、次に頑張って書いたとき貰えないと、『どうしてだろう』と悩んでしまうのでは?」
というのを見かけるのですが。そんなバカな。
 
たかだか素人がこうやって書いている日記の記事ですゼ?
自分は読者から常に正当な評価を下されているなんてまさかまさか。
 
それはハッキリ申し上げて自意識過剰だと思います。幻想ですよ。
 
正当な値段のワケがない。
本気で正当な値段つけようと思ったらトンでもないことになりますよ。
それこそ”不快”どころじゃ済まない。絶望するのでは?
 
私なんか結構適当ですよ。
「今日は3人に投げたいから、じゃあ、5ポイントずつ。」とか。
「節約したいから1ポイントでいいや。」とか。
記事の内容と関係ない。w
「ここまで配ったけど、眠いからあとのはいいや。」とか。w
むしろ、記事そのものというより、それを書いた本人をサポートする感じで投げています。
「良い物見さしてもらいました。できたらまたこういうの書いてください。これ餞別です。」って。
 
『対価』じゃなくて『投資』なんです。
 
他の人がどうか知りませんが、少なくとも私は記事の内容をいちいち吟味して、あっちと比べてこっちが優れているからとか、この前のより良かったから今回は倍あげようとか、考えてませんよ。ほとんど。
なんでたかが投げ銭にそこまで神経使って優劣を吟味する義務が投げる側にあるんですか。面倒くさい。
 
じゃあ聞きますけれど、テレビ観るときに全チャンネル回してじっくり吟味しながら「よし、今の時間帯はこの番組が1番興味深いからこれを見ることにしよう」なんて人いますか?
「なんとなく流し見。」
「そろそろドラマ始まるから変えよ。」
「あ、ニュース速報だ。とりあえずNHK。」
そんなもんじゃないですか?
 
あなた、募金するときに
「なるほど、100円でワクチン一本分になるのか。じゃあ、2人分で200円。」
って計算してお金入れるんですか?
 
もう、そういう理屈になるんですよ?
 
もし貴方が投げ銭をある記事に対して受け取ったとしたら、それはその記事に対する価格ではなく、自分に投資してくれたんだ、と捉えてみてはどうですか。