侮辱しても差別にはあたらない集団
少し出発前に時間があったので、誤解を受けて叩かれるのは平気だけど、誤解によって議論が進まないのはたまらなくイヤなのでわたしの見解を率直に書いておく。
「ある集団に属しているということを理由に蔑視発言をされた」として、それが「差別」ではない、という場合があるかどうか。もちろんある。問題は、それがどういう集団ならば蔑視発言をされても差別とは呼べないのか、でしょ。
それをyukiさんがきちんと述べず、また「〜という理由で差別ではない」という反論に「理由のいかんに関わらず差別はいけない」と答えてしまっているのが問題だと思って批判してきたのだけれど、以下は、どういう基準なら「差別ではない」と言えるか、という、わたし自身の考え。
売春者が法律を破るから「侮辱しても差別にはならない」のではない。「法律を遵守している善良な一般市民」こそ、侮辱しても差別にはならないのだ。
売春者が世間のモラルに反する仕事をしているから「侮辱しても差別にはならない」のではない。モラルを押しつける宗教者や教員や政治家こそ、侮辱しても差別にはならないのだ。
不法滞在している外国人だから「侮辱しても差別にはならない」のではない。世界のどこに行っても日本人という国籍に守られた人々こそ、侮辱しても差別にはならないのだ。
ひきこもりやニートだから「侮辱しても差別にはならない」のではない。高給を受け取って社会生活を営んでいる正社員こそ、侮辱しても差別にはならないのだ。
わたしは何も、これらの集団に対する侮辱を積極的に行なうべきだとは思っていないよ。侮辱はやるならやっぱり個人レベルでやるべきで、ある一面の属性だけで侮辱しちゃうのは基本的にあんまりよくない。でも、「法律を遵守している善良な一般市民」が、「法律を遵守している善良な一般市民」であることを理由で侮辱されたとしても、全然実害ないじゃん。誰も傷付かないじゃん。「侮辱した側がおかしいだけ」で済まされるでしょ。
売春婦は、それじゃ済まないんだよ。そうでなくても世間の風当たりは強いのに、そうした「世間の風当たりの強さ」を理由として「侮辱しても差別にはあたらない」という人がいる。まったく逆だよ。世間から差別されている集団だからこそ、本来どうでもないはずの小さな言葉や行為が「差別的」になるわけ。
どんな偏見や蔑視も表現するだけの自由が欲しいリベラリストのわたしとしては、偏見や蔑視がすぐ差別と連動してしまうような社会では発言を抑制せざるを得ないから、イヤなんだよね。もし性や人種の違いが血液型占いくらいの意味しか持たなければ、性や人種に関する偏見だって平気で堂々と言えるようになるのにね。
このあたりのもっと詳しい説明は、帰ってきてから。