漫画の中のロシア武術システマ 第2回『ディアスポリス 異邦警察』

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システマは旧ソ連/ロシア特殊部隊スペツナズの格闘技として知られている。スペツナズ隊員の必修訓練というわけではないが、実際訓練している人はいるし、システマは人的・技術的に特殊部隊との関わりが深い。漫画の中でも特殊部隊隊員・元隊員がシステマを使う例がある。今回紹介するのもそうした例の一つだ。
第2回は『ディアスポリス 異邦警察』(すぎむらしんいち漫画、リチャード・ウー脚本、講談社)について書いてみる。個人的にはこの漫画のシステマの扱いが一番好きだ。


システマが登場するまでの『ディアスポリス』の話の流れ

『ディアスポリス』は『モーニング』で2006年26号から2009年47号まで連載された漫画だ。
舞台は東京。難民認定を受けられず貧しい生活をしている密入国者=異邦人が、自分達の生活を守るための組織「異邦都庁」を作り上げている。主人公は異邦都庁のもとで異邦人=裏都民を守る異邦警察署長・久保塚早紀(くぼづか・さき)である。彼は様々な犯罪から弱者を守るために奮闘する。
システマが登場するのは単行本5巻〜6巻に収録されている「寒い国から来た男」篇。
裏都民申請に来たロシア人ユーリ・ビタエフは、突然その場にいた裏都議のヤセビッチを殺して逃亡する。ユーリは元スペツナズ隊員のシステマ使いで、復讐として3人の人物を殺す目的で日本に来たのだ。久保塚はユーリとの交流から、その復讐の旅につきあうことになる。

ユーリとシステマ

「寒い国から来た男」篇は、ユーリが公園でホームレスに暴行を働く若者達を止めようとして争いになるシーンから始まる。
ユーリは丸顔の温和な風貌で、戦う際もユラユラと手や体を揺らし、威圧感はない。しかし一瞬で全員を倒すことから、尋常ではなく強いことはすぐ分かる。このユーリの風貌のモデルは、システマの創始者ミカエル・リャブコと推測されている*1。


すぎむらしんいち漫画、リチャード・ウー脚本(2007)『ディアスポリス 異邦警察』5巻(講談社)より

この漫画でシステマを使うキャラクターはこの時のユーリのように戦う前に手や体をくねらせるが、これは現実のシステマにはない。
以前書いた『ハヤテのごとく! CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU』第二夜のシステマを解説する - 火薬と鋼も含め、システマを扱った作品でこうした動きが見られるのは、システマの技術の説明で使われる「ウェーブ(波)」が意識されすぎたせいかもしれないし、映像から受けた印象が基になっているのかもしれない。


物語の説明に戻ろう。
ユーリは裏都民の申請のため裏都庁に現れる。そこで手刀の一撃で裏都議のヤセビッチを絶命させ、掴みかかってきた久保塚を投げ飛ばして逃亡した。ユーリは裏都民になりに来たのではなく、妻子の復讐のために来たのだ(その事情は後で明らかになる)。
ユーリを追う久保塚は、ロシア料理店の店長マギレビッチからユーリが使った戦闘技術についての情報を得る。


久保塚「店長あんたロシアの格闘技にくわしいか?」
マギレビッチ「サンボとか?」
久保塚「いやもっと……こう……酔拳と合気道の中間みたいな」
マギレビッチ「ああ噂には聞いたことあるよ。ロシア中の全部族の武術を統合した格闘技でシステマっていうね」
久保塚「システマ!?」
マギレビッチ「その人年いくつぐらい?」
久保塚「五十くらいか」
マギレビッチ「じゃ まだその技が国家機密だった頃の人ね」
久保塚「というと?」
マギレビッチ「軍はあの技だけは民衆にはもちろん一般兵士にも教えずひた隠しにしていたの」
久保塚「最高の殺人技術だからか」
マギレビッチ「その年で達人てことは……ソ連特殊部隊(スペツナズ)出身以外ありえないね」

すぎむらしんいち漫画、リチャード・ウー脚本(2007)『ディアスポリス 異邦警察』5巻(講談社)より

「ロシア中の全部族の武術を統合」や「国家機密」といったくだりは、現実のシステマの来歴を考えると多少オーバーなものに思える。ともかくシステマの情報と次にユーリが向かうセルゲーエフのロシアンパブの情報を得た久保塚は、ユーリを追跡する。

ユーリと久保塚、師弟としての二人

言葉巧みに復讐相手のセルゲーエフに接近したユーリは、銃を持った彼の部下達を倒し、セルゲーエフを殺害する。追跡してきた久保塚と鉢合わせたユーリは、行動を共にすることになる。下の場面は手錠につながれたユーリが争いに巻き込まれた久保塚にシステマの受け方を伝えるところ。ウェーブを強調しているのは当時のシステマにそういう面があったため。


すぎむらしんいち漫画、リチャード・ウー脚本(2007)『ディアスポリス 異邦警察』5巻(講談社)より

ユーリが最後に復讐する相手は彼の元上官でシステマの師でもあったイワンコフ。雷帝の異名を持つ彼は現在は札幌でマフィアとして活動していた。
札幌に向かう旅の中、久保塚はユーリからシステマを習う。練習を重ねていくうちに久保塚もシステマを身につけていく。


すぎむらしんいち漫画、リチャード・ウー脚本(2007)『ディアスポリス 異邦警察』6巻(講談社)より

ここに登場する練習シーンはこの漫画の独自色が強いが、実際のシステマの練習を参考にしたように見える。「体を8の字に動かす」という基本は、この頃のシステマでは実際にそういう練習があった(その後あまり練習されなくなった。実はシステマは時期によって(あるいはインストラクターによって)教えている内容に変化がある)。
パンチによって相手の方向を変える練習は実際にあるが、この説明だとシステマではそういう目的でしかパンチが使われないような誤解を生みそうである。
この一連の場面の説明や描写はディスカバリー・チャンネルの番組『Go Warrior』でシステマが登場した時の説明と同じである。
「三次元の自在な動きこそ極意!」といった説明もその番組で使われたものとほとんど同じだ。
また、練習のシーンの一つで「弱さや強さ……すべてを正直に受け止め自分自身を極めろ。システマの意味は……"汝自身を知れ"だ」という台詞があるが、これも以前、システマの説明に似たものがあった。

システマとは別名“poznai sebia”すなわち「汝自身を知れ」です。「自分自身を理解する」の真に意味する所はなんでしょうか。それは単に自分の強さや弱さをしることではありません。もちろんそれは大切なことですが、まさしく表面的なことに過ぎないのです。システマにおける訓練(トレーニング)とは、己の限界を十全に把握するための真正な方法の一つです。自分の何が誇るべきことであり、何が弱い所であるのか、それを知るための術なのです。
システマジャパン システマについてより



ユーリと久保塚の師弟関係は、復讐者と警官という立場、それにどちらも大人であるということもあって格闘技漫画の常道をところどころはずした奇妙なものだ。この二人は格闘技については明確に師弟関係にあるが、それ以外の面では対等である。また、性格も通じるところがある。ユーリは親切な人柄で、道すがら困っている人をよく助けている。余計を争いを好まず、復讐で殺すのも3人だけと決めていて他の人間は殺さない。一方の久保塚も人情家で、ユーリの復讐の旅につきあいながら、ユーリの人助けにも協力する。
この二人の関係性がよく現れているのは、イワンコフとの戦いに赴く直前で久保塚がユーリに復讐をやめるように説く場面だ。ユーリの妻子を襲ったイワンコフらの行為を知った上で久保塚は自身のつらい過去を語り、復讐を止めようとする。ユーリはそれを聞いて久保塚のつらさと心情を理解する。この両者の共感は普通の格闘技漫画の師弟にはあまりないものだろう。

師弟の戦い

ユーリはイワンコフの元へ行く途中、彼の部下のキックボクサーとサブミッション使いと戦うことになる。
システマを使った多人数戦闘は『アクメツ』でも登場したし、この漫画でも何度か扱われているが、他の格闘技との戦いが描かれるのはこれが初めてである。その後、ユーリはコマンドサンボ使いとも戦う。


すぎむらしんいち漫画、リチャード・ウー脚本(2007)『ディアスポリス 異邦警察』6巻(講談社)より

どちらも絞め技や関節技に対して体をクネクネと動かすことで脱出している。これも実際のシステマと違う部分だ。
最終決戦でユーリはイワンコフと戦い、久保塚はイワンコフの部下のナイフ使いと戦う。イワンコフはユーリを圧倒し、にわかシステマ使いの久保塚もナイフ使いに苦戦する。


すぎむらしんいち漫画、リチャード・ウー脚本(2007)『ディアスポリス 異邦警察』6巻(講談社)より

この漫画のシステマのアクションシーンの多くは、システマの実際のデモンストレーション映像が参考にされているようだ。ここでイワンコフが使った技―相手の拳を受け流しての頭突き―も映像に登場している。
攻撃を続けて受けるユーリが負けそうに思えたが、それは贅沢におぼれてスタミナのないイワンコフに攻め疲れさせる作戦で、やがてユーリが優勢になった。一方の久保塚はユーリの教えを思い出しつつ、不恰好ながらも何とか戦い続ける。久保塚が勝負を決めたのは、イワンコフが使ったのと同じ技だった。


すぎむらしんいち漫画、リチャード・ウー脚本(2007)『ディアスポリス 異邦警察』6巻(講談社)より

疲れたイワンコフを圧倒したユーリはイワンコフの関節を破壊し、鬼気迫る顔で殺そうとするのだが、久保塚の言葉が頭をよぎった。結局、ユーリは格闘家として再起不能になったイワンコフを殺すことをやめる。立ち去ろうとするユーリにナイフを抜いて襲い掛かるイワンコフだったが、ユーリはそのナイフの攻撃をかわし、さばいてその切っ先を返す。イワンコフは復讐によってではなく、自らの攻撃によって死ぬことになった。



すぎむらしんいち漫画、リチャード・ウー脚本(2007)『ディアスポリス 異邦警察』6巻(講談社)より

これも『アクメツ』でも参考にされたドキュメンタリー『Go Warrior』に登場した動きである。

09:09〜09:15がこの場面の動きと同じである。『アクメツ』で参考にされたものとは別の例だ。

その後

戦いの後、久保塚は帰国するユーリを送っていくことにした。帰国の間にさらにユーリからシステマを習うことが示唆されてこのエピソードは終わる。次のエピソードで間を空けて再登場した久保塚は優れたシステマ使いとして活躍し、最終巻までシステマで戦い続ける。終盤近くにはイスラエルの軍隊格闘技であるクラヴ・マガの使い手との戦いもあるが、この辺の戦いの描写はあまり詳細には描かれていない。


『ディアスポリス』のシステマの説明や描写にはところどころ現実とは違う部分や誤解を招きそうな部分があるが、システマの考え方、思想的な部分にまで言及していること、数多くの戦闘シーンがあること、練習シーンがあることなど、他のシステマが登場する漫画にはない要素を持っている。システマの扱いについて言えば、現在のところこれ以上の漫画はないと言っていいだろう。


次回は『TOUGH』(猿渡哲也、集英社)を紹介する。
>>漫画の中のロシア武術システマ 第3回『TOUGH (タフ)』 - 火薬と鋼

*1:モデルになったのは顔だけ。体格とか含め色々違う。