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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「(凶器での殴打事件は)70年代、法政大では日常の光景。だが大学当局はそれでも警察を学内に入れなかった」(高千穂遥氏)


「法政大」ならさもありなん、というか1990年代後半…いやゼロ年代までつづいてたよね?早稲田は革マルの牙城で、法政大は中核派の支配でいいんだよね?


で、まさに「常識の変化」なのか、そもそも当時だって常識はこうで、その状態が非常識なのかだが


「人が角材でぶんなぐられる事件が発生した。それでも警察を現場に入れないというのが大学の判断だった」というのは、そもそも良い事だったのか。
それこそ「歴史の反省」や、「その表明」が必要なのではないか。


今週末の「サンデーモーニング」はこの事件をそれなりに扱うと思うが、田中優子氏(第19代総長)は出演するだろうか。
この件についてはちょっと詳しい筈だ

ja.wikipedia.org
大学入学と学生運動への参加
清泉女学院高校時代の国語教師の助言で興味を持った法政大学文学部日本文学科に合格し、1970年(昭和45年)入学。語学を学ぶために語学専門学校アテネ・フランセと日仏学院にも通った。入学当時は全国的にも学生運動家らによる内ゲバ事件が多発していたことで、学生運動自体が下火になっていた時期であったものの、高校時代から関心があった全共闘に参加したことについて、迷いは無かったと語っている。田中は成田空港反対運動のあった三里塚にも行って、三里塚闘争にも参加した。日本共産党組織民青やセクトを、誰が聞いても同じ意見を述べる教条的で「自分の善良さをアピール」しているように見えたと批判する一方で、ノンセクト(党派に属さない新左翼)は、個々人が自分の言葉を持っていたと評価している[2]。

関連 「彼は早稲田で死んだ」/学祭中止で資金源を断った当時の早稲田大総長

不条理な暴力に私たちはどう抗えるのか――

【第53回大宅賞受賞作】

1972年11月、革マル派が支配していた早稲田大学文学部構内で、一人の学生が虐殺された。後に「川口大三郎君事件」と呼ばれるこの悲劇をきっかけに、一般学生は自由を求めて一斉に蜂起。しかし事態は思わぬ方向へと転がり、学外にも更なる暴力が吹き荒れて――50年前、「理不尽な暴力」に直面した著者が記した魂と悔恨のルポ。

1972年、キャンパスでいったい何が?

思想家・内田樹氏 推薦!
「同時代を生きた人間として樋田さんがこの記録を残してくれたことに深く感謝したい。
若い人に読んで欲しいと思う。
人間がどれほど暴力的になれるのかは知っておいた方がいい」

【本作原案映画、公開決定!】
『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』
(2024年5月25日よりユーロスペース他で公開)

※この電子書籍は2021年11月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。


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「早稲田にあったのは革マル派の自由」流れた資金は2億円超 対峙した奥島孝康元総長の気概と矜持
アーカイブ
2024/5/2 14:34

インタビューを受ける奥島孝康さん

この記事は、平成21年5月29日付の産経新聞大阪本社版に掲載された記事のアーカイブ配信です。肩書などは当時のまま。学生運動について描いた連載記事「さらば革命的世代」のなかで、5月1日に亡くなった早大元総長、奥島孝康さんのインタビューを掲載しています。
元早大総長の奥島さん死去(2024/5/2)

合鍵もつくられていた
「早稲田は自由の大学といわれていますが、実際にあったのは、革マル派にとっての自由だったのです」

早大の元総長で、現在は学事顧問を務める奥島孝康さんは振り返る。革マル派に大学の実権が握られているという危機感を強くした奥島さんは平成6~14年の任期中、彼らをキャンパスから追い出すことを最大の任務と位置づけていた。

早大では昭和40年代後半から、革マル派が各セクトとの抗争を制し、勢力を強めていた。自治会の主導権を握り、サークルの部屋が学外者も含めた活動家の拠点に使われるなど、約30年間にわたり大学が利用されていたとされる。

15万人以上の来場者を呼び「日本一の学園祭」といわれた早稲田祭の収入が革マル派の資金源になっているという疑惑もあった。公安関係者によると、サークル補助金の流用なども含めると、早大から革マル派に流れる資金の総額は年間2億円を超えていたという。

奥島さんは、革マル派の主導で行われていた学生大会でストライキ決議が可決されると、期末試験が中止になるという慣例を特に問題視していた。

「値上げもしていないのに値上げ反対のスト決議が可決されたこともあった。こんなことが長年続けば、教育は荒廃する。だが、以前の大学執行部は『学生を追い詰める必要はない』と及び腰だった」

革マル派は、中核派などとの激しい内ゲバで知られる過激派の一つ。警察無線すら傍受できる盗聴技術を持っているといわれる。その技術を駆使したのか、革マル派に批判的な姿勢を見せた早大関係者は次々と、金銭問題や女性問題などのスキャンダルを暴露された。アジトを捜索した警視庁が大量の合鍵を見つけたこともある。その中には、奥島さん宅の玄関ドアの鍵も含まれていたという。
(略)
法学部長として4年、総長として8年の計12年間にわたった「12年戦争」。奥島さんは「大学の歴代執行部は、あえて対決を避ける事なかれ主義に陥っていた」と振り返り、さらにこう指摘した。

「革マル派との対決は、いろんな人の協力があってこそできたこと。ただ、革マル派と手を組む人が学内に大勢いたことは我慢できなかった」

例えば、教授の中にも、清廉潔白を売り物にして常々「不正は良くない」という割に、革マル派の不正は容認するという人、保守的な主張を繰り返す一方で、裏では革マル派と結託していた人もいたという。

「彼らとの対決を通じて思想的な立場よりも、その組織や個人が実際にどんな行動を取っているのかを、見極めることができた。『世の中を変える』と口先では言いながら、実際には『変わらないほうがいい』と内心では思っている人が大勢いることも知りました」

www.sankei.com

法政大のハンマー事件で警察が入るのは隔世の感 高千穂遥