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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

近代柔道史の光と影。…そして最後の勝者は”物語”なのか?(ゴン格215号)

早いものでもう4月ぶんの格闘技雑誌の発売日が迫ってきた。
逆に言うと、今発売の号がまもなく書店から消える!!


いつも、その旬の時期にこちらも書きたいと思ってはいるのだが、なかなかそう簡単には書けず・・・まだ1日あるから、書店でお求めいただくか、もしくは技術の進歩で送料無料の通販がある昨今は、ごゆるりとお求めいただきたい。
今回は「海を渡ったサムライたち。」と題しつつ、木村政彦がどーんとあって、ほんのちょっと青木真也の写真もあしらうという、いくらなんでもマニアックにすぎるだろ(笑)、という表紙作りですが。

GONG(ゴング)格闘技2010年5月号

GONG(ゴング)格闘技2010年5月号

木村政彦伝、ひとつの山場「vsエリオ・グレイシー」(増田俊也)

連載時、正直タイトル見て「え?興味深くはあるけど、プロレスよりの話じゃないの?俺は好きだけど一般のゴン格読者向けに受けるかなあ」と思った「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が、堂々巻頭(先に魔裟斗の記事もあるけど)に登場した。12P。

これに関しても正直いいます、数号前からブラジル篇に入っている同作品だが「ま、この話については俺も隅から隅まで知っているけどね。新事実は出ないだろうけど、それを作家の筆がどう再構成するかに注目だな」と思ってました、すいません。
例えば入場のことを増田氏は描写しているのだが

このシーンを前から映す当時のフィルムで見てみよう。木村政彦が出てくる。ゆっくりゆっくりと。まさに百獣の王。

ええええぇぇぇ、そんなフィルムあるのっ?
というか今は数十秒、大外刈りやらなにやらのシーンしか残ってないんとちがうの?と、いきなりこのへんからえーっだ。入場時の木村の表情が、まさに今回のゴン格の表紙になっているようなのだが、本当に余裕というか自信というか。

地球の裏側に来てさえ、木村はこの地上に自分より強い生き物がいるなどとは露ほども思っていないのである。たしかに柔道がまだ実戦性をもち、MMAのなかったこの時代、木村が世界最強だった可能性は非常に高い。

範馬勇次郎か。

そのほか、前号や前前号も含めてだけど「木村政彦ブラジル行きの背後には同国日系人の有名な『勝ち組・負け組抗争』があった」という話や「エリオはけっこう、試合前に自分の負けを覚悟したような発言をしている」「会場のマラカナンスタジアムは1950年、サッカーでブラジルがワールドカップ優勝を逃す『マラカナンの悲劇』があったばかりだった」というような細部が、この試合の凄みを増している。
そして植松直哉を呼んで来て木村vsエリオ戦の技術解説させてるし(笑)。ここで「エリオの寝技技術はやはり相当なもの。木村の技をしのぐ高いディフェンス技術がある」ことを確認するところが周到だ。さらに、当時の新聞記事なども、どうやって収集したのだろうかさまざまなものが写真入りで引用されている。

想像以上に大きなインパクトを与えた試合なのだ、ということがよく分かる。

しかし、社会情勢やその後の格闘技史への影響もいいが、実際に戦った当事者たるエリオ1個人が受け止めた、この試合もそれに匹敵する万金の重みを持つ。

私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔道家木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘れられぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。

しかし、同時に増田氏はこう指摘する。
『偉大なる戦いは、ブラジルの日系コロニアと拓大関係者が語り継ぐのみで、長く柔道界では「ただの見せ物じゃないか」と蔑まれ、ほとんどの人が知らないことだった』−−−。

最後の部分が個人的には重要で、
そこのところを論じるつもりでおります。
ところで増田氏が
http://blog.livedoor.jp/masuda_toshinari/
http://twitter.com/MasudaToshinari
をやっていることは何度か伝えたが、検索したらこういう文章もネット上で発見したので皆さんにご報告。
■増田俊也「小田常胤と高専柔道そして七帝柔道」
http://hujudo.sakura.ne.jp/introduce/oda.html
ん?「小田常胤」?また新キャラでてきたー!(後述)

「小野安一という男」「光の柔道、影の柔術」(柳澤健)。

もうひとつの特集記事が、「1976年のアントニオ猪木」著者で知られる柳澤健氏の2本。

ちょっと本題の前に余談を。
柳澤氏はいま、「1993年の女子プロレス」の聞き書きシリーズを続けているが(わたしは女子プロは一般人と同じ程度に無知だが、それでも異様に、猛烈に面白い。「プロレスにガチはありえないというが、松永ぐらい”いい加減な”興行主なら、そのいい加減さゆえにガチも認めたんじゃないか?そういうこともプロレスにはあったんじゃないか?」という、プロレスの見方をある意味ひっくり返すような大きな謎を、個人的には一番注目している。


んで本題に戻って・・・今回掲載されている氏の記事は「木村やコンデコマ以外にも、海外で活躍したまだ無名の柔道家がいる」という話と「柔道vs柔術の『教科書が教えない歴史』」。
両方、小見川道大の言葉を借りれば、俺にとっては「大好物ですね。」という読み物である。
では読み進めてみよう。


彼は「ブラジルに三角絞めを伝えた男」として小野安一という柔道家を名指ししている。
なんとこの小野という男、木村vsエリオの1951年の試合に先立ち、1930年代半ばにエリオ・グレイシーと2度対戦、2度引き分けている(大いに投げたが、ギブアップには至らず)というではないか!!
しかも・・・
はてなダイアリーでも、この名前を出すのはこのブログだけらしいんだが(笑)小野は「金光弥一兵衛」の弟子に当たるというのだ!、

だからこそ「ブラジルへの三角絞め伝道者は小野である」と名指しで推定できるらしい。

そういえば、小野の名前を出したのはこのブログで2回目。まさに三角絞めの話題だ。


■三角絞めはどうブラジルに伝わったのか?そしてノールールでの三角絞めは?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100120/p1
ただの記事紹介なのに、しかも自分で自慢するのもあれだが、いや面白いエントリだよこれ。
コメント欄も含めて面白い(笑)。


このとき、小野のはてなキーワードを作りかけたのだが「おのやすいち」なのか「おのやすかず」なのか、はたまた別の読みなのかが分からず断念した(笑)。
いや、ことほど左様に海外で活躍した柔道家や、明治大正や戦前に講道館と一線を画した柔道家柔術家は無名のままなのだ。目に付く人は、私が「はてなキーワード」に登録し、ネットの中で少しでも足跡をつけようとはしているんだけどね。


元にもどすと、「三角絞め」(最初の名は「松葉がらみ」)は登場時期がはっきりしていて
・1922年、第9回高専柔道大会に登場。開発したのは、金光弥一兵衛が師範を務める岡山の六高。
・1927年、小野安一が倉敷玄武館に入門。金光は学校の師範と同館の指導者を兼ねていた。
・1929年、小野がブラジルに渡る。

柳澤氏、ご丁寧に他の岡山出身柔道家まで調べて「ブラジルにわたった人があと1人存在するが、六高とは無関係」だと解明している(笑)。

これで犯人は判明した。小野がいなければUFCでホイスもダン・スバーンに敗れていたかもしれない。セーム・シュルトもPRIDEでノゲイラに勝ったかもしれない。いやさすがにそれはとっぴもない想像だが。

その後の小野のブラジルでの活躍はまさに風雲児で、ブラジル最大の武道大会で、どこかの選手の「狂気の大晦日!」のように腕折を(意図的に?)しかけて失格となったり、ボクサーを15秒で退けたり「誰の挑戦でも受ける」と広告したり、さらにお約束の「興行にかかわったのはけしからん」と主流派から攻撃されるなど波乱万丈の展開を見せる。

残念なことに、亡くなったのが2000年。一緒に活動した同じ柔道家の弟、直一も2001年に逝去した。UFCが始まってからなお7年、8年も時間はあったが、当事者のエリオと引き分けたというっ代わり深い人物なのに、ほとんどインタビューもないはず。
本当に、日本では無名のままだったといっていいのではないか。逆にこれだけ長命で、UFC以降も長くご存命だったことが逆に惜しさを倍増させる。


この無名ぶりのひとつの理由が、講道館の「正史」が持つ偏り、とくに海外の柔道普及の功績者に対する過小評価にあるのではないか。そう指摘する声は多い。
それは「興行」「(講道館以外の)柔術」というふたつのキーワードが重要になってくる。

とりあえず休憩し、たぶん夜?に続きを書く。

今回は、他のネタ捨ててこの話で押し切るぞ(本当はここからさらに変化を見せる技があるんだが・・・)

ではその、夜からの「続き」を読む前にこのへんを読んでおいていただければ。
最初につけたタイトルにも多少はつながるような。


■武道の「裏歴史」を読み解け!講道館は官の力で柔術を乗っ取ったのか?(柳澤健)
※特にこれが重要なので宜しく
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090114#p2
■柔道家・田辺又右衛門の話続き
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090115#p4
(上の2リンクは、ここに掲載のインタビューを基にしたもの)

kamipro Special 2009 FEBRUARY (エンターブレインムック)

kamipro Special 2009 FEBRUARY (エンターブレインムック)

■「木村政彦を投げた男」「最後の武徳会」阿部謙四郎伝
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090527#p2
■”スモールタニ”谷幸雄がハッケンシュミットに挑戦していた。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090306#p1
■シャーロック・ホームズと柔道(バリツ)とそのへんの事柄のための資料
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090312#p1
■「昭和天皇とアルセーヌ・ルパン。−1921年6月 21日、パリ地下鉄にて−」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090429#p6
■赤穂浪士の正邪を巡る諸問題(杉浦日向子さん逝去に関連し)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050808#p3
■本日は赤穂浪士の討ち入り日。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061214#p4


えっ、おれこんなに書いてたっけ?
そんで、この歌も聴いていただきたいんです

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND54188/index.html
記された文(ふみ)だけがこの世に残ってゆく
形ある物だけがすべてを語ってゆく
叫べども あがけども だれがそれを知るだろう
http://ameblo.jp/kuriyakin/day-20070910.html

「伝説」もまた、せつなさに胸が痛い作品だ。映画「四十七人の刺客」(市川昆監督 東宝 1994年)のシナリオを読んで感動した中島みゆきが、一方的に歌を作り送ったのがこの「伝説」である。スタッフや俳優たちは絶賛したが、既に別の曲(谷川賢作氏担当)が決まっていたので、採用されなかった。

再開します。興行と柔術。

小野安一は「毎日がガチ」な、ハードな生徒指導と他流試合を繰り返した。
「全部リアルファイト。遊びじゃない。負ければ飯が食えなくなる」とのちにミュンヘン五輪で銅メダルを取った弟子の石井千秋が回想する日々を経て、小野はブラジルで認められるようになっていった。
だが1938年、小野は「興行をしている。プロである」との理由でブラジルの武道大会出場資格を失う。
はるか後の1952年、「正しい講道館柔道」を掲げる日本の柔道家を招いての会合で、やはり「金を賭けてプロレスやボクシングなどと戦ってきた」と批判された小野の叫びが、この記事には記されている。

お前(正統派柔道を自認する柔道家)は自分の手を汚さず、講道館は正しい、他流試合はいけない、プロは汚いと・・・(略)・・・ブラジル人は血みどろになって戦い、勝たなくては承知しない。そういう国柄なのだ。(後略)

ここで、各国で柔道を普及させた男たちの、無名ぶりの理由が明らかになる。
すなわち「柔道を海外で普及した男はみな他流試合でその強さを証明した。すると講道館はそういう人を邪道認定し、名誉を与えようとしなかった。すなわち普及に功績のあった人ほど無名になる」
この矛盾!!
なにしろ英国に一大旋風を巻き起こした功績第一のスモール・タニ(谷幸雄)は、破門されないのがせめてもの幸いではあったが、嘉納治五郎が贈ったのは講道館二段ですよ!
カ・・・カテエ!!!
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/44-5801.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E9%9B%84


もうひとつの「柔術と関わるものは講道館正史から不当な扱いを受ける」という話だが、おや谷幸雄や小野安一の話は自動的に興行の話と関わってくる。上のリンク「武道の『裏歴史』を読み解け」に出てくる田辺又右衛門の話などを読んでいただくとして、あとは割愛しよう。
ただ、わき道ながら面白い指摘を。

柔術場には畳が入ったのは江戸中期・・・それまでは板の間だから、投げの稽古がそうはできない。新しい流派だからこそ華麗な投げ技ができるようになった(大意)

インフラの整備がテクノロジー、そして思想体系をも変える!!

いま柔道を仕切っているのはフランス。同国は下半身を攻められないグレコローマンレスリングの発祥地で、”スープレックス”もフランス語、最近のタックル禁止などの柔道ルール改正は『JUDOから柔道へ』どころじゃない、グレコの伝統をもつフランスの手のひらで踊っているだけ。”ブラジリアン柔術”のような”フレンチ・ジュードー”なのだ(大意)

そういえば・・・

そこで柔術家の「物語によるリベンジ」をいま再び。

繰り返したが、以前の柳澤インタビュー( http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090114#p2 )では重要な指摘がある。
「『姿三四郎』は講道館のオフィシャルな史観をPRするための、プロパガンダ小説だった!!(大意)」というのがそれだ。

くしくも、4月25日、CS放送「アニマックス」ではアニメーション版の同作品が放送される。
http://www.animax.co.jp/feature/index.php?code=NN10000962

あー、この作品なんて直接読んだことないよ。影響なんて受けてないよ・・・というなかれ、黒澤明が映画化したりなんなりで、直接原典を読んでいなくても、例えばパロディを通じてでもこういう名作は「雰囲気」や「世界観」を培養し、育てていくものなのだ。

講道館の勝利は学校教育をぎゅっと握り、警察とも手を結んだところにあるとは思うのだが、こういうプロパガンダの勝利も大きいんじゃないかと、あらためて思う。

そして、木村政彦のエリオとの死闘も、”講道館正史”から抹殺されればそれまでだった・・・が!!

「見る側」「書く側」が歴史を糺す(・・・か?)。

1993年、奇妙な八角の金網の中で無傷のまま勝利したブラジルの小男・・・ホイス・グレイシーの幻想は、日本から見れば地球の裏側にあった熱いドラマに注目を集めることとなった。あと10年早ければ、5年早ければ…と欲を言えばキリがないが、それなりに残っていた歴史の証言者たちの言葉が、活字が好事家たちによって再び記録化された。

格闘技が興行、ショーとして楽しまれること・・・つまり”物語”になることが、彼らのリベンジn一翼を担っているのだ。
一応講道館の末席を汚すといえば汚してるのだが(笑)、1月に続けるといった腕立て伏せとローラー腹筋もどこかの政党の公約なみになかったことにしているどこかのブロガー「ですら」、ある程度は講道館正史が闇に葬ろうとした人たちへの注目を増す点では多少は役に立っているだろう。
おたくと何とかは使いよう。

そして見よ、今実際の北大柔道部を経験し、中井祐樹をそちらに引きずりこんだ男が幸運にも文筆の道に進み、いま木村政彦の生涯を描こうとしているではないか!この金字塔が打ち立てられれば、これが「稗史」であったとしても、その存在感は揺るがない。木村は実績と記憶だけではなく、”物語”として勝利するのだ、と思う。
これが、タイトルの由来。

カネも地位も、事実すらこの世に残らない。残るのは唯一、「物語」。

「風雲児たち」シリーズが有名なみなもと太郎の小品に「仁義なき忠臣蔵」というのがある。
一時、みなもと氏が独自に出版したことがあり、それを私は友人から頂いたのだが、現在は

冗談新選組

冗談新選組

でも読むことが出来るようだ。赤穂浪士は言葉遣いや行動原理がヤクザ映画に似てるんじゃないか?というアイデア一発の作品なのだが、同時に、これから切腹する大石が息子や部下に
「わしらの勝ちは、ただの勝ちやない。」
「この先100年、200年勝ち続けるでぇ・・・・」
と不敵に言い放ち、刑場に向かっていくというとっても印象的なラストシーンがある。

逆にいうと、浪士に殺された吉良上野介は100年200年負け続けなのだす。
ここでも思い出したように書いている「実は吉良が悪党で浅野が被害者というのは根拠がない」という話、いまは歴史好きならそれなりに知られているけど「勝ち負け」をひっくりかえすにはとても至らない状態だ。

こうなってくると現世の栄耀栄華なんかより、死してなお、怪しげな伝説や伝承、フィクションは百も承知の講談漫画の世界で英雄、美女、聖女、大物・・・として扱われることが、人にとっての一番の幸せなんじゃないか?と思ったりさ。


あるいはシェイクスピア「ジュリアス・シーザー」の中で、シーザーを暗殺したブルータスらは、自らの正義を信じ、暗殺現場でこう宣言する。

Shall this our lofty scene be acted over
In states unborn and accents yet unknown!
(どんなに時代が過ぎようと、我らの行なったこの崇高な場面は、まだ生まれていない国で、まだ知られざることばで、繰り返し演ぜられることであろう。)
http://www.geocities.jp/todok_tosen/shake/jc.html

この台詞がシェイクスピアの「劇」の中に出てくるというのもメタというかなんというかなのだが・・・ただ、自らの暗殺行為を英雄の功業だと信じるものが「この場面は芝居になって、いろいろなところで演じられるはずだ!」と確信するという、その思考の流れはなんとなく実感をもって迫ってくる。
まったく違う文明を描いた「ダンス・ウィズ・ウルブス」でも、インディアンの少年たちは最初、主人公の白人の馬を盗もうとする。部族内ではよそ者の馬を、華麗に自分のものにしちゃうのは「よくやった!」ということになるのだろう。
「僕らは英雄だぞ!」
そして
「詩にうたわれるぞ!」
と喜ぶシーンが印象に残る。


だからこそ・・・「裏歴史」でちょっと書いた
「政府と癒着し、御用スポーツとして金銭や名誉の力で勢力を拡大しようとする、こすっからく卑怯な講道館。そこに単身、己の技術と誇りを胸に立ち向かう痛快無類の柔術家!!」というようなフィクション、まじにだれかやってくれないかなぁと。
この際、多少誇張を入れても過去の経緯からおつりが来るだろう。悪のモデルはたくさんいるよ。
「柔術スターウォーズ」みのもけんじに書いてもらう?原哲夫でもいいな。悪役はこっぴどいほどいやな顔に、柔術家のほうが目元涼しいいい男に描いてくれそうだ(笑)。


にしても、夢枕獏。
ちゃんと終わらせるんだろうな、これ。これは講道館マンセーもの(というのも違うか)だが、それはそれとしても終わらせないまま死ぬとか許されんぞ。

東天の獅子〈第1巻〉天の巻・嘉納流柔術

東天の獅子〈第1巻〉天の巻・嘉納流柔術

東天の獅子〈第2巻〉天の巻・嘉納流柔術

東天の獅子〈第2巻〉天の巻・嘉納流柔術

東天の獅子〈第3巻〉天の巻・嘉納流柔術

東天の獅子〈第3巻〉天の巻・嘉納流柔術

【補足】ウィキペディアをおさえろっ!!

今、「知名度」や「常識」を語るときの基準のひとつがウィキペディアだ。
以前から、上の講道館正史が無視する柔道家・柔術家の項目を立てる必要は認識していたが「谷幸雄」ひとつを作っただけでとまっている。これは私の怠慢だと認める。
ここから失地回復の、のろしを挙げる。