今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

(312) ハイスクールララバイ/イモ欽トリオ(1981)

連休明け1週働いた後の3連休も明けてしまった「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:松本隆/作曲:細野晴臣

発売:1981(昭和56)年8月5日 (当時:山口良一26歳、西山浩司20歳、長江健次17歳)

売上:104.3万枚(オリコン最高1位) ※1981年度 年間4位

1981(昭和56)年に発売された、イモ欽トリオのデビューシングルです。

 

●欽ちゃん番組ユニット

この年4月にスタートした「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で、それぞれ良い子悪い子普通の子にオーディションで選ばれた3人によって結成されたユニットで、元々は視聴者のハガキに沿って、萩本欽一さん演じるお父さんに絡んで毎週コントをする?というコメディアンの卵的存在が、ユニットを組んで曲を出すことになったものです。

今回調べていて初めて知りましたが、当初は最年少フツオ役の長江健次さんのソロ曲という事でレコード会社からオファーがあったといいます。

これを欽ちゃんが反対し、今度は別のレコード会社から「3人で」ということで口説かれて、リリースする運びになったようです。

欽ドンは当時、見始めたかな?ぐらいな感じてでしたが、特に3人の名称についてはよく知らず「ザ・ベストテン」などの歌番組に出てくるようになってから、イモ欽トリオというグループ名?を認知しました。

グループ名は当時大流行の「たのきんトリオ」からは容易に想像できましたが、「イモ」の部分は、曲を手掛けた細野晴臣さんに関係して「YMO」から「YM」をそのように読んだとか諸説あるようです。「欽」は勿論、大将こと欽ちゃんに因んでですが、欽ちゃん番組でいくつかユニットはあれど「欽」の字がついたユニットは彼らだけだったと思います。

 

●作家陣

作詞はこの時代王道的存在の松本隆さんで、こんなユニークな曲の作詞をしていたというのは、なんか意外でした。

そして作曲は細野晴臣さんです。細野さんの作曲家としての出世作だそうで、以前からヒットメーカーだったように思っていたのでこれまた意外でした。その後は松田聖子さんや中森明菜さんのシングルヒット曲も手掛ける事となります。

ちなみにイモ欽トリオは計3枚のシングルをリリースしますが、A面曲はすべて細野さんが作曲を担当しており、すべて松本隆さんの詞によるものでした。

この少し後、1984年頃?にFMラジオで「細野晴臣の作曲講座」みたいな番組があり、その時にこの曲を題材にして色々と講義?をされていたのを覚えています。YMOとして「君に、胸キュン!」でブレイクしたのは、この2年後の事です。

そして、松本さんと細野さんといえば、日本初のロックバンドといわれる伝説的存在「はっぴぃえんど」の仲間同士でもあります。ロックの元祖が、お笑いユニットともいえるこの3人へ提供しているのも面白いところです。

 

●大ヒット!

欽ちゃん番組から誕生したユニットで、いわゆる「企画もの」で出たシングルになりますが、ヒットチャートをぐんぐん駆け上り、テレビのランキング番組に出る事で「欽ドン!」以外の視聴者にも顔が売れ、デビュー曲にしてオリコン最高1位、104.3万枚を売上げ、1981年度のレコードセールス4位を記録する大ヒット曲となりました。

「ザ・ベストテン」では8週連続1位を記録し、イモ欽トリオが時の人となった曲でもありました。

欽ちゃん番組で選ばれた3人がデビュー曲で、いきなりミリオンセラーのヒットを飛ばす快挙で、逆に本人たちは「歌手の皆さん、スミマセン」という心境だったといいます。

 

●衣装

ジャケットは「欽ドン!」のものですが、歌番組でパフォーマンスする時は、白い襟シャツに、それぞれのカラーのキラキラしたベストを着ていたのが印象的でした。

 

●パフォーマンス

バラエティ番組のいわゆるお笑いメンバーたちのユニットだけあって、その面白さを活かしたフリになっています。

基本的にバンドのメンバーという設定なのか、フツオの長江さんがボーカル、ヨシオの山口さんがキーボード、ワルオの西山さんがドラムという設定と思われ、長江さんが歌う両サイドで2人がそれぞれ楽器を演奏する仕草をしながら、一部分を一緒に歌っていました。

最初で印象的なのは、多くの人が知るシーンですが、前奏で山口さんと西山さんが向き合ってのパフォーマンスで、山口さんがことごとく西山さんをビンタし、前奏の最後(歌い出し直前)では、山口さんが西山さんに往復ビンタをかますという、効果音も相まっていわゆる「つかみ」として有効だったと思います。自分は当時小5でしたがクラスでよくこの部分のマネをしました。

2番を歌い終わっての間奏部分で、長江さんのセリフ、

♪こんなに好きやのに つれないなぁ 「ナァーー!」

の部分も、この曲の大きなインパクトがあった箇所で、その後長江さんが欽ドンでの登場シーンでこのフレーズを多用してて、なんならこの「ナァーッ!」で出てくるほどでした。

また、最後に何度も繰り返される

♪100%片想い

のフレーズ、当時歌詞の表示がなかったので、なんて歌ってるのかよく分からず、100%がタオモイ?みたいな感じで、意味も考えずに覚えていました(笑) タオモイって何?みたいな。

この時にやる

♪BABY I LOVE YOU SO スキスキBABY

の仕草が、女体だとは当時小学生につき、思ってもみませんでした。

てな感じで、リアルで聴いた時と、少し後になって聴くのとではまた違った捉え方とか、理解とかするのは、子供の頃に聴いた曲ならではですね。

 

しかしイモ欽トリオも今や全員が60代、3月には山口さんが70歳になるという事で、時の流れを感じますが、3人でいまだに集まってYouTube動画をupしたりなど、全員がまったくの健在なのが嬉しいところです。

 

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(311) BIG BEAT/矢沢永吉(1991)

 

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作詞:ちあき哲也/作曲:矢沢永吉

発売:1991(平成3)年12月11日 (当時42歳)

売上:2.8万枚(オリコン最高29位)

 

1991(平成3)年12月に発売された、矢沢永吉さん30枚目のシングル曲です。

 

●後発シングル

この年はビールのCMソングに起用された「夢の彼方」(1991.4.19発売。最高3位。最高13.3万枚)や「刑事貴族2」の主題歌に起用された「ラスト・シーン」(1991.5.31発売。最高4位。最高20.7万枚)などがヒットしましたが、この「BIG BEAT」は7月に発売されたアルバム「Don't Wanna Stop」の1曲で、元々アルバム曲として世に出たものですが、12月に後発でシングルカットされました。

なので売行きは前2作に比べて少なくなっていますが、シングルカットされ「世界ふしぎ発見!」のエンディング曲として一時期起用されていました。

 

●ツアータイトルの曲

この年に発売された永ちゃんのアルバムは「Don't Wanna Stop」で、このアルバムタイトル曲も存在しますが、「BIG BEAT」はこの年の永ちゃんのツアータイトルでした。

それだけキーとなる曲であり、この年の他のシングル「夢の彼方」「ラスト・シーン」はバラード調のしっとりした楽曲ですが、「BIG BEAT」はタイトルからして攻めの楽曲と感じられるYAZAWA流ロック全開のビートのきいた楽曲です。

 

●詞とサウンド

最初は割にフワッとした立ち上がりですが、

♪はじけてくれ BIG BEAT

のところでグッともっていきます。

で、サビは

♪C’mon(×6)で、カモンカモンカモン…ってくるわけで、永ちゃんの決め台詞というべきフレーズが連続で繰り出されます。

しめのセリフが

♪I'm A Rock'n Roll Man

でビシッとキマります。

当時21歳だった自分はこれをカラオケで歌いたくて歌いたくて仕方なかったですね(笑)

当初はシングルカットされてなくて新譜であがってなかった機種もあったと記憶していますが(今みたいにアルバム全曲いっぺんにあがるとかなかったので…)、シングルカットされた後は、もれなく登録されていたので、よく歌いましたホントに。

 

ここで間奏に入り、終わったと思ったらBメロ始まりの2番に入りました。ここの

♪ギターを掌(て)に BIG BEAT

という部分、「掌(てのひら」)を「て」と読ませるか?と初見の時から思ったものでした。

♪振り返ってみても 続かないね

の部分はカラオケで歌いながら、チラッと振り向いてみたりします(笑)

そして2回目の間奏に入り、ちょっとしたフフッて感じの笑いも差し挟みつつ、シャウトすると共に間奏のエレキがうねります。

そのエレキのうねりが最高潮に達し、間奏が終わると共に永ちゃんのシャウトが入り、またも♪C'mon(×6)…と畳みかけ、シャウト含め「何回カモン言うねん?」というぐらい歌われますが、でもこれがいかにもYAZAWAでいいな、と思う訳です。

このラストの部分は繰返しなので、カラオケで聴く側は相当飽きると思いますが、歌っている側はスカッと心地よい曲です(笑)

それにしてもカラオケでは、当初キーが合わず変な感じの曲調で歌っていた気がしますが、今はキーコントロールも容易になり、またアレンジが原曲に忠実になってきてるので歌いやすいなと感じます。

 

●ジャケット

アルバム「Don't Wanna Stop」の歌詞カードにあったような写真ですが、そこからの流用と思われます。

革帽子に革ジャンにあごひげに…という感じで、当時谷村新司さんとビジュアルが混同した覚えがあります。妙にチンペイさんに似てるな…と思いまして。

 

 

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(310) お嫁サンバ/郷ひろみ(1981)

年末年始の休みが明けて、仕事始めの週を終えた「今日の1曲」。

 

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作詞:三浦徳子/作曲:小杉保夫

発売:1981(昭和56)年5月1日 (当時25歳)

売上:27.2万枚(オリコン最高6位) ※1984年度 年間51位 

1981(昭和56)年5月に発売された、郷ひろみさん38枚目のシングル曲です。

 

●転換期の曲

郷ひろみさんの代表的な曲のひとつとして今も挙げられるほどのメジャー曲ですが、当時25歳で、オリコンヒットチャート的には常時TOP10入りする事が難しくなってきており、1978(昭和53)年頃から最高10位に入れない曲もちょくちょく出てきて、年齢的にも22~23歳となり、彼らの下の世代が10代のアイドルとして登場し、それまでのトップアイドルから「大人の歌手」への路線転換を迫られている時期でした。実際、リリースする楽曲もそれまでのアイドル路線から大人っぽいものとなり、歌い方も声が低く落ち着いたものへとシフトしていってる事が感じ取れました。

当時「新御三家」とよばれた彼らが同様に、20歳を過ぎてからヒットチャートの賑わせ方に落ち着きをみせるようになっていき、郷さんも緩やかながら少しずつ下降していく形となっていて、本人たちの歌唱力やパフォーマンスが成熟するのと反比例するように、レコードセールスは徐々に頭打ちとなっていきました。

そんな中で、曲(メロディー)が最初に郷さんの元へ届けられて「いいな」と思ったのが、この曲だったといいます。

 

●1、2サンバ 2、2サンバ?

メロディーを聴いて「いいな」と思ったのも束の間、その後届けられた歌詞を目にして「1,2サンバ 2,2サンバ?なんだこれ?」と思ったそうです。

このコメントをしているところを実際、テレビ番組で見た事がありますが、当初は「こんなの歌えないよ」というような事を言っていました。当時の年齢から考えて大人の楽曲を熱望していたであろう状況から、こんな訳の分からないフレーズの曲を拒否するのは当然の流れだったと思われます。

しかしプロデューサーに「必ず後世に歌い継がれるから」と説得されてリリースする事となり、実際に当初拒否したこのキャッチーなフレーズがウケて曲はヒットしました。

それまで近々では大人の路線で続けていたところに、急にこんなキャッチーで後にいういかにも「ヒロミゴー」的な楽曲をリリースした事は、彼にとって間違いなくターニングポイントとなり、エンターテイナーとして独自の路線を歩んでいく、その方向性の決まった楽曲!といっても過言ではないと思います。

 

●売上

オリコン最高6位、27.2万枚とセールス的にはものすごい大ヒット曲という訳ではなく、セールスよりも話題性がかなり上回り、前年の「How Manyいい顔」(1980.9.21発売。最高8位。29.9万枚)以来のオリコンTOP10入りを果たし、またそれよりも売上は下回っていますが、やはりインパクトは「お嫁サンバ」の方が断然強いと感じられます。ちなみに1981年度の年間51位にランクインしています。

 

●お嫁さん+サンバ

当時自分は小5でしたが、このタイトルが合名的なものというのは何となく認識していました。しかし、およそサンバとは無関係と気づいたのは後の事でした。

歌詞的には、前出のサビの部分のインパクトが絶大ですが、サウンドがシンプルで、また

♪あの街 この街 (あの街 この街)

という独特のコーラスが入るのも印象的です。

サビ前の

♪ちょっと ちょっと まーってよちょっーとー

の部分で、グッと盛り上げていくのも曲の構成的に素晴らしさを感じます。

♪ひとりのものにならないでー

って言うのは「お嫁に行かないで」って事でしょうが、これに続き部分が意味不明すぎて大好きです(笑)

♪あああー ああー それが大事だよ 1、2サンバ 2、2サンバ お嫁お嫁 お嫁サンバー

って訳が分からなすぎで、作詞(三浦徳子さん)の才覚がすごすぎます(笑) 

 

 

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(309) 野良犬/A.R.B.(1978)

長かった休みも明けて,また会社生活へ逆戻りの「今日の1曲」。

 

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作詞/作曲:石橋 凌

発売:1978(昭和53)年10月25日 (石橋凌:当時22歳)

売上:不明(オリコンチャートインなし)  

1978(昭和53)年10月に発売された、A.R.B.のデビューシングルです。

 

●ARBのデビュー曲!

石橋凌さんをフロントマンに据え、社会派ロックバンドとして主に80年代に活躍したA.R.B.(アレキサンダー・ラグタイム・バンド)の記念すべきデビュー曲です。

しかしその結成は、およそロックとはかけ離れた要素の成り立ちであり、日本版「ベイシティ・ローラーズ」をつくろうという事で、オーディションで集められた5人がバンドを組み、デビュー曲として石橋凌さんが作詞作曲したのがこの曲でした。

 

●草創期のレアメンバー

A.R.B.はこの曲でデビューした1978(昭和53)年から、最初に解散する1990(平成2)年まで、メンバーの変遷について大きく3つの時期に分けられますが、最初の時期は1978~83年となり、その中でも1978~79年と、この後の83年までの時期に更に分けられます。

その草創期はデビュー時期の1年あるかないかぐらいの期間で、メジャーデビュー後程なく、この5人のうち2人が脱退します。その後ベーシストが交代してしばらく第1期として活動を続けていく事となりますが、このメンバーでアルバムジャケットに写っているのはデビューアルバムのみでした。

 

●ジャケット

後のA.R.B.を基準に考えると、あり得ないほどのカラフルで、半ばアイドルチックですらあるようなジャケットだ、と感じます。

やはりアイドル的な男性バンドとして集められ、プロモートされてきた経緯もあり、このような出で立ちになっていますが、真ん中の真っ白な衣装が石橋凌さんで、「誰これ?」って感じですね。世良公則さんがツイストでデビューした頃のような姿でした。

そして、このバンドに石橋さんと共に最初から最後まで運命を共にしたドラマーのKEITH(キース)さん(向かって左端)はスキンヘッドに黒ずくめのスタイルが定番でしたが、この時は赤い帽子に黄色のズボンはレアすぎるほどレアなスタイルです。しかも初期は髪を伸ばしていたというのが驚きです。

しかし、このようにプロモートされた事が、バンドメンバーにとっては方向性が違う、ということになり、彼らはこの後独立することになります。それで社会派ロックバンドへ変貌していく事となりました。

それにしてもこれ以外のメンバーの顔と名前が一致しません。初期のギタリスト田中一郎さんは顔の変遷が激しく、あとどれが宮城伸一郎(脱退後チャーリップへ移籍)さんで、どれがENMAさんか分かりません。

 

●曲

石橋凌さんの詞はデビュー当初からメッセージ性のあるものでしたが、歌い方がややアイドルチックで、プロデューサーの指示で、自分たちの想いと違っていたのかな…?とか思ったりしました。

自分を野良犬に見立て、♪吠えろおまえもとか、♪牙を向けてやれ!とか、抵抗というワードが浮かびます。けど♪野良犬もそんなに悪くない と結んでいるのは、野良犬である自分もまんざらではない、と思っているのでしょうか。

間奏のサウンドがロックらしいもので、70年代末期の割には先進的な音というか、独特の音響効果とうねるエレキが混在して、まだ市民権を得るに至っていないロックらしいサウンドを感じます。

 

 

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(308) 泣かないで/舘ひろし(1984)

年末年始の10連休も遂に終盤に差し掛かり寂しすぎる「今日の1曲」。

 

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作詞:今野雄二、宮原芽映/作曲:舘ひろし

発売:1984(昭和59)年8月1日 (当時34歳)

売上:24.8万枚(オリコン最高8位) ※1984年度 年間59位 

1984(昭和59)年8月に発売された、舘ひろしさん12枚目のシングル曲です。

 

●3年ぶりシングル

当時「西部警察」シリーズの鳩村刑事役で人気沸騰中だった舘さんが「満を持して」元々の本業だった音楽の世界で実に3年ぶりのシングルをリリースした事で話題になり、ドラマの人気に引きずられるように、この曲もヒットを記録しました。そういう面では寺尾聰さん「ルビーの指環」と同じような現象と当時感じていました。

舘さんは「西部警察」出演期間中はシングルリリースをしておらず、鳩村刑事役で復帰したのが1981年12月の事で、前作シングル「ワンモア・チャンス」はその年の7月(ドラマ復帰前)にリリースしており、これ以来音楽活動自体が休眠状態にありました。(全国縦断ロケ等ドラマのイベントで歌ったりはしていましたが)

 

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「西部警察」での最初の出演はハーレーを乗り回すタツこと巽刑事役でしたが、当初の契約通りか半年で殉職の形で降板しました。

その後ファンからの熱いラブコールを経て1年半後に別の鳩村刑事役で復帰していますが、歌手活動と俳優活動は被りなくやってきており、この曲が出た時のみ、歌手と俳優のと同時並行の状態で活動していました。

 

●最大ヒット曲

舘さんのシングルはそれまで、オリコン100位以内に入る曲が殆どなく、また俳優活動と並行してリリースする事もなかった事もあってか、これというヒット曲がない状況でした。どっちかというと、ロック歌手としてコアな人気があったという感じでした。

俳優として人気沸騰中にリリースされたこのシングルは、石原プロが全面バックアップしたと思える、舘さんのアクションシーンが入ったTVCMが盛んに流されていましたが、発売後チャートを駆け上っていき、オリコン最高8位にまで上がり、自身を代表する曲となって、年間でも1984年の59位に入るヒット曲になりました。

当時の音楽番組である「ザ・ベストテン」にも出演を果たし、歌手・舘ひろしとしての一面がデビュー10年目にして世間に広く知られる事となりました

 

●脱ロック?

それまでの舘さんの楽曲は、元々ロックバンド「クールス」のリーダーとしての活動が起点で、アメリカンロックテイストを基調とした音楽を作っていて、クールスを脱退後はソロのロック歌手として独自の路線を築きますが、あくまでもロックのカテゴリに入る楽曲群でした。

3年ぶりに発売されたこの曲や、当時リリースされたアルバム「イン・ザ・ムード」などは、かつての路線からガラッと変わるムーディーな楽曲群(アルバムタイトルがまさにそうですが)で、かつての舘さんの音楽を知る側からすると、戸惑う向きも見られたと思いますが、俳優としての役柄も革ジャンの似合うワイルド路線から、スーツの似合う大人の路線へシフトしていく頃であり、そのキャラクターに合ったものではあると思います。

決してロックの路線を捨てた訳ではないでしょうが、国民的俳優となりゆく過程において、楽曲の路線も変わっていったのかな、という気がしました。

 

↓クールスの楽曲についてはコチラ

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↓それまでの舘さんソロ楽曲についてはコチラ

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●作家陣

作詞は今野雄二さんと宮原芽映さんの共作です。

今野雄二さんは音楽評論家の方が主という感じで、他者への歌詞提供はあまり多くないですが、舘さんや三田村邦彦さんなど俳優兼歌手の方に複数提供があり、またヒット曲では1986(昭和61)年石井明美さんの歌で「男女7人夏物語」の主題歌としてヒットた「CHA-CHA-CHA」の日本語詞を担当しました。2010(平成22)年自死により逝去されていす。

宮原芽映さんは女性シンガーソングライターで、桜田淳子さんの末期シングル「眉月夜」含め、平成期のアイドルや、小椋佳さん、レベッカなど実に幅広い分野の歌手に楽曲提供をされています。

やはりサビの

♪泣かなぁーいでぇぇー

の部分がとにかく印象的ですね。

♪消し忘れた煙草 回り続けるレコード  (レコード!が昭和)

など、別れ間際の何もかもが「途中」の状態を感じさせますが

♪今よりもマシな優しさにあえるよ

ってフレーズがグッときました。

今は最悪の瞬間だけど、きっとこの先はよい出会いがあるよ、という感じで。

 

作曲は舘さん自身ですが、サビの♪泣かなぁーいでぇぇー

の直前の「間」を計算して入れたのだと思いますが、これが絶妙と感じます。

タメにタメて、このフレーズを思いっきりムーディーに歌って、キャッチーなフレーズになった、と感じました。

他には

♪弱くなったの わたし

の「わ」の部分の歌い出しが、タメてからブワッと出す感じの歌い方で強調されている感があり、ここもまた印象的でした。

 

もう40年も前の曲か…と感慨深くなりました。

 

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(307) めざめのカーニバル/榊原郁恵(1978)

2025年新年あけましておめでとうございます。

今年も、自分のi-Podから出てくる色々な曲を紹介していきます「今日の1曲」。

 

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作詞/作曲:佐々木勉

発売:1978(昭和53)年4月1日 (当時18歳)

売上:12.4万枚(オリコン最高16位) 

1978(昭和53)年4月に発売された、榊原郁恵さん6枚目のシングル曲です。

 

●サンバ

カーニバルという曲名から連想される「サンバ」の早いリズム音を前奏の序盤から盛り込んでいて、最初だけ聞いてポップな曲と分かります。

その後の

♪タタタ タッタッタッ…

と勢いよく出てくる音がありますが、個人的に初めて聴いた時「仮面ライダーV3の前奏に似てる!」と感じました。

メロディーラインが似てる感じでしたが、そのくらい勢いの良い前奏の曲です。

 

●作家陣

作詞作曲とも佐々木勉さんで、郁恵さんのシングルヒット時に立て続けに作曲はしていましたが、詞も作ることはかなり少なく、他には「あこがれ」(1978.11.1発売。最高42位。4.1万枚)と本作の2曲(シングルA面に限ると)のみでした。

「あこがれ」は前作のわずか1ヶ月後に発売された企画盤につき売上が少なくなっています。

 

●売上

オリコン最高16位を記録し、12.4万枚を売上げました。

郁恵さんのシングルでは最も安定した売上を記録していた時期で、前作「いとしのロビン・フッドさま」(1978.1.1発売。最高18位。15.3万枚)に続く2作目のオリコン20位以内ランクイン(意外にもTOP10ランクイン曲はゼロ!)を果たし、売上は少し落ちたものの、最高位は更新しました。

彼女の代表曲的存在で、また最も売れた「夏のお嬢さん」の前のシングル曲であり、この時期がレコードセールス的なピークで、10万枚以上の売上を連発していました。

 

↓「夏のお嬢さん」についてはコチラ

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●超HAPPYな曲

詞を改めて見ると、とても幸せな想いに満ち溢れているように思えました。

♪あなたにめぐり会えた 喜びにあふれ

とか

♪幸せすぎて とてもこわい 目覚めよ

など、夢に見た「あなた」と出会って、「二人ここで花開く」ことが幸せすぎて怖いくらいの様子です。

サビはシンプルすぎるもので、

♪カーニバル(×4) 目覚めのカーニバルー

と歌い上げていますが、かつてリアルタイムで見ていた方々が、この部分だけ記憶にあるという声が複数見られ、動画を見て「郁恵ちゃんの曲だったのか」「この曲だったのか」などの反応を見て、人々の記憶に残っている事が感じ取れました。

個人的に彼女の曲でリアルに記憶しているのは、少し後になってからの「太陽のバカンス」(当時小5)が最初であり、代表曲「夏のお嬢さん」(当時小2)すら後に知ったぐらいで、その曲をリアルで知るかどうか、というのは当時の年齢が大きく影響する訳で、もう2、3年早く生まれてたら♪チュウ チュウチュチュ…と学校で歌っていたかもしれません(笑)

 

↓「太陽のバカンス」についてはコチラ

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●サウンド

前奏については冒頭ふれましたが、全体的に疾走感溢れるサウンドで、1番を歌い終わった後に急にブラスが前面に出てくると思ったら、途中からエレキがうねってきたり、ポップな要素に満ち溢れています。

この時代らしいコーラスも随所に使われていて、疾走感を助長しているような感じられ、またサビの♪カーニバル(×4)に入る直前のピアノの鍵盤を滑らせる弾き(グリッサンドというそうです)が絶妙にタイミングで入ってて、これもまたサビを引き立たせるのに一役買っているように思いました。

郁恵さんの明るいキャラクターに合った歌詞と歌唱、疾走感溢れるメロディーがハッピーな世界観を確立した曲だと思います。

 

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(306)恋のハーフムーン/太田裕美(1981)

2024年も遂に最後の日となった「今日の1曲」。

 

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作詞/松本隆:作曲:大瀧詠一

発売:1981(昭和56)年3月21日 (当時26歳)

売上:1.0万枚(オリコン最高80位) 

 

1981(昭和56)年に発売された太田裕美さん20枚目のシングル曲です。

 

●作家陣

作詞は松本隆さん、作曲は大瀧詠一さんという、前作「さらばシベリア鉄道」と同じコンビで、シングルではこの2作のみがこのコンビによるものでした。

前曲のような物語性に富んだハードなタッチの世界観がガラッと違って、全体的にゆるふわな雰囲気の曲です。

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●売上

オリコン最高81位で1.0万枚の売上でした。

この次のシングル「君と歩いた青春」(1981.8.26発売。最高80位。1.7万枚)をリリースしますが、これはその5年前にアルバムに収録されていた曲を再録音したもので、初出の曲ではオリコン100位圏内に入った現時点最後のシングルとなっています。

その直後の渡米後の活動再開期や、結婚後の本格復帰以降も時折シングルリリースしていますが100位以内に入る曲がなく、1曲100位以内に入ると嬉しいなと感じます。

 

●幻想的雰囲気

それまでの楽曲と違った不思議な雰囲気を感じるのは、エコーの凄くかかった感じで、短い前奏からハープの♪ポロロン…という音が流れたりして、この時点で曲の雰囲気が分かってしまう、そんな感じでした。前奏でいうと河合奈保子さんの「ラヴェンダー・リップス」(1985年シングル)という曲に少し似ています。

歌い出しの

♪なんと なんとなく ハーフムーン~

の歌い出しの柔らかさが大変印象的で、これもまた曲の世界観がすぐに感じ取れるように思いました。

それまでの楽曲が、地平に立って自分の気持ちをまっすぐに歌っているとすれば、この曲は少し高い所から俯瞰で眺めて歌っているような印象を受けます。

エコーのかかり方?というかちょっと生歌っぽくない感じで、少しハイトーンな歌い方も相まって、ちょっとファンタジックで浮世離れした感じの異色の曲だなと。そう「ファンタジック」というワードが最もしっくりくる気がします。

それでいて、生っぽさを感じるドラムの音も適度に配されている不思議なバランス感もあるな、という事も感じます。

のちにアメリカ留学を経て復帰後にテクノポップ路線に大幅にシフトチェンジしますが、ちょっとその片鱗が見える気もしました。

 

●誤解した歌詞

今回この記事を書くまで、歌詞を活字でちゃんと見てなくて気づきませんでしたが、

♪相手が誰でも 好きだと 言えるの?

の最後の「?」の部分、疑問形だったのか!!と(笑)

これまでそれを知らずに「相手が誰でも好きだといえるの!」と認識していたので「全然違うやん!」となりました。

歌い方からして「!」な感じだったので、まさか「?」だったとは…という感じで。

確かに「相手が誰でも好きだと言えるの!」と言い張ってると思っていたので「なんて浮気な…!でもそういう開放的な気持ちに傾いてるのか?」と捉えていましたが、それが実は「?」だったなんて…という事ですね。そりゃそうだよな、と改めてなりました(笑)

 

 

太田裕美さんは、今年の春から休業されていて現在療養中で、11/1のデビュー50周年記念日には久々に「X」でのポストを見る事ができましたが、2025年は少しでも元気なお姿を知る事ができれば良いな、と切に感じています。

 

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