kzhr's diary

ad ponendum

「くずし字」という「文字」

この記事は「言語学な人々2024」の12/17分である。

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「くずし字」ということばが前近代の日本学で用いられて久しい。しかし、この語がどういうものであるべきかについては、あまり明確な位置づけを持たないようだ。ここでは「くずし字」の指すものの移ろいを考えつつ、このことばを用いる意味を考えたい(これでも短くまとめてはいるが、触れるべきことの多さゆえ、長く感じるとは思う)。

また、断っておきたいが、ここで述べたことを知らなければ「くずし字」が読めないということはないし、知っても読めるようにはならない。しかし、「くずし字」という存在がどのようなものであるか語るうえでは知って損はしないことを述べたつもりである*1

要旨

  • 「くずし字」は本来的には近代以降の書簡の書き方として、(行)草書体を指したり、楷書の我流の省筆や行草書の混淆を指す。
  • 近世以前の「くずし字」は、和様の漢字仮名書体(御家流)と、その我流の省筆を指す。
  • 本来的には楷書体は「くずし字」にはならないが、伝統的な字体・書風が復古字体に対比して「くずし字」と呼ばれることがある。
  • 伝統的な楷書字体は乱れているわけではない。
  • 近代の書体の転換や文書行政の効率化のなかで「くずし字」は傍流化していった

「くずし字」とはなにか

「くずし字」は、なぜそれがそこにあるのか理解するのがあんがいと難しい存在である。変体仮名のことだとされたり*2、楷書体を書き崩したものと思われたり*3するが、適切とは言えない。

つとに駒井鵞静氏は、『くずし字の知識と読み方』(東京美術、1988)において、「「くずし字」とは、"難しい草書"を書くのではなく、楽に自由に書くことが本来の姿勢。」と述べておられる。ここでは「くずし字」とは、書き方のことであって特定の文字のことではないし、楷書体を草卒に書き崩したものでもないものである。

「くずし字」ということばは明治末期ごろから用例が見え始め、大正ごろから書簡の書き方指南において盛んに用いられるようになったようである。さらに、「くずし字」よりも「字くずし」というような言い方のほうが古いようだ*4*5。そのような指南もので「くずし字」「字くずし」とされる文字として示されるのは、基本的には草書体の文字と言ってよいだろう。「くずし方」ではあるが、早い例を挙げておくと、「草書も学びけれども、その間なくは、草字彙等の書について其体を記憶し、人の草書のよめる位の事はし度きことです。其くづし方を知るは六敷むつかしき事ではありません。」(山田正隆『幼学文話』1889。句読点・振り仮名私意)というものが目につく。

辞書では、「くずし字」の語は見ないかわりに、「くずし書き」の例はヘボン和英語林集成初版からすでに現れている(1867。明治学院大学和英語林集成デジタルアーカイブス)。そこでは、「Kudzshi-gaki*6, クヅシガキ, 省筆*7, n. A running hand.」と定義されている。ただし、どのように使われた語であったかは同時代の例に恵まれない。

すこしのちの辞書でも、高橋五郎『和漢雅俗いろは辞典』(1888)では、「くづしがき(名) 省筆、略筆、りやくしがき。草書、はしりがき」としている。なお、語釈でも「はしりがき」では「はしりがき(名) 走書、はやがき、草書、くづしがき」とし、同じ著者の『漢英対照いろは辞典』(1888)では、「さうもんじ(名) 草文字, くづしがき, 草書 Grass characters, running hand.」として出てくるような、よく用いられることばであったかと思われる。いずれも、(楷書ではなく)草書体の文字、あるいはそのように書くことの意とみてよい。

また、落合直文の『ことばの泉』(1898)の「あしで(葦手)」の語釈で「文字を、くづして、葦などのはえたるさまにかきなすもの」とされるのが注意されよう。葦手は、「平安時代に行なわれた書体の一つ。葦、水流、鳥、石など水辺の光景の中に、文字を絵画化し、歌などを散らし書きにして書きまぜたもの。」(日本国語大辞典第2版)であって、ここでは本来のかたちを逸脱させることを「くずす」と言っていることになる。

なお、「くずし字」という言い方が辞書に出たものとしては、山田美妙『大辞典』(1912)*8および松井簡治の『大日本国語辞典』(1916)が古いようである。いずれも、「くずし書きにした文字」の謂いとする。全体として草に書くことから、個別の字の書きように移ろっていったかとも想像したくなるが、うがち過ぎであろうか。

ただし、当時の書体の実態を書家や辞書の書いたものをどう受け取るべきかはなんともいえない。知識層が、じしんの学ぶような伝統的草書体と、「くずし字」が主に指す文書や書簡などの書体とに相違を認めていたとは思えないからである。現代でも古文書は「御家流」で書かれていると言われていることはその傍証となろう。こうした見方では、少なくない古文書が御家流の知識では読めないことを、箇々人における一回性の逸脱と考えるのではないかと思われる。しかし、『くずし字解読辞典』というものが御家流の辞書とはべつに求められるのは、その差異はすくなからずあるのであり、かつ、あるていどの共通性を持っているという証ではなかろうか。

さて、「くずし字」ということばの登場には、私見では、ペン字の登場と行草書体の地位低下との影響が大きいようである。文字を中心に据えた『手紙講座 第3巻』(1935年)でも、ペン字書簡の例が半分を占めている。ペン字のものには、無手勝流の「くずし」もみられることも、行草書体が十分に学ばれなくなってきている様子を示しているのではなかろうか*9

近世以前のものを「くずし字」と言うようになったのがいつごろかは未確認であるが、児玉幸多氏の『くずし字解読辞典』(1970)がとくに違和感なく受け入れられたようであるところからすれば、このころには、近世以前のものにも当てはめられるようになったのであろうか。「くずし字」書簡が減っていって、近世と近代の連続性のほうが強く受け止められたのかもしれない。

しかしながら、御家流をもとに我流で書かれた近世の「くずし字」と、唐様の楷書体とじゃっかんの行草体を取り交えた近代の「くずし字」はべつのものと捉えられるように思われる。以下に近世の「くずし字」と近代の「くずし字」の例を挙げる。

徳川吉宗御内書。関西大学東アジアデジタルアーカイブhttps://www.iiif.ku-orcas.kansai-u.ac.jp/books/201500361より転載。
深井英五徳富蘇峰書簡。国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/13747707/1/4より転載。

あまり相違なく見えるかもしれないが、近代のものには片仮名が頻用されているが、近世までの「くずし字」にはそのようなことはないし、近世までの書体の丸っこさは蘇峰書簡には見受けられない。近世のものは言うまでもなく、近代のものもはっきりとした転折は見られず、どちらにしても、中華思想からすれば「くずれた」ものであろうが、そのような偏見から逃れ、漢字の日本化のありようとして叮嚀に見ていく必要があると思うわけである。

漢字の書体と字体

ここで漢字の書体と字体を区別しておきたい。現代では字の形状が抽象的に存在して、それにたいして書体(スタイル)によって肉付けするような印象を持たれることが多いが、古くは、書体(スクリプト)において形が存在したのである*10。つまり、楷書体・草書体などの書体ごとに文字の形状が独立に存しているのであり、ひとつの書体のかたちが別の書体のかたちに用いられるような関係ではない。このとき、ある書体のなかの箇々の文字の形状を字体と呼ぶことができる*11

すなわち、書体には、1. 歴史的な文字の変形の特徴によって捉えられるものと、2. 文字の造形上の共通特徴によって捉えられるものとがあることになる。また、字体にも1. 書体のなかで存在している、ほかの文字と区別される存在物の形態という捉え方と、2. 漢字という文字に存在する言語と対応する存在物の形態という捉え方とがあることになる。「くずし字」は、いずれも2.の意義で捉えられて混乱している側面もあるが、ここでは1.の意義を重視したい。

すこしばかり古い話になるが、さんざん話に出て来た草書体の成り立ちから話を始めたい。

甲骨文から篆字の段階では、文字の構成要素が箇々の線条ではなく、総体としてシンボルを表す塊にあった。しかし、絵であったわけではない。このことについて、大川俊隆氏は「[絵文字の]誰でもそれと認識でき、かつ誰でも描けるという条件は、絵が有していた特性、即ち、古代の共同体の思念を対象物を通してリアルに詳細に表現するという特性とは根本的に対立する」(「漢字の成立と発展」冨谷至(編)『漢字の中国文化昭和堂、2009、p. 5)と述べる。

文字の構成要素が表現性から線条の組合せへと変化したことが、篆書から隷書への移行、すなわち、隷変の契機と考えることができる。さらに、社会的な情勢の変化から、文字という存在が浸透することで、文書行政によって書字機会が増加し、省筆、すなわち構成要素のデフォルメ——構成要素単位とはかぎらず、字全体ということもある——を推し進める契機となった。このときデフォルメの強度は選択的であったため、どのようなデフォルメを行うかによって、構成要素の趣を残した隷書体(〜楷書体)と、極力省筆にしたがった草書体という2モードが並行して存在することになる*12。このような2モードからの派生関係を見るために、大西氏による書体の変遷図を引いておこう(『アジアと漢字文化放送大学出版会、2009)*13。ここから分かるように、草書体は楷書体よりも古いどころか、その母胎ですらある。

大西克也氏「漢字の完成: 楷書の誕生と規範化」(宮本徹・大西克也(編)『アジアと漢字文化』放送大学出版会、2009、p. 155)による

具体例として、Maxim Persikov氏による「馬」の歴史を掲げておく*14

Maxim Persikov氏による「馬」の字体史。 How to Expose False Etymologies of Chinese Characters? An Introduction to the Study of (Early) Chinese Writing – Panates (Penates, 2022)から転載。上段、Qinは秦、Qiは斉、Chuは楚、Jinは晋(春秋)、Yanは燕。下段上部の時代表記は、秦、漢、魏〜晋(王朝)、南北朝、唐。書体は篆書、隷書、草書、行書、楷書。

隷書体が残った理由としては、冨谷至氏が『木簡・竹簡の語る中国古代: 書記の文化史(増補新版)』(岩波書店、2014)でも述べるように、書体に社会的な価値があったからであろう。これがどれくらいエジプト象形文字や神官文字、民衆文字と比況できるかは知らないが、楔形文字ではこのようなことはないように思われる。

説文解字』のようなものが編まれて隷変以前の形状を伝えられたことや、隷書体が構成要素を部分的に保存したことにより、字を古代に復することに意味が生じた*15。これが唐代の正字運動の動機であったのではなかろうか。いずれにしても、唐代に生じた正字運動は、『説文解字』などの文字の構成要素に復することを正しいものとしたことは疑われない。

たとえば、「叔」を構成要素に取る字を例にすると*16、古くは「叔」という字形が一貫して省略され、かつ、書体ごとに形状が交わらないことが分かる*17

HNGデータセットを見ると、開成石経を起点に、小篆の構成要素に基づいた字体になることが見て取れる。開成石経は、正字運動が社会的地位を持ったことを示す最初のものである。これがいわゆる正字体であって(具体的になにか典拠に示される形に究極的な正しさがあるわけではない)、字源の通念にしたがって正しい形が規定される(歴史的正統字体)というものである。この価値観においては、伝統的楷書字体は誤ったものであり(『顔氏家訓』「書証篇」「雑芸篇*19など。)、俗に崩れた形と見なされた(「干禄字書」など)。

藤枝晃氏が「日本語を楷書では書かなかった」(『しにか』7.7、1996)と喝破したごとく、標準的楷書体は公的な漢文と結びついていた。私文書は行書ないし草書で草するものであり*20、生活の文字はむしろ行草書であったのである。

近代の活字印刷・公教育では、書体・字体の複数性を排除し、楷書・正字体で統一しようとしたところで問題が起こった。正字体はなにより筆記の経済に背き、隷定さるべきものの違いを表現する煩瑣な区別が多く存した(「歩」は正しくは「步」であるべきなど)。各文化なりにそれを調停したのが簡体字や当用漢字であったというべきであろう(当初のもくろみはともかくとして)。すなわち、正字体を基盤として、楷書体の俗字体、(中古以降成立した)略体、あるいは行書体(とくに当用漢字)や草書体(とくに簡体字)を楷書の筆法に整理した字体を取り入れたものである。しかし、このことは、楷書体正字から現代の文字が成立したかのような誤解を生む原因ともなっている。

そのような誤解により、ことによっては楷書体の俗字も「くずし字」に含める向きもある。この点、「くずし字」はいつの間にか読めない文字を指すことになってしまっていたのである。「くずし字」が一つのものではないということは、「くずし字」を真に読む出発点ともなろうと思われる。

連綿と和風漢字書体の成立

以下のことがらは、まだ構想段階のことで十分に調べ切れていないが、見通しを述べる。

近世「くずし字」と近代「くずし字」は、それぞれがそれぞれに漢字の和化された姿——書体というには不足であるならば*21——と言うことができるのではないかということである。

近世「くずし字」の成立は(近世に成立したという意味ではなく)、日本語書記特有の連綿という筆法にあった書体ができたということであろう。また、そのことは近世期の唐様の隆盛を呼び、近代「くずし字」の成立につながったのではないかと考えてみたい。いずれにせよ、中国の本流の書からの逸脱(次節に見る中山氏の論にくわしい)には相違ない。

このことを述べるには文書書体などの検討も必要であるが、その準備ができているとは言えない。書体の交替については、拙著「明治前期鋳造活字の平仮名書体における濁音表示と仮名字体意識」(『年報新人文学』17、2020)注7の後段で、先学に導かれての考えを述べたことがある。

変体仮名と平仮名

くずし字=変体仮名という見方の非についても述べておこう。変体仮名は、1900年の仮名字体統一において選外となった仮名のことであり*22変体仮名活字が実在もした(拙著「近代活字鋳造・販売業者における平仮名字体の用意」(『語文論叢』32、2017)参照。)。

「くずし字」で書かれたものには、漢字がそうであるように、廃用となった文字が数多く現れる。仮名もそうで、「くずし字」書きには変体仮名も多く用いられている。ここから、「くずし字」と「変体仮名」を同一視してよいことにはならないだろう。これは、浄瑠璃に人形が多用されるからといって人形といえば浄瑠璃の意となり、西洋クラシック音楽にバイオリンがよく用いられるからといって、バイオリンといえばクラシックを指すとはならないようなものである。特徴的構成要素が全体を表すシネクドキ的関係を認めないというようなことではないが、そうであっても、「くずし字」とは何かの説明に「変体仮名のこと」とはなり得ないはずである。

なお、変体仮名の直接的な起源は、平安期の仮名がさまざまな起源を持つ文字を借用したことによる。これは、万葉仮名の時代にとくに見られたことで、カという音節を表す仮名はいくつあるといったことがよく言われる*23。万葉仮名から平仮名への遷移は、直接的でない点も多くまだ分からないことも多いが(内田賢徳・乾善彦(編)『万葉仮名と平仮名その連続・不連続』(三省堂、2019)の諸論攷を参照)、万葉仮名ではまだはっきりと見られない体系的草書化という手段を取ったことは疑えないことである。草書化については、注意すべきことも多い。中山陽介氏は、「平仮名の字源と草書」(『國學院雑誌』122.9、2021)において、草書体と平仮名の関係について、字源も考慮しつつ論究しておられる*24。書体と字源だけが平仮名成立のすべてではないと思うが、平仮名は万葉仮名を書き崩してできただとか、草書体への切替えだとかの整理から漏れる問題が述べられており、よく傾聴すべき見解であろう。

「くずし字」とはどのように「くずし字」になったのか

「くずし字」の起源をこれまで見てきたが、「くずし字」がいわば排除されてきた過程についてもうすこし見ておきたい。個人的な感想を差し挟めば、文字を崩して書くことにはネガティブなイメージがあり、したがって、「くずし字」という語は一段低く見るようで違和感を持ってきた。それは、ここまで見てきたように、誤解であった。たしかに出自に穏やかではない要素を含んでいるかもしれないが、低く見てはじまった言い方ではないことは、銘記しておくべきことと思われる。

文字を書き「くずす」ということの意味合いの変化は、事務的、学校教育的な要請から進んできたものと思しい。現代でも、とりわけ中高の入試において漢字の結構の甚だしい不正を越えて、微細な止め撥ねまで採点対象とすることが問題となっているが、このようなならわしは、近代に入って、中央集権のかけ声のもと、文書行政の範囲が広がり、役場で大量の文書が交されるにいたって、実務上の必要と、書体にたいする——公文書たるもの、それにみあう書きぶりでなければならないという——意識から発生してきたのではないかと思われる。じっさい、このころの資料を読んでいると、「字画明瞭」という文言がやたらと目につく。

役場の窓口の人間の書く文字がそもそも字画明瞭でなかったことは、明治期戸籍を取り寄せて見れば分かることであるが、字画による解釈の差異が問題になりうるとき、その範囲を極端に狭めて解決を図ることは、じつに近代的な解決法だと思われる。じっさい、地券などは、細部はともかくも、おおむね厳格な楷書で記されているはずである——あたかも欽定憲法の原本に用いられている書体に倣うがごとく。

あらたにはじまった近代教育制度における教科書の書体も楷書体に置き換わり、木版印刷活版印刷にしだいに取って代わられ、公的な生活において「くずし字」を見かける機会はどんどんと狭まっていった。戸籍や地券の画像は掲載できないので、教科書と近世木版印刷活版印刷の資料の画像を挙げておきたい。

『輿地誌略』(内田正雄、1871)巻一より。国立教育政策研究所教育図書館蔵https://www.nier.go.jp/library/rarebooks/textbook/K110.28-2-01/
『吾妻路』(1855, 東京書籍株式会社付設教科書図書館東書文庫所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100264139
『鼇頭註解傍訓登記法公証人規則公証人規則施行条例』1886。国会図書館所蔵https://dl.ndl.go.jp/pid/792704/1/31

「くずし字」は、私的なやりとりへと限定されていく。それもいつの間にか近世期の文字のことへと意義を拡充してしまう。そうして、縁遠い文字としての「くずし字」は大学で国史国文を学ぶ人間くらいしか読めないものとなっていったのである。

附記

本稿の内容は、第9回コテキリの会での講演「「くずし字」が身近でなくなるまで」をきっかけとしてまとめることを考えたものである。お招きくださった会の皆様および聴講の皆様に再度感謝申し上げたい。また、勤務校のほか、國學院大学千葉大学専修大学で講じてきた内容も考え直すよい機会となった。若輩者をご招じくださった先生方と拙い話を聞かされた学生諸君に感謝申し上げる。

*1:個人的には「語る」ことよりも「考える」ことのほうが好もしく思われるが、それはさておき。

*2:http://www.kinseibungakukai.com/doc/wabon001.pdf#page=2

*3:国文学研究資料館学術情報リポジトリ。この資料では、さらに、「書道史では点画の省略段階を「草書」「行書」等に区分するが、」との誤認を示している(この認識の歴史的に当てはまらないことは後述する)。

*4:NDL Ngram Viewerでの「字くづし」と「くづし字」の検索結果。

*5:「字くずし」という語の用例を検討するときは、「大の字くずし」「二の字くずし」といった、「○○」という箇々の字を意匠的に変形を加える例は除くべきである。

*6:アメリカ人はよくこのように書いた。羅馬字会式の表記、いわゆるヘボン式は第三版(1886)からである。

*7:「省筆」という用字の実例は管見のかぎり見当たらない。なにによったのであろうか。

*8:『大日本辞書』ではない。

*9:無手勝流の文字とは、既存の行草書の伝統から外れ、楷書体から随意に字画を省くにしたがったもの、あるいはその楷行草の混濁した形を指しておくこととする。

*10:石塚晴通氏はこれをフォームとして捉える。拙稿"On the Notion of Form in Ishizuka Harumichi’s Hanzi Standard Model: Focus on Ishizuka's Model of Chinese Character Standards"(韓文、申雄哲氏訳)も参照。

*11:なお、これは、書体のなかで同一の意義用法を持つ字体はひとつしかないという主張ではない。当然、複数存在しうるのであり、一方と他方とが変異の関係にあるもの(兄弟)と、他の書体からの算入とによる家族的類似的関係にあるものとに分けることができる。

*12:書道史では筆法の完成を重視するが、文字としては弁別体系をより重視すべきである。

*13:なお、芸術的効果をねらって用いられるものも存続しているように描かれているし、縦軸も「正俗」としてしまうと問題がある。格式程度が妥当か。それにしても「銘石体」の位置は微妙である。書体の派生関係の図として理解されたい。

*14:前漢の文字の様相を正確にあらわすには三次元的に描かざるを得ず、模式図であることに注意されたい

*15:これは、ローマン・アルファベットに古代の文字が大文字として補されたことと比況できよう。

*16:この字を選んだについては、池田証壽氏「「寂」の異体--HNGによる考察」(2011)を参考にした。

*17:隷変前後においては文字の読解構造も異なるし、弁別体系も異なるのだから、書体の別は別の文字体系といってもいいくらいであるが、それを同一の文字であるという観念によって、ひとつの文字(字体)が多数の異体字を持つという観念にも繫がっていく。

*18:なお、「𡧘」は「寂」に限られ隷変以前に遡らないようであるので取り上げない。

*19:「雑芸篇」にいう新奇な字については、イムレ・ガランボス氏「写本の実態から見た字書記述: 会意文字を例として」(岡田一祐(訳)、石塚晴通(編)『漢字字体史研究』勉誠出版、2012)や同氏"Medieval Ways of Character Formation in Chinese Manuscript Culture (PDF)"(SCRIPTA 6, 2014)をも参照。

*20:矢田勉氏「国語漢字書記における楷行草」(『国語文字・表記史の研究汲古書院、2012)も参照。ただし、藤枝氏の論からすれば公的領域を広く取り過ぎているのではないかと思われる。院政武家政権は、ともに朝廷を存続させていたことからすれば、表面上は朝廷のようであってはならないわけで、書体がそれを表現するものであったというのもあり得ることである。

*21:書風の面の独自性をどのように評価するかという点もさりながら、固有の字体があることをもって書体と呼ぶならば、近世「くずし字」は十分に書体としての側面を持ち合わせているのではないか。書体の見地からの検討がされていない点に不満を感じるが、山元久氏の発表「古文書における「候」字形の変化」(日本語学会2024年度秋季大会、オンライン)で示されたような字体の独自性がたしかに近世「くずし字」には存する。

*22:拙著『近代平仮名体系の成立: 明治期読本と平仮名意識』(文学通信、2021)、とくにp. 306を参照。また、変体仮名の終焉については拙稿「変体仮名を学ぶ小学生」(加藤重広・岡墻裕剛(編)『日本語文字論の挑戦: 表記・文字・文献を考えるための17章勉誠出版、2021)で述べた。なお、山田健三氏「「変体仮名」の語誌」(『国語語彙史の研究四二』和泉書院、2023)が「変体仮名」という語の初例とするものは容易に遡ることができ、次の資料にあるように、1870年代後半ごろにはあった言い方とみることができる。このばあいの「変体仮名」は、拙著に述べたごとく、「いろは仮名」(いろは歌仮名手本に示されるところの仮名)ならざるものであった。 dl.ndl.go.jp

*23:さしあたって、ジャパンナレッジのサンプルとして公開されているもののうち、改訂新版・世界大百科事典の項目を参照: 万葉仮名|国史大辞典・日本国語大辞典・世界大百科事典|ジャパンナレッジ

*24:ちなみに氏は「「仮名」語源考」(『国語国文』92.2、2023)において、山内洋一郎氏「ことば「平仮名」の出現と仮名手本」(『国語国文』80.2、2011)および山内氏の見解に依った拙論(拙論「「いろは」から「平仮名」へ」(『近代平仮名体系の成立』文学通信、2021))を批判している。拙論への批判についていえば、元を絶てばそのあとも崩れる式の議論で、拙論の趣旨も無視したものであり、承服しがたいことを述べておきたい。そもそもの山内氏の見解への是非も、読み方次第という感があり、確論というまでにはいたらないのではないだろうか。