こまぶろ

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僕の話がなぜ「通じない」のか:『あなたの話はなぜ「通じない」のか』を読んで

この半年で読んだ本の中に、強烈に「刺さった」本があった。山田ズーニーの『あなたの話はなぜ「通じない」のか』だ。

『あなたの話はなぜ「通じない」のか』との出会い

知っている人からすれば当然知っているベストセラー書籍だったようだが、僕がこの書籍を知ったのはomoiyari.fmの第2回で三浦さんが「最近読み直した本」として言及していたからだ。

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また、これもポッドキャストになるが、engineer meeting podcast の過去回でも触れられていた。ちなみに、この回は「新卒におすすめする本」と題して2年前に公開された回だが、ブームが起こる前だった『君たちはどう生きるか』もおすすめ本として挙げられている。

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「伝わらない」という悩み

この半年の自分の悩みを端的に表すならば、それは「伝わらない」だろう。組織の在り方やプロジェクトの進め方について、上司や周囲に対して何かと問題提起や提案をしてきたが、受け入れられることはほぼなかった。それも、ぐうの音も出ない反論を受けるのではなく、主張の内容が理解されているのかを疑問に思うようなリアクションを取られることが多かった。受け入れられるかどうか以前に、伝わっていなかった。

自分の言いたいことというのは、単なる事実の指摘ではなくて、「思い」に基づいた主張だった。同じ方向を向いてほしい、共感してもらいたいと思ってする主張だ。「伝わらないなら、ま、いっか」と思えるものではない。それが伝わらないというのは、もどかしい体験になる。だからこそ、『あなたの話はなぜ「通じない」のか』の下記の一文は、「伝わらなさ」に疲れている僕を大いに慰めるものだった。

内面で関われないとき、人は傷つく。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』27頁

この文が、どれだけの人に響くものなのかはわからない。しかし僕にとっては、「この本についていこう」と思わせるものだった。この書籍には、随所に僕にとっては耳が痛い記述が含まれているのだが、冒頭でがっちり掴まれているので素直に読み進めることができた。このあたりがベストセラーたる所以だと思う。下のツイートはこの書籍、この一文を念頭においてなされたものだ。

この書籍で語られているのは、「伝わらない」を乗り越えるための技術だ。それも、相手を思う通りに動かすためのテクニックではなく、相手と内面で通じ合うための技術だ。「自分を偽りたくない」という思いを僕も持っているから、ぜひともこの技術を身に付けたいと思った。

「伝わらない」と傷つくとき、あなたに必要なのは、妥協なんかでは決してない。まるくなる、というのとも違う。人間操作のあるパターンを憶え込む、というのとも全然違う。必要なのは、ちょっとした技術だ。自分の言いたいことをはっきりさせる思考法、それを、相手に伝えるための表現技術。技術を磨けば、自分を偽らなくても何とかやっていける。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』30頁

以下では、この書籍で特に「刺さった」3つの部分を紹介し、それがどう「刺さった」のかを書いていきたい。

決める億劫さやリスクを引き受ける

1つ目の「刺さった」点は、「決める億劫さやリスクを引き受ける」という話だ。

僕は、伝わらないで苦しんでいるとき、「当たっている反論してくれればなぁ」と思っていた。もとより、経験の浅い自分の意見が絶対に正しいとは思っていないし、反論を受けることで自分が知らなかった、見逃していたことに気づくことができると考えていた。主張をするときも、通しにいくというよりもフィードバックを得るためという意図の方が大きかった。

しかし、このような態度が良くなかったのだと今は思う。「フィードバックが得られればよし」というような態度ではダメで、本気で自分の主張を通しにいかないといけないのだ。それは仮説を持たない実験が意味をもたないのと同じだ。

うまくできているもので、リスクを負って決めるからこそ、自分の判断が正しいか考え抜き、周到に根拠を用意し、他者を説得しようと努力するようになる。自分なりの「決め」を打ち出す習慣をつければ、自ずと論理力はついてくるのだ。まずは、「ああもいい、こうもいい」から脱却し、「自分はこう考える」を打ち出すことから始めよう。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』97頁

本気で通しにいく主張なら論拠をしっかり集めるし、伝え方にも気を配る。その努力が、自分には欠けていたのだと思った。たびたび指摘される「話の長さ」も、「決め」の欠如と関連していると思うと、ぞっとした。

30秒で意味のある話をするためには、決めて、決めて、決めたおさないといけない。論理的に話すコツは、要するに「決め」だ。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』90頁

色々と主張をしながらも、背後では「間違いたくない」という意識が働いていたのだと思う。強く主張しないのも、主張に何かと留保を付けるのも、同じところから出ているのでは、と反省させられた。

正論と目線の高さ

2つ目は、正論と目線の高さの話だ。

僕が会社でしている主張は、ほとんどが書籍や勉強会で得た知識に基づいている。もちろん、文脈を無視して持ち込むような愚を進んで犯すつもりはないから、会社の事情を(わかる範囲で)踏まえて主張するように心がけているが、問題はそこではなかったと思う。

本や人の話から知識を付ければ付けるほど、僕の中で僕の主張は「正論」になっていく。そしてそれは相手にも伝わり、コミュニケーションを阻害することになるのだ。『あなたの話はなぜ「通じない」のか』では、この事態を「目線」という言葉を使って表現している。

正論を拒むのは、人間の本能かもしれないと私は思うようになった。正論は強い、正論には反論できない、正論は人を支配し、傷つける。人に何か正しいことを教えようとするなら、「どういう関係性の中で言うか?」を考えぬくことだ。それは、正論を言うとき、自分の目線は、必ず相手より高くなっているからだ。教えようとする人間を、好きにはなれない。相手の目線が自分より高いからだ。そこから見下ろされるからだ。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』140頁

先にも述べた通り、僕は僕の主張に反論がなされることを期待してはいる。しかしながら同時に、ある程度は合理的な主張だと思ってもいる。そしてそれが態度に表れているのであろうか、主張の仕方が「堂々としている」とよく言われる。ぺーぺーの身でありながら組織論やマネジメントの領域に物申しているというだけでも「可愛くない」のに、主張の仕方まで自信ありげだとすれば、相手が「見下ろされる」気持ちになるのも無理はない。次の一節を含めて、この「目線の高さ」に関わる部分はグサグサと胸に突き刺さった。

何かを批判していると、饒舌になる人が多い。そして、饒舌になるにしたがって、目線が高くなっていくように感じる。自分の身の丈を越えたもの言いは、逆に、自分というメディアのサイズを小さく見せる。自分以上の目線から話す人物を、周囲は、「自分の経験や力量さえわきまえられない人」、と思う。だから、その人が言っている内容さえ、どこかうそくさいと感じてしまうのだ。共感の橋を架けたいなら、目線が肝心だ。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』178頁

僕は多分、「正論を言う」「目線が高い」やつになりがちだなのだと思う。それを自覚して、コントロールしていく、配慮していくことが、必要になるだろう。「言いたいことを言わない」というのではなく、言い方の水準で直していきたいと思っている。

「自分の枠組み」と「外」

最後に、エピローグから、「自分の枠組み」と「外」についての記述を紹介したい。

エピローグにふさわしく、読者を勇気付けるような部分だ。「通じない痛み」を感じている人は、(身近な流行り言葉でいえば)「越境」している人なのだという。それは、「自分の枠組み」が通じない人とも通じ合おうとしているからこそ生ずる苦しみが「通じなさ」だからだ。そしてそこで経験する意思疎通の苦難は、自分をぐらつかせるものなのだ、と。

今から思えば、そのときの私は、本当の意味で「外」を知らなかった。「自分」という城壁をぐるりとはりめぐらせ、その中で考えた「理想」に向け、その中で考えた「最善」を尽くしているに過ぎなかった。外と交流しているようでいて、実は、自分の枠の中で「わかる」「よい」ものだけを取り込み、自分の枠の中の言葉で通じる人とだけ交わっていた。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』240頁

著者自身の体験が前面に出ているこの記述は、ハッとさせられるものだった。僕には勉強会などを通じてできた社外の友人がたくさんいる。これは、自分の会社を「内」とするのであれば、「外」を知っているということになるのだろう。しかし、社内で「通じない」経験をしているとすれば、それは文化や考え方において自分は「内」に留まっているとも言えるのではないか。上の記述に接したときに脳裏をよぎったのは、このような疑念だった。

僕はこの半年で、「通じない痛み」をいくらか味わった。全然言いたいことを理解してもらえないもどかしさも感じたし、上司から厳しいフィードバックを貰って落ち込んだこともあった。「外ではこうなのに、内は・・・」と思っていた。しかし、僕にとっては会社が「外」で、社外の関わりが「内」だったのだ。

終わりに

外の世界は、自分の都合や価値観とはまったく無縁に生き動いている。私は、外に、ただただ無防備に自分をさらし、そして打たれた。それでも、崩れ落ちる自尊心をまっすぐ歩いていき、小さな自分の枠組みが解体しきったとき、見えてきたのは、なんと、「自分」だった。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』242頁

今の僕は、「自分」の周りに堅い「自分の枠組み」を作っている。その「枠組み」は、内容的には正しいものかもしれないが、果たしてその「枠組み」を他人と共有することが、僕のゴールなのだろうか。本当にしたいのは、「自分」と他の人の「自分」が通じ合うことではないのか。そもそも、「自分」はどんなものなのだろうか。

外の世界に身をさらすことで、自分の枠組みはぐらつき、解体される。それは苦しみを伴うことだが、もし、そこで初めて見えてくる「自分」がある。この半年間、特に直近の1ヶ月で、少なからず「自分の枠組み」は揺らいだ。その内側にある「自分」を認識し、豊かにし、人に伝えることが、これからの課題なのかもしれない。