リフレッシュの時間

自分の思いつくままに、好きなことを書いています

癒しの多肉植物

最近は、毎日、多肉植物に癒されながら過ごしています。

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本当に、かわいいね、と、心の中で話しかけています(笑)。

 

様々なことがあるんですが、植物を眺めている時は、忘れられます。

 

毎日を平和に過ごせること、感謝しています。

自分の意思より、大きな流れに乗るということ。

その流れに乗りながら毎日を過ごすということ。

その先にどこに辿り着くのかわかりませんが、まずは、委ねてみます。

うちのアガベたち

趣味で、多肉植物をメインで育てています。

うちはマンションなので、ベランダガーデニングです。

まずは、うちの一番目にやってきたアガベ。

オーソドックスな、チタノタだと思います。

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お客さんから、「徒長してしまったのであげる」といただきました!形は悪くても、すくすく成長しています。

 

そして、最近、近所で、破格で観葉植物を売っているお店を見つけました。

多肉植物マニアの母にその話をすると、かなりの破格なので、すべての種類を買った方がいいぐらいだ、とのことなので、とりあえず、そのお店で売っているアガベの全種類を買ってきました。

 

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アガベ・ホリダ

 

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アガベ・チタノタブルー

 

そして、次のものは、まだアガベの子どものようなものですが、下の写真のうち1枚目のものは、母から頼まれて買って、いつか渡す時まで私の方で育てることにしました。鉢は植え替えました。

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どちらもアガベですが、種類は不明です。

 

こちらも、母に渡す分です。

アガベ・オテロイの赤ちゃん。

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これも、細かい種類が不明のアガベ。ホリダかなと思っていましたが、もう少し育たないと、わかりません。

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他にもたくさん、多肉植物や観葉植物があって、毎朝みなさんの健康状態を確認して、あれこれ試行錯誤しています。

 

植物を眺めている時、それ以外のことは何も考えなくてとても癒されるというか、幸せな気持ちになります。

 

今月は、都内有数のフラワーパークに行く予定があります。それも今からすごく楽しみで、そこに行った後は、また別の、都外にある遠方のお店にも行きたくて、調整しないとなぁ、と考えることもまた、楽しみです。

 

このアガベ達が、無事に元気にすくすく成長してくれますように。

 

 

 

映画「ダウト〜あるカトリックの学校で〜」

こちらの映画は、以前見たことがあり、作品の概要は下記に記してありますので、今回は作品概要は割愛して、感想だけ記録します。

2011/12/01『ダウト/あるカトリックの学校で』

 

今回約13年ぶりに見たわけですが、作品内容はほぼ忘れてましたので、初見に近い感想です。

作品自体は2008年の作品で、16年も前のものですが、全く古さは感じませんし、むしろ、今は亡きフィリップ・シーモア・ホフマンの素晴らしい演技に、大変な才能を早くに失ってしまったなぁ、と、改めて感じました。

 

ダウトというタイトルのとおり、初めから最後まで「疑惑」を中心にストーリーが展開します。

すべては、心の中のことなのです。

主に3人の登場人物が、物語を展開します。

校長先生であるシスター(メリル・ストリープ)は、神のために正義を振りかざす、厳格で敬虔なクリスチャンです。

真の意味で人々を救おうとしている、新しい価値観にも寛容な神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)。

まっすぐで純粋な、歴史担当の先生でもある若いシスター(エイミー・アダムス)は、全ての生徒を暖かく見守り、それぞれの子を信じています。

 

舞台は、1950年代のニューヨークのカトリック校。

神父様に憧れる、侍者の黒人の男の子と、神父様との関係を疑う、校長先生。

 

〈以下、若干のネタバレあり〉

真実はわからないですが、心の動きが、こと細やかに演じられていて、見応えがあります。

 

上記の記事に、一番の見応えなどは書かれているので、それは書きませんが、人の心とは、こうも証拠が無くても確信に変わったと思い込めるものなのだと痛感します。

 

よく、自分の目の前の現象は、自分の心を映しているとは言いますが、まさにそういうことだと思います。

正しいことは、まっすぐな清らかな心でないと見えないんだと思います。

 

校長先生であるシスター・アロイシスの苦悩はよくわかります。彼女の直感のように、もし、少年である侍者の男の子が、神父様と不適切な関係なんだとしたら、何としてもその子を守らねばなりません。たとえ、その子の母親が、その子のことを性的マイノリティなんだと打ち明けたとしても、絶対に、その子を守り抜くべきだし、それは、その学校の威信にも繋がります。

 

その子自身が、父親からの暴力からの助けを求めていて、神父様を一方的に慕っているだけだったとしても、そういう疑惑が持たれるような特別な関係は排除しなければいけない。

その子自身の心の安定や平穏よりも、世間からの目や、何よりキリスト教では、(当時は特に)同性愛は禁じられています。

 

正しいはずの規則やルール、(当時の)価値観と、本当の意味での人間愛としての正しさとの間で、自分は何を信じるのか、何を軸に行動するのか。

 

最後の校長先生の涙は、「疑惑に苛まれて苦しい」といったセリフと共に流していましたが、疑うことは苦しいことでもあるわけです。

純粋に信じることができればどれだけ楽かわかりません。

 

疑いの目を持たずに、ただ出来事をそのままを見つめるということです。

そこに意味があるのかどうかなどは邪推しないことです。

人はとかく頭を働かせてしまいます。先のことまで考えてしまう生き物かと思いますが、それで確かに良いこともあるのですが、悪いこともたくさんあります。

 

最後に、神父様は、彼女の正義感に駆られた行動力で、他校に行きますが、司教の計らいで、栄転されたのが、この作品の後味を悪くないものにさせています。

 

正しいものを見抜くことの難しさを学んだ作品でした。

 

3回目の入院中

本日からまた3日間、入院だ。

毎回同じ内容の投薬と、同じ内容のスケジュール。

家にいると、頭がおかしくなるほど、子ども2人の対応や家事や仕事に追われるので、そのカオスな状況から、病院という、私から見ると非日常の空間に身を置くのは、精神的にちょうどいいと思う。

すべての様々な事象から離れて、何も考えない日々をたった3日間足らずとはいえ過ごせることは大変ありがたい。

 

入院中は、本を読もうとか映画を見ようとか考えていたけれど、今のところ何も気力が起きない。

 

さっき少し昼寝をした。昼寝も普段はしないから、これもまた非日常だ。

 

普段は、あれこれ考えすぎているのだと思う。考えることが多すぎる。子どもも反抗期のようだし、仕事のこともさまざまなことがある。

趣味のベランダガーデニングは、日々の癒しだけど、最近は新入りの多肉植物の状態に気を揉んでいる。

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もう、毎日、何も考えないような生活をしたい。以前に比べれば、少しずつそんな生活に近づいていると思う。

でも、何も無かったら毎日がつまらないんだろうな。

前は、映画とか大好きだったんだから、そういうのをまた楽しみたいなぁ、と思う。

 

 

2回目の入院中

1ヶ月以上が経って、心の整理がだいぶんついてきました。今は元気です。

 

そして、昨日から、2回目の入院で、投薬治療しています。入院も2回目となると慣れてきて、前より勝手がわかって、前回よりリラックスしています。

イビキ対策の耳栓も持ってきて、薬の副作用で熟睡はできないんですが、それでも、3時間ほどは眠れました。

 

先ほど、先生から説明を受けたのですが、そもそも慢性疾患なので、薬投与で劇的に効果があらわれることはあまり期待していないのですが、徐々に緩やかではありますが、数値が改善してきたとのことでした。これは、一時的なものかもしれませんが、朗報です。

この治療期間は7ヶ月間とのことで、6月からスタートしたので、まだ、3分の1ほどを経過したところですね。

たった3分の1ですが、しかし、この2ヶ月ほどの間に、私自身の考え方は随分と変わりました。

 

それは、前の記事に書いた、近しい人の急死の経験も大きく影響しています。その後、死に関する本を初め、書籍をたくさん読んでいます。

 

それ以外には、この治療の副作用で、睡眠障害が発生しているので、寝る時間を意識するようになりました。以前は、特に寝る時間を決めずにだいたいいつも眠くなったら寝るという感じでした。しかし、最近は、以前より1時間以上早く布団に入るようになりました。

というのも、睡眠障害で、明らかに睡眠の質が悪くなっているので、7月初めから、スマホに睡眠分析アプリをインストールして、毎日Apple watchをつけて、睡眠の質のログを取るようにしたんですが、そうしたところ、その睡眠アプリが、自分の設定した目標睡眠時間より少ないと「借金」を記録して、累積していきます。逆に、睡眠時間が多いと「預金」になるんですね。「借金」状態がなんとなく嫌で、この「借金」状態を解消するためには、早く寝るしかないんです。理想は、無借金経営、ですね(笑)。

ちなみに、私の一日の睡眠時間は6時間半で設定しています。年齢的に標準的な設定かと思いますが、どうでしょうか。

 

入院中は、暇だからたくさん眠れるようで、しかし、薬の投与量が、普段飲んでる量よりはるかに多いので、睡眠障害は強く出ますね。

でも、想定通りなので、見たかった映画をスマホで見ています。何度か見たことある、ゴッドファーザー Part.Ⅱを見ています。長すぎて途中で眠くなったので、良かったです(笑)。Ⅱの次は、Ⅲを見るつもりです。

若き日のロバート・デニーロがすごくかっこいいですね。

それと、これは、仕事ですが、オンデマンド研修も受けています。便利な世の中になりました。

 

これまでは、仕事が大変すぎて、仕事中心の生活をしていて、肩肘張らないように、と、言われたり、または、自分でもそう思って生活していましたが、真の意味ではわかっていませんでした。

 

だいたい、やることや、やらないといけないことが多すぎなんですよ。家事はほぼすべて私だし、そこに加えて、フルタイムというかサラリーマンより多いと思う量で仕事があって、子どもの対応も重なりで、目が回っていました。気の休まる時間が無いとはまさにその通りです。

 

ここ最近は、全部テキトーになっています。

特に、夏休みだからというのもあると思いますが。これから、繁忙期が近づいてくるけど、大丈夫なのかなぁ。

明らかに、仕事の量は増えていますが・・。

真面目に近い未来を想像すると、「仕事が終わるのか?!」と、不安になるのですが、先のことは考えず、目の前のことだけを考えるようになりました。仕事に関しては、考えるのはそれだけです。考え始めたらキリがないんです。考えるべきことが多すぎて・・・、みんなそれぞれ問題を抱えていますし、その問題を自分自身が先のことまで心配して抱え込む必要など無いはずなんです、本来は。

 

ひたすら、職人のように、期日のあるものからサクサクと処理していって、高性能AIのように裁き、そして、たまに、本を読んで休んで、時間が来たら、睡眠アプリで預金を貯めるために、早めに寝る準備をするという感じです。

繁忙期でもこのスタイルがキープできれば良いんですが・・・。最近は変な営業の電話もものすごく多いし、時間の無駄だからどうにかしないといけません。

 

すごく長くなってしまいましたが、近況は、そんなところです。

地震とか戦争とか、対外的な不安は多いですが、しかし、自分は、明るい未来が待っているような気がします。

 

それでは、皆様も、お体には十分に気をつけて・・・何をするにも、体が資本です。

なかなか

時間が癒してくれるのかな、と思いながらも、なかなか、そう簡単には行かないもんなんだね。

 

ふとすると、ボーッと考えてしまって、本当なのかな、とか、一体、「死」とはなんなんだ、と考えてしまう。

 

仕事がある日は、仕事に集中して、忘れられてるから良いんだけど、そうじゃない日は、頭の中でしょっちゅう浮かぶ。

 

そんなに、大きな存在だったのか?

いや、しかし、出会ったのは、職場だけど、それから11年余り、よく連絡取っていたもんなぁ。

 

嫌なところもあったけど、優しくしてくれて、年上だけあって、たまに私にアドバイスをくれたり、普段は、互いに、LINEで、仕事の愚痴を言い合ってたもんなぁ。

 

ある日突然、連絡が取れなくなるんだもんなぁ。

 

でも、そんなに考えなくて良いよね。

考えないようにすることも大事だよね。

だって、自分のことだけでも今は大変だし、持病のことだってあるし、その人も、きっと、そう言うでしょう。「私のことはいいから。」って。

「お子さん達がいるんだから、そっち最優先だから。」って。

 

時々思い出して、涙が出てきて、それだけで十分だよね。

日々の日常に追われて、忘れることも大事だよね。

思い出として、心の中には残っているわけだしね。

どうか安らかに

人の死とは何なのか。

もうその人と、二度と会えないということだ。

会話できないということだ。

 

近しい人が、突然亡くなった。

6月27日に、仕事で会った。

その時に、随分と体調が悪そうなので、これはただ事じゃないと思って、

「仕事は私一人で対応するから、今から病院に行ったほうがいい」

と言ったけど、その人は、

「この仕事の後も別の仕事が入っていて、月末でやらないといけないことがたくさんあるから。」

と言った。

 

それまでピンピンしていたのに、その日は、その人はまともに歩けなかった。

5歩進んでは止まって、息切れしていて、

「腰も痛いし、常に頭痛もしているし、息苦しい。咳も出るし、気管支炎かなあ」

と言った。

顔色も随分悪くて、即入院すべきだと思った。

「いつからその症状なんですか」

と聞いたら、

「月曜の朝から」

と答えた。

その日は木曜日だった。

「なんですぐ病院に行かないんですか」

と言うと、

「仕事が忙しくて」と。

私なら、すぐに仕事をリスケして病院に行くのに、なぜリスケできないのか、お客さんに正直に調子が悪いと言えない関係なのか、と、疑問を抱いた。

 

心配になって、会った日の翌日に、

「時間を作って、病院に行ってください」

と、LINEで連絡したけど、既読にはなったものの返信は来なかった。

いつもなら、スタンプで、「ありがとう」とか来るのに、そのスタンプも無かった。

 

まだ月末業務で忙しいのかな、と、思っていた。

 

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7月4日の夕方に、仕事関係の知り合いの人から、その人が自宅で亡くなっているのが今朝見つかった、と、連絡を受けた。

 

まだ52歳だっていうのに。

驚きすぎて言葉も出ないし、涙も出ない。

 

そんなことがあるのか。

本人もまさか死ぬなんて思ってもいなかっただろう。

「体調が少し悪いだけ、心配しないで、大丈夫だから。」

「月末業務が終わったら、病院に行く」

 

よくわかるよ、その心境。私もそうだったから。自分の体調は気持ち次第でどうにかなる、仕事の方が大事、迷惑かけられないから、って。

 

6月27日の症状を思い出すと、きっと、あの時すぐに病院に行っても、遅かれ早かれだったのかもしれない。

でも、一命は取り留めたかもしれないし、もう少しやり取りできたのかもしれない。

何もこんなに早く行く必要ない。

 

「鎌倉の佐助稲荷、今年こそはリベンジで行こうね」って言ってたから、具体的な日は決めてなかったけど、そのつもりでいたよ。

 

たくさん御朱印巡りした御朱印帳を持って、

「死んだらこの御朱印帳を棺桶に入れてもらおうと思ってる」

って、そんなにすぐの話なんて、誰が思ったでしょう。

「人生いつ何があるかわからないから、今年は遺言書を書く年にしよう」

と、今年初めに言ってたのに、遺言書なんて書く暇もないまま、もう亡くなってしまうなんて。

 

本当に、いつ何があるかなんてわからないもんなんだね。

事故でもないというのに、突然亡くなるなんて。

 

10歳年上で、偶然同じ大学同じ学部出身だからということで、公私共々親しくしていただいて、ありがとうございました。

時々意地悪だと感じたし、たまに、すごく嫌な人なのかと思ったりしたこともあったけど、でも、葛藤しながらも私との関係は壊さないようにしてくれてたこと、わかっていました。

 

今年は、一緒に、箱根駅伝の沿道観戦に連れて行ってくれて、ありがとうございました。

今年は念願の優勝を狙っていたのに、まさかの選手たちが直前のインフルエンザ感染で、シード権にも入らなくて、残念でしたが、一緒に応援したことは良い思い出となりました。

もう一緒に応援できないことが寂しいです。

 

色んなことがあったけど、感謝しています。

仕事のことで喧嘩別れとかしなくて良かったです。良い関係のままで良かったです。

 

昨日訃報を聞いた時は、混乱して、受け入れられなかったけど、今になって、受け入れることができそうです。

 

最後は本当に苦しかったと思うけど、どうか、安らかにお休みください。

仕事のことは心配しないで、私が関わっているところは私が責任持ってフォローするから。

だから、どうか、安らかに・・・

 

本当に、今まで、ありがとう。

鎌倉の佐助稲荷は、必ず、行くからね。

 

おやすみなさい。