伝えることについて思うこと

伝えたから気付けたんだよなと思うことは多々あって、この前就職支援サービスの講座で登録者の人たちと交流したときも改めて感じた。

ゲーム形式でコミュニケーションをとる講座だった。話す4つのうち1つが嘘の自己紹介、サイコロの出た目でトークするどこかで見たことあるやつ等々、わくわくもありつつまとまった言葉で自分のことや働くことへの考えを伝える必要があって、具体的に言えた部分もあれば、どう言うか迷った部分やしどろもどろになった部分もある。

たとえば、言いたいことと言えることの違い。好きなアーティストさんの好きな曲を質問されたときに、最初に浮かんだ曲が、説明しようとするとそのとき言葉にできそうだった理由があまりに真面目でこれ大丈夫か?ってなって。

ひとりで感じる苦しみに共感できるとか存在すると認めてもらえてる感覚とか、ほぼ初対面の人に言っても反応しづらいか?言い方しだい?と思って、結局他の好きな曲について話した。

違う方向で自分が伝わっていいのかと一瞬逡巡したけど、その別の曲も好きだったし冴えた言い方を持ててなかったものより言えるものが現実的だったかなー、と後になれば少し思い直せたり。

悔しかったのは、自己紹介の趣味の説明で、ピアノがどのくらい上達したか、とか、さっきの好きな曲の答えとか、淀みなく言えるほど考えが根付いてなかったから、浅くなったりズレてしまったこと。

自分の好きの程度はこのくらいなんだって実感して、恥ずかしくなった。でもだから、好きなものをもっと理解したい気持ちになって、人からどう思われたいか由来の感情だとしても、むしろそうなることを望んでいる。

好きなものを深く伝えられてこそ人から興味を持ってもらえる、人と深く関わっていける、そういう手段としても明確に意識してて、自分は人と関わりたいから。

これまで自己完結で満足してた割合が高くて人に伝える欲が薄かったほうなので、自己満足の占める場所は柵付きで持ってる。でもそれは大事なことを大事にしたうえでの余暇だと、今は位置づけてる。

昔は輪郭がぼんやりしたものを感覚的に愛でて終わりがちだった。今のほうがくっきり意識して楽しもうとしてる。いろいろ書いて未熟な歪みや決めつけが事前把握しきれなくなってきたけど、たぶん後で気付く。