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189番です。

 

Clearly the story meant much to him.

 

今回は短い文です。簡潔で、クリアリーな文です。

 

直訳すれば、

「明確に その話は 父には 大きな 意味がありました」

です。

 

これを日本語らしい訳にすれば、

「その話は、父にはとても大きな意味を持っていたことは明らかでした」

となるでしょうか。

 

副詞とか形容詞、ここでは clearly 明確に ですが、用言として訳すとおさまりがいいように思います。

さらに、読んだときにはわかりやすい音読みする熟語などと、聞いたときに分かりやすい訓読みする言葉との使い分けも、気を配るといいと思います。たとえば、

 非常に  とても

 重要な  大きな

 明確な  明らかな

などです。

 

「その話は、父にはとても大きな意味を持っていたことは明らかでした」

「その話は、父には非常に大きな意味を持っていたことは明確でした」

「その話は、父には非常に重要な意味を持っていたことは明確でした」

の違いですが、どれが原文の気分を表しているでしょうか。

語順も含めて、こういう違いの追及が訳の面白さだと思っています。

 

 

 

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188番です。

 

I remember him relating it again the first time I returned to see him after gaining my first post as butler - to a Mr and Mrs Muggeridge in their relatively modest house in Allshot, Oxfordshire.

 

今回は長い文のように見えますが、途中にハイフンで区切られていて、それ以降はその前の内容を補足しているようになっています。後から付け足せばいいようです。

いずれにせよ分解してみます。

 

① I remember him relating it again the first time

② I returned to see him after gaining my first post as butler

③ - to a Mr and Mrs Muggeridge in their relatively modest house in Allshot, Oxfordshire.

と分解しましたが、さほど複雑ではありません。

 

①は、直接父親からその話を聞いたというのがミソです。

今までは、子供時代だったり、職務に着いた時でも、お客さんに話しているのをう横にいたから、聞こえてきたという感じだったのが、今回は執事になったときに、明確に自分に対して語られたというのが重要だと思います。

で、①は、

「私は、最初の時に 父が 再び 話してくれたことを 思い出します」

となるのですが、最初でありながら、再び 話してくれた というのが面白いです。父親にしてみれば、改めて初めて話したつもりなのですが、スチーブンスにしてみれば、実はもう何度も聞いているということなんですね。

 

②は、

「執事の地位に 最初に就いたあと、父にそれを報告するために 戻った」

となりますが、最初の時の会話の内容は、当然それぞれが重要だと考えていることになりますね。

 

③は、どこで執事の地位に就いたかですが、仕事が大規模で分担して担当しなければならないような大きなお屋敷ではなく、一人ですべてを仕切ることが要求される小規模なお屋敷だったことも重油ですね。だからこそ、スチーブンスの父親はお屋敷の運営には、ありとあらゆることに精通しているという根拠になるわけで、また、若いころからそういう全責任を負っていたから、体力知力がみなぎっていた時でも、相手を尊重するという品格を身につけたというわけですね。

というところで、

「そこは、オックスフォードシャー州、オールショットにお住いのマガリッジ家で、比較的こじんまりとしたお屋敷でしたが」

と訳しました。

 

まとめれば、

「最初にお屋敷で執事の地位に就いたあと、父に報告するために戻った最初の時に、父が再びそのことを話してくれたのを思い出します。そのお屋敷は、オックスフォードシャー州、オールショットに居を構えるマガリッジ家で、比較的こじんまりとしておりましたが」

となります。

 

 

 

 

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187番です。

 

I recall listening to him tell it to vistors when I was a child, and then later, when I was starting out as a footman under his supervision.

 

それほど複雑な文ではないのですが、英語の不思議な癖、というか規則に注意が必要です。

それは知覚動詞と、それに関係する規則についてです。

 

が、それはそれとして、まずは、分解してみます。

 

① I recall listening to him tell it to vistors

② when I was a child, and then later,

③ when I was starting out as a footman under his supervision.

こんな風に分解しました。

①が主節です。それに when 節が二つ従属しているという構造です。つまり、それぞれ別の二つの時点で、同じ一つの主節が作用しているという構造です。

when 節は、過去時制になっており、主節は現在の時制です。

 

さて①ですが、動詞は recall で特に問題はありません。

「私は ~を思い出します」

と現在の時点での話ですが、recall の目的語である listening to が要注意です。

この動詞は、知覚動詞という奴で、目的語は普通の不定詞だはなくて、原形不定詞を要求するのです。

つまり、ここでは him のうしろの tell が原形不定詞で、listening to の目的語になっています。him は、その tell の意味上の主語というわけです。

知覚動詞は、そんなにたくさんあるわけではないので、まあ片っ端から覚えるというものですが、ちなみに、

hear         聞く

listen to   聞く

see          見る

look at    見る

watch     見る

feel        感じる

notice    気付く

perceive 気付く

smell      においを感じる

taste      味わう

などがあります。これらの動詞の後では、原形不定詞が来るということです。

 

というところで、

「彼(父)が、話しているのを 思い出します」

となるのですが、①全部を訳すと、主節は

「その話を訪問客に 彼(父)が、話しているのを 思い出します」

となります。

 

で、それがどんな時だったかと言えば、それが②と③で、

「私が子供だった頃」

と、やがて大きくなって、

「私が、彼の指導の下に召使として職務を始めた頃」

と、隔たった二つの時点が提示されています。

その離れた時点でさえも、彼(父)は同じ話をしていた、というのが重要なわけです。

スチーブンスにとっては、父を懐かしむとともに、その父の教えを基本として職務に当たってきたことは間違いではなく、だからこそ必要な品格を身につけることができたと振り返っているようですね。

 

まとめると、

「私はいまでも思い出すのですが、私が子供の頃に、父は訪問客にその話をしておりました。その後私が大きくなって、父の指導の下に召使として職務についた時にも、同じ話を訪問客にしておりました」

としておきます。

 

 

 

 

 

 

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186番です。

 

There was a certain story my father was fond of repeating over the years.

 

今回は、浮く雑な文ではなく、分解すれば理解できる、文法の教科書に乗せたいような文です。

ということで分解です。

 

① There was a certain story

② my father was fond of repeating over the years.

 

①は there is 構文の過去形です。a certain story が主語で、

「ある話がありました」

と訳して問題はありません。

 

で、その話とは何かを説明しているのが、②です。先頭に that または which を補って考えれば、その関係代名詞の先行詞として ①の a certain story があり、そこにかかっていることが分かります。

be fond of ~ は、前置詞の熟語として、教科書には出てくる奴で、超有名です。

で、その of の目的語として、repeating という動名詞が使われています。

over the years は、何年もの間、何年にもわたり です。

 

というところで、

「私の父は 繰り返すこと が 好きであった (ところの)」

となって、①へかかっていくわけです。

 

まとめれば、

「私の父は、そのころ 好んで繰り返していた 話がありました」

となります。

 

あとは、何を感動の中心として伝えたいか によって、使う言葉が変わって来て、さらにどの順で伝えるか によって、言葉ぼ並べ方が、人によって変わってくることになり、訳がそれぞれ異なったものになるというわけです。

日本語として、おさまりがいい、ということも重要な訳の分かれ道になります。

 

どんな訳になったでしょうか。

 

 

 

 

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185番です。

 

If I try, then, to describe to you what I believe made my father thus distinguished, I may in this way convey my idea of what 'dignity' is.

 

長いような短いような。分解してみます。

 

① If I try, then, to describe to you (what)

② what I believe made my father thus distinguished,

③ I may in this way convey my idea of what 'dignity' is.

 

このように分解しました。

なかなか珍しい文だと思います。

というのは、この文は仮定法現在形と考えることができ、条件節が If I try to describe という現在形で、将来の仮定を表現しています。

「あなた方に これから 説明しようと しているのは」となりますが、

過去の仮定は過去完了形、現在の仮定は過去形、将来の仮定は現在形、というように、仮定する帰結節の時制に応じて、一つずつ条件節の時制を前にずらす、というのが仮定法の原則ですから、if 節の動詞が現在形なら、将来の出来事を仮定していることになります。

仮定というのは、頭の中で思っていること、つまり想像していることです。

①の動詞は、If I try ですから、将来に、つまり、これから試みる ことを仮定しているわけです。これが全体の条件文になっていて、③の帰結文に対応しています。。

気分としては、相手の意向を尋ねている、というような丁寧な感じが出てきます。

特にこの辺りは、執事であるスチーブンスが、「品格」について語っている場面ですから、よけい丁寧な物言いになるのは当然ですね。

 

文の構造的には、最後の (what) が describe の目的語になっていて、それが先行詞となって、次の②に関係しています。次の②では、この what が主語になっています。 

 

で、②へ行くと、what I believe となっていて、「私が信じている こと」と表現されていて、これ全体が主語です。つまり、動詞は made 、目的語は my father 、目的補語が thus distinguished という SVOC の文型です。

I believe は、 I think ぐらいでいいのでしょうが、ちょっと重い言葉を使っています。敬語と考えたらいいと思います。

「父が このように人とは異なる存在に 何が させたか と私が信ずる こと」

と全部の言葉を使って直訳できます。

「thus このように 」というのは、前の文までで描写していたスチーブンスの父親が、話し方は下手なほうで、知識もあるほうではなかったが、執事としての能力は抜群であり、若くして品格も備えていたという様子を表しています。しかもそれは努力により得られたもので、近頃はエネルギーの使い方がおかしいとも言いたいわけです。

 

③ですが、これは帰結文で、将来の出来事に関して、一つ前の現在形という時制を使っていると考えられるのですが、形からは直説法と変わりはありません。が、仮定法は自分の考えを話していいですか、という相手に対して許可を得るという行為が感じられ、丁寧さがにじむ文になります。

討論などで、自分の考えを言うときには、いちいち相手の許可など聞かないものですが、そこをわざわざ訪ねるというのは、相手に対する敬意の表れで、言葉遣いからなんとなく敬語的なものを感じます。

in this way は、「このやりかたで」ということですが、「これとともに」とか「同時に」といった感じの言葉だと思います。

convey は、運ぶ、運送する、伝える、などが辞書に出ていますが、運ぶことが伝えることになる、という感じがします。

 

とうところで、

「それでは、私の父が際立つことになったことを お話ししようと思いますが、それは同時に 品格とは何かを お話しすることになると思います」

としました。

さらに、

「私が、何が父を際立った執事にしたか、について、考えていることをお話しすれば、それは品格というものが何かをお話しすることになるかもしれません」

とすれば、現在の仮定っぽいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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184番です。

 

And I would maintain that for all his limited command of English and his limited generalとかぎられた knoeledge, he not only knew all there was to know about how to run a house, he did in his prime come to acquire that 'dignity in keeping with his position', as the Hayes Society puts it.

 

今回は長いですね。といっても結局は複文などがたくさんあるということですから、落ち着いて分解をしてみます。

 

① And I would maintain that

② for all his limited command of English and his limited general knoeledge, he not only knew all there was to know about how to run a house,

③ he did in his prime come to acquire

④ that 'dignity in keeping with his position', as the Hayes Society puts it.

 

こんな風に四つに分解しました。

①が主節です。that 以下の、つまり②以下のことを、保持する と言っています。would は仮定法です。将来にわたって、that 以下の考え方を持ち続けますよ、というスチーブンスの宣言です。保持するのは、未来にわたってする行動なので、現実に、今その行動が目に見えることではなく、頭で考えているだけのことです。だから仮定法を使うわけです。

「私は、次の考えを 持ち続けたいと 思っています」

と直訳できます。日本語に訳すときは敬語として訳すといいと思います。

「ていたことを申し述べたいと存じます」

という感じでよさそうです。

 

で、どんな考えかと言えば、それが②、および③で、④が説明的にくっついています。

、

②は、for から knowledge までは長いけれど、前置詞句です。for という前置詞ですから、理由とか譲歩ということになると思います。

「限られた文章能力と限られた知識能力のために」

となり、

「文章力も知識量も限られたものでしたが」

とすればいいと思います。

 

次の he not only knew all が本体ですね。not only は、ばかりでなく、という奴ですが、相手になる but also はここにはありません。

「すべてを知っているばかりでなく」

と訳せます。

all は先行詞で、次にthat を補うと分かりやすいかと思います。

all (that) there was to know about how to run a house

「いかに運営するかについて知ることがあり、そのすべてを 知っていた」

となります。there is 構文があるようで、その過去形です。to know という不定詞がこの文では主語になります。直訳すれば、

「お屋敷の運営をいかにするかについて 知るべきことがあり、そのすべてを」

となります。

 

さらに、but also で導かれるはずの文が、次の③です。

in his prime というのは、「絶頂期に」ということですが、気力も体力も充実しているときは乱暴になったり横柄になったりしやすいものですが、そんな時に

「そればかりか、父は絶頂期に「品格」というものを体得していた」

となり、そこへ④が説明として付け加わっています。

「ヘイズ協会が言うところの 立場に応じた品格を」

となります。

 

というところで、

「父は文章力も知識力も限られたものでしたが、父はお屋敷の運営方法に精通していたばかりでなく、ヘイズ協会が言うところの「地位に応じた品格」というものを若くして身につけていたことを申し述べたいと存じます」

としました。

 

 

 

 

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183番です。

 

My father, as I say, came of a generation mercifully free of such confusion of our professional values.

 

今回は短い文です。分解の必要はなさそうです。

 

as I say は、「私が言うとき」、「私から言わせれば」、というような感じです。

自分たちの世代と、父親の世代とを比較しようとしているのですね。

 

come of は、辞書には「出である」とか「に属している」と出ています。つまり、同じ立場である大勢の中の一人というようなことです。

 

ということで、

「私の父は、幸運にも職務的価値観の混乱とは無縁の世代に属していたと、言えるでしょう」

としました。もっといい訳があるとは思います。

 

職務的価値観の混乱とは、執事としてのお屋敷の運営技術などの基本職務をまず習得すべきか、そこを訪ねてくるお客様の満足を確実なものにするか、という職務の優先順位の問題だと思うのですが、スチーブンスは受け狙いはダメだという姿勢なようです。

 

 

 

 

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