非親告罪と密告社会

続いてこれもメモっとこ。

竹熊健太郎氏が著作権法の非親告罪化に反対
http://news.ameba.jp/2007/05/4871.php

個人的にはそこまでいうことかという気持ちはある。
非親告罪にして創作活動に圧倒的な大ダメージが出るかといえば、そうなるかも知れないし、そうならないかもしれないとしか言えない。まあ、パクリに対しては厳しくなるでしょうな。
http://pakuri.page.to/
非親告罪にして一番ダメージ受けるのって、その辺なんじゃないでしょうか。パクリだと思われたら断罪されるってやつ。

でもそれって、非親告罪なんかにしなくても、既に今そうなってるんだよね。
例えばこれ。
http://cabin.jp/k55yuki/index.html

この作品はネットにおいて大きく話題になったあげく、断罪され、作品は絶版になり、作家はHPを閉鎖。おそらく名前を変えても再び作家として再度帰って来るのは難しいんじゃないでしょうか。これこそ自由な作家活動の阻害ってやつじゃないでしょうか。

まあ非親告罪に話を戻すと、警察がパクリを見張るのかって話で、まずそんなアホな仕事はやらないんじゃないかと、個人的には思ってます。それを行う事によって誰かに大々的に損害を与えているという事情があっての運用って言うのはあるだろうけど。ただ、警察が見張るパクリよりも遥かに影響力が強く、作家活動に大ダメージを与えるのは、ネットなどの情報や噂や風評じゃないかと思ってます。

基本的に、個人的にはパクリ容認派です。ニーズがあるならいいじゃないって思います。構図とかキャラ設定とか、メロディ展開とかサウンドの質感とか何でもいいのですが、その質感でないと雰囲気が出ないとかそういう物はあるかと思います。70年代の物には70年代の質感が有り、80年代の物にはそのような質感がある。それらをどう咀嚼するか。今創作活動を行っている人たちには、80年代、90年代に物心ついた人たちがいて、その質感を持ってして、現在があるのでしょう。であれば、何かしらの影響下、パクリ下にあるのは当然のこととも言えるし。

ただ、個人的にアニパロとかはアンダーグラウンドであって欲しいとは思う。
あくまでも原作があってのオマージュであって、言葉通りの「同人誌」であって、同好の士が集まって内部で楽しむ物であって欲しいと思う。権利主張しちゃいかんよ。創作の自由とかは、創作を行うことの自由であって、権利なんぞを主張したら、原作を傷つけることになるよ。ましてやそこでビジネスを展開しているからその権利を主張するなんて、おこがましいにも程がある。

なんかまとまりそうもなくなって来たので、強制的に自分の意見を整理。

1.著作権法の非親告罪に関しては、細則を細かに決定するなんてことが実質不可能なんじゃないか。
2.だから「警察による著作権狩りが行われる」は杞憂なんじゃないか。
3.むしろ非親告罪なら、その作品を嫌いな人間から「あいつパクってますぜ」と言う密告社会の方が怖くないか。
4.っていうか既に今そうだよね。
5.パクリ全否定派の人って、その作品がオリジナルって判断出来るんだから凄いよね
6.っていうかパクリ探す人の労力って凄いよね
7.でもそういう人に限って自分の好きな作品の同人誌持ってたりしない?(偏見)

ええ、身近に思い当たる人間がいます。世の中はそういう人間ばかりではないと思うのですが。
あと、このような話題が大々的に取り上げられる以上、世間はオリジナル至上主義なのかと言うとそうでもなかったりする訳で。でもそれでいいと思うんです。本当の意味でのオリジナルなんて、モーツアルト見たいに死んでからしか理解されない人もいる訳で。表現と言う物をやっている人たちは生暖かく応援してあげて、余計な茶々を入れずに、好きだったら応援する。嫌いだったら無視しておく。

それでいいじゃないですか。