ココロ社

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日本をオキュパイし続ける『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』

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『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』を聞いた事がある人は多いと思う。むしろ聞いたことがない人はどのような暮らしをしたらこの30年間聞かずに過ごしていられたのか知りたいほどである。もしかしたらハムスターに育てられたから聞いたことがないという方もいらっしゃるかもしれない。歯が生えるまではひまわりの種を何度も喉に詰まらせ生死の境をさまよったりもしたが、成長するにしたがって頬の大きさは並のハムスターの十倍以上に成長。歩くひまわりの種貯蔵庫としてハムスター銀行の頭取に就任するも、まわりのハムスターは数年で死ぬので、ハムスターが生まれるたびに種を貯蔵することの大切さを説くことから始めていた。そんな暮らしなら、音楽を聞く余裕などないだろう。

 
特殊な環境にいる人の話はともかくとして、『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』がなぜかくも空間をoccupyし続けて(≠聴き継がれて)いるのかというと、その圧倒的な無難さゆえである。たしかに、この曲が、コースが3万円のフレンチで流れていたとしても、140円のキャベツ焼き(注:関西を中心に展開されているお好み焼きの具をミニマム化したもので、関西以外ではなぜか相模原市に一店舗のみ存在する)のお店で流れていたとしても、そのことが原因で原因でお店の評価が上がることはないにせよ下がることもないだろう。たとえば同じ80年代のUKの音楽で、フランク・チキンズの『ウィー・アー・ニンジャ』が流れたらどうだろうか。いま思うに、35年前に日本人女性が"We Are Ninja (not geisha)"というタイトルで曲をリリースし、それがUKインディチャートのトップ10にランクインしていたことはエキサイティングな事件だし、今年のレコード・ストア・デイでシングルが待望の再発を果たしたりもしているが、フレンチのコースをいただきながら「あんたも忍者 私も忍者 目つぶし投げて ドロンドロン~」などというフレーズを聞きたいと万人が思うかというとそれはまったく別個の問題である。
 
最初にこの曲がリリースされたのは1988年で日本はまだ昭和で、同じ年のヒット曲は『パラダイス銀河』や『MUGO・ん…色っぽい』で、なんということかと思うかもしれないが、そのときのアメリカでのヒット曲は『ギブ・ユー・アップ』(注:原題が"Never Gonna Give You Up"で邦題が『ギブ・ユー・アップ』なので、意味が正反対である。当時わたしは日本は経済大国だが文化的に大丈夫なのかと思っていたものだが、今は経済大国でもなくなってしまったので別にいいかという気分である)なので安心してほしい。『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』は、アルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』の3枚めのシングルとしてリリースされUS/UKのシングルチャートでは50位以内にも入っていなかった。30年後のいまも流れている音楽であるとはとは誰も予想しなかっただろうが、店でかかるBGMがフュージョンやAORからジャズやボサノヴァへと拡大していくに従って、最適化されたカバーバージョンがつくられてきた。レゲエ版は早くも92年にShineheadがリリースしていて大阪のたこ焼き屋のBGMとして活躍していたし、ボサノヴァ化したカバーも、売れているかどうかは別として飲食店向けの需要があった。また、よりジャズ寄りにしたバージョンは挙げるのが面倒なほど多い。こうなってくると作者であるスティング先生の意図を遥かにこえて、ひとつの生き物としてBGM市場の動向に合わせて自己増殖しているようなものである。
 
しかしこの曲、少なくともオリジナル・バージョンについては、BGMにおさまる音楽ではないように聞こえる。よく言われるのが2分半からの間奏で突然暴力的なドラムが打ち鳴らされるところで、これは英国人のライフスタイルに割りこんでくるニューヨークの象徴であるし、音楽そのものも、アメリカに馴染めない(馴染まない)英国人が、自国の文化を大切にしつつ生きる歌だし、ニューヨーカーがこれを聞いたらうれしい気持ちにはならないかもしれない。児童虐待をテーマにしたスザンヌ・ヴェガの『ルカ』ほどではないにせよ、BGMとして適切とは言いがたいが、『ルカ』が一時期日本の旅番組などのセンスのよいBGMとして使われていたのと同様、マジョリティの雑な感性によって飲食店のBGMにおさめられてしまったのだった。
 
そして客であるわれわれは、『蛍の光』が閉店を意味する記号であるのと同様、『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』が、快いBGMを流すように配慮している飲食店を表す単なる記号として扱えるようになるのだが、そのタイミングを見計らったかのようにリリースされる新しい『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』のカバーバージョンを耳にし、振り出しに戻ってこの曲を記号ではなく音楽として聞くことを強いられる。それは音楽の姿を借りてわれわれの意識をオキュパイしにくる。そこで感じられる違和感は『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』の世界そのままなのであるが、それを楽しむことをわれわれは求められているのかもしれない。
 
もし下校中の児童に声をかけてもお縄を頂戴しない世の中がやってきたら、わたしはラジカセを担いでボリュームを最大に、グラフィックイコライザーの右端と左端を最大にし、校門の脇に立って、腰に負担をかけないように身をくねらせながら彼らの『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』の初体験を根こそぎ奪っていきたいと思っている。遅かれ早かれ聞くことになると思えば、最初の体験は絶対楽しい方がいいに決まっている。彼らは残りの人生の約80年間、その次代のミュージシャンによってカバーされた『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』を耳にするたび、身をくねらせて踊るわたしの姿を思い出してくれるはずなのだ。
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