書くことだけが救いだ

ドーパミンで脳がジャブジャブになる。ぐらぐらと、歯周病の歯茎みたいになった脳みそを、辛うじてホールドしておく。書くことだけで、なんとか保たせることができる。

自分以外の周囲は風任せだ。他人は風だ。適当に吹いていく。何がどうなるのか、ラディカルに言えば何もわからない。全ての物事に対して、あらゆる事象は可能性に開かれている。あっちだと思っていた他人がこっちだった。そんなことは、往々にしてある。そこにいちいち惑わされていては、前に進めない。

例えば何もかもがなくなってしまったとしよう。具体的には書けないけれど、何もかもが。そんな恐ろしいことがあったとしても、書くことだけは残されている。言語という奇跡だけは俺たちの手の中に確かにあって、それを握って確かめることができる。我々は、言語という物質を生成可能な存在である。ソイツを粘土みたいにこねたりして自分を変えていくことができる、唯一の存在だ。

自分自身に深く応答できる。話せる人が居なくたって、どうしようもなく孤独になったって、書ける。書くことができる。ただそれだけが救いだ。

恥ずかしくって周りの人には言えなかった。だけれども、このブログを始めて6年以上が経つけれど、僕は身体がどうしてもチミチミと何かを書く方に傾いてしまう。金を稼いだり投資で一発当てたりYouTubeをしたり起業しようとしたり、実は色々やったけれど、やはり、どんなときだって、どんな風が吹いていようが、俺は、どうしても、何がなんでも、本当にどうしようもなく、書きたくてたまらないのだ。魂が直接突き上げて吼えてくるこの衝動を、いまは飼い慣らすのではなく、ひたすらに発散させてみよう。時間は不可逆なのであり、後から振り返ったとき、俺が一番後悔するのは、ただ、見て歩いて書けていない、ただその瞬間に対してのみだ。言葉を、限界までこねくりまわすことに対する原始的な快楽が、僕の身体をひたすらに貫いている。

(2024.12.30)