ネット右翼が嫌いな貴方に


いつも思うのですが、ネット右翼って言葉は余り意味のある言葉じゃないですよね。
だって、ネット右翼と呼ばれてる人達の殆どは、全然右翼でもないし、そもそも思想的な右左の枠で捉えるのは間違ってると思うのですよ。
私が思うに彼等は状況が変われば、保守も右翼も叩き出しますし、結局彼等はアンチマスコミ、アンチメジャー、アンチ権威なんだと思うのです。*1
じゃあ何故、韓国中国やサヨク的なモノに集中するかといえば、ネタとして使いやすいからです。
http://amanoudume.s41.xrea.com/2005/02/post_47.html

例えば、同人ノベルゲームについては、絵が下手なほうがうまくいっている、という事実があります。先日、同人ノベルゲームにくわしくない人に、TYPE-MOONの『月姫』の絵と、07th Storming Partyの『ひぐらしのなく頃に』の絵を見せたところ、「なんでこの絵で売れてるのかが理解できない」という反応でした。かといって絵が無いノベルゲーム(背景のみ、またはサウンドノベルのようなシルエット)は、シナリオの評判がいくら高くても、あまり広がりません。その時思い当たったのは、カラオケボックスが広がってから、カラオケで歌いやすい歌のほうがヒットしやすくなったように、同人ノベルゲームでは絵を描きやすいほうが盛り上がりやすいんじゃないか、という仮説です。
元々の絵が上手いより、「これなら自分でも描けそう」「自分のほうが上手い」と思える絵のほうが、たくさんの人が絵を描きやすい。『月姫』や『ひぐらし』は、ネット上のイラスト、漫画が大量に日産されているのはそのせいではないか、と。「隙」があったほうがみんなが乗っかりやすい。乗っかってもらえれば、あとはユーザー自身が勝手にネタを増殖させてくれます。

つまり、今の日本で(特にネットでは)誰もが反論したり馬鹿にしたりできるくらい絡みやすいネタとして、中国韓国やサヨク的な言説が認知され、繋がる為のコミュニケーションツールや違和感表明の代名詞とし使われているという事です。*2
そして最近ネット右翼に対する言説が増えてきたのも、それだけ彼等自身にも「隙」があるという事の証明でしょう。

「怪物と戦う者はその過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ」ってか

「ネット右翼」とか「ネットウヨク」なんて言葉がいつから使われ始めたのかは分かりませんが〜、定義ってあるのでしょうか?
たぶん、使っている皆さんは「俺的、私的、脳内ネトウヨ」って定義でネット右翼とか熱湯浴を使っていると思うのです。しかしそんな「中身の無い言葉」を使って彼等を批判したり見下したり愚痴ったりした所で、批判されている当の本人には届きませんし、結局は「ネトウヨ、ウザイよねー(*´・д・)(・д・`*)ネー」って感じに似たような違和感や感情を持つもの同士で繋がる事位しかできず、それはネット右翼と呼ばれる人達の「中国韓国、ウザイよねー(*´・д・)(・д・`*)ネー」と大差ないというか、ベクトルや程度の差異はありますが本質的にはやってる事は同じではないのでしょうか?
「ネット右翼」という言葉を使い、彼等を侮蔑したり批判したりしている方は、ネット右翼に対して落胆したり絶望したり、または怒りを覚えているのでしょうが、同様にネット右翼と呼ばれている方も左翼やサヨクに落胆したり絶望したり、または中国韓国に怒りを覚えているのです。
結局、運動業界で繰り返されてきた事をネットでまた繰り返すだけと言うか・・・。
ネットで同族とくだ巻きながら繋がりあって閉塞していく位なら、ネット右翼と呼ばれる方と交流したり議論するべきだと私は思うのですが、残念ながらそういう場はリアルでもネットでも余りにも少ない。*3
今の日本の何が問題かといえば、こうした様々な意見を持った者同士が、ちゃんと議論したり交流できたりする「公共性」のある場が殆ど無いという事です。それゆえに結局似たもの同士でつるみ、村社会を作り蛸壺化していく。
http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20060605/p1

今の日本じゃ蛸壺化も棲み分けもすっかり進んで、国内の違った領域の人の間でコミュニケーションすることはありえないし不可能だしそもそもやる気がない。他者への想像力を欠いた利己的なネオリベとか、仮想の敵や問題を見つけ出しては必死に叩く自己満足なスノビズムとか、3次元から逃げ出して萌えに走ったオタクとか、現実とは無関係に評論家ごっこするアカデミズムとか、みんなすっかりバラバラだ。いくらネット上で社会問題について語っても、読むのは初めから限定された人たちだけだ

公共の場って必要だと思うのですよ、リアルでもネットでも

いや、本当マジで。
ネットでクネクネと緩やかに繋がりながらも閉塞していくのは、「村社会」に閉じこもってばかりで異質な他者と繋がろうとしないから。そしてそうした他者と繋がろうと思っても、中々それができる空間や場が無く、また異質な他者との繋がり方が分からない為に、結局やる事はクルセイドになっちゃったりという不毛。
私たちに今必要なのは、罵倒や敵対、レッテルの為の言葉でも、繋がる為の中身の無い言葉でもなく、他者と繋がり交流できる、「公共性」のある場ではないのでしょうか。

*1:さらに言ってしまえば痛い奴やムカツク奴なら誰でも

*2:言い方変えればそんだけ電波な事やおかしな言説とか、つまり隙のある言説を垂れ流しにしてきたって事でもあるけど

*3:もちろんネット右翼と呼ばれる方々ももっと違う考えの方々と交流すべきなのですが