10月27日(日)は、衆議院選挙の投開票日だったが、投票率は53.85%で、戦後3番目に低い結果だったという。また、なかでも10〜20代の投票率は特に低いそうである。こうした若者の政治への無関心はどのように形作られたのか。『ビックリハウス』という雑誌を手がかりに、その源流へと迫ろうするのが、富永京子『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』だ。
本書は、高度経済成長に伴って形成された70-80年代における消費社会が私生活主義を推し進め、政治参加・社会運動といった公共への関与が失われたのだ(豊かになったから不満を言わなくなったのだ)という通説を踏まえた上で、消費社会にも共同体(雑誌)を通じた政治的・社会的コミットメントがあったにもかかわらず、なぜそうとはみなされなかったのかを明らかにするために、「未政治運動としての若者共同体」である雑誌『ビックリハウス』を対象に研究を進めているp86。『ビックリハウス』は、パルコ出版によって75〜85年に刊行された月刊誌。糸井重里、橋本治が編集に参加し、YMOやタモリもたびたび登場した伝説的サブカルチャー雑誌である。誌面の大部分が読者投稿で成り立っており、当時の若者の思想が集まる場所として機能していたのだった。つまり、この媒体を分析することで、若者の政治に対する無関心の輪郭を描き出せるのではないか、ということである。
分析の方法としては、KH Coderというテキスト分析ツールを用いて、品詞別に分解し、頻出語を出していくという定量的な方法がとられているp101。また同時期には、『話の特集』や『宝島』などの雑誌も刊行されており、それらとの比較も通じて、『ビックリハウス』の特長を明らかにしている。
分析の結果として本書が示すのは、「考え方は人それぞれ」という態度を『ビックリハウス』が志向したからだということになる。つまるところ、「多様性」である。本書では、「戦争」「女性解放」「マイノリティ」「ロック」などのトピックをあげて検討しているが、『話の特集』や『宝島』と比較して、『ビックリハウス』はそれぞれのトピックに対して正面から捉えるのではなく、ネタやゲームとしての扱いになってしまったことを示している。例えば、「ロック」を政治性から引き離し、それぞれの「ロック論」を求めたことなどにも見て取れる。これは、政治を批評として捉えてみてもいいかもしれない。「聴き方をめぐる論争を通じてロックの本質とは何かを探究しようとした動きを『けなし合い』『あげあし取り』と捉えた」p274。また、「マイノリティ」や「差別」においては、「編集者・寄稿者が提示した差別の遊戯化に読者たちが乗ることで、『ビックリハウス』上のマイノリティや差別をめぐる言説は、ともすると不謹慎さを競うゲームや『差別ネタ』『差別ギャグ』へと転化しうる危うさを帯びてしまう」のではないか、と富永は指摘している。そして、それが若者による読者投稿で加熱してしまうのだ、と。
50年代の生活綴方運動に従事していた若者たちと、70-80年代の『ビックリハウス』読者たちにとって「書くこと」が「解放」であった点は共通している。書くことをもって農村共同体や家父長制から解放され、それが運動への推進力になった50年代の若者たちと同じように、『ビックリハウス』読者にとっては、自らの生活について自由に書くこと、政治的・社会的トピックをおちょくることが、既存の社会ーー強化される表現規制や「きれい事」ばかりの言論、政治性や対抗性抜きにサブカルチャーを享受すべきではないという風潮ーー彼らが率直に、あけすけに自分の思いを「書くこと」によって解放されようとしたのは、戦後日本社会に内在する規範性や教条主義からの「解放」だったのだ。
しかし、『ビックリハウス』の編集者たちは、書くことをもって解放された若者たちに何らかの政治的立場や対抗文化的色彩を与え、社会運動化することをいやがった。『ビックリハウス』の読者や編集者は、「規範」「大義」「強い力」「べき」で人々を引っ張ろうとした先行世代に対して強く反抗・対抗したためだ。彼らは社会運動がもたらした女性の自立や反戦平和といった価値観には共感を寄せるものの、政治に対する無関心・無理解を標榜する。
70-80年代の『ビックリハウス』に関わった人々が社会運動を嫌ったのは、彼らがいわゆる「シラケ」「新人類」「無共闘」世代であり、政治に無関心だったからではない。消費社会の影響を受け、孤立した消費と趣味の世界としての私生活に埋没したからでもない。豊かな社会に生まれ育ったから不満をもっていなかったわけでもない。むしろつとめて民主的であり、強制や動員を嫌い、自分より若い世代の自主性と主体性、感性やセンスを尊重したからこそ、明示的に集合的な運動へと向かうのも、向かわせるのも嫌ったのだ。
286-287頁
しかし、これらは『ビックリハウス』特有の問題なのではないかという疑問に思うかもしれないが、富永は本書が示す知見には普遍性があると付言する。キーワードは、70年代以降の日本社会における「自主性と主体性の尊重」と「表現・言論の自由」だ。まず、前者については、60年代以降の「参加民主主義」が強く礼賛された時代にあって、であるから「本誌の若者共同体はむしろ参加や自発性を尊重し、『人それぞれ』のあり方を許容したからこそ、参加民主主義を肯定的に捉えた論者が重視した『公的関心』を持たないことをも許容していった」のだとして、時代の流れと合致していることを指摘しているP294。また、後者についても、NHK放送世論研究所が実施したアンケートを援用し、「青少年の教育上悪影響を与える映画・出版物の制限賛否」に関して、58年では「加えるべき」が75%、「加えるべきではない」が11%だったのに対し、75年には69%が「加えるべき」、「加えるべきではない」が18%と、表現に表現に制限をかけない方向に人々の意識が向かった、表現を規制する市民運動への忌避感という点では、『ビックリハウス』との同時代性を確認できることを示しているp295(であるから、『ビックリハウス』は不謹慎ゲームに陥りかねない「パロディ」を通じた共同体の参入手法を肯定した)。
多くの識者や研究者には、70-80年代の若者たちが私生活に耽溺し、共同体を拒み、公的事柄に政治的・社会的コミットメントを行わなくなったように見えるかもしれない。しかし、その無関心の表明や政治性・対抗性への忌避、差別的な言明そのものが、既存の社会運動や政治参加がもつ規範性や教条主義、表現に対する抑圧への対抗だった。[…]むしろ戦後日本が共同体において重視してきた自主性や主体性という価値を受け継ぎ、「人それぞれ」の多様性を尊重したからこそ、啓蒙や強制を伴う政治参加や社会運動を忌避したのだ。
303頁
選挙において投票に行こう、と考えると、どうしてもその個人の自律性によるところが大きいと考えてしまう。なぜなら、その人が何を考えて、どう行動にうつすのかはその人にしかできないからだ。であるから、経済的な発展による物質的・時間的な豊かさを得ることで、私生活主義に堕落してしまったために、政治参加への無関心が引き起こされたのだとする通説はしっくりくるものがある。だが、『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』は、むしろその個人の自律性があったからこそ無関心が形作られたのだとする結論は非常に興味深いだろう。