昨日の今日

KINOUNOKYOU

お笑いとテレビと映画と本と音楽とサッカーと…

MY BEST MOVIES 2024

1. ドゥニ・ヴィルヌーヴデューン 砂の惑星PART2』

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2.クリント・イーストウッド陪審員2番』

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3.黒沢清『Cloud クラウド

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4.アレクサンダー・ペイン『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』

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5.マイケル・マンフェラーリ

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6. キム・ソンス『ソウルの春』

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7. 山田尚子『きみの色』

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8. セリーン・ソン『パスト ライブス/再会』

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9. 三宅唱『夜明けのすべて』

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10. アレックス・ガーランド『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

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11. 押山清高『ルックバック』

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12.レイチェル・ランバート『時々、私は考える』

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13.黒沢清『Chime』

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14. ルカ・グァダニーノ『チャレンジャーズ』

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15. ウィル・グラック『恋するプリテンダー』

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16. マルク・ローテムント『ぼくとパパ、約束の週末』

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17. 奥山大史『ぼくのお日さま』

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18. ソフィア・コッポラプリシラ

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19. トッド・ヘインズ『メイ・ディセンバー ゆれる真実』

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20.塚原あゆ子『ラストマイル』

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濱口竜介『悪は存在しない』、 五十嵐耕平『SUPER HAPPY FOREVER』、 山中瑶子『ナミビアの砂漠』は観ていません。塚原あゆ子『 グランメゾン・パリ』 、チャンドラー・レヴァック『 I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』は年内に間に合わず。

 

MY BEST ANIMATION 2024

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1. サイエンスSARU『ダンダダン』

2. Production I.G君に届け 3RD SEASON』

3. WHITE FOXRe:ゼロから始める異世界生活 3rd season 襲撃編』

4. 葦プロダクション『結婚するって、本当ですか?』

5.TRIGGER『ダンジョン飯

6. ボンズ僕のヒーローアカデミア(第7期)』

7. A-1 Pictures『負けヒロインが多すぎる!』

8. エイトビット転生したらスライムだった件(第3期)』

9.J.C.STAFFダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかV 豊穣の女神篇』

10.CloverWorks『黒執事 寄宿学校編』

 

次点:

マッドハウス『チ。―地球の運動について―』

PIERROT FILMS『BLEACH 千年血戦篇 相剋譚』

富永京子『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』

f:id:nayo422:20241019232945j:image10月27日(日)は、衆議院選挙の投開票日だったが、投票率は53.85%で、戦後3番目に低い結果だったという。また、なかでも10〜20代の投票率は特に低いそうである。こうした若者の政治への無関心はどのように形作られたのか。『ビックリハウス』という雑誌を手がかりに、その源流へと迫ろうするのが、富永京子『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』だ。

本書は、高度経済成長に伴って形成された70-80年代における消費社会が私生活主義を推し進め、政治参加・社会運動といった公共への関与が失われたのだ(豊かになったから不満を言わなくなったのだ)という通説を踏まえた上で、消費社会にも共同体(雑誌)を通じた政治的・社会的コミットメントがあったにもかかわらず、なぜそうとはみなされなかったのかを明らかにするために、「未政治運動としての若者共同体」である雑誌『ビックリハウス』を対象に研究を進めているp86。『ビックリハウス』は、パルコ出版によって75〜85年に刊行された月刊誌。糸井重里橋本治が編集に参加し、YMOタモリもたびたび登場した伝説的サブカルチャー雑誌である。誌面の大部分が読者投稿で成り立っており、当時の若者の思想が集まる場所として機能していたのだった。つまり、この媒体を分析することで、若者の政治に対する無関心の輪郭を描き出せるのではないか、ということである。

分析の方法としては、KH Coderというテキスト分析ツールを用いて、品詞別に分解し、頻出語を出していくという定量的な方法がとられているp101。また同時期には、『話の特集』や『宝島』などの雑誌も刊行されており、それらとの比較も通じて、『ビックリハウス』の特長を明らかにしている。

分析の結果として本書が示すのは、「考え方は人それぞれ」という態度を『ビックリハウス』が志向したからだということになる。つまるところ、「多様性」である。本書では、「戦争」「女性解放」「マイノリティ」「ロック」などのトピックをあげて検討しているが、『話の特集』や『宝島』と比較して、『ビックリハウス』はそれぞれのトピックに対して正面から捉えるのではなく、ネタやゲームとしての扱いになってしまったことを示している。例えば、「ロック」を政治性から引き離し、それぞれの「ロック論」を求めたことなどにも見て取れる。これは、政治を批評として捉えてみてもいいかもしれない。「聴き方をめぐる論争を通じてロックの本質とは何かを探究しようとした動きを『けなし合い』『あげあし取り』と捉えた」p274。また、「マイノリティ」や「差別」においては、「編集者・寄稿者が提示した差別の遊戯化に読者たちが乗ることで、『ビックリハウス』上のマイノリティや差別をめぐる言説は、ともすると不謹慎さを競うゲームや『差別ネタ』『差別ギャグ』へと転化しうる危うさを帯びてしまう」のではないか、と富永は指摘している。そして、それが若者による読者投稿で加熱してしまうのだ、と。

50年代の生活綴方運動に従事していた若者たちと、70-80年代の『ビックリハウス』読者たちにとって「書くこと」が「解放」であった点は共通している。書くことをもって農村共同体や家父長制から解放され、それが運動への推進力になった50年代の若者たちと同じように、『ビックリハウス』読者にとっては、自らの生活について自由に書くこと、政治的・社会的トピックをおちょくることが、既存の社会ーー強化される表現規制や「きれい事」ばかりの言論、政治性や対抗性抜きにサブカルチャーを享受すべきではないという風潮ーー彼らが率直に、あけすけに自分の思いを「書くこと」によって解放されようとしたのは、戦後日本社会に内在する規範性や教条主義からの「解放」だったのだ。

しかし、『ビックリハウス』の編集者たちは、書くことをもって解放された若者たちに何らかの政治的立場や対抗文化的色彩を与え、社会運動化することをいやがった。『ビックリハウス』の読者や編集者は、「規範」「大義」「強い力」「べき」で人々を引っ張ろうとした先行世代に対して強く反抗・対抗したためだ。彼らは社会運動がもたらした女性の自立や反戦平和といった価値観には共感を寄せるものの、政治に対する無関心・無理解を標榜する。

70-80年代の『ビックリハウス』に関わった人々が社会運動を嫌ったのは、彼らがいわゆる「シラケ」「新人類」「無共闘」世代であり、政治に無関心だったからではない。消費社会の影響を受け、孤立した消費と趣味の世界としての私生活に埋没したからでもない。豊かな社会に生まれ育ったから不満をもっていなかったわけでもない。むしろつとめて民主的であり、強制や動員を嫌い、自分より若い世代の自主性と主体性、感性やセンスを尊重したからこそ、明示的に集合的な運動へと向かうのも、向かわせるのも嫌ったのだ。

286-287頁

しかし、これらは『ビックリハウス』特有の問題なのではないかという疑問に思うかもしれないが、富永は本書が示す知見には普遍性があると付言する。キーワードは、70年代以降の日本社会における「自主性と主体性の尊重」と「表現・言論の自由」だ。まず、前者については、60年代以降の「参加民主主義」が強く礼賛された時代にあって、であるから「本誌の若者共同体はむしろ参加や自発性を尊重し、『人それぞれ』のあり方を許容したからこそ、参加民主主義を肯定的に捉えた論者が重視した『公的関心』を持たないことをも許容していった」のだとして、時代の流れと合致していることを指摘しているP294。また、後者についても、NHK放送世論研究所が実施したアンケートを援用し、「青少年の教育上悪影響を与える映画・出版物の制限賛否」に関して、58年では「加えるべき」が75%、「加えるべきではない」が11%だったのに対し、75年には69%が「加えるべき」、「加えるべきではない」が18%と、表現に表現に制限をかけない方向に人々の意識が向かった、表現を規制する市民運動への忌避感という点では、『ビックリハウス』との同時代性を確認できることを示しているp295(であるから、『ビックリハウス』は不謹慎ゲームに陥りかねない「パロディ」を通じた共同体の参入手法を肯定した)。

多くの識者や研究者には、70-80年代の若者たちが私生活に耽溺し、共同体を拒み、公的事柄に政治的・社会的コミットメントを行わなくなったように見えるかもしれない。しかし、その無関心の表明や政治性・対抗性への忌避、差別的な言明そのものが、既存の社会運動や政治参加がもつ規範性や教条主義、表現に対する抑圧への対抗だった。[…]むしろ戦後日本が共同体において重視してきた自主性や主体性という価値を受け継ぎ、「人それぞれ」の多様性を尊重したからこそ、啓蒙や強制を伴う政治参加や社会運動を忌避したのだ。

303頁

選挙において投票に行こう、と考えると、どうしてもその個人の自律性によるところが大きいと考えてしまう。なぜなら、その人が何を考えて、どう行動にうつすのかはその人にしかできないからだ。であるから、経済的な発展による物質的・時間的な豊かさを得ることで、私生活主義に堕落してしまったために、政治参加への無関心が引き起こされたのだとする通説はしっくりくるものがある。だが、『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』は、むしろその個人の自律性があったからこそ無関心が形作られたのだとする結論は非常に興味深いだろう。

奥山大史『ぼくのお日さま』

f:id:nayo422:20250102141547j:imageタクヤ(越山敬達)は、スケートリンク上を輝かしく滑走する少女・さくら(中西希亜良)を目撃する。膨らんで滑り氷上に美しいカーブをつくったり、くるくると回転して弧を描いたりするその姿は、すぐに憧れの対象となる。それまでタクヤがやっていたスポーツは野球とアイスホッケーだ。しかし、どちらもうまくいかない。どこがぼーっとしているタクヤは、カキーンと飛んでくる白球よりもちらちらと落ちてくる初雪に注目してしまうし、アイスホッケーのキーパーをやってもぼこぼこと得点を決められて大量失点してしまう。学校に通っている生徒は、夏に野球、冬はアイスホッケーをしているから、タクヤもそれにならっているのだけど、なんだか微妙な感じなのだ。

ここで、河内一馬『競争闘争理論』を参考にスポーツを分類してみたい。「闘争」とは対戦相手に触れて影響を与えることができるもので、ボクシングやサッカーなどがある。「競争」とは身体接触がなく相手に直接的な影響を与えられないもので、陸上競技や野球などがある。そして、これらを個人と団体に分けることができる。つまり、ボクシングは個人闘争で、野球は団体競争だ。

団体競争の野球と団体闘争のアイスホッケー。どちらもうまくいかなかったタクヤが、個人競争であるフィギュアスケートに魅了された理由はもはや言うまでもないだろう。さくらの美しい姿がひとつの要因ではあるものの、スポーツの枠組みに憧れたこともあるのだと思う。そして、それはタクヤの身体の“ままならなさ”にも関係していると考えられるのは、さくらの滑走を見た翌日の授業シーンの一部が描かれるからだ。タクヤは、国語の授業で本読みの順番が回ってきて、ひとり起立をして教科書を読み上げていくが、少し吃音があってうまく言葉が出てこないのだ。自分の言葉を滑らかに放出することの個人競争に手こずるなか、同じく個人競争のフィギュアスケートに希望を見出したのではないか。自分もさくらのように美しく滑走することができれば……。スケートリンク上でタクヤは回転するさくらを見つめ、そんな姿をさくらのコーチである荒川(池松壮亮)が見つめることで、三角関係が浮かび上がることになる。回転が終わり、さくらが荒川を見ると、荒川はさくらを見ていないのだ。さくらは荒川に対して、 憧憬の念を抱いている。

営業が終了したスケートリンクで個人練習を始めたタクヤに、荒川は指導を行う。 クロード・ドビュッシー『月の光』のなかで、荒川はタクヤに表現する方法を伝える。もしかしたら、野球やアイスホッケーなどでは、「ボールをキャッチする/投げる」「アイスホッケーのパックを止めろ」などの目的に応じた指示はあっかもしれないが、身体動作的な表現の指導はなかったのかもしれない。もちろん良し悪しはあるものの、タクヤにとっては“ままならない”身体のところが重要であるからして、フィギュアスケートがうまくハマったのだろう。少しずつ進歩していく。その成長過程が美しい。荒川もタクヤの成長を美しいと思ったのだろう。さくらとアイスダンスのペアを組ませることで、化学反応を見ようとする。荒川は「シングルにもいい影響があるはずだ」とさくらを説得する。

しかし、先に示した通り、アイスダンスは団体競争である。タクヤにとって試練になりそうではあったのだけど、なんなく乗り越えていく。それはフィギュアスケートの特性とさくらという存在があったためだろう。「あなたのことが頭から離れない」と、The Zombies『Going Out of My Head』が3人を高揚させながら、凍った湖の上を滑走するシークエンスは本作の最も美しい箇所でもあるだろう。

上半身で手を広げながら、曲線を描く。弧を描くように滑ることで描くカーブ。スケートリンクのや学校の広場の柵が描く曲線などのロケーションも素晴らしい。曲線は美しいのだ。しかし、そのモチーフはまっすぐに伝わらない意思をも表している。さくらは街中で、荒川と五十嵐(若葉竜也)がじゃれつくのを目撃する。五十嵐は、荒川と同性のパートナーである。タクヤがさくらを目撃したことで大きく変化があったように、さくらがそれを目撃したことは大きな変化を及ぼす。偏見があるとか何とかいう話もあるだろうけれど、13歳くらいの少年少女たちに対する影響があることが事実として降り注ぐ。

さくらは、アイスダンスの大会出場への試験となるバッジテスト会場に訪れない。スケートリンクがある施設前に並んだ車が反対向きに置かれることで、もうアイスダンスは、そして、3人の関係が維持できないことが示唆される。夜のベッド、ガソリンスタンドの経営を任されている五十嵐が荒川に向かい合おうとするなか、スケートを教える生徒がいなくなった荒川は背を向ける。雪が溶ける、春が来る。野球の季節だ。タクヤは中学生になる。荒川はこの地を去る。ラスト、まっすぐの一本道、タクヤとさくらは向かい合う。曲線ではない。直線だ。スカート靴も履いていないので滑ることもできない。表現の方法は限られている。言葉がどもる。ハンバートハンバート『ぼくのお日さま』が流れる。

これから向かう街のこと。「2024.09」

f:id:nayo422:20240926214659j:imageニューヨークも大ハマりのNetflix『地面師たち』を観た。まあ、おもしろかった。写真は『ニューヨークジャック』でハリソン山中に扮装した嶋佐。「人類の歴史は早い話、土地の奪い合いの歴史です。土地が人を狂わせるんです」という地面師のリーダー、ハリソン山中(豊川悦司)のセリフがある。土地を奪い合う不動産企業らが、資本主義の論理を自らのノルマとして内面化させるとき、人々は狂ったように争い始める。そして、その狂乱ぶりはドラッグに溺れた竹下(北村一輝)を決して馬鹿にはできないのであって、エリートと呼ばれるような人間も、犯罪者も、薬物中毒者も、本質的にはなにも変わらないということを示唆している。

こうしてスマホを片手にシュッシュッと指を滑らせて文字を入力している私もアディクションであって、次から次へと情報を求めてこのブログなんかに辿り着いてしまっている人も資本主義の論理にがんじがらめになっているのである。地面師たちに騙されてしまう愚かな人間は私たちである。

この前、宅配してくれる人から電話があって、住所に足りない部分があるから今、口頭で教えてくれない?と言われたのだけど、咄嗟に聞かれると、出てこなかった。というわけで私は地主の替え玉になれないのですね、と思うなど(また、これが家にいることの確認で、強盗が押し入ってきたりする可能性もあるのか…?)。

『SWITCH Vol.42 No.10 特集 ダンダダン』をゲット。発売前からジャケ買いしようと決めていたのです。中身の監督インタビューなども面白いぞ。ゴチャゴチャをアニメ化することなどが話されている。

SWITCH Vol.42 No.10 特集 ダンダダン

SWITCH Vol.42 No.10 特集 ダンダダン

  • スイッチパブリッシング
Amazon

『ダンダダン』Twitterなどでもいろんなビジュアルを公開しながら積極的に宣伝しているけれど、どのビジュアルも素晴らしくて、素晴らしくて、素晴らしい(©️EMC)。おそらくアニメも絶対に面白いので放送が待ち遠しい。OPがCreepy Nutsなのも合っていると思う。『ダンダダン』は来期。今期の夏アニメとしては、やっぱり『負けヒロインが多すぎる!』でしょうか。f:id:nayo422:20241111212733j:imageぼっちぼろまる『 つよがるガールfeat.もっさ』の「負け!負け!負け!負け!負け!け!け!け!け!」が圧倒的で、OPで既に覇権確定という感じでしたね。個人的に負けヒロインの代表格として思い描くのは、『ハイスコアガール』の日高小春さんですね……でもそう考えると『マケイン』のヒロインたちはそんなに負けてなくない?と思ってしまう感じもある。 「負けヒロインが多すぎる!」マケイン応援!カバーソングコレクションもいいですよね。ベボベのカヴァーもある。

音楽のこと。ずっと聴いているのは、Jamie xx『In Waves』とMagdalena Bay『Imaginal Disk』とFred again..『ten days』です。

In Waves (アナログレコード)

In Waves (アナログレコード)

  • アーティスト:Jamie XX
  • Young Turks
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ten days [Explicit]

ten days [Explicit]

  • Atlantic Records UK
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君に届け 3RD SEASON Original Soundtrack』も聴いている。Netflix君に届け3』も観た。1、2と比べてさすがにそこまでの傑作感はないけれど、普通にスーパー名作ですよね。黒沢爽子だけがあまり出てこないのもあるけど、矢野あやねという素晴らしいキャラクターがフィーチャーされたりもするので、観て損はないでしょう。というか、観るべきですよね。あと、音楽だと宇多田ヒカルもよく聴いた。というのも、『HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024』に行ったからです。Kアリーナ横浜。f:id:nayo422:20241029210443j:image『One Last Kiss』や『BADモード』はもちろん最高で聴けてよかったなーという感じなのだけど、全体的には強く感動したかというとそうでもないような気がしている。なんだか緩い発表会のようだったというかなんというか。私の席の周りの客層が大人気味で、手拍子とか多かったとかもあるかもしれない。そう、一体感だ。一体感があったのがよくなかった。まあ、あんまりノレなかったのです。漫画のこと。『HUNTER×HUNTER』の最新刊が発売されましたね。1巻みたいな表紙だけど。

売野機子もいいし、ラパルフェのニューヨークモノマネもいい。あと、カカロニのサッカーチャンネル始動。これは素晴らしいチャンネルが開設された予感がある。

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