2024年12月16日
2024 きままな夏休み その③ ~ 信州遠征 GB君といっしょにぐるりんこ ♪ ~
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2日間お世話になった平湯を離れ、次の目的地を目指しましょう
◆ 3日目
◇ 前川渡の変態交差点
これが、まったくもって訳のわからん曲がりかたになってるしw
松本側から進む場合、乗鞍高原方面に行くためには左折して前川渡大橋を渡る
平湯側から入る際は、このT字路での右折が禁止されているのでこの交差点ですぐに右折して前川渡大橋に入ることはできない
いったん直進して前川渡トンネルをすぎた所にUターン路が作られているので、ここでUターンしてからT字交差点に戻り左折して乗鞍方面に向かわなくてはならない
(Wikipediより抜粋)
![]() | ![]() | こんなの、 事前に知ってないと曲がれませんよね |
◇ 乗鞍高原 ♪
乗鞍岳がみえてきました
剣ヶ峰(標高3,026 m)を主峰とする山々の総称で、現在も活動中の活火山です
山頂部の権現池火口の外輪山に位置する剣ヶ峰、朝日岳などの8峰を含め、摩利支天岳、富士見岳など23の峰の総称
広大な裾野を持つでっかいお山です
日本百名山、新日本百名山、信州百名山、ぎふ百山の称号を持ち、一等三角点が設置されています
乗鞍高原、とうちゃこ ♪
このあたりで、標高1,450m位ですね
平地よか9℃ぐらい涼しいですよ
乗鞍高原には観光センター、温泉、スキー場、そしてペンションが建ち並んでいて、東大の宇宙線研究所なんてのもあります
また、乗鞍エコーラインは自家用車の乗り入れができないのでここに車を置いてシャトルバスで上がられる方も多いですね
気持ちいいぐらい壮大なお山です
◇ 高原の隠れ秘湯 ♪
人目に触れないような小径を下ると | こじんまりとした湯屋があります |
乗鞍温泉 せせらぎの湯
泉質は草津温泉の2倍以上の濃度の硫黄泉
乳白色の硫黄臭ただよう温泉で吐け口には湯の華がびっちりとついていますよ
源泉温度は46.4℃となっていますが、浸かった感じではそんなに熱くはなかったですね
さらに驚くのは、こんないい温泉が無料なんです!! (一応寸志)
いやぁー、しばし世間の喧騒をよそにのんびりと浸かっておりました ♪
さて、
てきとーに茹で上がったところで次に向かいましょうかね 笑)
まずは乗鞍岳裾野の奥深い山中を縫うように進みます
乗鞍高原から白樺峠(1,620m)まではほぼ林道規格の道でまったく気が抜けません
こんなところでトラブルがあっても電波は無いし、通る車もほとんどないですから助けも呼べませんやん
峠からは奈川温泉までは谷に沿って下り、尾根に登り返すことの繰り返し
まぁ、ノンビリといきましょう
「イニD」やスーパースポーツモデルに乗る若人(最近はムチャぶりがかっこいいと思てる阿呆リターンライダーも多いみたいですが…)みたいにコーナー攻めるなんてのはクソJJIにとって悪手極まりないんですよ
それよか、風景を愉しみながらトコトコ駆ける方がよっぽど愉しいんです
まぁ、抜けるまでめっちゃ時間かかりましたけどね 笑)
やっとこ奈川温泉に出て県道26号線を南下し、寄合渡の手前から野麦街道に入ります
色づいたシラカンバと柔らかな陽光が気持ちいいですね
◇ 野麦峠 ♪
乗鞍岳(標高3,026m)と御嶽山(標高3,060m)の間にある飛騨国と信濃国を結ぶ古くからある街道の峠
古来から野麦街道最大の難所
野麦峠には日本最高所の水準点がおかれている(1,672.5m)
北に乗鞍岳、南に御嶽山が望まれ景観が素晴らしい
(Wikipediaより抜粋)
野麦峠より望む乗鞍岳
例えば、富山湾で撮れたブリは塩漬けにされて飛騨に運ばれ野麦峠を越えてきたことから「飛騨鰤」と呼ばれていましたし、「反魂丹」で知られる越中富山の薬売りが各地に出向く際にも利用していたんでしょうね
しかし、その時は知らなかったんですが峠には重すぎる史実があったんです
ブログであんまり重い話は語りたくないんですが、避けて通ることはできませんでした
もしも、阿寺渓谷に往っていたらこのルートは通らなかったんで、何かのお導きかもしれません
峠の名は、峠に群生する隈笹が10年に一度麦の穂に似た実を付けることがあり、土地の人に「野麦」と呼ばれていたことによる
凶作の時にはこの実を採って団子にし、飢えをしのいでいたという
明治の初めから大正にかけては、当時の主力輸出産業であった生糸工業で発展していた諏訪地方の岡谷へ現金収入の乏しい飛騨の村々の女性(多くは10代前半の少女)が工女として出稼ぎのためにこの峠を越えた
吹雪の中、足を滑らし谷に落ちて命を失うものもいたという
また、何も知らない少女が就労先で妊娠することも多く、戻りの厳しい峠越えの最中に胎児を流産する工女も少なくなかったという
故に「野産み峠」となり、野麦峠となったともある
(Wikipediaなどより引用)
この史実は1968年に発表された山本茂実のノンフィクション『あゝ野麦峠』で世に知られるようになりました
あまりにも悲しいことなのですけど…
でも、工場では貴重な働き手として処遇は悪くなかったといいます
kimamaが通過した時にはあっけらかんとした青空の中、トンボが舞う明るい峠といった印象でしたが、宅に戻ってからこのような史実を知っていかに自分が安楽ボケしているかを思いしらされました
野麦峠、お助け小屋より
峠の手前には女工たちが通った旧道が一部保存されています
「野麦かえで街道」なんて粋な名前がついていますが、名前とは裏腹にこちらもなかなか手強い道ですがな
色づいた深い谷間を下っていきますよ
高根第一ダム・高根第二ダム・秋神ダムとダム湖畔の快走路を疾走w
朝日町桑之島で県道から脇に入ります
ま、とはいえ県道とたいして変わらん道ですけどね
ここから鈴蘭峠を越えて今日の泊地のある飛騨小坂まで
しっかり迷子になったりもしながら鈴蘭峠へ
途中、展望適地ってのがあったので一服しましょう
180°視界が広がっていて、御嶽山と乗鞍岳がいっぺんに見れる「適地」ですね
御嶽山 雲を被ってるのがちょっとザンネン
乗鞍高原とは反対側から見る乗鞍岳
右側の尖っているのは槍様でしょうか
村の中心部に出てきました
小坂川と小黒川の合流点にあるのが本日の泊地 「中川原キャンプ場」
![]() | キャンプ場入口 |