ネットの匿名文化は日本だけのものか?

いま米国の4chanという人気サイトの管理人であるmootが日本にきている。一般のメディアではとりあげられないだろうが、これはネット社会にとっては大事件だ。


4chanとは、なんだか、日本の2ちゃんねると似た名前であるが、実際に4chanは日本の2ちゃんねると同じ匿名掲示板だ。システム的には日本にある別の匿名掲示板ふたばちゃんねるを元にしており、文字だけしか書き込めない2ちゃんねるとは違って画像も貼れるのが4chanの特徴だ。


一般には2ちゃんねるに代表されるネットの匿名文化は日本に特有のものだとされている。日本のネットコミュニティについて、これからは日本も匿名から実名へ主流が移行すると唱える人間は定期的にあらわれるのはご存じのとおりだ。それに対して日本は匿名のネットコミュニティしか流行らないという反論も必ず起こるのも見慣れた光景だ。


ところがネットの本場米国でも4chanのような匿名のネットコミュニティが流行っている事実を、ほとんどの日本のネット業界のひとは知らない。


そして4chanの米国のネットでの立ち位置は、まさに米国版2ちゃんねるといっていいほど酷似しているのだ。mootと名乗る15歳の若者が4chanをつくったのは2003年である。以来、月間の訪問者は1200万人といわれる巨大掲示板に成長し、インターネット発の流行の多くが4chanが発信源となった。また、4chanのユーザが行儀が悪いことは有名で、ネット上の多くの”祭り”の実行部隊となっている「アノニマス」と呼ばれる集団の中心は彼らだそうだ。これを2ちゃんねるに置き換えると、mootはひろゆきであり、アノニマスはVIPPERだろう。そして2ちゃんねるがアスキーアートやネットスラングのようなネット発の文化の発祥の地になっているのと完全に符合する。


日本で4chanの情報があまり知られていないのも2ちゃんねると似た事情からだろう。要するに米国でも4chanはネットのビジネスの世界とはとても遠い金にはならない場所だと思われているのだ。実際に運営資金難でこれまで何回もサービスの停止に見舞われたりしているところも2ちゃんねるそっくりだ。日本に入ってくる米国のネットの話とは要するにビジネスの話が中心だ。金にならない文化の話というのは意外に海をわたってこない。


だが、米国のネット社会では4chanの存在は大きく、mootはカリスマ的な人気を誇る大スターだ。今年どこかでやった彼の講演には数千人の観客が集まったいう。まさに米国版のひろゆきだ。


さて、では、日本でおこなわれているネットコミュニティの匿名、実名の議論とはいったいどう考えればいいのだろう。日本だけではなく、米国でも匿名のネットコミュニティが成功していることをどう考えればいいのだろう。


海外事情については、ぼくも正確な情報や肌感覚を持っていないので憶測するしかない。日本人の性格や文化から匿名コミュニティが好まれる理由を説明しているひともあり、それなりの説得力もあったりする。だが、日本のネットで匿名コミュニティが優勢となる最も根源的な理由は日本に大量のネット原住民が存在するからだ、というのがぼくの結論だ。


ネット原住民とはなにか?生活の中心をリアルな世界ではなくネットの世界に移したひとたちのことだ。いいかたを変えればリアルよりネットに自分の居場所があると思っているひとたちだ。その中にはリアルの世界には自分の居場所はないと感じているひとたちも多く含まれている。そういうひとたちがネットの世界で匿名で発言したり、実名ではなくハンドルネームで活動しているのだ。


ネット原住民はなにしろネットに住んでいるわけだからとてもアクティブだ。掲示板への発言だって、ひとりで一般人の100人分ぐらいは平気でできる。ネットは彼らの縄張りであり、ほとんどの”面白い”ネットコミュニティには彼らが棲みついてそこでの世論形成に大きな影響を与えているというのが日本のネットの大きな特徴だ。いや、日本だけではない世界でも同じはずなのだ。ネットコミュニティの世論形成にもっと影響力があるのはネット原住民なのだ。


日本の違いはおそらく世界で最もネット人口当たりのネット原住民が多いことだろう。日本はネット原住民の特産国なのだ。ネット原住民とはどういうひとたちがなれるのか?条件は簡単で、ネットにつなげてかつヒマがあることである。世界でもヒマなひとはたくさんいるが、日本以外ではたとえば無職でヒマなひとは、ネットにはつなげない場合が多いのではないかとぼくは思う。日本が誇る厚いニートの層はなぜかネットへはつながっている環境にあることが多い。もしくは別にニートでなく働いていても日本はヒマでネットにつなげられるひとが圧倒的に諸外国よりも多いのではないかとぼくは想像している。


そしてネットにつなげられるヒマなひとというのが増えていくのは長期的には世界的な傾向ではないかとぼくは思っている。つまり世界的に匿名のネット文化は影響力を増していく、日本はむしろネットの時代の先をいっているというのがぼくの予想だ。


では、日本でもようやくはじまったFacebookなどの実名SNSのブームはどう考えればいいのだろう。


これはリアルな世界に住みながら、ネットをツールとして使い始めたひとたちが増えたことだ。彼らはネットはツールにすぎないといったり、ネットもリアルの一部だと主張したりする。そういう新規のネットへの移住者が原住民のテリトリーを浸食しつつあり、摩擦が起こっているのがいまの日本のネットの数多くの炎上事件の真相ではないかと思うのだ。


ネットをツールとして利用するひとと、ネットを生活の場にするひとたち、どちらが最終的に優勢になるかは、いろいろなシナリオが考えられる。いまはネットの一般化により、ネットが万人のためのものになる過程で日本でも一時的に前者が優勢になる可能性がある。だが、なにか世界規模での破滅が起こらない限りは長期的には後者が世界的に増えていく流れになるのではないかとぼくは思う。世界が生産できる食料で養える人口よりも、世界が生み出せる雇用のほうが少ないだろうという個人的な予想がその根拠だ。


そしていわば社会の余剰の生産力が生み出したネット原住民から、世界を変えるなにかが生まれるのだと信じている。