【新川】新川跡をたどる(暗渠散歩)~見どころの多い中央区新川を散策(3):日本銀行創業の地碑/高尾稲荷神社/船員教育発祥の地碑/新川之跡碑
- 2021/04/14
- 07:21
前回の「【新川】「永代橋」周辺を散策~見どころの多い中央区新川を散策(2)」では、隅田川に架かる永代橋を渡って、江東区に置かれている「赤穂浪士の碑」を見た後、中央区に戻り、
独特の形をした「豊海橋」を渡りました。
今回は新川の地名の由来となった新川跡をたどります。
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(参考:今までの日本橋地区の散策記事)
日本橋散策については、今までに以下の4つのサブシリーズを掲載してきました。
①「日本橋堀留町・小舟町散策サブシリーズ」:江戸時代に大変賑わい、浅草寺の大提灯にその名を今でも残している「日本橋堀留町・小舟町」散策(3回にわたり掲載)、
②「日本橋人形町二丁目・富沢町散策サブシリーズ」:花街や遊郭の名残を残す「日本橋二丁目・富沢町」散策(3回にわたり掲載)
③「日本橋蛎殻町サブシリーズ」:水天宮や、東京シティエアーターミナルがある「日本橋蛎殻町」散策(2回にわたり掲載)
④「橋梁としての日本橋サブシリーズ」:橋としての日本橋を様々な視点から見た散策(3回にわたり掲載)
今回は、番外編として日本橋地区に隣接する「新川」を散策するシリーズになります。
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(「日本銀行創業の地」碑)
前回の記事で歩いた場所から、日本橋川を上流方向に歩いていくと、IBM本社の大きなビルがあり(下の写真)、
その手前に「日本銀行創業の地」の碑が置かれています。
現在の日本銀行は日本橋本石町にありますが(下の写真)、
当初は、このように隅田川のほとりにあったとは驚きです。
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(高尾稲荷神社)
少し先に行くと、吉原の遊女高尾太夫を祀った「高尾稲荷神社」という小さな神社があります(日本橋箱崎町10-7)。
吉原の遊女高尾太夫は仙台藩主伊達綱宗の寵愛を受けましたが、彼女にはすでに意中の人がおり、操を立てて伊達綱宗の身請けに従わなかったため、候の怒りを買い隅田川の三又(現在の日本橋中洲)あたりの楼船で吊り切られて川中に捨てられました。
その遺体が数日後漂着し、そこに居合わせた僧が引き揚げて手厚く葬ったと言われています。
稲荷神社としては全国でも非常に珍しく、実物の頭蓋骨を祭神として安置しているそうです。
ご神体が頭蓋骨というから、ご利益として頭にまつわる悩み、病に利くとされ、古くは、頭痛、ノイローゼ、薄髪などにご神徳が高いと言い伝えられています。
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(「船員教育発祥の地」碑)
「永代通り」に戻って、新川地区の散策を再開します。
「永代橋」西詰の近くに「船員教育発祥の地」の碑があります。
明治8年(1875年)、岩崎弥太郎は大久保利通内務卿の命により、「三菱商船学校」をこの地に設立し、これが後の「東京商船大学」(現・東京海洋大学)になりました。
下の写真は、ドラマや映画のロケによく使われている海洋大学越中島キャンパス校舎と
同キャンパス内にある、現存するものとしては最古とされる天文観測台(江東区越中島2-1-6)。
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(「新川之跡」碑)
「船員教育発祥の地」碑から隅田川の下流沿いを歩くと、奥まったところに、「新川之跡」の碑と説明板があります。
新川は「江戸時代の埋蔵金を発見!!~見どころの多い中央区新川を散策(1)」で書いた河村瑞賢が開削した運河で、現在の「新川」の地名の由来となっています。
昭和23年に埋め立てられ、暗渠化されてしまいましたが、その痕跡が比較的はっきりと残っていますので、その「新川跡」を辿ってみます。
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なお、ここから先の「隅田川テラス」は隅田川の向こうにある月島の高層マンション群を眺めながら快適な散策を楽しむことができます。美しい景観のため、映画やドラマでよく使われるロケ地です。
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(新川跡を辿る)
先程の「新川之跡」の後ろに2つのビルがありますが、この2つのビルの幅が新川の幅になります(【追記】堀の両脇には「河岸地」があったので、新川の実際の幅はこれよりやや狭かったと考えられます)。
これからの散策コースを地図で見てみます(「新川之跡」近くにある地図を筆者が加工したもの)。
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新川跡を辿っていくと、右手に「新川大神宮」があります(中央区新川1-8-17)。
江戸時代、新川は海運の要であり、酒問屋の集積地として栄えました。
この「新川大神宮」は江戸酒問屋の守り神として知られ、今でも多くの酒樽が供えられていて、
多くの酒造関係の会社からの寄進があります。
新川跡散策は次回の記事に続きます。
参考記事:東京に現存する最古の酒屋「豊島屋」について、「【内神田の西側】地形、歴史的見どころを探訪」で書いたことがあります。
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次回は、新川跡をさらに辿った後、四谷怪談のお岩の伝承の元となった於岩稲荷田宮神社まで歩いてみます。
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