これ!という元ネタが見当たらない『ソーシャル・ネットワーク』

『ソーシャル・ネットワーク』を鑑賞。それにしても犬がなんちゃらとか余命一年の妻がどうしたとか、もう作るの辞めたら?予告編がうざくてうざくてしかたがない。

凝ったカメラワークは一切登場しないのだが、新進気鋭の監督が撮ったのか!?というほど若返ったデイヴィッド・フィンチャー最新作。

とてつもない情報量を2時間に詰め込み、とてつもない速さで駆け抜けていくジェットコースター。『ゾディアック』で培った手法をまるまる封印した上で、新しいアプローチとワークフローで描き出す“世界最大のSNS/フェイスブック”立ち上げの記録。すっごくパワフルで才気溢れるグルーヴ感を持ちながら、実は確信犯的に力技を狙ったんじゃないかと思うほどキッチリ作ってるところは作っていて、その辺のさじ加減も含め、ニクいほど完璧にキマった作品であった。

まずこの作品は始まり方が良い。いきなりパーカーを着たオタクな男が彼女らしき女性とビール片手に『ヒズ・ガール・フライデー』よろしく猛スピードで喋りたおすわけだが、何かの途中のシーンなのかと思うほど唐突で中途半端なところから始まる。これは『レザボア・ドッグス』でタランティーノが見せた手法と一緒だが、なるほどこの作品をタランティーノが評価したのも頷ける。

カイル・クーパーを起用するなど、毎回タイトルバックには凝っているフィンチャーだが、今作では物語の途中で文字がさらっと出るだけ。仰々しい音楽は流れず、音楽の代わりとして出て来るのはクラブに行った時とパーティーの時に鳴る低音の聞いた四つ打ちのリズムだけ。時間軸も真っすぐには進まないが、ひとつの時代の区切りの中で右往左往するだけで、ものすごい過去に飛んだりなどはしない。さらに最後もまだまだ発展途上というところで、ブツっと後味の悪いビターな終わり方をする。

21世紀の『市民ケーン』と評されているが、要するにこの作品はフェイスブックを立ち上げた男の栄光と挫折の歴史を神の視点で描くわけではなく、フェイスブックを創造したことで神になった男が裁判に行きつく間での経緯を中から丸ごとえぐり、切り取っただけなのである。

マークは最初は人であった。なので女にフラれた腹いせというささいな理由からサイトを作るのだが、彼は次第に神としての力を持つ。フェイスブックという名の力を。彼は神になったが故に、人との繋がりを提供する場所は創造しても、人との繋がりは一切持たない。繋がりを持つのは同じ神として力を持つ男ショーンだけだ。神になる前の友人でさえも、世界を創造することを邪魔しようもんなら遠慮なく切り捨てる。

そしてその作り上げた世界が自分の手を離れ、巨大に膨れ上がり、もう一人の神がダークサイドに墜ちたとき、人としての心に目覚め、映画は静かに幕を閉じる――――この映画を見てマーク・ザッカーバーグはイヤなヤツだと思う人も多いと思うが、ぼく自身はマークを悪く描いてるようには思えなかった。むしろそれ以外のキャラクターすべてに悪意を感じたほどで、特にこのサイトは盗作だと訴えた兄弟に関しては金持ってるくせにうだうだ言うんじゃねぇ!と思ってしまった……脱線。

ボコボコしたいびつな形には仕上がっているが、フェイスブックを立ち上げるのと平行して、別な場所で乱痴気パーティーが繰り広げられるさまをカットバックで表現したり、ボート大会の巧みな編集など、映画的に締めるところは締めてあったり、細部にわたって見事に作られている。さらにマーク・ザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグが完璧。『ゾディアック』のような作品なのに『ゾディアック』とは全然違う作風も見事。21世紀の『市民ケーン』と呼ばれるのは、それ以降のどの映画にも似てないくらい革新的な語り口だからだ。それと人と繋がるためにフェイスブックを作ったのに、他者と壁が出来てしまって、さらに親友と絶縁してしまうってのはチャールズ・ケーンと一緒だったりもしてその辺も類似している。

まぁなんだかんだ言って2010年最高の作品と言われるのも頷ける傑作でありました。必見!あういぇ。

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