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2008年 11月 03日
次の動きのために、最近はよく夜の打ち合わせをすることが多い。先日僕のビジネス上のメンターと飲みながら今後のことをディスカッションしたのが、神田のジャズバーである。テーブル席が1つとカウンターだけの小さなバーなのだが、大きめのJBLのスピーカーと真空管アンプから流されているのは、Miles Davisであり、Bad Powellであり、John Coltraneである。カウンターの奥の棚には200枚くらいのCDが並んでいる。
やはりMilesは神だとか、Bud Powellは今でも古びていないなんて、とりあえずの御為ごかし会話をマスターとした後に、でも今はUSのミュージシャンは訓詁学的すぎてイマイチで、彼らよりもイタリアンジャズだとか、北欧ジャズ、そしてブラジル・アルゼンチンのジャズがスゲエんですよ、そしてなんて言ってもバークリー出身なんかじゃないElizabeth Shepherd [http://kashino.exblog.jp/7383059/]などの女子のジャズこそ次の時代を切り開くんですよ、なんて話を振ったのだ。するとマスターは「僕にとってのジャズは、ここにある巨匠・名盤のCD群にほかならず、その他は全く認めないし、ジャズではない。」などと言い放ったのだ。あまりの典型的ジャパンなジャズスノビズムに鼻白んだ。 それでも、確かに天才や巨匠はすごいと思うけれど、彼らは死んじゃったからライブに行けないじゃないですか。Sony Rolinsは生きているけれど、もうおじいちゃん過ぎてライブはかなりイマイチですよ、なんて言い返すと、「ジャズは既に終わった歴史なので、ライブは必要ない。それに、これらのCDを何度も何度も聴いていると聴く度に新しい発見がある。僕にはこれで十分だ。」なんて返された。なんたる典型的なジャズスノッブか。こういう進化を否定する訓詁学的態度に辟易して、早々に退散した。 こういったジャパンなジャズスノビズムは、60年代から70年代の日本のある特殊な環境下での舶来音楽の受容過程に端を発している。ミネソタ大学のジャズ史家であり、ピアニストでもあるマイク・モラスキー氏の分析 [http://www.frsys.co.jp/coinage/fp/109/109_1.html]にあるとおり、これらの時期において日本は貧しくて、一般家庭にはハイフィデリティのオーディオセットやレコードが購入できない状況だった。なにせ一枚のレコードがサラリーマンの月収の1/10の時代だ。日本でジャズをキチンと聴こうとしたらジャズ喫茶に行くしかなかったのだ。ジャズ喫茶でしかジャズが聴けないということから、そこではみんなが真剣に聴くために、もちろんのこと私語厳禁である。喫茶店なのに私語厳禁。それに加えて、ジャズ喫茶の外では、演奏パーソネルのプロフィールや過去の演奏曲目を、英単語の暗記のように一生懸命覚え込んで予習を欠かさない、という具合だ。このように舶来音楽のリスニング機会が圧倒的に限定されていたから、楽譜も読めなけりゃ楽器も演奏できないのにも関わらず、一曲に対して重箱の隅をつつくほど深く聴き、人と違った解釈を如何にするかということが、リスナーとしての成熟度を表すバロメータになるという、倒錯した状況を生み出した。こういった、日本の貧乏さ、舶来をありがたがる心情、すべてを「道」にしてしまう日本人の傾向などが、リスニング機会の逼迫と組み合わさってジャズスノビズムが形成されてきたのだ。 翻って現代だ。Blue Noteの名盤アルバムなんて、2枚で1500円セールであるのは珍しくなくなったばかりか、一曲150円もせずにiTSやAmazonで音楽がオンライン購入できる。中古CDも市場に溢れかえっている。そもそもだ、P2Pが全盛なので、欧米中の学生でCDを買う人間なんて皆無であるといってもよいほどだ。僕のiPodをみても、音楽だけで約4000曲、27GBくらい入っている。それ以上に、コンピュータネットワーク環境の発達とグローバル経済の浸透により、アフリカや南米やインドや中東やアジアの音楽が簡単に手に入るようになっている。第三国の音楽家は、英米のポピュラーな音楽の圧倒的洗礼を受けているのはもちろんだが、自分のローカリティを否定せずむしろそれを活用してオリジナルに溢れる音楽を作り出しているのだ。このグローバリティとローカリティの相克から出てくる音楽的進化の息吹を感じもせずに、巨匠だとか名盤だとか言い放つ厚顔無恥ぶりにはあきれるしかない。 つまり、我々はこれまで地球上にあり得なかった程の圧倒的な量で多様な音楽のリスニング機会を迎えているのだ。それなのに、リスニング機会の逼迫時代に生み出された地域性の徒花を後生大事にしてスノビズムを気取り、進化を否定するのは、ただの狭量かつ無能な態度に過ぎない。ジャズスノビズムなんて、生殖機能の低下を迎えたジジイの癖で全然カッコよくないばかりか、新しいものを何も生み出さないダメな嗜好だよ、というのは頭の片隅に入れておいた方がいい。
by yutakashino
| 2008-11-03 01:33
| Music
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