神田の唄

ブログで生計を立てるために頑張る下剋上ブログ

善も偽善も偽悪も悪も、全部ひっくるめて人間でしょ?

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善100%な人間はいないし、悪100%な人間もいない。偽善も偽悪も然り。

まぁ、なんかね。

人間は善、偽善、偽悪、悪のすべての要素があるってことを言いたいんだよね。

 で、自分の行為が他人にどうみられているかを気にする人がいるけど、如何様にも捉えられるんだから気にする必要ないよってことを伝えたいんだ。

善、偽善、偽悪、悪のなかでも、とりわけ最近は「偽善者」がテーマにあがることが多い。善行を行ったと思えば、他者からは「偽善と評される」。


そして行った側は「やらない善より、やる偽善」と異をとなえる。

このやり取りはインターネット上やテレビでも散見されるようになったし、日常会話のなかでも偽善者だなんだという輩まで出る様になりました。

人間はとかくカテゴライズするのが好きな生き物(この発言も然り)だけどさ、人を善や偽善や偽悪や悪のカテゴリーに完全に分けるってのはムリなんだよね。

100%善な人間はいないし、100%悪な人間もいない。偽悪も偽善も然りってことです。

当事者と第三者で善と悪の受け取り方は往々にして不一致を起こすし、自分がどう思われるかを気にしだしたらキリがない。

最初から全ての要素を含んだのが自分だと思えば、自分のやることなすことに対しての人目ばかりイチイチ気にせずに済みますよってことですね。

 
善60% 偽善20% 偽悪5% 悪15% みたいに人は色んな感情を持ちつつ行動するし、行動毎に数値は変わります。

好きな人を心配する善を持ちつつ、何かあった時に自分を頼りにしてほしいという偽善もありつつってこと。

 

 

 

マザーテレサは善人か、それとも悪人か?

1979年にノーベル平和賞を受賞したカトリックの修道女マザー・テレサ。彼女は慈愛にあふれていて人種や宗教を問わず、全ての貧しい人たちに愛を捧げた社会援助をしていました。

まさに「現代の聖母」とも呼ぶべき人物であり、善人中の善人とも言うべき評価をされてます。

彼女が善の心を持って行動していたのは論ずるまでもないことだけど、意外な一面を持ち合わせていることを知っている人は少ない。

次のエピソードは人には多面性があることを示唆しています。

時のローマ法王パウロ6世がインドから帰国する際に自分の愛車をマザーテレサに送りました。

マザーテレサは貰った車に乗ってドライブを楽しんだでしょうか。

否。彼女は、ローマ法王から送られてきた車に乗ることはありませんでした。

彼女は常に貧しいものの味方であり、貧しき人を助けるために車を活用することを考えてたから自分でドライブを楽しむなんてことはなかった。

じゃあ、どうしたのかってことなんだけど皆さんならどう活用するでしょうか。

多くの人が考えたのは

「車を売って現金化し、そのお金で貧しい人々に物資を分け与える」

だと思います。

でも、彼女がとった行動は意外なものです。

彼女はローマ法王の愛車を「抽選の商品」として扱ったんですよ。

法王の愛車の抽選券を1枚3,000円の"宝くじ"として発行し、5,000枚に上るくじを売りさばきました。

ローマ法王の車を単純に売ると300万円程なんだけど"宝くじ"として売ることにより

3,000円×5,000枚=1,500万円

ものお金を作りだしたんですよ。凄いよね。信心深い心を持ちながら、お金がなければ貧しい人を救えないというリアリストな一面も併せ持ってたわけです。

で、ですね。

普通に車を販売したときの5倍のお金を稼いで貧しい人に分け与えたわけなんだけどさ、彼女の行為は「善」か「悪」か「偽善」か「偽悪」かどれだろうね?

より多くの人の助けとなる行動をとった「善人」かな。

それともローマ法王からの送りものを現金化し、あまつさえ抽選の商品として打ち出した「悪人」だろうか。

貧しい人のためといいつつ、より多くの称賛を得るために行動した「偽善者」?。

もしかしたら綺麗事を並べても結局お金がないと、なにもできないことを知らしめるダークヒーローのような「偽悪者」かもしれない。

別に今回の話はマザーテレサがどんな人物なのかを論ずるものではないし、ぼくのなかでは貧しき人たちのために献身的な行動を続けた善人となってます。

でもね。なかにはマザーテレサの行動を善として捉えない人もいます。もしかしたらローマ法王からみると送った愛車を売った悪人にみえたかもしれないし。

まぁ、冒頭で述べた通り当事者と第三者では受け取り方が食い違うことは往々にしてあるし、色んな捉え方をされてしまうわけです。

ただ、完全なる善だけを追った人間にはできない「したたかさ」を彼女が持ち合わせていたことは間違いないね。善、偽善、偽悪、悪いろんな要素が入り混じったエピソードだし、人には多面性があることを理解させられる内容です。

www.huffingtonpost.jp


先日はこんな記事がネット上に産まれたし「善」「偽善」「偽悪」「悪」色んな要素を第三者は感じていて、意見が満場一致することはないことがわかるね。

 

 

 

 

自分の行いが「善」「偽善」「偽悪」「悪」のどれにカテゴライズされるかなんて気にするな。

マザーテレサの事例をからわかるように、観測する人間の立場によって行動のカテゴライズ先は簡単に変わってしまう。

日本では24時間テレビがチャリティー番組でありながら、出演者がギャラを貰っていることを非難する流れが風物詩と化しているけど、その感じ方も人それぞれ。

だから意見が割れる。

ネット上での論争もそう。あらゆる出来事に対してそれぞれの人間がカテゴライズしていて、カテゴライズの仕方が違う人間同士の意見がぶつかりあっている。

これは人が多数いれば必ず起こることで100%満場一致で同じカテゴリーに入るってことは、まずない。

自分が善として行った行動も、人によっては悪と映るし、偽善も偽悪と捉えられる可能性がある。逆もまた然り。

まぁ、何がいいたいかというと

自分が行ったことや、成したことが人からどう見られているか、どうカテゴライズされるかを完璧にコントロールするなんてムリだってこと。

そして、往々にして自分が行うことは「善」「偽善」「偽悪」「悪」の複数の要素が含まれるし、それが当然ってこと。人間なんだし相手のことを思いやる一方で、良く見られたいと思ったとしても、それはごく当たり前のこと。

だから、最初からそんなものだと割り切って行動すれば良いし、自分が正しいと思ったことなら周りからどう思われるかは置いといてやってみりゃいいよってことだね。


周りの目を気にして何にもできないことほどツマラナイことはないし。

あ、そうそう。

熊本地震も支援した人が善人なのか、偽善なのか。

支援しない人は悪なのか、偽悪なのか。論争されてるけどさ

blogos.com

 

hny.blkt.net

 

www.daily.co.jp


もし、いま自分の行為が「善」「偽善」「偽悪」「悪」のどれにあたるかを考えてしまって支援のために動きたいのに動けないなら、とりあえず思考停止で義援金を送れば良いと思うよ。

 

義援金が1番即効性が高いし、確実だからね。yahooから募金できます。

 

donation.yahoo.co.jp

 

こんな記事書いたし、2回目の募金しときました。微力だけど、役に立てば嬉しい限り。

 

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自分が正しいと思ったなら、信じたことをやれば良いと思うよ。

 

 

 

 

またね!

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