カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

安倍晋三が抜擢した「三谷秀史」

安倍晋三が抜擢した三谷秀史について。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1064494691/72-78
安倍晋三が三谷秀史を抜擢した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060329-00000008-san-pol
内閣情報官に“三段とび”人事 安倍氏、情報力を重視 三谷氏決定
 政府は二十八日、四月一日付で兼元俊徳内閣情報官の後任に警察庁の三谷秀史外事情報部長(54)を充てる人事を決定した。三谷氏は昭和四十九年入庁で、次官級である内閣情報官への起用は「三段とび以上」(政府高官)の登用人事だ。背景には「ポスト小泉」をにらみ、弱いとされる首相官邸の情報収集能力強化を図ろうとの安倍晋三官房長官の思惑もありそうだ。〔略〕
 今月中旬、首相官邸で開かれた会議で、警察庁は金重凱之・元警備局長(昭和四十四年入庁)を推したが、二橋正弘官房副長官らが抵抗。安倍氏も三谷氏抜擢(ばってき)に同調したという。
 白羽の矢が立った三谷氏は、警備・公安畑を歩み、外務省や防衛庁に出向経験がある。森喜朗首相の秘書官を務め、政界・官界に顔が広い。ただ、「やや酒癖が悪い」との評もあり、森政権末期に共同通信政治部記者を平手打ちし、謝罪する“事件”も起こした。〔略〕
     ◇
【プロフィル】三谷秀史
 みたに・ひでし 京大卒。昭和49年警察庁に入り、防衛庁調査課長、首相秘書官、千葉県警本部長などを経て平成16年4月から警察庁外事情報部長。54歳。兵庫県出身。
(産経新聞) - 3月29日2時57分更新

「首相秘書官」三谷秀史が記者を平手打ちしたことの報道

以下の報道自体に当時、違和感があったが、記録として以下とどめておく。

http://web.archive.org/web/20010428083508/http://www.asahi.com/politics/mori/speak/010421a.html
【きょうの森首相】
首相秘書官、記者殴る
ビザ発給 質問した直後
 森喜朗首相の三谷秀史秘書官(警察庁出身)が20日夜、首相官邸内で森首相に取材しようとした共同通信社記者の胸ぐらをつかみ、左の顔面を殴打した。報道各社で構成する内閣記者会は同日夜、抗議を申し入れた。三谷秘書官は「殴った認識はないが殴ったと思われたなら謝罪したい」などと釈明した。三谷秘書官は酒に酔っていた。現場には約10人の記者がいた。
 同日午後10時半すぎ、李登輝前台湾総統への査証発給問題を巡る河野洋平外相との会談を終えた森首相が執務室から公邸に引き揚げる際、共同通信記者が査証発給の決断の理由を質問した。
 首相が無言だったため、同記者が質問を続けたが、三谷秘書官が後ろから割り込み、「(首相は)聞こえてない」と大声をあげ、さえぎった。さらに首相が公邸に入った後、「聞こえていないって言ってんだろ」と怒鳴り、記者の胸ぐらをつかんで、左ほおを平手で1回殴った。
 別の記者が抗議すると、三谷秘書官は「謝る」と言って赤じゅうたんに土下座した。その後は「(私が)総理と話をしていた」と述べた。
 実習船えひめ丸の事故で首相がゴルフを続けた件が問題となって以降、森首相は記者団の質問にほとんど答えない状況が続いている。
 ◆断固抗議する――福山正喜・共同通信社政治部長の話
 前代未聞であり、言語道断だ。全く理解できない行為であり、断固抗議する。
(2001年4月21日朝刊より)

日刊ゲンダイ記事

http://web.archive.org/web/20040423162609/http://n-gendai.cplaza.ne.jp/biz_web/business/news/current/20010424/
記者を平手打ちした首相秘書官の“人柄”
 〔略〕森首相に質問する番記者を秘書官が怒鳴りつけて平手打ちを食らわせる事件が起きた。この“武闘派”秘書官はどんな人物なのか。
 〔2001年4月〕20日夜、官邸では台湾の李登輝前総統へのビザ発給問題の最終協議が行われた。午後10時半、公邸に向かう首相に番記者たちが、ビザ発給の理由を質問。森は例によってダンマリでスタスタ。三谷秀史秘書官(49)が首相と記者の間に割って入って「首相には聞こえてない」と記者団をストップさせた上で、共同通信の若い記者の襟首をつかんで「聞こえてないって言ってんだろ!」と怒鳴り、記者の左ほおを平手でパチーン。記者たちが抗議すると、今度は土下座をして平謝りしたのである。
 三谷秘書官は夕方にいったん官邸を出ていて、再び戻ってきた時には酒に酔っていたという。この暴力秘書は4つの官庁から派遣される秘書の一人、昨年4月に森政権誕生と同時に警察庁から出向してきた。
「“不作”といわれた1974年組の中では優秀といわれ、大阪府警警備部長、岡山県警本部長などを務めて官邸に出向しました。夜回りの記者に、わざと議論を吹っかける子供っぽいところがありましたが、いかにも警察官僚というきまじめな面もある。実は、えひめ丸の衝突事故があった時、ゴルフ場にいた森に『そこにいてくれ』と指示したのがこの秘書官。周囲からは“危機管理がなっていない”という声が出ていて本人も気にしていたようです」(事情通)
 そんな一件があったから、ことさら森の“護衛”が過剰になったらしい。三谷秘書官は土下座をしながら「首相は記者の質問に『……』と書かれるのがイヤなんだ」と説明したというが、平手打ちもそんな忠誠心かららしい。
 この事件は、三谷秘書官が共同通信側に謝罪をして落着。記者クラブも「退陣間近の首相の秘書官だから」と穏便に済ませることになった。しかし、三谷氏はえひめ丸の一件と記者の平手打ち事件で「警察庁に戻ってからの出世に響くかもしれない」(関係者)といわれる。〔略〕

三谷秀史と千葉県

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1064494691/72-78
三谷秀史は、2001年には警察庁から森首相秘書官になり、2003年の総選挙の期間、1年6ヶ月、千葉県警本部長になっていたようだ。
http://www.chunichi.co.jp/03seikyoku/tknews/cba/cba03101502.html
三谷秀史が千葉県警本部長をしていた1年6ヶ月間は、千葉県警では、不思議に未成年への警察官不祥事が多かった。

 「出会い系」使って中学生ナンパして捕まった千葉県警成田空港警備隊の巡査(埼玉県警から出向中)
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/starsin/topics4-2.htm
 児童ポルノ法で捕まった千葉県警成田空港警備隊巡査部長
http://www.mainichi.co.jp/news/article/200307/18m/102.html
 強制猥褻する千葉県警成田空港警備隊巡査
http://www.mainichi.co.jp/news/article/200305/29m/083.html

軍事評論家・江畑謙介と三谷秀史は変なところで繋がりがある。

http://www2.neweb.ne.jp/wd/fujikawa/hotline/news2.htm
平成15年度千葉県町村長自治研修会(1/19)
 平成15年度千葉県町村長自治研修会が安房郡富浦町の富浦ロイヤルホテルで1月19日に開かれました。
 銚子市出身の軍事評論家の江畑謙介氏が「イラク戦争と北朝鮮」について講演され、その後三谷秀史県警本部長が「警察と自治体の協働による安全で安心なまちづくり」の提唱が行われました。

三谷秀史は厚生関係にも名前が見える。

http://www.police.pref.chiba.jp/koekihojin/
平成14年10月1日現在
(財)千葉県旭光会 警務部厚生課 千葉市中央区市場町1-2 043-227-9131 昭10.6.04 
会長 三谷秀史  福利厚生事業に関する調査研究等

三谷秀史と防衛庁?

「三谷秀史」という名は、防衛庁にも見える。この時期、防衛庁へ出向していたようだ。

http://web.archive.org/web/20020825230755/http://www.fpcj.jp/j/fgyouji/br/brief2.html
ブリーフィング
1996年 11月29日  防衛庁「防衛本部」設置 防衛庁防衛局調査第一課長 三谷秀史

佐賀ラグビーを通じての、共同通信・朝日新聞・三谷秀史の繋がり

三谷秀史と、共同通信・朝日新聞は、佐賀県警記者クラブで、ラグビーを通じて、合同ラグビーチームを作るほど、かなり深い繋がりがある。三谷秀史と森喜朗は、ラグビーでも繋がっていることになる。因縁の共同通信とこの頃から繋がりがあるということは、例の平手打ちエピソード(報道)は共同通信から三谷秀史に対する裏のメッセージもあるんじゃないだろうか、と感じる。

http://web.archive.org/web/20040405091908/http://www.geocities.jp/jjrc_rugby/history.htm
 1977年(昭和52年)夏、ラグビー大好き人間が佐賀で再会、県警記者クラブ(JJRC)が誕生した。
 共同通信佐賀支局の山田史生(東大OB)は、警察庁から赴任した新しい県警警備課長と対面して驚いた。学生時代に定期戦で、お互いフロントで対戦した三谷秀史(京大OB)だった。自然と話題はラグビーの話となり、記者クラブと警察合同でチームを作ろうという話がまとまった。前の年に開かれた若楠国体のために、県総合運動場に芝のグラウンド二面が整備されており、環境も恵まれていた。
 腰が軽いのが新聞記者の身上、動き出したら早かった。朝日新聞の菊池彰、久保田泉らが中心となり、若手記者が狩り集められた。新人は有無を言わせず、中には事情はよくわからないまま、月会費1,000円を払った記者もいた。チームの名前はJJRC、フルネームはシャレも入って「ジャパンジャーナリストラグビークラブ」と称したが、ホンネは「城内冗談ラグビークラブ」だった。ジャージー、ストッキングは緑と黒のしま模様、パンツは白と決まった。監督には佐賀高時代に花園に出場した、かっての名スタンド山下哲夫、主将に山田が就任した。「草野球」はともかく、「草ラグビー」なんていう言葉がなかった時期に、経験者数人というラグビーチームが、アッという間にできあがってしまった。

安倍晋三と清和会(森派)系警察官僚

以下の記事に出てくる「清和会の警察官僚」は三谷秀史のことかな?

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/simonosekisityousennhanazemutouhyouka.htm
下関市長選はなぜ無投票か グローバル化の推進者 対抗者への陰湿な攻撃
安倍派軸の専制構造       2003年3月8日付
 99年の2期目の市長選では、〔略〕安倍事務所絡みの人物が「〔江島市長の対立候補の〕古賀は自殺した新井代議士と親せきで、北朝鮮から送りこまれた人物で、市長になると税金を祖国に送金する」と選挙妨害の謀略ビラもばらまいた。〔略〕
 再選された江島市長は、対抗馬をおした建設業者らへ徹底的な報復攻撃をおこなった。〔略〕
 さらに多くの人のあいだで語られているのは、下関署が選挙違反をとりしまるどころか、選挙つぶしにいっしょになってかかわっていることである。対抗馬のある後援者は、選挙事務所から自宅まで下関署のパトカーから尾行された経験がある。〔略〕選挙事務所前にはパトカーがはりつき、出てくる人人に逐一いやがらせの「飲酒検査」をおこない、人が気持ち悪がって寄りつかないように仕むけたりした。
 「下関の市長選をたたかっているのに、安倍事務所から警察、革新政党まで全部を敵に回したような選挙戦で、とほうもない闇世界を相手にしているようだった」と、ある選挙参謀はふり返る。〔略〕
 談合情報がいくら出ても調べようともしない下関署に疑問が強まっている。安倍事務所は清和会の警察官僚と関係して山口県警の人事にまで影響力をもつといわれており、それに逆らえば警察が動くというのが常識と語られている。商業マスコミも江島、安倍絡みとなると、黙して語らずで買われていると評価されている。
 江島市長が大型公共事業でもっとも手厚くしたのが、安倍晋三代議士の出身の神戸製鋼所である。奥山工場ゴミ焼却炉、リサイクルプラザ建設と約170億円を一括発注している。さらに毎年50億円をつぎこんでいる下関沖合人工島事業である。これらの利権にありつけるのは安倍事務所絡みの建設業だけでしめられている。

ぽちっとな