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原初より連なり満ち満ちる執着 【第1回】短編小説の集い (B: 写真)

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【第1回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」

 

 

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タイトル『原初より連なり満ち満ちる執着』

テーマ『B: 写真』

4,954 / 5,000å­—

 

 

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 僕は女性の横顔が好きだ。無防備に何処かを眺める黒目を、頬を、睫毛を不躾に見つめていると、胸の高鳴りすら覚える。それは獲物に狙いを定める行為に似ているのかも知れない。
 リコの横顔に胸を奪われたのは、彼女が歌う姿を見た時だった。いくつかの大学のサークルが共同で開催したライブ。そこに出演するバンドのひとつで、リコは歌っていた。確か僕のバンドが演奏したふたつ後に、彼女のバンドが出演したのだ。
「犬と、猫と、アンタを飼いたい。私のために走らなくてもいいから」
 僕はライブ会場の左端で彼女の歌声を聴いていた。そんな風に愛されてみてぇもんだ、と思った。
「斯様な関係には鎖が必要だなんて、どなたが決めたのかしら?」
 ボーカルのメロディが途切れる時、リコは右手で掴んだマイクから顔を背けるように左下を向き、体を揺らしてリズムを取る。その度に、端っこから眺める僕の目にリコの横顔が映る。斜め前から見た顔ではなく、完全な横顔。音楽に没頭するリコの横顔はたまらなく魅力的で、無防備なそのほおぺたに食らいつきたいと僕は思った。
 その後は予定調和。大学生の恋なんてすぐに燃え上がる。時にはリコのために走ったりもした。指輪だって買った。ありきたりな恋だった。でも、大学を卒業して、就職して、数年経っても関係が続いているのは、僕たちふたりがしっくりくるからだと自負している。
 
 今日もリコの横顔は綺麗だ。ぼうっと虚空を眺めるリコを見つめていると、ふいに彼女は口を開いた。
「ねえ、セージくん!」
「おう。どうした?」
 リコがこちらを向く。飲みかけのココアが入ったマグカップをテーブルに置き、僕の目を見据えて言う。
「私って何のために生きてるのかなあ」
 リコはぼうっとしているようで、小難しいことに頭を悩ませていることがよくある。
「そりゃあ子ども産むためなんじゃないのかい。ポコンと産んで育てて終いよ」僕は答える。生命ってそうやって紡がれてきたし、間違っちゃいないと思う。あ、でも産めない場合だってあるんだよな。「それができないなら何か別のものを残せばいいさ」僕たちがそれができない人たちである可能性だってあるし、付け加えておく。
「じゃあ何のために仕事してんのよ!」リコはまだ不満げだ。
「うーん。生きるため、っていう理由もあるけど、リコの仕事はさ、人のためになることじゃん。成果はすぐには目に見えなくても、巡り巡って我々の子孫に貢献していくんじゃないかな」
 実際リコの仕事はそういう類のものだ。製薬会社の基礎研究なる職種。言われたことをやるだけで独創的なことができる訳じゃないよ、とリコは言っていたけど、大事な仕事だ。
「子孫を残すために生きて、子孫を守るために仕事をするってこと? じゃあ何のために子孫を残すのよ」
「それだよなぁ。それについては俺も考えたことがある」
 そう、考えたことがある。おそらく一番最初の生命、ちいさな細胞だかなんだかが生まれた時、ソレは消えたくないと願ったのだ。原始の海で、誰にも会えずに、何も残さずに消えたくないと。そして消えたくないから自分を殖やす。生命の連なりが途切れないように、途切れないように。いつしか自分の情報に不純物が混ざることも厭わず、誰かと交じり合い繁殖することが目的となった。
 僕がそんなことを話すと、リコは言った。
「じゃあその最初の細胞が生きたいと思ったから私たちは生きるの? 子どもを残すようになったの? でもその子が生きたいと思わなかったら意味ないんじゃない?」
「そうなんだよ。俺たちが子どもを残すのも、その子どもたちが俺たちと同じように『生きたい』と願うだろうことを担保にしているに過ぎない。だから子どもたちが生きたいと願わなければ子どもを作ったり仕事をしたりするなんてことは無意味になるのかもしれない。ひょっとすると俺たちの、生きたいという願いさえ最初の細胞の呪縛みたいなものかもね。不思議な因果だよ」
「てことは最初の細胞が生きたいと願わなかったらそもそも今のかたちの生命はなかった訳? なんてこと! ソイツのおかげでこの世界ではこんな争いだの苦悩だのに満ち溢れてんのよ!」
 リコが芝居がかった仕草とともに声を荒げる。ああ、そんなに手を振り回してはマグカップにぶつかってしまう。まあまあ、と僕はリコをなだめる言葉を探す。彼女も本気で怒ってる訳じゃないだろうけど。
「でもさあ、ソイツのおかげで恋をしたりなんだりもできるんだから悪くないさね」
 それもそうかとリコは呟く。彼女はなんやかやと苦悩に結びつけ、考え込みたがるきらいがある。まあ、詩人と苦悩は親和性が高いのだろう。
 
 そう、リコは詩人なのだ。今はあまりそういうことは言わないけれど、あのバンドでも作詞を担当していたし。例えばリコは心音を時計の針に喩えたことがある。 心臓の拍動は時計の針のように、僕たちの主観的な時間感覚を規定する。
「セージくんとケンカして仲直りできないと心臓が鉛のように重たくなってさ、そんな夜はなかなか時間が進まない。でも楽しくてドキドキしてるとどんどん時間は過ぎ去っていく。わかるでしょ?」
 まだ別々に住んでいた頃、僕の部屋のソファに腰掛けリコはそう言った。 心拍は秒針のようだと。
「それで私が思うのは」リコは続ける。僕は隣に座り、彼女の横顔をちらりと見る。睫毛がぱちぱちと、不規則に瞬いている。「私たちは永遠の命だとか愛だとかを求めがちだけど、永遠なんて死くらいなんだよ。時間が積み重なって永遠になる前にさ、心音が時間を刻んじゃうんだよ。それで短い時間とか長い時間とかを作っていく。だけどそれは永遠なんて呼べるほどには長くなれないでしょ? 生きてるうちはさ、心音が時間を細かく細かく刻む限りはさ、永遠なんてお目にかかれやしない」
 なんだかわかったようなわからんような話だ。僕はソファの肘掛けを撫ぜながら尋ねる。
「すると永遠の愛はないと」
「そうかもしれない」
 だけど、とリコは続ける。
「愛が永遠に続かなくてもさ、それが終わる時がさ、私たちが死んだ後ならそれでいいんじゃないかと思うんだ」
 現実主義のようなロマンチシズムのような。リコらしい物言いだ。人間の本分を弁えているようで、その中の最大限を求めている。
「なるほどねえ。いいねえ」
 僕はなんだか高揚してしまって、にやにやしながらそう言った。いいねえ。もっとリコの考えを聞きたい。ただ、リコにはその反応はお気に召さなかったようだ。
「なんで笑うんですか」
 リコは不服そうに紅茶をすする。僕はあんまり紅茶は好きじゃないけど、紅茶を飲む女性の横顔は好きだ。ティーカップに触れる唇を噛みちぎってしまいたいと僕は思った。でも噛みちぎってしまうとキスもできなくなるので困る。リコがティーカップを傾ける。僕の視点からは見えないけど、唇に紅茶が吸い込まれているのだろう。リコが紅茶を飲み終えたあと、近所の公園に散歩に行って、なんとなくどんぐりをいくつか拾った。どんぐりの帽子を外すか外さないかで意見が食い違ったのを覚えている。
 
 ある日、リコがカメラを買ってきた。
「ポロ……ポラ……。ええと、どっちだっけ」
「ポラロイド! ポラロイドカメラを買ってきたのです」
 リコは誇らしげにポラロイドカメラを掲げる。
「だけれど実はこれポラロイドカメラではないのです。ポラロイドカメラはポラロイドという会社が作ったからポラロイドカメラだそうです。これはポラロイド社のものではないのでただのインスタントカメラなのです」
「ポラロイドって名前の方がかっこいいなぁ」
「だよねぇ。だから私はコイツをポラロイドと呼ぶよ」
 リコはにやにやと笑いながらポラロイドをテーブルに置いた。でもなんでデジカメじゃなくてポラロイドカメラなのさ、と僕が尋ねると、リコは言った。
「色褪せるっていいじゃない。デジタルってねぇ、ゼロかイチかみたいなものよりは。そりゃ大事にするけどさ、それでも色褪せる儚さね。それに一枚しか無いのも潔い」
 そう言うとリコはくりくりと目を動かして、何かを探すような仕草をした。そして、ポラロイドを持ち上げ、部屋の窓に向けてパシャリとシャッターを切った。閉めきった窓を写して何が面白いのかと覗きこむと、レンズの先にはいつかのどんぐりが転がっていた。そういえば窓際に飾っていたのだった。
「最初の一枚がそんなんでいいのかい」と僕が尋ねると、
「セージくんの人でなしっぷりを残しておくのです」とリコはのたまった。
 リコに言わせると、どんぐりの帽子を外すことは鬼畜の所業だそうだ。これから冬に向かうのに唯一の着物を剥ぎ取るなんて、と言っていた。僕はただ、帽子を外してしまったあとのつるつるとした感触が好きなだけなのだが。
 ポラロイドから出てきた写真を裏返し、現像が完了するまでしばらく待つ。30秒ほど経ってからひっくり返す。
「あら、ピントが合ってない」
 リコが残念そうな声を出す。本当だ。どんぐりが帽子をかぶっているかかぶっていないかは分かるが、つやつやとした質感は判別できない。練習します、精進しますから、とリコは口をとがらせる。それから彼女はしばらくポラロイドの取扱説明書を睨んだり、写真を上手く撮るコツをパソコンで検索したりしていた。インターネットなんか見るものだから、膨大な情報を前にリコは途方に暮れているようだった。まずは結論から書きなさいよ、なんて思ってるんだろうな、きっと。
 ふう、と溜息をついたリコは、思い出したように僕の名前を呼んだ。
「そうそう、セージくん。これからさ、旅行とかどこか出掛けた時はまずはこのポラロイドで写真撮ろうよ。それで専用のアルバム作ってそれに貼ろう?」
 一枚撮ったら後はセージくんご自慢のデジカメで撮っていいからさ、とリコは笑う。別にデジカメを自慢した覚えはないけど、そのアイデアは可愛らしいし悪く無いと思った。
「いいアイデアだと思うよ」と僕が答えると、リコは元気よく立ち上がった。
「よーし、じゃあ早速どこか行こう! 私、海に行きたいな!」
「今からだと、着くのは夕方だよ?」
 夕暮れの海なんて素敵じゃないの、とリコが言うので、僕たちは出掛けることにした。
 
 リコと僕は、ポラロイドを携えて海に来た。寂しげな、秋の終わりの夕方の海。こんな時期じゃあ他に人なんていないよな。ふたりでひとしきり砂浜を駆けてみる。波打ち際で、寄る波に近づいては逃げてみる。そして、忘れないうちに写真を撮る。リコと、僕と、そしてなんとか海が背景に写るように、パシャリと。
 いつか色褪せるだろうこの写真は、ふたりを時の流れから切り離すためのものじゃない。ふたりで過ごした時の流れがわかるように打ち込むひとつのアンカーだ。いずれ僕らはまた写真を撮る。ポラロイドで。そして時を刻むアンカーが増えていく。こんなことをしているから、永遠なんて生きてるうちはお目にかかれやしない。そう思う。その通りだ。
 リコが写真を鞄にしまいこんでいる。風になびく髪の毛の間から、うつむいた鼻先が見える。控え目なその鼻先にかじりつきたいと僕は思った。永遠なんかよりリコが欲しいと思った。どうやら最初の細胞には謝らなければならないようだ。ソイツが僕たちに課した永遠への執着は、他の誰かにまかせよう。それは生命の本分から逸脱した考えかもしれない。こんなことを考えるから人類はおかしくなってきたのかもしれない。だけど、ねえ。こればっかりは。あるいはリコへの執着も、その最初の細胞の執着が変質したものに過ぎないのかもしれないけど。なんだか自分の本性がわからなくなってくる。写真をしまい、「撮ってやったぜ」と笑うリコの声でやっと僕は現実感を取り戻す。
「次はどこに行こうか」とリコに尋ねる。
「さて、どこに行きましょうか」とリコが言う。
 どこがいいかなァ。まあどこだってふたりなら楽しかろうよ。潮風なんかべたついて嫌いだけど、それすらもリコと一緒なら大事な思い出だ。リコの髪の毛が潮風に吹かれている。夜の海で星を見るのもいいねぇ、なんて言って笑ってる。口元から覗く前歯ってのもなんだか良いな。ああ、良いもんだなあ。さて、どこに行きましょうか。
 
 
了
 

 

 

 

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