迷色まくるの巡礼の日々

迷色まくるの巡礼の日々

そろそろホントにブログ書くよ

笑い飛ばす

成長も反省も後悔も学びもある1年だった。なるようになるし、導かれていること感じる年でもあった。笑顔を忘れがちだけど、来年はいつもニコニコを心がけたい。生きてるだけで丸儲けの気持ちで。いろんな場所に行き、新しい世界を見て、刺激を受けたい。大切な人のために知恵を絞り、相談し、頼れる人には頼り、頭を下げ、行動し発言したい。自分のコントロールできる範囲で。楽しく生きる。

クヨクヨからの脱却

いくつかの理由により文章を書くことをサボっていた。激しい気温の変化や高湿度などにより、気分が乗らず。不調の日も多かった。そして、何かとやることが多かった。

性格上、クヨクヨすることが多い。それは離婚してからも変わらない。ストレッサーから距離を取ってからもしばらくはクヨクヨがつきまとうのだろう。油断しているといつの間にか始まるクヨクヨ。1通りクヨクヨした後には、クヨクヨしていたことに対しクヨクヨしてしまう。いつまでクヨクヨしてるんだと。自分で自分の首を絞めるクヨクヨの天才か。

認めよう。自然発生のクヨクヨは仕方ないと。それよりも、クヨクヨ思考に早く気付いて、クヨクヨから脱出することが大事だ。

ある事象を目にしたとして。それをマイナスにとらえるか、プラスにとらえるか。とらえ方1つでその後の思考内容が変わる。

たとえば、出先で幸せな家族が目に入った場合。
マイナス思考の僕の思考。自分が実現できなかった妻との良好な関係、子供の笑顔。うらやましさと後悔と無力感でクヨクヨが始まってしまう。

しかし、プラスにとらえれば。独身なのだから今から新しいパートナーを見つけることができる。子供は難しくとも、趣味の合うパートナーと出会い楽しい毎日を共有することができるかも。

未来は誰にも分からない。プラスにとらえるだけで楽しい気持ちになれる、はずなんだ。

50年近く生きてきて、プラス思考になることはなかなか難しいかもしれない。だから、少しずつ、訓練していきたい。自分を苦しめるのはもうやめだ。

今日はは久しぶりに自分のためだけに時間を使うことができた。散らかっていた部屋を片付け、家じゅう掃除機をかけ、冷蔵庫の中の不要物を処分し、水回りの掃除もできた。気持ち的にもすっきりした。クヨクヨ思考も整理し、前向きに生きていくのだ。

やっぱり、文章を書くことで気持ちの整理ができる。なるべく時間を作って文章を書いていきたい(何回目?)。 

ガス欠

僕はガス欠だったのだ。

離婚する決意をしたとき。それを妻に告げた時。なかなか離婚を受け入れられなかったとき。お義母さんから考え直すように言われたとき。でも、自分の娘に対して注意するつもりがないことがわかったとき。

色々悩んだけれど、当時の僕には頑張る力が残っていなかった。自分の思い通りになることがほとんどない家族を維持する力が。それよりも家族が今よりも幸せになるための離婚なのだと信じて、最後の力を振り絞り離婚を成立させたのだ。

僕はガス欠だったのだ。そして今もそれは変わらない。ストレス源と距離を置くことができた今も。大きなストレスは減ったのだが、自分の傷ついた心は癒されることはない。

ある人が、離婚が成立したら豪遊しなさい。と言ってくれた。それは、時間とお金をぜいたくに使いなさい、自分のためだけに。ということだったのだと思う。1人になって、自分の世話と息子との面会に全力で生きてきたけど、自分にガソリンは入れてないな。

豪遊しよう。来月当たり。知らない街へ。もしくは山奥の温泉へ。好きな本だけを携えて。何もしない旅を。宿で本を読むもよし。ごろごろするもよし。あてもなく街さんぽするもよし。目的も決めず、気の向くままに。時間とお金をぜいたくに使うのだ。

今日は筆が進まない

今日のブログは、書いては全消し、書いては全消し。

今日は筆が進まない。書くテーマも定まらない。女性、恋愛の話について書き進めたのだが、心の中身を記すのはとても難しい。書いたらまずい気がする。全消し。の繰り返し。

書きたいけど、書いたらまずい。なぜ書いたらまずいのか。それも記載しにくい。記載したら実現しないのではないか。とか、そもそも実現させたいのか。とか。

少しだけ書く。週に1度、2~3分間だけ会話をする女性がいる。たわいもない世間話を。ただそれだけ。

僕はその女性が好きなのか?良く分からない。会えば、相手は笑顔になり。僕はよそ行きの僕になる。会話が弾むかはさておき、僕の心は大きく弾む。既婚なのか、彼氏がいるのかも知らない。僕が離婚したことも告げてはいない。

顔がタイプなわけじゃない。俗にいうビビビッという感触もない。でもなぜか気になる。僕はその女性が好きなのか?

夢に何回も出てくる。今朝の夢では2人で食事に行く仲に進展。でも交際はしていない。距離が縮まったことに喜ぶ夢の中の僕。

夢に出てくるほど好きなのか。どうなのか。

本当に良く分からない。

今日のブログで書きたいこともわからない。

こんな日もある。ということだ。

祖母との想い出

おばあちゃん子だった。幼少のころから母方の祖母の家に行くのが大好きだった。当時は祖父も健在だったので、正確には祖父の家なのだけれど。寡黙な祖父とは対照的に、祖母は僕のことをいつもニコニコ迎えてくれた。おしゃべりが大好きで、集まった親戚に対し平等に話しかける気遣いがあった。孫たちをいつも笑わせていた。

祖母は、僕のことを大好きだと、心から言ってくれた。僕も祖母が大好きだった。その気持ちを当時の僕は祖母に伝えただろうか。僕が大人になってから、『○○(僕の名)はいつもニコニコしてた。だから孫の中でも一番好きだったんだよ』と言ってくれた。とてもうれしかったが、そんなにニコニコしてただろうか。感情を表に出すタイプではない僕なのだ。

母親が厳しかったこともあり、祖母の家は逃避先でもあった。安全で安心。だから僕はいつもニコニコしていたのだろう。楽しい想い出しかない。楽しい時は一緒に笑い、悲しい時は優しく慰めてくれた。失敗した僕に対し明るく背中を押してくれた。そして僕の弱点については一切触れなかった。中高と僕が塞ぎこんでいた時期にも。怒られたこともない。僕のありのままを受け入れてくれた。小さい身体なのに、包み込むような包容力があった。大きな存在だった。

僕が故郷を離れてからはなかなか会えなくなった。それでも、会いに行ったときには『孫の中で一番好きだ』『子供の頃からいつもニコニコしてた』と伝えてくれた。僕は照れくさくて(僕もばあちゃんが大好きだよ)と伝えることができなかった。

祖父が亡くなった数年後、祖母は自分から施設に入ることを決めた。自分の子供たちに迷惑をかけたくないのだと。祖母らしい決断だった。緊急事態宣言が解除されたタイミングに、入居前の祖母に会いに行った。普段無口な僕は、子供の頃のようにいっぱいしゃべった。祖母との思い出の数々を語り合った。(ひょっとすると、これが今生の別れになるのかな)と感じながら。祖母は変わらず『孫の中で一番好きだ』『いつもニコニコしてた』と言ってくれた。中年になった僕は、(僕もばあちゃんが大好きだよ)と伝えられなっかった。やっぱり照れ臭かった。

祖母が亡くなった。大往生だ。久々に再開した祖母。葬儀屋の布団の上の祖母はとても小さく見えた。こんなに小さかったっけ?こんな小さな体で、みんなを気遣い、笑わせ、孫たちに愛情を与え、僕を勇気づけてくれていたんだ。弱っていく祖母の話はちょくちょく聞いていたので覚悟はできていた。僕の心は、寂しさと感謝の気持ちとで占められていた。

最近の葬儀屋は通夜の日に宿泊できる。当然僕は宿泊し、棺の中の祖母の顔を繰り返し見に行った。当然動くはずはない祖母。動いてくれたらいいのに。近くにいるであろう祖母の魂に、たくさんの想い出話をした。翌日の告別式のお経の時間にもたくさんの想い出が自然とよみがえった。

おばあちゃん。僕もおばあちゃんのことが大好きだったよ。今までも、そして、これからも、僕の心の支えです。月並みですが、天国のじいちゃんと仲良く、ゆっくり過ごしてね。おつかれさまでした。本当にありがとう。いつか、また!

起こるべくして起こったのだ

妻との出会い。結婚したこと。子供が生まれたこと。家族と過ごした日々。妻との心のすれ違い。そして、離婚したこと。これらは、10余年の出来事。

離婚が決まってからの日々は、変わるはずのない過去に対して後悔ばかり。出会いの場面。同棲中のかすかな違和感。急かされたプロポーズ。価値観がズレ始めた時。数々の過去のシーンを思い出し、不毛な後悔。たらればの妄想。

近頃になって、「全ての事象は、起こるべくして起こったことなのだ」そう思えるようになった。結婚から離婚、そして今に至るまで、失ったものは多くて大きい。だが、結婚したからこそ、得られた知識、経験、出会いがある。また、離婚について、悩み、調べ、相談し、行動し、決断したからこそ、得られた知識、経験、出会いがある。さらに離婚後に関して言えば、傷ついた子供を想い、できることを考え実行すること。少しずつ増えた子供との会話。垣間見える子供の成長。妻とのたわいもない会話の復活。お互いへの配慮など。良い方向へ変化したこともある。これらは、婚姻関係を継続していたら得られなかったのだ。

人生の数々のめぐり合わせ。それらの全ては天から与えられたのだと感じる。与えた環境に対し、僕がどのように感じ、考え、時に我慢し、いつ決断するのか。なかなか決断しない僕に、ヒントとなるメッセージもいくつか与えられた。自分を知る。何をしたいのか。そのためにはどうすればよいのか。天からのメッセージをキャッチする。敏感になる。この経験は、僕の人生にとって必要なものだったのだ。人生、すべてが勉強だ。今後、この経験をどう活かしていくのか。天は、これからの僕についても興味深く観察するのだろう。

自分を慰める②

ブログを3日間休んでしまった。ここのところ残業続きだったから。今日は久々に定時に上がることができた。諸々済ませ、今ようやく文章を書いている。

年を取ったので自分を慰めるのは週に1回くらいに減った。全盛期の半分くらいのペースか。ストレス解消方法はいろいろあれど、自分を慰めることは有効な手段の1つだ。

数日前に記載した通り、AnimalなVideoとは、男女のAnimalな行為を記録した動画のことだ。長いので以下AVと略す。定時に上がれた本日は、久々にAVを鑑賞する。本日の気分は、胸。大きすぎず小さすぎず。適度に揺れるさまが観たいよ。

選んだAV。初心な女性と手練れの男性とのAnimalな行為。女性の反応は終始控えめ。しかし、頑張り屋さんで、男性にうまくできているか聞くのがなんともけなげ。はかなさも感じる。育ちの良さが伝わってくる。こんな女性の行為を見られるなんて。僕の心はときめく。と同時に興奮する。初心な女性のそんな行為を見られるしあわせ。見てはいけないものを観ているかのよう。この感情を表す適切な言葉が見つからない。背徳感?少し違うな。

すっかり癒されて、適度に疲れて。自分を慰めることができた。以下、心の声。


本当は 慰められたい いい人に 
そろそろいい人 探そうかしら