何気なく使っている言葉の意味

「言うも・愚か」

(「いうも・おろか」)

 

「皆さん」は

「言うも・愚か」

   と、いう

「慣 用・句」を

「使った・事」は

「有・り」ませんか?

 

「言うも・愚か」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「言えば・愚か」

    と も

 「表 現・する」

    そうです。

 

 「誰もが 承知して・いる」

 「当然 の・事実」で

 「わ ざ・わざ」

 「言う 必要が・ない」や

 

 「言葉に する・だけ」

 「馬鹿げ て・いる」と

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」で

 

 「語るも・愚か」や

 「聞くも 愚か・とも」

 「用いら・れる」

    そうです。

 

「言うも・愚か」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「清少納言 が・著した」

 「日本 三大・随筆」

 「枕草子 の・一文」

 「言うも愚か・なり」が

 (「全てを語り 尽くせ・ない」)

 

 「由・来」で
 「時代と・共」に

 「言葉にする・のも」

 「馬鹿げて・いる」と

 

 「い う・意味」に

 「変化 して・いった」

    そうです。

 

「言うも・愚か」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。


・「企・業」が

 「存続出来て いる・のは」

 「現場の 人達の・頑張り」の

 「おかげで ある・事」は

 

 「言うも・愚か」で

 「誰・も」が

 「承知 して・いる」

 「現・実」だ。

 

・「彼・女」が
 「容姿 端麗・なの」は

 「誰もが 知る・ところ」で

 「言うも愚か・だが」

 

 「性格も・良い」

 「事」を

 「知る人は・少ない」

    そうだ。

 

「言うも・愚か」の

「類 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「言うだけ・野暮」

   (「いうだけ・やぼ」)

 

・「野 暮・とは」

 「無粋で・且つ」

 「洗練されて・いない」と

 「い う・意味」で

 「言うだけ・野暮」
    と は
 「皆が 知り・ながら」

 「あえて 黙っている・のに」

 
 「口に出して 言う・のは」

 「馬鹿げて・いる」と

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」です。

 

「言うも・愚か」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。


・「言わぬ 事は・聞こえぬ」

   (「いわぬ ことは・きこえぬ」)

 

・「どんな 意見や・考え」も

 「実際に 言葉に・して」

 「言わな・けれ」ば
 「相手に 伝わらない・ので」

 

 「ハッキリ・説明」し

 「誤解のない様に・すべき」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「近藤 真彦」は

(「こんどう まさひこ」)

「愚 か 者」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1987・年」に

「リリース」

   し た

「22 th・シングル」で

 

「オリコン・2 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「近藤 真彦」は

「1964 年・生まれ」で

「神奈川 県・大和 市」
「出・ 身」の

 

「歌・手」

「俳・優」

「レーシング ・

   ドライバー」で

 

「愛・称」は

「マッチ」です。

 

「13 歳の・頃」に
「所属 して・いた」

「少 年・野球」の

「監督 の・娘」が

 

「チーム・全員」の

「集 合・写真」を

「ジャニーズ・事務所」に

「送・り」ました。

 

「写真 を・見た」
「故・ジャニー喜多川」が

「一・目」で

「近藤を 気に・入り」

 

「自ら 交渉・して」

「スカウト」しました。

 

「1977・年」
「中 学・1 年生」で

「12 歳の・時」に

「ジャニーズ・事務所」に

「所・属」し

「芸能界・入り」

   しました。

 

「1979・年」

「明治大学 附属・
   中野高校」

「1 年・生」で

「15 歳の・時」に


「TBS・テレビ」で

「放 送・され」た
「テレビ・ドラマ」

「3年 B組・金八先生」の

 

「生 徒・役」で

「俳 優・デビュー」

   しました。

 

「同・じ」く

「生徒役・だっ た」

「田原 俊彦」

「野村 義男」と

 

「共・に」

「たのきん・トリオ」を

「結・成」し

「バラエティ・番組」に

 

「多 数・出演」し

「茶 の・間」の

「人・気」を
「集・め」ました。

 

「1980・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「スニーカー ・ぶるーす」で

「歌 手・デビュー」を

「果 た・し」ました。

 

「同・曲」は

「大・ヒット」し

「オリコン・1位」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「ギンギラギンに

   さりげなく」

「夕焼けの 歌」

「愚 か 者」等が

「有・り」ます。

 

「以・後」

「1980 年・代」〜

「1990 年・代」を

「代 表・する」

 

「男 性・アイドル」

   と、して

「歌 謡・番組」や

「バラエティー・番組」を

 

「中心 に・して」

「活・躍」しました。

 

「1981・年」に

「リリース」
   し た
「4 th・シングル」

 

「ギンギラギン に

   さりげなく」で

「レコード・大賞・

   最優秀 新人賞」を

「受・賞」し

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「1987・年」に

「リリース・した」
「22 th・シングル」

「愚 か 者」で

 

「見・事」に

「日本・レコード・大賞」の

「栄・冠」に

「輝・き」ました。

 

「2010・年」に

「リリース・した」
「49 th・シングル」

「ざんばら」で

 

「レコード・大賞・

   最優秀 歌唱賞」を

「受・賞」し
「三・冠」を
「達・成」しました。

 

「日本・レコード・大賞」
「三・冠」を

(「最優秀・新人賞」
「最優秀・歌唱賞」

「大・賞」)

「達成 した・のは」

 

「都 はるみ」

「細川 たかし」

「北島 三郎」

「氷川 きよし」に

 

「次・ぎ」

「史上・5人目」の

「快・挙」でした。

 

「他」の

「オリコン・1 位」

「獲 得・作品」

   と、しては

 

「1981・年」に

「リリース・した」

「サード・シングル」

「ブルー ジーンズ・
   メモリー」〜

 

「1985・年」に

「リリース・した」

「16 th・シングル」

「ヨイショ!」まで

 

「シングル・作品」が

「14 作・連続」で

「オリコン・1 位」に

「成・り」

 

「1987・年」に

「リリース・した」

「24 th・シングル」

「泣いてみりゃ

   いいじゃん」が

 

「自 身・最後」の

「オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「カー・レーサー」と

   して は

 

「1984・年」

「30 歳の・時」に

「富士・フレッシュマン・

   レース」に

 

「日 産・マーチ」で
「初 の・参戦」を

「し た・のを」

「皮・切り」に

 

「1988・年」〜

「1993・年」に

「至・り」

「全 日本・ F 3 」

 

「選 手・権」に

「出・場」しました。

 

「1994 年・には」
「フランス」の

「ル マン・24 時間」に

「初・参戦」しました。

 

「同・年」に

「全 日本・選手権」

「GT 1・クラス」で

「見・事」に

 

「初・優勝」を

「飾・り」

「1995・年」に

「GT 1・クラス」で

 

「2 年・連続」で

「優・勝」しました。

 

「2002 年を・以て」

「現・役」の

「レーシング・ドライバー」

   と、して の

 

「活 動 を・休止」し

「レーシング・チーム」の
「監 督・業」に

「専・念」しました。

 

「2018・年」に

「スーパー・フォーミュラ」の

「チーム・部門」で

「チャンピオン」に

 

「2020・年」に

「SUPER・GT」の

「年 間・チャンピオン」に

「輝・き」ました。

 

「単・なる」
「一・アイドル」の

「枠 を・超え」て

「他チーム の・監督」や


「誰も が・認める」

「一人・前」の

「監・督」に

「成・長」しました。

 

「2023 年・4 月」に

「スーパー・

   フォーミュラ」等を

「運 営・する」

 

「日本・レース・

   プロモーション」の

「取締役・会長」に

「就・任」しました。

 

「現 在・60 歳」

   です が

 

「2024 年・7 月」に

「日本・武道館」に
「於 い・て」

「単 独・コンサート」を

 

「開 催・する」等
「歌・手」や
「舞台俳優 と・して」

「第一線・にて」


「活躍して・いる」

   そうです。

 

「私・生活」
   で は

 

「1989・年」

「25 歳の・時」に

「高校生・時代」の

「1 年・後輩」で

 

「6 年・間」

「交際 して・い た」

「中森 明菜」が

「近 藤」の


「自 宅・マンション」の

「浴・室」で

「自殺 未遂・事件」を

「起 こ・し」

 

「大きな・話題」に

「成・り」ました。

 

「明 菜」の

「謝罪 会見・には」

「近 藤」も

「同・席」しました。

 

「1994・年」

「30 歳の・時」に

「2 才・年下」で

「食品 会社・O L」の

 

「一般人・女性」で

「福岡 県・出身」の

「和田 敦子・さん」と
「結・婚」し

 

「2007・年」

「43 歳の・時」に

「結婚 14年・目」

   に、して

 

「待・望」の
「第 一 子・長男」が

「誕・生」しました。

 

「紅 白・歌合戦」
   に は

 

「1981・年」の

「ギンギラギンに
   さりげなく」〜

「2015・年」の

「ギンギラギンに

   さりげなく」まで

 (「2 回・目」) 

 

「通 算・10 回」

「出・場」しました。

 

 

「近藤 真彦」

「愚 か 者」

「作・詞」「伊達 歩」

「作・曲」「井上 尭之」

 

愚か者 よ 

おまえの 流した

涙を 受けよう

愚か者 よ

私の 胸に

ほほ うずめて

今夜は 眠れよ

 

見果てぬ 夢に

男は さまよい

女は こがれる

ルージュを 引けば

偽りだけが いつも真実

それが 人生

 

ごらん 金と銀の

器を 抱いて

罪と罰の 酒を満たした

愚か者が 街を走るよ

 

おいで 金と銀の

器を 抱いて

罪と罰の酒を 飲もうよ

ここは愚か者の 酒場さ

 

愚か者 よ

おまえの 失くした

時間を 探そう

(「とき」)

愚か者 よ

私の 腕に

ほほを うずめて

今夜は 眠れよ

 

ごらん 金と銀の

器を 抱いて

罪と罰の 酒を満たした

愚か者が 街を走るよ

 

おいで 金と銀の

器を 抱いて

罪と罰の 酒を飲もうよ

ここは愚か者の 酒場さ

 

失くした 時間を

男は 振り向き

女は 消し去る

仮面を つけて

快楽だけが いつも真実

(「よろこび」)

愚か者 よ

愚か者 よ

今夜は 眠れよ

 

 

※「呆れて物も 言え・ない」

   (「あきれてものも いえ・ない」)

 

「呆れて物も 言え・ない」の

「意・味」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「あまり の・ひどさ」に

 「驚 い・て」

 「呆気 に・取られ」て

 「どうしよう も・ない」と

 

 「い う・残念」な
 「気持ち に・なり」

 「何・も」

 「話したく・なくなる」と

 

 「い う・意味」で

 「ネガティヴ」な

 「ニュアンス」が

 「込 め・られ」た

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「呆れて物も 言え・ない」の

「由・来」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「呆れて・とは」

 「驚き や・呆れ」

    と、いう

 「意・味」で

 「物が 言え・ない」

    と は

 「言葉 に・詰まる」と

 「い う・意味」で

 

 「呆れて物も 言え・ない」

    と は

 「あまり の・ひどさ」に

 「呆気 に・取られ」て

 

 「何も 言え・ない」や

 「声も 出ない・様子」と

 「い う・意味」に

 「成った・事」が

 「由・来」の
 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「呆れて物も 言え・ない」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「友・人」は
 「ミスを して・謝った」が

 「舌の根も 乾かない・うち」に

 「言い訳 を・始め」て

 

 「上 司・から」

 「呆れて物も 言え・ない」と

 「言われ て・しまった」

    そうだ。

 

・「上・司」は
 「自分 の・非」を

 「認め ない・どころ」か

 「彼・女」に

 「なすり つけた・ので」

 「呆れて物も 言え・ない」と

 「部 下・一同」は

 「呆 れ・返って」いた。

 

「呆れて物も 言え・ない」の

「類 義・語」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「開いた口が 塞がら・ない」

   (「あいたくちが ふさがら・
        ない」)

 

・「相手の 言動や・態度」に

 「対 し・て」

 「口を 塞ぐ・のも」

 「忘れて しまう・程」に

 

 「驚 い・て」

 「呆れ 返って・いる」と

 「い う・意味」の

 「ネガティヴ」な

 

 「ニュアンス」が

 「含 ま・れ」た

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「呆れて物も 言え・ない」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

・「感 服・する」

   (「かんぷく・する」)

 

・「相手 に・対し」て

 「深く 感じ・入り」

 「尊敬 や・尊重」の

 「念 を・抱く」と

 

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。



「反町 隆史」は

(「そりまち たかし」)

「POISON〜

(「毒」)

   言いたい事も言えない

   こんな世の中は〜」

 

   と、いう

「歌 を・歌い」

   ました。

 

「1998・年」に

「リリース」

   し た

「4 th・シングル」で

 

「大ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「反町 隆史」は

「1973 年・生まれ」で

「埼玉 県・浦和 市」
「出・身」の

「俳・優」

「歌・手」です。

 

「中 学・校」
「在 学・中」に

「ジャニーズ・事務所」に
「所・属」し

「光 GENJI」の

「バック・ダンサー」を

「務・め」ました。


「中学 卒業・後」は

「浦和 専門・学校」に

「進・学」し

「在 学・中」に

 

「モデル・事務所」に
「所・属」し

「ファッション・モデル」
   と、して

 

「パリ・コレクション」に

「出・演」しました。

 

「1994・年」に

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・され」た
「テレビ・ドラマ」


「毎度 ごめんなさい」に

「出・演」し

「俳 優・デビュー」
   しました。

 

「以・後」
「バージン ロード」

「ビーチ ボーイズ」

「G T O 」等の

 

「話 題・作」で
「多・数」

「主・演」しました。

 

「特・に」
「G T O」は

「最 高・視聴率」
「35.7 %」を

 

「叩 き・出す」

「大 ヒット・作」に

「成・り」ました。

 

「2015 年・10 月」に

「相棒・シリーズ」で

「4代 目・相棒」

「冠城 亘 役と・して」

(「かぶらき わたる」)

 

「起 用・され」

「2022 年・3 月」

   ま で

「出・演」しました。

 

「最 新・では」

「フ ジ・テレビ・系」で

「放 送・した」

「テレビ・ドラマ」

 

「オクラ〜

   迷宮入り事件捜査〜」で

「主・役」を

「演・じ」ました。

「歌・手」と

   して は

「19997・年」に

「ビーチボーイズ」の

「主題歌 と・して」

「リリース・した」

 

「ファースト・シングル」

「Forever」で

「メジャー・デビュー」を

「果 た・し」ました。

 

「同・曲」は
「オリコン・3 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

(「紅 白・出場」は

    この 1 回・のみ」)

 

「代 表・曲」に

 

「POISON〜

   言いたい事も言えない

   こんな世の中は〜」

「forever」

「メッセージ」等が

「有・り」ます。

 

「1998 年」に

「リリース・した」

「4 th・シングル」

「POISON 〜

   言いたい 事 も 言えない

   こんな 世の中 は〜」が


「自身 が・主演」し

「フ ジ・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・ドラマ」

 

「G T O 」の

「主 題・歌」に
「起 用・され」て

「大 ヒット・して」

 

「オリコン・9 位」

   ながら も

「自身 の・代表曲」に

「成・り」ました。

 

「2010 年代・末」に

「同曲を 聴か・せる」と

「赤ちゃん が・必ず」
「泣 き・止む」と

 

「ネット」で

「話・題」に
「成・り」ました。

 

「私・生活」

   で は

 

「2001・年」

「26 歳の・時」に

「同 い・年」で

「効いたよね・

   早めのパブロン」の

 

「C・M 」で

「なじみ・深い」

「女・優」

「ファッション・モデル」の

 

「松嶋 菜々子」と
(「まつしま ななこ」)
「結・婚」しました。

 

「当・時」

「二人 の・人気」は

「絶 頂・期」に

「在・り」

 

「ビッグ・カップル」

「誕・生」と
「世 間・から」

「騒 が・れ」ました。

 

「2004・年」に
「第一子・長女」が

「2007・年」に

「第二子・二女」が

「各・々」

「誕・生」しました。

 

 

「反町 隆史」
「POISON 〜

「言いたい 事 も 言えない

   こんな 世の中 は〜」

「作・詞」「反町 隆史」

「作・曲」「井上 慎二郎」

 

いつまで も 信じていたい

最後まで 思い続けたい

自分は生きる意味が あるはずと

 

冷めた目で 笑いかけてる

(「さめた」)

魂を 侵された奴

 (「おかされた」)

涙を流す痛みは あるのかい ?

 

言いたい事も 言えない

こんな 世の中じゃ POISON 

俺は俺を だますことなく

生きてゆく OH OH

 

まっすぐ向きあう 現実に

                          (「いま」) 

誇りを持つ ために

戦う事も 必要なのさ

 

階段に すわりこん で

終らない 夢の話を

夜が明けるまで 語り続けてた

 

さりげなく 季節は変わり

無意識に 視線を落とし

流される事に 慣れてくのか

 

小さな夢も 見れない

こんな 世の中じゃ POISON

自分らしさずっと いつでも

好きで いたい OH OH 

 

自由 に生きてく 日々を

大切に したいから

行きたい道を 今歩きだす

 

汚い嘘や 言葉で

操られたくない POISON

素直な 気持ちから

目をそらしたく ない

 

言いたい事も 言えない

こんな 世の中じゃ POISON

俺は俺を だますことなく

生きてゆく OH OH 

 

まっすぐ 向きあう現実に

誇りを 持つために

戦う事も 必要なのさ

 

 

「言う も・愚か」を

「英・語」で

 

 「it's stupid to say」と

 

 (「言う も・愚か」)

 

 「言・う」そうです。

Â