傀儡音楽

かいらいおんがく

「JALスペシャル アイドルポップ・クロニクル」で聴いたつんく♂のトーク

2年ぐらい前つんく♂が「JALスペシャル アイドルポップ・クロニクル」ってタイトルで、JALの機内だけで聴ける、アイドルについてトークする番組をやってたんだよね。それを一生懸命メモしたのんが出てきたので、文章にして残しておきます。

なんと言うか……こんな時期だから。つんく♂の声で楽しい話聞きたいなぁとか思って。

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ここ数年音楽シーンでは「アイドル戦国時代」という言葉があるくらいアイドルが盛り上がりを見せている。僕、つんく♂もモーニング娘。をはじめとしたたくさんのシンガー、女性アイドルを世に送り出してきた。そんな僕がのめりこんだ、1980年代から現在に至るまでのおよそ30年にわたるアイドルの歴史を、その時代を語るために重要な1曲、あるいは僕のこだわりの曲とともに振り返っていきたい。

1980年代に入ってから、「アイドル」と「歌手」とが区別され、ジャンルが分かれていったように思う。松田聖子さん、早見優さん、堀ちえみさん。中森明菜さん、河合奈保子さんと、いろいろなアイドルが活躍した。現在とこの時代の最大の違いは「ソロが当たり前であること」。

アイドルを作り上げていったのが伝説のテレビ番組「スター誕生」。山口百恵さん、桜田淳子さんなどの大スターはこの「スタ誕」から生まれた。その道筋が出来上がったところに飛び出した大物が松田聖子さん。それまでアイドルといえば14才15才でデビューするのが当たり前だったが、聖子ちゃんはちょっと遅めの18才ぐらいでのデビューだった。実力も色気もあり、若い世代に限らずお父さん世代も「この子かわいいな」とひきつけられてしまうような魅力が、国民的な存在になった理由だと思う。

そして松田聖子さんの歌の魅力と言えば、あの何とも言えないスピード感にあったと思う。「ぶりっ子」という流行語もとともに、1980年代前半のアイドルを作られていった。

80年代前半までは小泉今日子さんや中森明菜さんのような、濃い、「アイドルの王道走ってます」というような歌手が多かったのだが、80年代半ば、菊池桃子ちゃんのような存在が突如現れたことで時代が変わってくる。歌のうまさでひきつけるのよりはもう少し、ほわーっとした存在。もちろん、それまでも浅田美代子ちゃんみたいな子もいたわけですが。80年代の、歌の上手なアイドルがたくさんいる中で、「私、へたなんです」みたいな顔しながら現れて、しかもそれがちゃんと成立したという。僕はこれが「萌え」のハシリであった思う。その「萌え」の一歩手前に居たのが伊藤つかささんや、つちやかおりさんで、このあたりは僕にとっての「超萌え」だった、15才だった僕のマインドがすべて持っていかれて、今まで頭の中にあったすべてが吹き飛ばされるような感覚。まったく新しい何かがインプットされた、そのぐらいの衝撃だった。

当時Momocoという雑誌があって、偶然現れた菊池桃子さんがその創刊号からバシッとハマって、それ以降Momocoからいろんなアイドルが輩出されることになる。西村知美さん、水谷麻里さん、姫乃樹リカさん。いろんなMomoco出身のアイドルが誕生して時代を作っていく、と言う流れだった。そしてその後おニャン子のムーブメントへ入っていくわけだが、80年代半ばにおいて菊池桃子さんの存在はとても凄かったと感じている。

90年代に入ると、「萌えの菊池桃子」の時代からおニャン子クラブの時代へなった。これは「アイドルが庶民的になった」ということ。それこそ「俺のクラスからアイドル出るんちゃうかな」なんて本気で考える時代がきていて、それまでの概念では成立しなくなっていた。

90年代の頭はバンドブーム全盛の時代。業界全体が「バンドブームに乗っておけ」という流れになっていて、レコード会社がアイドルにあまり興味を示さない時代だった。当時僕たちは大阪にいたので東京の詳しいことはわからなかったけれども、どうやら東京のローカル番組でいろいろなアイドルが少し盛り上がりつつある、とは聞いていた。それが乙女塾であり、ribbonであり、CoCoのようなグループ。東京でぐつぐつやっていたものの、全国的にバーンと広がるところまでは至らなかった。

僕たちは92年にシャ乱Qとして上京したのだが、当時の僕らのマネージャーが「君たちお金ないだろうし、こういうのいろいろ聴いてみたら」とたくさんのCDを渡してくれた。そのCDの中のCoCoが入っていた。「何、今どきのアイドルってどんなやねん」なんて言ってカツッとCDをかけてみたら、そこに瀬能あずささんや、宮前真樹さんや、大野幹代さんや、印象の全然違ういろいろなアイドルが詰まっていた。「なるほどこれは奥深いな」と感じて、それからribbonやそのほかのアイドルをチェックするようになった。

次にかける「はんぶん不思議」の曲中で、三浦理恵子さんの「あなたいじわる」という素晴らしいフレーズがあるので、ぜひ聞き逃さずに聴いてほしい。

90年代の前半は「アイドル冬の時代」と言われていて、「この時代のアイドルといえば間違いなくこれ」というアイドルが不在だった。もちろん実際にはアイドルが居なかったわけではない。Qlair、南青山少女歌劇団、東京パフォーマンスドールなど。頑張ってはいたものの誰もこれという結果を残せなかった中、90年代も半ばを過ぎたあたりから、安室奈美恵さんやMAX、SPEEDが登場した。それは「プロデューサーズ・ブランド・アイドル」と呼んでいいかもしれない。プロデューサーという象徴があって、、そこを土台にしながらアイドルが育っていく時代。

この時代にもいろいろ歌手がでていったのだけれども、彼女たちはアイドルであろうとするというよりは、アーティストと呼べるような本当の意味で実力を持ったグループとして登場してきた。それが90年代半ばから後半という時代。そして90年代後半に、テレビ番組「ASAYAN」からモーニング娘。が誕生することになる。

ご存知の通り、初めからモーニング娘。で売って行こうというつもりではなかった。当初は「シャ乱Qのロックボーカリストオーディション」という企画をやっていてそこで勝ち抜いた平家みちよを、当時はたけのプロデュースでデビューさせていた。その時に、オーデョンで落ちてしまった子たちをかき集めてレッスンをして、そこから一人二人デビューさせようかという話が持ち上がった。集めてみたところ、ソロにしてしまうよりもこの5人のままの方が、アンバランスなちぐはぐ感があって魅力的なのではないかという評価に変わっていった。そこで番組中で「じゃあつんく、この子たちでグループ作ってよ」と話になり、ならばモーニングセットみたいなものだから名前もモーニング娘でいいんじゃないの……みたいな軽いノリで、みんなにちょっと喜んでもらえればOKなんじゃないの、というノリで始まったのがモーニング娘。だ。軽い感じで始まったのだけれども、それがいい意味で評価され、多くの人に愛していただいて、うまく転がって行ったと感じている。

90年代後半は、アイドルというのは恥ずかしい、かっこ悪いみたいな時代になっていた。どちらかといえば例えば相川七瀬さんのような、ロック寄りの、アーチスト寄りの歌手が多かった。歌だけでなく、ダンスも含めてパフォーマンスがかっこよくなければ成立しないみたいな時代だった。だからこそモーニング娘。は、かっこいい、憧れる、といういう存在と真逆の位置に置いて、踊れない、歌えない、カッコもダサいみたいな存在だった。それこそ、踊りといえばサイドステップしか踏めず、しかも、それを延々と何時間も練習させていた。そこまでしてもなかなか踊れなかったモーニング娘。だが、その感じが逆に新鮮で、懐かしいというか、「80年代半ばから後半にかけての時代の匂いがする」みたいに感じてもらい、愛されていくことになる。

「モーニングコーヒー」でメジャーデビュー。そこから僕が少しずつ方向転換していって、「カッコダサい」というか、格好いいんだけど親しみ易い、みたいなニュアンスを取り入れていった。音楽もどんどん変えていって、最終的にたどりついたのがパーティーソングだった。

僕のモットーはとにかく「アイドルソングを作る気はない」ということ。歌う子が歌が下手だろうと、踊る子の踊りが下手だろうと、サウンド、バックトラックだけは本物なんだ、ディスコでいつかかっても全然恥ずかしくないサウンドを作るんだっていう気持ちでやっていた。今日のこの番組はアイドルというテーマでやってきたわけだけれども、僕はアイドルソングを作っている気はない。つねにロックだファンクだディスコだと。なんか格好いいものを作ってきたつもりであって、アイドルソング作った気はない。ただ、結果的には皆さんに愛され、受け入れてもらうことができた。

「この頃は、どのようにレコーディングをされていたのですか」という質問をよく受ける。当時はすでに打ち込みサウンド当たり前の時代だったのだけれども、モーニング娘。に関してはギリギリまでひっぱって、スタジオにドラムもベースもギターもピアノもキーボードも呼んで、アレンジのダンス☆マンも呼んで、皆で「せーの、ドン」で叩き始めてレコーディングをするという、ベーシック中のベーシックなやり方をしていた。すべて生でレコーディングしたのちに、プロトゥールスに取り込んで若干刻むという方法だった。

そういう作業を繰り返してレコーディングしていたが、そのアナログ感がすごくよかったと感じている。さらに、例えば「このディスコクラシックを今風に再現したいんですよ」みたいな僕の遊び心に、ミュージシャンたちが快く乗っかってくれたのも良かった。ミュージシャンたちもノリノリで演奏してくれているから、ベースもドラムもみんな音がハネているし、はじけている。このグルーヴはたぶん、はいアイドルのレコーディング来ました、はい譜面みてチャッチャッチャッチャ、はい終わりましたーおつかれっしたー、はいトッパライで3万もらって帰りますーみたいな、そういう感じでは出なかったと考えている。だからこそ、すごく耳の肥えたミュージシャンや、面白がってクラブやディスコでかけてくれたDJのみんなに「挟まって」いったんじゃないか、そんな気がしている。これは今でも変わらないのだけれど、音楽を作る時は、いわゆる玄人たちに「なんやつんく♂、ちょこざいな……」と言わせるというのが、僕の一つの楽しみである。この点についてはこれからも心がけて作っていきたいなと考えている。

  • ヘヴィーローテーション/AKB48

2000年代以降はまず、何をおいてもAKB48だ。仕掛け人は秋元康さん。僕は彼の作品に何回も「ひっかけられて」いる。小5の時には長渕剛さんの「Good bye 青春」の作詞だったし、菊池桃子ちゃんの「青春のいじわる」もそうだし、高校生ど真ん中の頃にはおニャン子クラブだった。そして今はこのAKB48。秋元さんが噛んでいる作品は本当にプロの仕事で、さすがだなとしか言いようがない。あの人の頭の中どうなってるのか、MRI撮って見せてもらいたいぐらいだ。本当に素晴らしい。AKB48も尊敬できるグループだと思う。

ここ数年で大きな成功をおさめたグループにおいての、プロデューサーの存在と音楽性について考えてみる。AKB48は秋元さんの作ったシーンだが、その前には小室哲哉さんが作ったシーンもあったし、織田哲郎さんのシーンもあった。最近で言えば中田ヤスタカさん、ヒャダインこと前山田健一のシーンがあった。年代で考えると、秋元さんや小室さんが僕よりも一回り上。そして僕らの世代がいて、中田ヤスタカや前山田健一が一回り下の世代。僕が申年で彼らも申年。比べてみると、音楽の作り方も全然違うしレコーディングの方法も全く違う。僕らの時のようにまず普通にミュージシャンがドラム叩いてベース弾いてってことはまずなくて、初めからコンピュータの中に納まっているようなレコーディングだ。今がそんな時代なのだから、さらに12年したら違う形が生まれてくるのだと思う。

今現在のアイドルシーンは「アイドル戦国時代」と言われているけど、僕はその言葉も古いと考えている。今は「アイドル天国時代」だ。

今のアイドルはアイドルという職業になっている。本来アイドルは崇拝や尊敬の対象を象徴する言葉だったはず。ところが今は「アイドルをやらせていただいています、○○ちゃんです!」みたいな、なんだか変な時代になっている。その意味で、80年代終わりから90年代頭のような「アイドルがアイドルとして成立しない時代」に若干似てきているのかもしれない。アイドルは多種多様にいるけれども、だからこそ、どれ? 今何を見たらいいの? みたいな状況だ。今は「会いに行けるアイドル」に始まって、それこそ握手会場に行くとビンタしてくれるアイドルとか、説教してくれるアイドルとか、秋葉原周辺であれば一緒にお散歩するアイドルとか、訳のわからないことになってきている。

これぐらいアイドルという言葉が独り歩きしてしまうと、それこそもう「つけ麺」と一緒だ。全国どこにでもいるのがアイドル、というように変わった。しかしそれはそれでいいと思う。これは日本のひとつの文化だと思うから。

K-POPの中にもアイドルはいるし、タイにもいる、台湾にもいる、インドネシアにもいる、いろんなところにアイドルがいる。見る側のフットワークも、それこそ「ちょっと台湾コンサートいってこよ」とか「ソウルまでコンサート観に行ってきます」みたいなことがんどん当たり前になってきている。それはつまり、逆を言えば外国人の皆さんも日本のアイドルを見に来てくれるような時代だ、ということ。これからは「アイドル一家一台時代」がやってくるのではないか、そんな気がしている。

まあやっぱりそうは言っても、そういう時代であっても残っていくのは本物のサウンドだ。本当のプロ根性を持ったアーティストが、プロであるという意識をもって音楽を作っているのだ、文化を作っているのだ、エンターテイメントとしてみんなに楽しんでもらうのだ、という気持ちがなければ、やっぱり中途半端に終わっていくんじゃないかと思う。

そんな中、僕の事務所所属アイドルの最新の曲を紹介する。デビューして七年くらいになるのだけど、そもそも地下にいなかったはずなのに、いまだに地下あたりをウロウロしている。「半モグラ」みたいな位置なのかわからないけれども、頑張っている途中のアイドルの一組である。

これからはアジアとの密度が大事なキーポイントのひとつだと感じている。そしてアジアからからヨーロッパ、アメリカへどうやって繋げていくかというのは、アイドルに限らずJ-POPにとってのの大きな岐路だ。

これからのアイドルはどうなるのかと尋ねられたら、先ほどしたプロの音楽、本物の音楽みたいな話に繋がる。今はデジタルデジタルで、びゅんびゅん音楽を書き換えていくような時代だ。だとするともしかしたらそこにある隙間は、1周してまた元に戻って、「アナログなアイドル」なのではないか。何をもってアナログというかはわからないけれども、アナログな、手作り感のあるアイドルがもしも現れたら、その子は抜けていくかもしれない……というのが僕のなんとなくの、2013年2014年あたりの予測だ。この子はアナログっぽいな、と思ったら、友人にチェックしておけよと言ってみるのも面白い。もしかしたら後から「お前の言ってたアイドル、本当に来たな!」と驚かれるようなことがあるかもしれない。ぜひ、みなさんにそんなアイドルを見つけてみてもらいたい。

アイドルシーンはこれからも面白くなると思うので楽しみにして欲しい。