梶ピエールのブログ

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ジニ係数に関するヘンテコな言説

 インターネットメディアのSYNODOSに、「中国の所得格差はどうなっているのか」という記事を寄稿しました。中国社会を語る際の「定番ネタ」の一つである所得格差の問題について、政府が公表しているジニ係数の変動、「灰色収入」の存在とその規模、国有/非国有部門間の賃金格差、などの観点から整理しています。

 さて中国の所得格差については日本でも関心が高い話題で、そのことはいいのですが、中にはかなりミスリーディングな紹介記事も見受けられます。例えば、少し前の『読売新聞』の記事です。オリジナルのリンクが切れているので「魚拓」を取っているサイトをリンクしておきます。

「中国で貧富の差拡大、ネット関連報道は次々削除 -読売新聞」

【上海=鈴木隆弘】23日付の中国紙・南方都市報によると、西南財経大学(四川省成都)の研究チームは、中国の全世帯の10%を占める富裕層が、全国の総資産の63・9%を所有しているとする「格差」の現状を伝える調査報告書を作成した。

 中国の富裕層のうち、上位1%の平均年収は115・2万元(約1930万円)に達する。これに対し、2012年の都市労働者の年間平均賃金は4万7000元(約80万円)にすぎず、1に近づくほど格差が大きいという「ジニ係数」では、13年は0・717だったと試算した。国家統計局が1月に発表した0・473という数値とも大幅な開きがあった。

 関連の報道は、インターネット上で次々と削除され、当局が報告者を問題視している可能性がある。米国では2012年、上位10%の富裕層が総所得の50・4%を占めたとされるが、中国で社会不安の原因となる格差は、これを上回る規模となっている。

 この記事の何が問題か、というと西南財経大が公表した0.717という「資産保有のジニ係数」の推計値(SYNODOSの文章の中でも触れた、西南財経大調査のサンプルの偏りはひとまず置いておきましょう)と、国家統計局が発表した「収入のジニ係数」とを混同して直接比較しているからです*1。前者はストック概念で、後者はフロー概念なので、直接比較することはナンセンスです。また、フローのジニ係数については、収入ではなく消費額で算出している地域もあります。
 なぜこの二つを混同してはいけないかというと、フローの格差とストックの格差とでは政策の優先度が違うからです。政府が是正をしなければならないのは後者ではなく前者です。というのも、収入や消費の格差の拡大は、社会が根絶すべき「貧困」の拡大と強く結び付いているからです。収入や消費水準の格差拡大は、失業や不況などのネガティブなショックによって生じることが多く、その結果人々の最低限の生活が保障されなくなる可能性が高くなり、社会の不安定化をもたらすと考えられます。実際のところ、課税や社会保険を通じた政府による再分配も、資産課税などを除けばフローの格差をターゲットとしています。

 一方、ストックの格差はどうでしょうか。この点を考える上で重要なのは、資産価格が一般の物価よりも大きく変動しやすい、ということです。一般に「資産」としての価値を持つ財は、現在における使用をベースにした需要の他に、将来の値上がりを見込んだ投機的な需要も存在するからです。バブル経済、とまではいかなくても、一般的に景気がよくなれば株価や不動産価格が大きく上昇し、資産格差は拡大しします。アベノミクス以降の日本でもまさにそういった現象が起きています。しかし、このような資産格差の拡大は一概に悪いことといえるのでしょうか。
 資産価格の上昇による格差の上昇によって、確かに社会の不平等感は増しますが、それ自体では貧しい層がより貧しくなり、「最低限の生活が保障されなくなる」ことを意味しません。そして、日銀による「バブル退治」の時のように、資産価格の上昇を恐れてそれを無理に押さえ込むような政策を行うと、どういう結果が得られたでしょうか。それによって確かに資産格差は縮小したかもしれませんが、その後日本経済は長期間デフレに悩まされることになり、深刻な貧困問題も生じることになりました。

 以上のように、フローの格差とストックの格差はそもそも違うものであるだけでなく、混同して対処すると危険なものだと言えます。これは日本経済だろうが中国経済だろうが同じことです。大新聞に掲載された記事までが平気でこのような混同をしているのは困ったものです。

 こういうミスリードがあるから、以下のようなより煽情的な記事もたくさん出回ることになります。

まさに革命前夜、崩壊寸前の中国がすがる反日戦略(JB PRESS)

 まあ全編ツッコミ所満載といった感じの記事ですが、ジニ係数に関しても、上述の読売の記事を引用して冒頭から飛ばしてくれています。

2月25日付「読売新聞」(2014年)は驚愕の数字を報道した。中国の「南方都市報」の転載記事であるが、西南財経大学(四川省成都)の研究チームが貧富の格差を示す2013年のジニ係数は0.717であったとの調査報告書を公表したというのである。
 明朝や清朝末期のジニ係数をはるかに上回る数値で、端的に言っていつ革命が起きてもおかしくない状況を示している。中国があの手この手で日本追い込みを強めている要因の1つは、内政の混乱から人民の目を逸らす必要が一段と高まってきたためであろう。

北京大学の歴史学教授がかつて行った概算では、明末に李自成が農民反乱を起こした際のジニ係数は0.62、清末の太平天国の乱の際は0.58であり、現実に易姓革命につながった。20世紀初めの国民党政府統治期は0.53で、最終的には現在の共産党による統治に移行した。

 明朝や清朝末期のジニ係数??? ジニ係数を推計するには、かなり大がかりな家計調査が必要です。明や清の時代にそんな家計調査が行われたはずがありません。というか、権威づけにつかわれている「北京大学の歴史学教授」の研究とはどういうものなのでしょうか、気になります。試しに中国語のネットを検索したところ、上の記述の元ネタになったと思われるコピペの文章はいくらでも見つかるのですが、肝心の「研究」がいつ誰によってどのように行われ発表されたものなのか、いくら検索しても出てこない。というわけで、途方に暮れていたところ、代わりに調べてくれた親切な人のブログ記事を紹介しておきましょう。

眉にチョメチョメ、何とか係数(「たぬき日乗」)

で、この元ネタ、探してみるとこんなんでました。

牛文元:我有一个朋友,是北大的一个历史系教授,他根据我们这个共同研究的观点,查了很多历史资料,然后就查到明朝末年的基尼系数,这个算的不一定准确,他告诉我们ä»–计ç®—çš„结果是0.61,因此爆发了李自成的起义,“跟闯王不交赋”。清朝也有一个天平天国起义,实际上就是满清政府开始进入死亡期的前奏,太平天国闹了十几年,当时的基尼系数0.56.因此,两次这种èµ·义,其实是颠覆了两个王朝。

牛文元:我们的党在建立的时候,领导农村包围城市,实际上当时的基尼系数,据计算是在0.49到0.53左右,因此我们的口号是打土豪分田地,相当多的人就跟着共产党把过去的三座大山推翻了。我讲的目的,我想大家很清楚,如果我们国家不能够把整个国家的基尼系数,或者贫富之间çš„å·®异调整到一个科学控制的临ç•Œ值之下的话,我们也有潜在的风险。

いろんなコピペはありますが、一番もとっぽいのはこれな気がします。

なんかほかのとこでも、北大歴史系の人によればとか書いてあったな。

(中略)

あと、途中でハーバード大学フェアバンク研究所で行われた分析によると、とか書かれてるけど、ホントにそんなのしたのかな?

北大歴史系とフェアバンク研究所のサイトみたけど、よくわからんね。Giniとか基尼とかで検索してもなんもでてこんし。

 というわけで、どうやらそういった「研究」が全く行われていないというわけではないものの、きちんとした学術論文の形でまとめられ、しかもその結果が広く認められて一定の評価を得る、ということにはなっていないようです。
 そもそも、家計の所得調査などが行われているはずがない前近代社会の状況について、どうやってジニ係数の推計を行ったんでしょうか。可能性としては、土地の配分状況に関する何らかの記録を入手して、そこから土地保有に関する何らかの不平等度を計算するということだったらなんとかできるのかもしれません(確証はありませんが)。前近代の農村には土地を持たない「佃戸」と呼ばれる農民が多数存在していましたから、その場合の不平等度がかなり大きなものになることは考えられます。しかしそれも土地という一つの資産に限定した「格差」の指標であり、その場合でも現代のような厳密なデータがあるわけはありませんので、現代のジニ係数と直接比較することに意味がないことは言うまでもありません。

 まあ、上のJBプレスの記事を読むとそういう冷静な議論がしたいわけではないことは明らかなのでこれ以上マジレスしてもしょうがないのかもしれませんが、中国との「智戦」で勝とう、というからにはもう少し基本的なことを勉強してほしいものです。

ちなみに、件の記事については「たぬき日乗」さんによる、「易姓革命」に関する突っ込みもどうぞ。

*1:ちなみに、日本のメディアがソースとした『南方都市報』の記事(転載されたもの)http://news.msn.soufun.com/2014-02-23/12154972.htmでは0.717という数字は「全国家庭資産のジニ係数」だと明確に書いています