インタビュー

「App Store」の存在は“悪”なのか、iPhoneアプリ開発者から見るアプリストアの存在とは

 世界中で議論されているスマートフォンをはじめとした「モバイルOS」の寡占状態。そして、並行して注目されている「アプリストア」。

 iPhoneでは、アップル(Apple)のアプリストア「App Store」からでのみアプリをダウンロードすることができ、「App Store」以外からアプリを導入することは、通常ではできない。

 そのうえ、有料アプリ購入時やアプリ内の決済は、長年アップルを通じた決済しか認められておらず、配信について30%の手数料がかかっていた。この手数料については、一部で「Apple税」と呼ぶ向きもある。

 2021年からは、手数料の軽減策が実施され、年間の利益が100万ドル以下の開発者の手数料率が15%に引き下げられた。

 このような手数料体系となっていることから、各国の政府/当局も含めて“第3の「App Store」”の設立やアプリストア以外の方法でアプリをダウンロードする「サイドローディング」の解禁について、大きく議論が進んでいる。

 一方で、「App Store」ではアプリのリリースまでに厳格な審査が行われているなど、セキュリティレベルの維持が図られており「『App Store』のおかげでユーザーが保護され、円滑に開発を進められている」という声も聞かれる。実際に、手数料を納めて配信している開発者(デベロッパー)の意見はどのようなものか。

 今回は、「App Store」の日本上陸時からiPhone向けアプリを開発している物書堂 代表取締役の廣瀬 則仁氏から、「App Store」存在の意義から現在議論されているサイドローディングについて話を聞いた。

物書堂 代表取締役の廣瀬 則仁氏

長年アップルのプラットフォームでソフトを開発

 廣瀬氏は、かつて存在したエルゴソフト社で、マッキントッシュ(Macintosh)用の日本語ワープロソフトなどの開発に携わっていた。

 その後、エルゴソフトの解散を機に「物書堂」を立ち上げ、「長く続く会社にしたい」という想いから、事務所などの固定費を極力抑え、4人の開発陣が各自の自宅でソフトウェア開発をすすめている。

 廣瀬氏は、早くから携帯ゲームハードなどモバイル端末の可能性を探っており、「iPod Touch」の可能性について早くから着目していたという。

 「App Store」が日本上陸する際には、「日本人向けのアプリが必要だ」という想いから、英和辞典アプリをリリース。以降、辞書/事典アプリを中心としたさまざまなiPhoneアプリを開発しており、幅広いユーザーや出版社から支持を得ている。

 なお、デベロッパーとしての規模は、開発チームは4人、年間の売上は約300万ドルとしており、先述のApp Storeの手数料軽減策は対象外となっている。

「App Store」は、洗練されたアプリストア

 Androidアプリも開発している廣瀬氏は、アップルデバイスのアプリストアが「App Store」だけである現状について、小規模デベロッパーから見れば1つの洗練されたアプリストアがあるだけで十分だという旨をコメント。

 廣瀬氏によると、アプリを開発して実際に公開するまでには、アプリストアにパッケージをアップロードしたり、審査を受けたりする作業が必要になる。また、アップデートを実施する際にも、同様の作業が必要となるため、小規模な事業者ほど、1つのアプリストアで決まったワークフローを実施するようにしていかないと「小さいデベロッパーはやってられない」(廣瀬氏)と、作業負担が大きいという。

 「App Store」では、開発環境「Xcode」を使えば、アプリの製作からテスト環境の構築、「App Store」へのアップロード、審査に至るまで実施できる。廣瀬氏は、上陸当初は使いにくい面があったとしたものの、長い年月をかけて改善され構築された「素晴らしいワークフロー」だと説明する。

 Androidアプリも開発している物書堂だが、廣瀬氏はAndroidアプリの開発環境と比較しても余計な手間が生まれず「開発に集中できる」と、App Storeならではのメリットを享受しているとしている。

ファイル容量が大きくても少ない費用負担

 また、辞書アプリの開発者側ならではの利点として「配信の仕組み」が優れていると指摘する。

 辞書アプリでは、本体やアップデートのファイルサイズが大きいパッケージで提供される。これを自社で配信する場合、たとえば10万人のユーザーに数100MBのファイルを配信しようとすると、AWSなどのクラウドサービスを契約するため相当な費用負担が必要になるという。「App Store」では、配信に対する費用負担はなく、決済関連の手数料だけで利用できる点でメリットを感じるとしている。

手数料が安いからといって移行しない

 「Apple税」と揶揄されているApp Storeの手数料はどうか? 廣瀬氏は「安ければ安い方が良いのは当然」としながらも、手数料が安いからといってすぐに移ることはないだろうとしている。

 30%という手数料率に関しては「どこで線引きするかという問題」とし、価格に対して大きく不満はないという。

 第3のアプリストアが登場しても、結局ワークフローが整備されていなければ、手数料が安価に設定されていても選択肢には入らないとコメント。また、アップルのように世界で数多のデベロッパーを抱えるには、それ相応の規模の大きい企業でないと運営できないだろうとし、加えて「参入できる会社はすでに参入しているはず」と考えを説明した。

サイドローディングについて「危険性が増すだけ」

 アプリストアを介さずにアプリを配信する「サイドローディング」について、廣瀬氏は「危険性が増すだけでは」との認識を示す。

 たとえば、アプリストアでの配信には、厳密な審査が実施されており、問題があるソフトウェアの多くが配信まで至らないように制度設計されている。サイドローディングではこの審査が働かないため、セキュリティホール(OS自体の抜け穴)が突かれやすく、安全なプラットフォーム環境が崩れる危険性が高まる。

 廣瀬氏は、セキュリティリスクについて「いたちごっこではある」としたものの、昔のコンピューターウイルスのようにデバイスを乗っ取るまでに至らないほどのセキュリティレベルが守られていると指摘する。

 また、悪意を持ったアプリによる個人情報の抜き取りなどにもアプリストアでは対策されていることを説明。盗撮防止のために、カメラを「ユーザーからの許可」が無い限り使用させないようにするなど、ユーザー目線での対策も行われているという。

 一方、アプリストアでは家族とアプリを共有して利用できる「ファミリー共有機能」がある。廣瀬氏は、自社の辞書アプリでは「ファミリー共有機能の有無で売上が大きく変わる」とし、自社の利益を鑑みても、サイドローディングやファミリー共有機能を持たないアプリストアでの提供には慎重な姿勢を示した。

ユーザーに配慮されたアプリストアのシステム

 廣瀬氏は、サイドローディングでは実現が難しいものとして豊富な「ユーザーの決済手段」を挙げた。

 App Storeで決済する手段として、クレジットカード決済のほか、通信料金と合算して支払えるキャリア決済や、コンビニなどでギフトカードを購入して決済する方法など、多彩な決済手段が用意されている。

 廣瀬氏は、「クレジットカードを持っていない高齢ユーザーでも、コンビニでカードを購入すればアプリを買ってもらえる」とし、実際に80代のユーザーが海外に出向くのに辞書アプリを購入し利用しているとコメント。決済手段に至るまで「長年積み重ねてきたシステムは並大抵ではない」と、アプリストアを利用するメリットをあらためて強調する。

 廣瀬氏は「ユーザー側からみても、消費者保護などを含め非常によくできたシステム」とし、これをまねするのは難しいのではないかと指摘。加えて、サイドローディングについても「アプリストアと同じ利便性がなければ、ユーザーが付いてこない」と説明した。

利益改善のアドバイスもくれる「App Store」

 「App Store」の夜明け前から、アップル製品向けのソフトウェア開発に関わっている廣瀬氏。アプリの審査日数が短縮されたり、洗練されたワークフローを利用したりできるなど、「App Store」自体も長い年月で進化してきた一方、アプリ開発者に向けて、利益改善のアドバイスをすることもあると廣瀬氏は説明する。

 物書堂の辞書アプリは、数年前まで辞書ごとに別のアプリでリリースされていたが、2019年に「辞書 by 物書堂」と「英単語 by 物書堂」の統合アプリがリリースされ、以後アプリのコンテンツとしてコンテンツを購入できる仕組みになった。

 この統合アプリ化について、廣瀬氏は「アップルからの提案だった」と明かす。統合した際に、ユーザーから多数のクレームが寄せられたと言うが、結果的に統合前より1.5倍程度の売上となり、アップルの提案によって売上が伸びることを実感しているという。

 廣瀬氏は、アップルからの提案について「提案を受け入れた場合にビジネス的にメリットを感じることが多い」とコメント。大家と借主といった対等な立場ではなく、パートナーシップの関係で、損をするようなことは言わないとの考えを示した。

App Storeは洗練された統合システム

 廣瀬氏は、「App Store」の手数料率30%について、「CD-ROMで販売していた当時と比較しても高くない」とコメント。

 一方、サイドローディングでは決済代行サービスを利用することになり、決済自体の手数料は数10%程度となるが、個人情報の管理リスクや、それ以外の維持コストなども別途発生すると指摘した。

 中小規模のデベロッパーである廣瀬氏からは、「App Storeは洗練された統合システム」であることを聞けた。アプリ市場の今後については、単に「競争環境の整備」だけでなく、開発者の視点やユーザー保護などさまざまな観点から議論を重ねる必要がありそうだ。